第5話 強さの秘密

 どこか遠くで、誰かの声がする。

 重たい瞼を開けると、視界に広がったのは灰色の空と、焦げた森だった。

 冷たい風が頬を撫で、湿った土の匂いが鼻を刺す。


 「……おお、大和。やっと起きたか」


 背中越しに聞こえた低い声。

 どこか安心できる響きだった。

 ぼんやりと目をやると、俺は――龍雷に背負われていた。


 「あれ……なんで? 龍雷?」

 「大和、あのあとすぐ寝ちゃうから焦ったよ」


 ――あのあと。

 ブラックベアとの戦いの後、龍雷に会えた興奮と、全身の疲労で意識を失ったんだ。


 鼻をつんざく腐肉の臭い。

 不気味な呻き声。

 肌を刺すような空気の重さ。


 ……ここは、“魔境”か。


 さっきの戦場からこの魔境を抜けるということは――


 「今、どこに向かってるんだ?」

 「王都、クライズオリジンだ」


 やっぱりな。


 龍雷の声が風に乗って響く。

 王都――クライズオリジン。

 この世界で最も栄えた国。


 【陸のダンジョン】

 【海のダンジョン】

 【空のダンジョン】


 三大ダンジョンから得られる資源によって、クライズオリジンはここまで上り詰めた。

 世界の中心。すべての冒険者が憧れる場所。


 龍雷の背の上、焦げた森を越えて進むその光景に、胸が高鳴った。

 あの戦いとは違う――確かな“始まり”の気配がした。


 ふと、右手に違和感を覚える。

 視線を落とすと、そこには――【この世界の設定帳】が握られていた。


 「……え? なんで、これが……?」


 寝る前、確かにあちらの世界で読んでいた。

 ということは――


 ――“あちらの世界で手にしていた物”は、こちらにも持ってこられるのか?


 思考が一気に冴えた。

 ただの偶然じゃない。

 この世界で生き抜くための“鍵”になるかもしれない。


 龍雷の背の上で、風に煽られながら片手で手帳を開く。

 ページの端がひらひらと揺れ、文字がかすむ。

 それでも、見間違えるはずがなかった。


 登場人物の名前。

 今後の流れ。

 誰が生きて、誰が死ぬのか。

 武器の隠し場所、ダンジョンの構造――。


 全部、俺が考えた“この世界”の設定だ。


 「――強くなるための第一歩だ」


 思わず口元が緩む。

 胸の奥で、熱い何かが静かに灯った。

 不安よりも、圧倒的な高揚感の方が勝っていた。


 だが、その最後のページに目が止まる。


 【龍雷とその仲間は夢半ばで死ぬ。】


 見慣れた自分の字。

 それなのに、胸の奥がざわついた。

 “決めたのは俺”のはずなのに、いま目の前にいる龍雷を思うと、ただの設定とは思えなかった。


 ――このままじゃ、また同じ結末になる。

 でも今の俺には、この手帳がある。

 未来を知る“作者”としての記憶がある。


 「だったら、変えてやるよ」


 龍雷の背で、拳を握った。

 “設定された運命”なんて関係ない。

 今度こそ、みんなを救ってみせる。


 龍雷たちの結末を決めたのは俺だ。

 物語に重みを与えるため、そうするしかなかった。

 俺が書いたラノベを有名にするには、それしかなかった。


 ……でも、後悔している。

 愛情を込めて描いたキャラクターの人生を、俺の決断ひとつで壊してしまった。


 だから決めたんだ。

 もしもう一度、あの世界を書けるなら――

 絶対に、ハッピーエンドにすると。


 ――いや、もう“戻ってる”んだ。


 運命を書き換えるチャンスが、今ここにある。

 たとえ世界そのものを敵に回しても、俺は龍雷たちを救う。


 この手で、俺の物語を“書き直す”ために。


 「どうした? そんな深刻な顔して」


 龍雷が振り返り、ニコッと笑う。

 無邪気で、どこまでも優しい笑顔だった。


 その瞬間、胸の奥が熱くなった。

 涙が出そうになる。


 ――この笑顔を、絶対に守りたい。


 龍雷の壮絶な過去を、俺は知っている。

 それでも、この世界を救うために、誰よりも強くなろうとしている。

 ――俺が作った物語だ。

 だからこそ、俺が変えなきゃいけないんだ。


 龍雷の背中に揺られているうちに、いつの間にか王都【クライズオリジン】の検問所にたどり着いていた。


 「ここを通るには、銅貨三枚が必要だ」


 鎧に身を包んだ衛兵が、無愛想に俺たちを睨む。

 ――愛想の悪いことだ。


 ここで、ひとつ問題が生じた。

 俺は……一文無しだ!


 「はい、銅貨六枚! 二人分だ!」

 「……通れ。」


 龍雷が俺の腕を引いて、門をくぐる。


 「……ありがと」

 「へっ、貸し一な!」


 門を抜けた瞬間、視界が一気に開けた。


 「わぁぁぁ……!」


 目の前には、活気に満ちた城下町が広がっていた。


 左右にはレンガ造りの建物が並び、無数の屋台が立ち並ぶ。

 焼き肉の香ばしい匂い、果実酒の甘い香り、職人の怒鳴り声や子どもの笑い声。

 それらが混ざり合って、まるで祭りのような賑わいを生み出していた。


 俺が設定した通りの――愉快で明るい街。

 老若男女、みんな笑顔で楽しそうに歩いている。


 中には、尻尾や耳を生やした人々――獣人もいた。

 頭の中でしか見たことのなかった存在が、目の前で当たり前のように息づいている。

 その迫力に、思わず息を呑んだ。


 けれど、少し奥の路地へ入った瞬間――

 空気が変わった。


 薄暗い路地裏で、幼い子どもや女性たちが、首輪と手鎖をつけられ、無表情で歩かされている。


 ――なんだ、これ……。


 周囲からは笑い混じりの声が飛んでくる。


 「おい、あの奴隷、可愛いな」

 「やめとけ、あの手の奴隷は高い」

 「戦闘用の奴隷も欲しいな。討伐が楽になる」


 その言葉で、理解した。

 彼らは“奴隷”だ。


 酷くないか? と思った。

 けれど、周りの人々は誰も気にも留めず、笑っている。

 ――そう、これが“この世界の普通”なんだ。


 そして、それを“設定した”のは、他でもない俺自身だ。


 そのとき、龍雷が低い声で呟いた。


 「奴隷制度を作ったやつを、絶対に許さない」


 振り向いた龍雷の表情は、これまで見たことのないほど険しかった。

 拳を強く握りしめ、震える声で続ける。


 「人を……物みたいに扱いやがって。反吐が出る」


 その瞳に宿る怒りは、本気だった。

 ぎゅっと握りしめた拳、微かに震える肩。

 ただの正義感ではなく、胸の奥に抱えた過去が反応しているような――そんな目をしていた。


 ――ごめんな。

 この制度を作ったのは、俺なんだ。


 喉が詰まる。

 言葉にすれば、何かが壊れてしまいそうで、俺はただ唇を噛み締めたまま、龍雷の背中を見つめていた。


 罪悪感で押し潰されそうになる。

 俺は……龍雷の過去を知っているから。


 東 龍雷――幼い頃、母親から過度な虐待を受けて育った。


 父は荒くれ者で、母は酒とギャンブルに溺れ、怒りの矛先をいつも龍雷に向けていた。

 「ただいま」と言えば殴られ、機嫌が悪ければ押し入れに閉じ込められる。

 まともな食事もなく、母の味を知ることもなかった。


 龍雷は、そんな日々を“普通”として受け入れざるを得なかった。

 それでも、彼の中には、苦しみから逃れるための“もう一人の自分”が存在していた。

 恐怖や痛みに耐えきれないときに現れる、別の人格――。


 母はそんな龍雷を気味悪がり、幼い彼を祖父母の家に置き去りにして消えた。


 その“もう一人”――

 それこそが、この世界の【勇者】なのだ。


 異世界に転生した龍雷は、愛情深い家族や仲間に出会い、少しずつ心を開いた。

 勇者人格を“師匠”と呼び、今の龍雷は、過去の自分を超えてここまで強くなった。


 俺はこの設定を書いていた時、楽しかった。

 壮絶な過去を持つ主人公が、強くなり、笑う姿を書くのが嬉しかった。

 ――自分の手で動かせることが。


 ……最低だな、俺は。


 ――でも、俺は、この笑顔を絶対に守りたい。

 龍雷が過去に抱えてきた苦しみも、今の笑顔も、全部――俺が変えなければならないものだ。


 「ん? 大和、大丈夫か? 顔色悪いぞ」

 「え? あぁ、大丈夫」

 「おう、そうか。とりあえず宿にいくぞ」


 こんな俺を、心配してくれるなんてな。


 宿に行くのか。だとしたら、あいつらもいるかもしれない。


 「そういえば、この世界にいる日本人は、俺と大和だけじゃないんだ。あと二人いる! 今から行く宿にいるから、紹介したい!」


 宿に着き、ドアを開けた瞬間――

 俺が龍雷と同じくらい物語の中心に据えた人物が、目に飛び込んできた。


 「おお! 龍雷! ん? 隣の男は誰だ?」

 「もう! 遅いよ! あら、誰なの?」


 その二人――

 龍雷の戦友であり、親友でもある、鳴神響と朝火冬香だった。

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