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 以降、貸本屋に行くたびに、モブくんは私に目配せしてくれるようになった。


「いらっしゃいませ……あ」


 目を細めてニコッと笑ってくれるので、私も笑顔で会釈をする。

 これ、確実に距離が近づいてるよね。よしよし、順調、順調。

 とはいえ、顔を合わせるのが店内だけなら、ただの常連客にしかなれないだろう。

 だから、ちょっとだけ、また努力をしてみた。バイト帰りのモブくんと同じ電車に乗って、偶然を装って声をかけてみたのだ。


「こんばんは」

「うわっ……ああ、こんばんは」


 ぴょんと飛び跳ねたモブくんは、私に気づいたとたん、照れくさそうな笑みを浮かべる。

 ああ、かわいい……ほんとかわいい。

 内心フフッてなりながらも、私はモブくんの隣のつり革をつかんだ。


「バイト帰りですか?」

「はい。そちらは?」

「友達の家に行くところです」

「あ、もしかして、このあいだ家飲みするって言ってた――」

「そうです、今日も彼女の自宅で飲む約束をしていて」


 まあ、嘘だけど。そんな友人、私にはいないし。


「モブさんは、お家に帰るところですか?」

「おおむねそうなんですけど、ちょっと寄り道しないといけなくて」

「えっ、もしかして誰かと会うとかですか?」

「まあ、そんなところですね」

「それって……」


 ここは、敢えて間をとって……


「彼女さん、とか?」


 わざと、意味ありげに思えるような訊き方。

 案の定、モブくんは「ほえっ!?」とすっとんきょうな声をあげた。


「ちちち、違います! そんな彼女なんて──」

「え、じゃあ、今はフリーとか?」

「ですです! 俺、カナさんみたいにモテないんで」


 そこまで言ったところで、モブくんは「あ、カナさんっていうのはうちの店長で」とわざわざ付け加えてくれる。

 ああ、なんて気が利くんだろう。モブくんのこういうところ、ほんと高得点。だから──


「たしかに店長さんも素敵だけど、モブさんもすごく素敵ですよ?」


 これはお世辞なんかじゃない、私なりの本音を伝えたつもりだ。

 なのに、モブくんは「またまたぁ」と笑うばかり。

 ああ、なんだかもどかしい。モブくんはもっと自信をもってもいいと思うんだけどなぁ。



 と、まあ、こんな調子で、私はモブくんとの距離を少しずつ縮めていった。

 コンセプトは「焦らず、ゆっくり」──だって、モブくんとは長く付き合っていきたいから。そのためには、ある程度時間をかけて、じっくり落としていったほうがいい。

 で、この日も私は「貸本屋」にやってきた。

 最近のモブくんは、私に気づくと「いらっしゃいませ」ではなく「いらっしゃい」って言ってくれる。微妙な差だけど、これもふたりの距離が縮まった証じゃないかな。ああ、ヤバイ。今にも口元がにやけそう。

 と、モブくんが「すみません」と耳打ちしてきた。


「いつもの席、今日は別の人が座っていて」

「ああ、いいですよ、他の席でも」

「ありがとうございます。では、真ん中のカウンター席で」


 案内されるままに席についたものの、座ってからちょっとだけ後悔した。

 すぐ左隣の席に、いつかのねっとりとした視線のおじさんが座っていたからだ。


(うわ、今日も「陰謀論」……)


 こういう人って、本気でこんなの信じてるのかな。

 ……信じてるんだろうな。たぶん、世の中の自分にとって都合の悪いものを、すべて自分以外の他者にしちゃう系。

 よし、今日は極力左側は見ないようにしよう。

 どちらにしろ、私の目的はモブくんなのだ。本を読みつつ、モブくんを眺めていられればそれでいい。


「ご注文はどうなさいますか?」

「ホットのカフェオレと──本はこれを」


 オーダー表を確認したモブくんは「あっ」と嬉しそうな声をあげた。


「これ、俺も読みました。すごく面白かったです」

「ほんとですか? 動画サイトで話題になってたから、気になってたんですけど──モブさんのおすすめなら、なおさら期待できますね」


 笑顔で返しつつ、脳内にしっかりインプットする。


 ──「モブさんは、このタイプの本が好き」


 これって重要なデータだ。だって、本の好みからその人の思考の傾向がわかったりするんだもの。

 オーダーしたものが運ばれてくるまで、私は頭をフル回転させる。

 たった今、手に入れたばかりのこの情報を、これからどう使うか。どうすれば、よりいっそうモブくんとお近づきになれるか。


(せっかくだし、もうちょっと探ってみようかな)


 たとえば、このあと──彼が、カフェオレと貸し本を運んできてくれたタイミングで。

 うん、それがいい。さっきまでの会話の流れを考えても、それならぜんぜん不自然じゃない。

 となると、あとは会話の組み立て方だ。

 モブくんのこと、もっともっと知るためにも、ここは絶対──


「お待たせしました」


 聞き慣れないテノールが、私の思考を遮った。


「カフェオレと──はい、これ、君がオーダーした本ね」

 いささか乱暴な手つきでそれらを置いたのは、私の待ち人でもあるモブくんじゃない。


(え、まさかの……)


 目が覚めるような、迫力ある美人――つまりは、この店の店長が、私をジッと見下ろしていた。

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