ふつうの魔女でメイ探偵― 魔法と事件が交差する街 ―
@mayuko123
第1話 ふつうの魔女メイの事件簿 ― 王子が“ゲコゲコ”鳴いた夜 ―
王子が浴槽で“ゲコゲコ”。――裸のままハエをパクッと食べたらしい。
そんな奇妙な相談が、今日も教会の鏡から舞い込んだ。
私、メイは“ふつうの魔女の探偵”だ。
わたしが暮らすこの街では、女の人はみんな魔女で、男の人はただの人。
……ちょっとだけ不便そうだけど、本人たちは案外気にしていない。
道を歩けば、魔法で浮かぶ看板が軒先を彩り、
夜には灯りが薬草の香りとともに街を包む。
大人たちは魔法を当たり前のように生活に溶け込ませている。
そんな街の片隅で、私は探偵をしている。
派手な魔法はほとんど使えない、いわば“普通の魔女”だ。
ときに童話のように――王子様がカエルになることだってある。
街では魔法が日常に溶けているから、それすら特別ではないのかもしれない。
だが、事件の匂いを嗅ぎつけるのは、いつだって“ふつう”の魔女なのだろう。
父は神父ディック、母は魔女の診療内科医サマンサ。
依頼はいつも、教会の懺悔室から届く。
鏡の前で依頼人が願うと、鏡がスッと開き、向こう側で待つ人物とつながる。
「メイ、よろしく~」
奥から、父の軽やかな声が聞こえた。
深呼吸をひとつ。
私は鏡の向こうへ視線を移す。
赤いドレスを纏った上品な魔女――マーガレット・フォード(60歳)が現れた。
フォード水産の社長で魔力度は30。
落ち着いた物腰の奥に、どこか疲れがにじむ。
「名探偵さまでしょうか?」
「はい、メイです」
「まあ……もっと年上かと」
――よくある反応。少しだけ微笑みが返ってくる瞬間だ。
「どんなご相談で?」
「……息子の王子が、カエルになりまして」
「えっ、カエル!?」
「二日前から浴槽で“ゲコゲコ”。裸のままハエをパクッと……」
「そ、それは……」
「誰かに魔法をかけられたんです。どうか助けてください。恨まれるなんてありえません。あの子は優しい子なんです」
“王子”は比喩らしい。
SNSで人気の商標“あん肝王子”。
フォード水産の看板商品“王子のあん肝ポン酢”の生みの親だという。
(肝は苦手だけど……ここは黙っておく)
“ゲコゲコ”“裸”“ハエ”。
文字通りに受け取るなら、魔法的変化の可能性は高い。
ただ、本人にも周囲にも悪意はなさそうだ。
暴走魔力か、誰かの強い感情に反応した魔法……?
「二日前、息子さんが会った方々を教えてください」
マーガレット夫人は目を伏せ、考え込む。
「では、息子のお抱えの運転手を来させます」
鏡の前で姿勢を正す。
――さて、今日も事件の始まりだ。
翌朝。
薄曇りの空の下、教会前にクラシックカーが停まった。
朝露の石畳が、車の影を淡く反射している。
運転手のマーヤさん(55歳・魔力度80)が穏やかな笑みで迎えた。
「おはようございます、メイさん。まずは、王子が仕入れに行く漁港へ向かいます」
助手席に座り、私は静かな車内に身を預ける。
昨日の“カエル騒動”が頭をかすめ、いつの間にか眠りに落ちた。
目を覚ますと、車は市場の前。
潮の香りと海鳥の声が混ざる。
市場を仕切るのは“美魔女”ジェーン・ガロア(38歳・魔力度70)。
黒髪をまとめた姿は、仕事場でも凛としている。
「セリが休みの日に王子が来てね。力仕事なんて危ないから止めたんだよ。魚の気持ち知りたいなら、まず勉強しろって言ったのさ」
言葉は強いが、声には不安と優しさが混じっていた。
「事故にでもあってなければいいけどね」
市場の生簀、跳ねる水、魔法の光。
王子の普段の行動が、景色から自然に立ち上がってくる。
次は加工場へ向かった。
管理人のジョン(男性)と、魔女の妻マリー(40歳・魔力度45)。
「家出だって? 市場のあとにここへ来たとき、王子様は落ち込んでたよ」
「ジェーンさんが大好きだからね。何か言われたんだろうさ」
マリーさんが冗談めかして、
「あん肝の王子じゃなくて“裸の王子様”になっちゃうよ」
と笑うと、ジョンがたしなめるように肩をすくめた。
マリーさんが、目を細めながら冗談交じりに返す。
「余計なこと言うと、その口を縫うわよ!」
「それはマジハラ(マジカル・パワハラ)だぜ」
……どうやら夫婦漫才のようだ。
二人の息の合ったやり取りは、王子が慕われる理由を物語っている。
「次は、王子が経営する販売店“あん肝屋”へお連れします」
マーヤさんが軽く指を鳴らすと、車がゆっくりと動き出す。
「王子はあの日、店長ブラックさんの経費不正疑惑を調べに行くと聞いております」
車に戻ると、後ろの赤い車が、まるで狙ったかのようにこちらの動きに合わせてついてくる。
「……またあの人たちね。フォアグラ製造会社の」
マーヤさんが、ため息をつきながら呟く。
彼女は軽く指を鳴らし、相手の車に《タイムロック》の魔法をかける。
2台の車が同時に止まり、赤い車の運転席の人々が困惑しているのを確認してから、マーヤさんはゆっくりと近づき、声をかけた。
「――王子に、いったい何の用ですか?」
赤い車のドアが開き、ノッポ、チビ、そして真ん中の男。例の三人組が揃って降りてきた。
まずチビが口火を切る。
「一緒に乗ってるのは王子じゃねえのか。‘商売の邪魔だ’と伝えとけ! あん肝なんて、フォアグラの模造品じゃねぇかよ!」
続いて真ん中の男。
「うちの社長が‘フォアグラ女王’って名乗っただけだろ! なんでみんなで勝手に絡んでくんだよ!」
ノッポも負けじと叫ぶ。
「SNSで炎上させやがって!」
3人一緒に、街の空気まで震わせるような声で叫ぶ。
「王子なんか消えちまえ!」
その瞬間、街全体の小さなざわめきが増幅する。集団極性化――まるで炎上の魔法が現実化したかのようだ。
その時、心療内科医の母の言葉が脳裏をよぎる。
「炎上とは、集団極性化。群れるとみんな過激になるのよ」
彼らも、3人で群れるうちに感情が増幅され、頭の中が炎上してしまったのだろう。
私は静かに車のドアを閉め、心の中で彼らの感情をひとつずつ整理する。
散々文句を言い終えると、三人はあっけなく去っていった。
残された街の静けさに、港の潮風だけがゆるやかに揺れる。
私は助手席で深く息をつき、次の調査に備える。
「さて……次は“あん肝屋”だ」
マーヤさんは小さく笑いながら、エンジン音を静かに響かせる。
車窓から差し込む朝日が、港の水面にきらめきを落とす。
目の前の事件は、ただの“炎上”ではなく、人の感情と魔法の微妙な絡み合いだ。
今日も、魔女探偵メイの嗅覚が試される――。
“あん肝屋”に着くと、店の前に立っただけで、ふわりと磯の香りが鼻をくすぐった。
湯気と一緒に、濃厚な旨味の魔素が漂っている。市場の中でも、とくに魔女たちの感性が刺激される一角だ。
わたしはそっと深呼吸して、胸の奥に静かな魔力の灯りをともす。
感性魔力を目いっぱいに広げると、世界の輪郭が少しだけ柔らかくなる。
――誤魔化士(ごまかし)の気配を探るには、頭より心のほうがよく利く。
母に教わった通り、思考よりも感覚を優先させる。
(よし、落ち着いて)
そう自分に言い聞かせてから、ひとりで店の暖簾をそっとくぐった。
中は、煮込まれているあん肝の香りと、魔法調理具のかすかな振動音で満ちていた。
店の奥、湯気がふわっと揺れたところから姿を見せたのは――魔女エマ・ブラック(45歳・魔力度50)。
黒髪をきれいにまとめ、いつもの白い調理服がやけに凛として見える。
市場では腕の立つ料理人として評判の魔女だ。
実際、彼女の発する魔力も澄んでいて、料理への集中が全身から滲み出ている。
「王子が消えたって? そりゃあ恋愛の悩みじゃないかい?」
エマさんは大鍋を木べらでゆっくり円を描くようにかき混ぜながら、ひょいと笑った。
湯気越しのその笑みは、からりとしていて、変に飾り立てたところがない。
「このあいだ、彼女といつ結婚するのか聞いたら、真っ赤になってたよ」
「……彼女?」
思わず聞き返すと、エマさんは「何言ってるのさ」という顔で眉を上げた。
「もちろんジェーンさ。歳の差のことで、奥様は反対してるけどね。
あの子、美魔女だし、市場中の男たちからモテモテだからさ。
“王子に早くしないと取られちゃうよ”って言ったのよ。ほら、わたしのお節介」
「は、はあ……」
(王子さん……そんな恋の悩みがあったの……?)
“美魔女”のジェーンさんの顔を思い出す。
確かに年齢を感じさせない。
市場での働きぶりも潔く、まっすぐで、魔力は控えめだけれど人柄に強い芯があった。
エマさんは鍋の蓋を少しずらし、熱気が逃げる音を聞きながら続けた。
「王子はね、繊細だからさ。母親の会社の期待も背負ってるし、ジェーンとのことも簡単じゃない。
でもね、あの子の作るあん肝の味は、本物なんだよ。魔法なしで勝負してるんだ。
だからこそ、恋に悩んでる顔は、ちょっと可哀想だったねぇ」
エマさんの目は、湯気に照らされて淡く光っていた。
その瞳には嘘の影どころか、後ろめたさの揺れも一切ない。
――誤魔化士の影なし。
感性魔力が、透明な水をすくうように澄んだ感触だけを返してくる。
(本当に……ない)
売上や経費を誤魔化して不正しているような気配も、まったく見当たらない。
魔力の流れがゆったりしていて、嘘をつくとき特有のチリチリした乱れもない。
エマさんと別れて、わたしは市場の通りを抜け、教会へ向かう道をゆっくり歩いた。
夕方前の光が傾いてきて、店先から漂う魔力の気配も、少し柔らかくなっている。
歩きながら、今日話を聞いた人たちの顔が次々と浮かぶ。
――恋の悩み
――炎上騒ぎ
――経費不正の疑惑
わたしが今日訪ねたのは、鮮魚市場のジェーンさん、加工場のジョンさんとマリーさん、そして “あん肝屋” のエマさん。
ひとつずつ、丁寧に思い返していく。
それぞれの声の調子、魔力の揺れ方、表情の変化――。
だけど、どうしても引っかかることがあった。
エマさんに会う前。
市場の広場で、一瞬だけ胸の奥がざわついた。
まるで、暗がりに潜む小さな影が、こちらを覗いたような――あの“誤魔化士”特有の気配。
感性魔力は嘘をつかない。
あれは確かに“いた”。
なのに、エマさんの中には一切の濁りがなかった。
嘘も、不正も、隠し事も――“ゼロ”。
(じゃあ……あれは一体誰?)
わたしは歩みを止め、深く息を吸った。
魔力で記憶の糸をそっと張り直す。
細い金糸をつまむように、あの瞬間の感覚を引き寄せる。
誤魔化士は――弱い心に入り込み、姿を変え、そして人を操る。
ときに本人の意思すら隠してしまう。
そして、
王子をカエルに変身させるには、相当な魔力度がないと不可能だ。
今日会った市場や加工場の人たちは、魔力量が低いか平均的だった。
エマさんは高めだけど、彼女の魔力は穏やかで、歪みがない。
“誤魔化士の宿り”なら、もっと刺々しい波が出るはず。
ならば。
――魔力が高い。
――わたしの近くにいた。
――それも、すぐ手の届く距離に。
胸の奥が、ひやりと冷える。
皮膚の表面がざわりと逆立つような――嫌な予感。
もっと身近なところに。“誤魔化士に憑かれた高魔力量の人間”。
わたしが最初から見落としていた誰かが、確かにいる。
そしてその誰かは――今日の調査のはじまりから、ずっと“わたしの周囲にいた”。
翌朝の光は、柔らかく街角を照らしていた。
フォード家の前に立つマーヤさんは、肩を少し丸めながら愛車のボディを磨いている。朝日が背中を撫で、いつもより小さく、儚げに見えた。布を動かす手の動きには、どこかぎこちなさが漂い、呼吸も浅いように感じられる。
――やっぱり、様子がおかしい。
わたしは胸の奥でざわつくものを押さえ、深呼吸をして覚悟を決めた。
手に力を込め、声を落ち着けて呼ぶ。
「マーヤさん」
布で車を磨く手が、ピタリと止まった。
振り返るその顔には、少し戸惑いの色が混じっている。
瞳の奥に、ほんの一瞬、揺れる影――不安と迷いが交錯した光が見えた。
「――あなたが、最後に王子に会った人物ですよね」
わたしの声は静かだが、決意がこもっている。
マーヤさんはゆっくりと顔を上げ、わたしを見つめた。
目が合う瞬間、朝日の光に照らされて、瞳の奥に微かな涙が光った。
「市場と加工場を毎日回っているから、奥様も勘違いしていましたけれど……」
わたしは言葉を続けた。
「あの日、王子とあなたはまず“あん肝屋”へ、そのあと“加工場”に行った。
鮮魚市場には――行っていない」
布が床に滑り落ちる音が、静かな朝の空気に響いた。
マーヤさんの手が止まり、息を詰めたように小さく震える。
「つまり、王子の最後の姿を見たのは、あなた。
マーヤさん……あなたですよね」
彼女は唇を強く噛みしめ、しばし沈黙。
やがて小さくうなずき、瞳を伏せたまま、声を絞り出すように言った。
「……はい。でも、事故だったのです。
王子から、売り場を出たところで突然、“これからは車を乗らない”と言われてしまいまして。
その瞬間、ついにこの日が来たのかと、呆然としてしまって……
“どうしますか”と聞かれたとき、わたくしの心は思わず“帰る!”と叫んでしまい……」
言葉を切る彼女の手が微かに震え、胸が押し潰されそうな緊張感が漂う。
王子の一言に、日々の不安が重なった瞬間、魔法は制御を失った――。
わたしはそっと彼女の肩の高さまで身を寄せ、柔らかく声をかける。
「勘違いです。王子は“これから”ではなく、“ここから”と言っただけですよ。
駐車場が混んでいたから、一旦ここから歩こう――という意味です。
マーヤさんが、“いつかこの家に自分が必要なくなるのでは”と怯えていたから、魔法が反応したのです」
彼女の瞳が大きく開き、言葉が胸に刺さる。
「……わたくしの、不安が……魔法に?」
「ええ。けれど奥様も、もちろんそんなつもりはありません。
王子がちゃんと伝えれば、奥様も“あの子も、いい薬になったわ”と笑っておられました」
マーヤさんの瞳に、ぽろりと涙がこぼれる。
わたしはその涙を見て、胸の奥が温かくなるのを感じた。
「王子は今も、あなたを姉のように慕っていますよ」
「わたくしを……?」
「市場へ行く途中の花屋で、花束を抱えて待っています。
――ジェーンさんへのプロポーズを、この車の中で、したいそうですよ」
その瞬間、車が小さくファーンと鳴いた。
まるで喜んでいるかのように。
教会に戻ると、父がにこやかに言った。
「フォード夫人が王子様とジェーンさんの結婚式の予約をしていかれたよ。
それから、メイにお礼の魔法薬草ジュースの差し入れも」
やった、魔力度アップ!
「新しい依頼が来た。たしか“オデン大王”とかおっしゃる方だったな」
……今度は、大王?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます