失明魔法師の融合転生 ~最上位の蜘蛛と聖獣と三位一体になった魔人は、なにがなんでも人間に戻りたい~

黒井カラス

第1話  失明魔法師

 順を追って説明するのなら、やはり二十年前の七月七日を欠かすことは出来ない。

 この日、日本全土は地球上から姿を消し、異世界に転移した。


 二つの月、星座のない夜空、人類の天敵たる魔物。


 上位者の存在。


 地球の常識とはかけ離れた出来事の連続にも負けず、当時の人たちは混迷期を乗り越え、ついに復興を成し遂げた。

 現在、日本は異世界の只中にあって、危うい均衡の元、治安と独立を維持し続けている。


 だが、すべてが解決したわけじゃない。


 地球への帰還方法は判明しておらず、また転移に至った原因も。

 一説には上位者が関係しているとされているが事の真偽は不明。

 唯一はっきりとしていることは、不可視の上位者たちが、俺たち人間に興味を持っている、ということだけだった。


§


 風が手の平を駆け抜ける。

 正確には、手の平に積み重なった硬貨の隙間を通り抜けた。


「釣り銭が間違ってる」

「え? そんなはず――いや、違う。目が不自由だからって、そんな」

「ああ、誤解させたなら謝ります。足りないんじゃないくて一枚多いんです」

「あ……す、すみません。ありがとうございます」


 声音だけでも彼が申し訳なさそうにしているのが伝わる。

 状況的にしようがないとはいえ、釣り銭を間違えた上に泥棒扱いされたと早とちりすれば、誰だってこんな声音になるだろう。


「ま、こんなこともありますよ」


 顔も知らない彼に同情しつつ会計を済ませると、買い物袋を持ってスーパーを後にする。自動ドアを抜けると熱気が頬を撫で、日差しが肌を焼く。


 体温が一気に上がるのを感じる。


 額から流れた汗が、両眼に掛かる眼帯に滲む。蒸れたそれに眉を潜めながら、指先で引っかけて空間を作る。ほんの僅かな清涼感と共に、役立たずの眼球がすこしだけ疼いた。


§


「さて、仕事だぞ。ルリ」

「クゥ!」

「昼飯までには終わらせるぞ」


 ふわふわの毛並みを撫でて、仕事に取りかかる。

 作業机の上には幾つかの刀剣が並んでいて、そのどれもが不完全だ。どこかしらが欠けていたり、折れていたり、すり減っていたり。


 それを完全に戻すのが俺たちの仕事。


 今日はこの中の一振りを直す。


「刀剣の銘は虎鶫とらつぐみか。破損状態は……ああ、刃に複数の大きな欠け」


 資料の点字を指先でなぞりつつ、風の魔法を使う。巻き起こったそれは這うように刃の上を撫で、その形状を術者の俺に伝えてくれる。


「こりゃ研いでどうにかなるもんでもないな」


 なにか硬いモノと何度も打ち合った結果だ。刃毀れ程度なら研げばいいが、欠けの深度が深刻過ぎる。仮に研いでも刀身が痩せすぎて、一度でもなにかと打ち合えば折れてしまうだろう。

 指の腹で慎重に触れてみると、欠けた部分から刀身にひびも走っているのがわかった。


「これも埋めないとだな。よし、ルリ」

「クゥ!」

「黒曜石だ」

「クゥウウウウ!」


 可愛らしい唸り声と共に、ルリの額にある宝石が輝きを放っている、はず。


 その結果、その頭上に生成された黒曜石が浮かぶ。


 カーバンクルの宝石生成能力によって生み出された拳大のそれを風の刃で分割し、欠けた刀身にぴったり嵌まるように研磨して成形する作業に入る。

 何度も何度も欠けた刀身の形状を風で確認し、幾度も幾度も微調整を繰り返し、ようやく納得のいくものが出来上がった。

 欠けた部分のパーツはすべて完成した。あとは接着するだけ。

 研磨の際に発生した黒曜石の粉末と漆を混ぜ、欠けた刀身と黒曜石のパーツを接着。罅は先に左手の指先でなぞり、その後を追従するように筆を走らせた。


 乾くのを待ち、刀身と黒曜石を馴染ませるための魔力を注ぎ、最後に風の刃で刀身を研いで、ようやく虎鶫の修理が完了する。

 すらりとした美しい刀身に黒い黒曜石が金継ぎのように走る様子は、きっと見事な調和をもたらしていることだろう。

 この目で完成を見られないのが残念なところだけど。


「良い出来だ、たぶん。さ、遅めの昼飯を食って納品だ」

「クゥ!」


 台所には一つの箱が置いてある。中には細かな宝石がぎっしり。

 宝石箱といえば聞こえはいいが、中身は商品としての価値がないくず石だ。


 カーバンクルの主食が宝石と聞いた時はどうしようかと思ったが、これらなら裕福じゃない俺たちでも手が届く。安物で申し訳ないとも思ったが、ルリはそんなことは気にしていない様子だった。

 宝石の価値は所詮、人間が勝手に作ったものだ。カーバンクルには関係がないんだろう。


「美味いか?」

「クゥ!」


 ばりばりと金平糖のように、俺の腕の中でルリは宝石を噛み砕いては飲み込んでいく。

 手の平から伝わってくる感触はまるで犬か猫みたいだけど、ルリは立派な魔物だ。そんな扱いはよくないかな。


「さて、俺はどうしようか……カップ麺でいいか」


 目に付いた買い置きのカップ麺を手に取る。

 最近、これのバージョン違いばっかり食ってるな。

 まともな食事……したのいつだっけ?


§


 納品先は国外調査隊の支部。依頼人は支部長さん。

 手渡し希望とのことだったので、俺とルリで虎鶫を届けに行った。

 刀剣を持ち運ぶ際に施した封印処置を、支部長本人の前で開封すると、感嘆の声がする。


「ほう。これは素晴らしい。ただ修復されただけじゃない。より美しく! より相応しく! なったじゃあないか。いやはや、キミに頼んでよかった。報酬には色をつけておくよ」


 声音が弾めば報酬も弾む。

 良い仕事が出来たみたいで、ほっと胸を撫で下ろした。


 最終的な出来の確認が俺には出来ないし、ルリにも無理だ。それ専門の人を雇うことも考えたけど、金銭面の問題でそれも見送り続けている。

 ルリが生成した宝石に価値が付けば金に困ることもなかったんだけど。

 まぁ、言ってもしようがないことか。


「満足して貰えてよかったです。それじゃ」

「あぁ、気を付けて帰りたまえ。最近は物騒だからね」

「物騒、ですか?」

「知らないかい? 最近、宝石強盗が頻出しているんだ。キミには由々しき問題だろうと思ってね」

「クゥ……」


 腕の中のルリが身じろいだのを感じる。


「被害にあった宝石店は酷い有様だったそうだよ。民家に押し入ることもあるそうだ。あと、これは噂話だが指輪やネックレスはしないほうがいい」

「……なぜです?」

「持って行かれるからだよ、指や首ごとね」


 その声音は決して冗談や脅かそうといった意図のあるものではなかった。

 宝石を、それこそ指や首ごと持っていくような執着を持つ強盗がいるのなら、たしかに由々しき問題だ。

 普通に考えればそんな犯人がカーバンクルである、宝石の魔物であるルリを狙わない道理はない。


 普通に考えれば。


「……カーバンクルが生成した宝石はどこも買い取っちゃくれません。無制限に生成できる宝石を買い取っていたら市場価格が崩壊するので」

「ふむ、なんとも難儀な話だが……つまり自分たちは狙われないはずだと?」

「盗品の宝石を買い取るのはまともじゃない所だけです。その連中がどう判断するかにも寄りますが……仮に裏も表も価値の崩落を避けたいなら、犯人が俺たちを狙う理由はないでしょうね」

「だが、宝石そのものに執着していたならば、まさにそのカーバンクルは是が非でも欲しいだろうな。用心したまえよ、夏目稟護なつめりんご。犯人が警察に捕まるまで」

「えぇ、ご忠告どうも」


 国外調査隊の魔法師たちが相手をするのは魔物だ。

 人間のことは警察の管轄で、基本的に手出しはしない。

 調査隊が国内でも動いてくれれば、ただの人間な犯人も早期に捕まえられるだろうにと、土台無理な話だが思わずにはいられなかった。


「失礼します」

「あぁ、用が出来たらまた頼むよ」


 国外調査隊の支部を後にして帰路につく道すがら、前方から歩いてきた通行人と擦れ違う。何気ない普段通り。だが、その誰かが何事もなく擦れ違っていったのを確認してから、ほっと大きめの息を吐く。


 支部長から宝石強盗の話を聞かされたからだ。


 先ほどまで、話を聞くまでは何ともなかったのに、そうと知ってしまうともう疑いは尽きない。もしかしたらが延々と付きまとう。耳や肌で感じることのすべてが怪しく思えてならない。

 些細な音や風の吹き方、人の気配に敏感になってしまう。


「視線――」


 不意に感じた、何者かの視線。

 そちらに体を向け、全神経を集中させて警戒する。

 だが、なにも感じ取れない。


「ルリ。なにか見えるか?」

「クゥ……」


 首を横に振る仕草が腕の中で起こった。


「気のせい……か。ダメだな。疑心暗鬼になる。早いところ帰ろう」

「クゥ!」


 こんな時、自分がまだ目が見えていればと、どうしても考えてしまう。

 考えるだけ無駄な、あり得たかも知れない現在。もし目が見えていたら、俺たちは今頃魔法師崩れではない正式な魔法師だった。宝石強盗なんかに怯えることもなく、夢を追い掛けられていただろう。


 普段は考えないようにしている。


 思い出せば、いつまでも引きずってしまうから。

 魔法学校は卒業した。させてもらえた。その時点ですっぱりと諦めたはずなのに、未練がましく思ってしまう。


 この目で世界を見るという夢は、もはや叶うことのないのに。



――――――――



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