他人事
微風 豪志
他人の不幸はバズの味
生きた証が欲しかった。
だから創作は僕にとって全てだった。
だけど世界には僕が寿命いっぱい生きたとて、到底作れる物ではない。
それほどのクオリティを誇る作品が溢れている。
小説を書くほか能がない私にとってこれは死活問題だった。
本当の事を話すとまともに生きたかった。
普通の仕事をしたかった。
普通に恋愛したかった。
普通な人生。
私は生涯普通に憧れるだろう。
普通に焦がれ、求め、愛した。
それなのに。
まともでないものを社会は排斥する。
羽化に失敗した蛹は飛べないという事実だけが心を劈いた。
私に道は二つある。
大成するまで醜く踠くか潔く死ぬかである。
初めて学校に行った時、僕は蠱毒を想起した。
普通じゃない僕は当然勉学についていけず。
当然周りに馴染めず。
その結果当然...虐められた。
家に帰ってくると、両親は毎晩喧嘩をしていた。
母親は僕の頬の痣を見ながら、泣きながら謝った。
打った父が謝ればいいのにと思ったが、大人は色々複雑だった。
何度も何度も死のうとした。
でも出来なかった。
希望も未来も夢も金も全く無いのに。
更に僕には死ぬ才能すら持ち合わせていなかった。
僕は己の出自の全てを恨んでいた。
だからアイツが妬ましい。
僕より若いのに。
僕よりも優秀で。
僕より優秀なのに。
僕よりイケメンで。
僕よりイケメンなのに。
僕より才能があって。
僕より才能があるのに。
普通の奴って呼ばれて。
じゃあ僕は?
なんなんだろうね?
何のために生きてんだろうね?
また聞こえた。
「じゃあ、死ねば」って。
ポタポタと滴る水音が、焦燥をさらに煽り立ててくる。
己には、人間としての価値がない。 風呂場の隅で、ナイフを握り締める自分の姿があった。 しかし、手首を切る勇気はなく、膝から崩れ落ちる。 湯面に映るのは、ただただ不甲斐ない自分の顔。
誰かを恨むくらいなら、この悔しさをバネにしてどこか遠くへ飛び立てばよかった。 知ってしまったせいで、他人のせいにして生きることができなくなった。 弱い自分が、何よりも許せなかった。 社会に居場所を見つけることが、あまりにも難しい。
_____いつまで世界を甘やかす気だ?
自殺は、この世に何一つ痕跡を残せない者の諦めだ。 そんな敗者になるくらいなら、復讐を選ぶべきだ。
—— 「ッ……はぁ、はぁ、はぁ……!」 惨憺たる夢から覚めた。 長い前髪をかき上げ、大きく息を吐く。 「……勘弁してくれよ」 夢の中だけは幸福でいられたのに。 「もう眠りたくない」
泣きながら、夜明けを待つ。 窓から忍び寄る日光が、椅子にもたれて雪崩れるように座る自分を照らす。 俯瞰するように、自問が響いた。
——何してるの? 「文字通り、何もできないんだよ」 ——何がしたいの? 「温情など捨て去った、この世を救いたい」 ——具体的に? 「……社会に助けを求めよう」
ナイフを握り、街へ出た。 相手は、誰でもよかった。 理由も、必要なかった。
アスファルトの照り返しが、目に刺さるほど白い。 ナイフを右手にぶら下げたまま、人並みの中を歩く。 擦れ違う人々は、視線を合わせることもなく、何事もなかったかのように通り過ぎていく。 まるで俺が存在しないかのように。 あるいは、存在を見て見ぬふりをしているのか。
「まるで爆弾になった気分だ」
そのとき—— 通りの向こうで、スマートフォンを構えた若者たちがこちらを見て笑っていた。 レンズ越しに俺を切り取り、シャッター音が乾いた風に溶ける。 無邪気というより、愚かしさに近い笑顔。
「……当事者意識が足りない」 呟くと同時に、足が勝手に動いていた。
若者の顔が驚きに変わる。 スマホが手の中で震える。 その瞬間、俺は走っていた。 群衆が割れる音と、靴音だけが街に響く。
若者は振り返りざま、笑い声を引きつらせた。 足早に逃げる。 スマホの画面には、まだ俺の姿が映ったままだ。
路地へと飛び込む。 アスファルトに積もった埃が舞い上がり、靴底に砂が噛みつく。 ナイフを握る右手に汗が滲み、柄がわずかに滑る。 遠くで車のクラクションが鳴った。 街の喧騒はここまで届かない。
若者が角を曲がった。 その一瞬の背中——肩で息をし、必死に逃げようとしているのが分かる。 けれど、速さが足りない。 恐怖はまだ骨の奥まで届いていない。
「もっと本気で走れよ」 俺の声が、コンクリートの壁に反響して自分に返ってくる。 その響きが、妙に心地よかった。
ついに距離が詰まる。 左手で若者のパーカーのフードを掴み、無造作に引き倒す。 膝が地面にぶつかる鈍い音が響き、埃の匂いが鼻を刺す。
仰向けになった顔が、涙と汗と埃でぐしゃぐしゃになっていた。 さっきまでの笑みは、どこにもない。
「ほら……ようやく、当事者になったな」
倒れた若者は、掠れた声で助けを呼んだ。 その声に反応して、路地の入り口に人影が現れる。 スーツ姿の男、買い物袋を提げた女、制服の学生たち——。 数人、数十人と、徐々に群れができていく。
だが、誰一人として近づかない。 ただ立ち止まり、俺と若者の間に流れる緊張を、まるでショーでも見るように眺めている。 手元のスマホを構える者、囁き合う者、笑みを浮かべる者。
若者は必死に群衆へ視線を送る。 その目は、もう俺ではなく、助けてくれるはずの「誰か」を探していた。 だが—— その「誰か」は、最初からこの場に存在していなかった。
「……ほら、誰も助けない」 俺は囁くように言い、ナイフの切っ先をわずかに傾ける。 群衆の中の誰かが小さく笑った。 それは恐怖の笑いではなく、ただの退屈しのぎのような音だった。
それは、静かに腐っていた。
倒れた若者は、また掠れた声で助けを求めた。 路地の入り口に、ぽつりぽつりと人影が集まってくる。 スーツ姿の男、買い物帰りの女、制服の学生——。 やがて十数人が群れとなり、こちらを遠巻きに囲んだ。
しかし誰一人、踏み出そうとしない。 伸ばされるのは手ではなく、スマホ。 画面の向こうにこの光景を収め、無感情な笑みを浮かべている。
俺はフードを掴んだまま、若者の耳元で囁いた。 「ほらみろ、今時の若者は腐ってるだろう?」 その声は、わざと群衆にも届くように大きくした。 「ほら、あれ……みんなSNSに投稿するつもりで、誰も警察なんか呼んでいないよ」
その言葉を聞いても、群衆は表情を変えない。 むしろ何人かは、スマホを構える角度を変えただけだった。 警報の音も、サイレンの気配もない。 世界は、救いを呼ぶ声すら娯楽に変えてしまった。
若者は涙を滲ませ、群衆に向かってか細い声を上げる。 だが返ってくるのは、シャッター音と無感情な視線だけ。 この瞬間、俺は確信した。 ——この場は、俺の舞台だ。
ゆっくりと立ち上がり、ナイフを持った手を高く掲げる。 刃先が、街灯の光を掠めて鈍く光った。 「——ほら、撮れよ」 口角を吊り上げ、群衆を見渡す。 「お前らの大好きな、“炎上案件”だ。再生数も伸びるぞ」
群衆の一部が小さく笑い、何人かはカメラアプリの録画ボタンを押す動作を隠しもしない。 若者はその場で縮こまり、震えている。
「いいぞ……もっと近くで撮れ。俺の顔も、ナイフも、こいつの怯えた顔も。 お前らが投稿するその動画が、俺の証明になる」
ざわめきが少し大きくなった。 誰も警察を呼ばない。 誰も止めに来ない。 観客はただ、画面越しに世界を消費している。
俺はゆっくりと若者の頬に刃を近づけ、その刃に群衆のスマホライトが反射するのを楽しんだ。 この場はもう、現実ではなかった。
群衆のざわめきの中から、一歩、二歩と前に出る影があった。
中年の男。 スーツのジャケットを片手に持ち、汗を滲ませながらこちらを真っ直ぐに見ている。 周囲の人間が小さく息を呑んだ。 ——やっと、誰かが動いた。
「もうやめろ、その子を離せ」 声は震えていない。 だが、勇気というより、何か別の感情が背中を押しているような目だった。
俺は一瞬、眉を上げる。 それからゆっくりと口角を吊り上げた。 「……へぇ。お前、珍しいな。ちゃんと目を合わせてくる奴なんて久しぶりだ」
ナイフを少し引き、若者の喉元から刃先を離す。 だがそれは譲歩ではない。 ただ——新しい提案をするためだ。
「じゃあ……代わりにお前が人質になるか?」 群衆が一斉に息を呑む。 スマホを構える手が微かに揺れる。 中年の男は一歩、こちらに踏み出したまま止まった。
沈黙が、路地の空気をさらに濃くする。 その沈黙を、俺は楽しんでいた。
男は一瞬、唇を結んだ。 そして、思いもよらぬ言葉を吐いた。 「……いい。俺が代わりになる」
群衆のざわめきが一段と大きくなる。 スマホを構えていた手がわずかに下がる者もいた。 だが、俺は笑みを崩さない。
「へぇ……やるじゃないか。でもな、本当に抵抗しないって証拠がいる」 ナイフを軽く回しながら、男の目を覗き込む。 「全裸になれ」
ざわめきが一瞬、凍りつく。 だが、俺は間を与えず言葉を続けた。 「服を脱いで、持ち物を全部捨てろ。抵抗できる道具は何もないって、みんなの前で証明しろ」
男は黙ってジャケットを置き、シャツのボタンを外し始めた。 スーツの上着、シャツ、ベルト、ズボン、下着——全てがアスファルトの上に落ちるたび、 スマホのシャッター音が乾いた空気を切り裂いた。
俺は地面に落ちた白いシャツを足先で示し、群衆へ視線を向ける。 「それを紐代わりにして腕を縛れ」
指名された観客の一人が、ためらいながら前へ出る。 シャツを拾い上げ、袖をねじり、男の両手首を後ろ手に縛る。 布が食い込み、男の肩がわずかに震えた。周囲の人間は、その様子を録画し続けている。 俺はその異様な光景を、舞台の中央に立つ役者のように見渡し、笑みを深めた。
シャツで後ろ手に縛られた男は、裸のまま俯いていた。 肌に当たる外気が、より一層その無防備さを際立たせる。 俺はその背中を軽く蹴り、前に歩かせた。
「さあ、舞台を路地だけで終わらせるのはもったいない。外に出るぞ」
路地の出口が近づくと、昼の喧騒が耳に広がってくる。 車のクラクション、信号の電子音、通行人の足音。
そこへ裸の男とナイフを持った俺が現れると、人々の動きが一瞬止まった。
誰かが息を呑む音がはっきり聞こえる。 だが、止めに入る者はいない。 代わりに、通りのあちこちでスマホが持ち上がり、シャッターの連続音が響く。
「いいぞ、そのまま撮れ。街を背景にすればもっと“バズる”」 俺は笑いながら、男の肩に手を置く。 男はうつむき、必死に顔を隠そうとするが、両手が縛られているためどうにもできない。
信号待ちの歩行者たちが小声で囁き合う。 中にはスマホを横に構え、動画配信アプリを立ち上げている者もいる。 まるでニュースではなく、祭りの見世物のように。
「ほら、もっと胸を張れ。お前は今、この街で一番の英雄だ」 俺の言葉に、男の足取りがさらに重くなる。 だが、引き立てられるように俺が進むたび、群衆は自然と道を開けた。
——世界は、今日も他人を救う気などなかった。
他人事 微風 豪志 @tokumei_kibou_tokumei
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