CHANGE
アオノソラ
第1話:匿名(イノセンス)の消失
「どうして私は、みんなみたいに『普通』に笑えないんだろう」
ディスプレイの向こうから送られてきた、たった一行のメッセージ。悠馬は、いつものようにキーボードに指を置いた。時刻は深夜二時。青葉市の静寂が、彼の部屋の白い壁に張り付いていた。
彼のハンドルネームは『ユウ』。匿名で人生相談に乗るこのアカウントは、2028年の若者にとって、最も信頼できる逃げ場の一つだった。彼の言葉は、何百人もの背中を押してきた。
「普通に笑えなくても、君はいつか君を笑わせてくれる人が現れる、その時まで僕は君に光を灯すよ。」—悠馬はそう打ち込み、送信ボタンを押す直前、ふとブラウザのニュース欄に目が留まった。普段ならスルーする見出しが、彼の指を止めさせた。
【青葉市立東第三小学校、いじめ被害の児童が自死。学校側の不透明な対応に保護者らが憤り】
その記事を開いた瞬間、悠馬は背中に冷水を浴びせられたような感覚に襲われた。被害者の少年の、まだ幼い顔写真。加害者とされる子供たちの匿名化された情報。そして、親や学校の、保身に満ちたコメント。
悠馬の心臓が不規則に脈打った。彼はつい数時間前、「君を笑わせてくれる人が現れる、その時まで」などと説いていた。だが、彼の目の届かない場所で、一人の命が社会の闇に押しつぶされて消えていた。
(光、だと? 誰が誰を救えた?)
モニターの青白い光が、彼の顔の罪悪感を浮き彫りにする。SNSで「神」と崇められる彼の言葉は、この悲劇の前では無力な、ただの綺麗事でしかない。
悠馬は返信を削除した。「普通に笑えない」少女の苦しみと、命を絶った少年の絶望が、彼の頭の中で混ざり合った。
彼はその夜、眠れなかった。記事のリンクを辿り、加害者の背景、学校の隠蔽体質、そして「なぜ人は真っ当に生きられないのか」という、彼の根源的な問いを証明する残酷な現実を、ひたすら検索し続けた。
その調査の中で、悠馬は被害者の少年が、かつて詩織と自分とがよく遊んだ広瀬川の近くの団地に住んでいたことを知った。
幼い頃、詩織と二人で、川辺に打ち上げられた貝殻を拾って宝物にしていた。彼女がその貝殻を大事そうに掌で温めるのを見た。
悠馬はディスプレイの光を消した。部屋は漆黒の闇に包まれ、何も見えなくなる。彼は軋む椅子に深く体を預け、そっと目を閉じた。瞼の裏に焼き付いているのは、少年の遺影と、救えなかった誰かの悲鳴だった。彼の指は、無意識に、今しがた消したばかりのパソコンの電源ボタンを探した。
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