第12話 剣聖

 剣聖に稽古をつけてもらうことになった。

 冷静に考えたら、凄いことだよな。


 「大和くん、君は特殊な武器を使うそうだね」

 「え? あ、はい、これです」


 今のミラの姿はボロい木の盾みたいだ。


 「ほう? 面白い武器だ、底が見えない」


 剣聖にはどう見えているのだろうか。

 剣一本で現時点の頂点まで登り詰めた男だ。


 「まず、手合わせをしてみようか」

 「はい!」


 ギルド横の訓練場に場所を移し、俺たちは向かい合った。


  「僕はこの木剣で相手させてもらうよ」


 ダビルはそう言うと、木剣を手の上でクルクルと回す。

 現実世界で大道芸を見ているかのように、軽やかで華麗だった。


  「【ミラジェイラ・ブレード】! 僕はこれで相手させていただきます!」


 俺はミラを美しい剣の姿に変え、構える。

 その瞬間、ダビルの瞳が一瞬大きく見開かれ、微笑んだ。

 そして深く息を吸い込んだかと思うと──。


  ズンッ!!


  「っ!?」


 言葉では表せないほどの圧力が、身体全体を押し包むように放たれた。


 その威圧感をまとったまま、ダビルさんは剣の構えを取る。

 ――龍雷と、まったく同じ構えだ。


 「これが……剣聖」


 あまりの凄さに、瞬きすらも忘れていた。


 「では、行くよ」


 その一言と同時に、ダビルさんが一歩踏み出す。

 次の瞬間、俺の全身を貫いたのは――圧倒的な【死のイメージ】だった。


 一歩も、いや、一ミリも動けない。

 ただ、圧倒的な差を前に受け入れるしかなかった。


 「……はい、これで死んだ」


 気づけば、ダビルさんの剣先は俺の首のすぐ前にあった。

 その距離、わずか数センチ。

 まるで、最初からそこにあったかのようだった。


 数秒後――いや、体感では数分にも感じられた――

 ダビルさんが放つ圧力が、ふっと解かれた。


 「あっはっは、まるで昔の龍雷を見ているかのようだ!」


 ダビルさんがニカッと笑う。

 その笑顔は、龍雷の笑顔と重なった。

 本当に、家族って似るんだな……と、自然に思った。


 「これは鍛え甲斐があるな!」


 こうして、龍雷の父親であるダビルが、俺の師匠となった。


 師匠の稽古は、まず基礎から始まった。


 走り込み、体幹トレーニング、筋力強化……。

 これらをこなして、ようやく打ち合いに入ることができた。


 「剣の型には三つの流派がある。

  焔牙流えんがりゅう風蛇流ふうじゃりゅう神刀流しんとうりゅうだ。

  全てを極めて、ようやく剣聖の型を習得するための最低ラインに辿り着ける。」


 師匠はそう言うと、まずは焔牙流の修得を目指して稽古をつけてくれた。

 だが、そんなものが一朝一夕で身につくはずもない。

 ――地道に励むしかない。そう痛感した。


 宿に戻り、今日の稽古を振り返ろうとしたが、


 「……疲れた。」


 思考が途切れるより早く、意識が闇に沈んでいった。


 ◇ ◇ ◇


 「こんなところで寝てたら風邪ひくよー?」

 「んん……もう少しだけ……」


 気づけば、現実世界に戻っていた。

 だが、体の疲れはまるで取れていない。

 起き上がる気力すら湧かず、ソファーの上でぐずぐずしてしまう。


 「こーら、ベッドまで行って寝なさい」


 その声は優しく、どこか懐かしい。

 ――ああ、落ち着く。


 「母さん……もう少しだけ……」

 「母さんじゃないよ〜、いろはだよ〜」


 意識がはっきりした瞬間、顔が一気に熱くなった。


 「ひ、姫野さん!?」


 同居生活にも慣れてきたはずなのに――

 よりによって、こんな恥ずかしいところを見られるなんて。


 「ふふっ、寝ぼけてたでしょ」


 柔らかな声が、静まり返った深夜の部屋にそっと溶けていく。

 肩くらいの長さでさらりとした真っ黒な髪は、月明かりに照らされて控えめに光り、ソファーの背もたれ越しに揺れた。

 瞳には眠気を帯びた穏やかさが宿り、ふんわりとした笑顔が夜の空気まで柔らかく染めていく。

 ソファに座る彼女の仕草は自然で、深夜の静けさの中でも優雅さと包容力を感じさせる。


 胸がドキドキする。目を逸らそうとしても、肩まで届く黒髪の姫野さんから意識をそらせない。

 頬が熱くなり、手のひらが少し汗ばんでいるのを感じた。

 ――こんな夜に、こんなに心を乱されるなんて。

 彼女の無防備で優しい所作に、俺の胸はぎゅっと締め付けられた。


 「私、お腹すいた。コンビニ行かない?」


 姫野さんがそう言い、俺は思わず首を縦に振った。


 軽く準備をして、家を出る。


 夜の街は、昼間の喧騒が嘘のように静かだった。

 街灯に照らされたアスファルトが、淡く光を反射している。

 風はひんやりとしていて、冷たさが頬を撫でる。

 コンビニまでの道すがら、姫野さんの黒髪が、淡い光に揺れていた。


 俺は無意識に、歩幅を少し彼女に合わせる。

 深夜の静けさの中で、彼女の呼吸や足音までが鮮明に感じられた。

 その自然な仕草や、何気ない笑顔に、胸の奥がじんわりと温かくなる。


 角を曲がると、街路樹の葉が風に揺れ、小さな影を地面に落としている。

 その影さえ、何か幻想的で、まるでこの瞬間だけ世界が二人だけに与えられた特別な時間のようだった。


 「ほら、大和くん、見て。空がすごく綺麗」


 姫野さんが空を指差す。夜空には星が瞬き、都会の灯りに負けじと小さな光を散りばめていた。

 そんな夜空を見上げると、自然に肩の力が抜け、深く息を吸い込む。

 俺の視線は、つい姫野さんに戻ってしまう。綺麗な黒髪が月明かりを受け、静かに揺れていた。


 ――この時間、この空気、この景色。

 何気なく過ぎる夜が、こんなにも心に残るとは思わなかった。


 「いらっしゃいませー」


 コンビニに入ると、店員の無気力な声が空間を満たす。

 それとは別に、少しやんちゃそうな若い男たちが、ゲラゲラ笑いながら漫画を読み漁っていた。

 夜遅く、街灯に照らされた深夜の街とは裏腹に、店内には妙に騒がしい空気が漂う。


 俺は無意識に姫野さんの後ろに立ち、肩越しにちらりと視線を送った。

 肩まで届く黒髪が、淡い店内の光に揺れる。


 「……どれにする?」


 姫野さんの声に我に返る。手がほんの少し震えているのを感じた。

 夜の街を歩いてきた冷たい空気が、まだ頬に残っている。


 そのとき、やんちゃな男たちの一人が、俺たちの方に目を向ける。

 「おい、そこのカップル、何買ってんだ?」

 笑いながら寄ってくる様子に、空気が一気に張りつめる。

 俺は思わず姫野さんの肩に手を添えて、無意識に守ろうと構える。


 ――この夜、ただの買い物が、思わぬ緊張に変わった瞬間だった。


 「いやー、アイスでも買おうかと」


 姫野さんもいる。だから、なるべく騒ぎにはしたくない。

 俺が触れている姫野さんの肩は、小刻みに震えている。


 「へー? 俺らにも買ってよー」


 これは……カツアゲか。

 従っても、従わなくても、どちらにせよ俺たちは目をつけられてしまうだろう。


 以前までの俺なら、この状況に恐怖を感じていたはずだ。

 だが――なぜか、まったく怖くなかった。


 あちらの世界で、これの何百倍もの恐怖を味わってきた。

 俺の手には、ミラがいる。


 『よし、俺の番か!』


 (現実世界で出てくんなって……! バカなのか)


 「無理です。自分たちで買ってください」


 対応が面倒くさくなってきた。

 どっか行ってくれないかな……。


 「おいおい、生意気な口聞いてんじゃねえよ」

 「ボコボコにしてやろうか」

 「女の方は遊び甲斐ありそうだぜ」


 俺に向いていた視線が、姫野さんに移る。


 「うわ! めちゃ美人じゃん」

 「俺たちと遊ぼうよ〜」

 「もう男ボコボコにして奪っちゃおうぜ」


 聞き捨てならない。

 胸の奥で怒りがじわじわと溜まり、息が苦しい。

 感情の制御が難しい。


 「よし、これ買って帰ろうか!」


 笑顔を作り、手に持っていたアイスをレジに運ぼうとした。


 そしたら、後ろから蹴りのような衝撃が入り、俺は前に飛ばされる。

 その隙に、姫野さんの腕が奴らの手に掴まれた。


 ――プチン、と何かが切れる音が聞こえた。


 「離せ……! 姫野さんに触れるなっ!」


 咄嗟に腕を伸ばすと、相手の胸に手が当たり、男はバランスを崩して数歩後ろに倒れる。


 「なっ……なに、コイツ!?」


 別の男が姫野さんに手をかけようとした瞬間、俺は反射的に体を飛ばして腕を払い、肩に触れさせない。


 「うっ……!」


 小さく呻き声が上がる。

 だが、あまり頭が回らない。

 ただ、姫野さんを守りたい――それだけだった。


 次の男が拳を振り上げ、突進してくる。

 俺は自然に膝を上げ、相手の腹を弾く。


 「うっ……!」

 男は小さく飛び退き、顔をしかめた。


 姫野さんは髪を揺らし、後ろで息を呑む。

 怖そうに見えるけど、逃げずに俺のそばにいる。


 残った男たちはお互いに顔を見合わせ、少し後ずさりする。

 目の前の相手が自分たちより動きが速く、反応が的確だと気づいたらしい。


 夜風が街灯に照らされ、路地の影が長く伸びる。

 倒れた男たちの影が微かに揺れ、俺と姫野さんの二人だけが静かに立っていた。


 「お、覚えてろよ!」


 漫画やラノベで何千回と聞いたセリフを捨てて、やんちゃ集団は足早に去っていった。


 「姫野さん、大丈夫?」

 「う、うん……」


 少し沈黙が流れる。

 姫野さんの肩まで届く黒髪が夜風に揺れ、ふと俺の腕に触れた。

 心臓が急に跳ね、自然と顔が熱くなる。


 「……無事でよかった」

 小さな声で呟きながら、俺は歩幅を少し彼女に合わせた。

 姫野さんも小さく頷き、視線を少し逸らす。


 夜の街は、昼間の喧騒を忘れたかのように静かだった。

 街灯に映る影は長く伸び、ふたりの間に柔らかく溶け込む。

 戦いの緊張はまだ心の奥に残っているけれど、この静かな時間が、少しずつ心を落ち着かせていく。

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