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 そんなわけで、私が貸本屋「ついの夢」に通う理由は、なんとなく理解してもらえたと思う。

 ただ、このままだと、どれだけ通ってもモブくんとお近づきになれる気がしない。

 まあ、たかだか一ヶ月で「なに言ってんだ?」って思われるかもしれないけど、私としてはできるだけ早く接触したい――それくらい、モブくんのことが気にいっているというわけだ。

 だからこそ、とあるスーパーで、彼から「あれ?」って声をかけられたときは、内心盛大にガッツポーズをしていた。


「違ってたらごめんなさい……最近よくうちの店に来てくれてますよね? いつもカウンター席の……」

「右です! たいてい右端に座ってます!」

「そうですよね? 良かったぁ、人違いじゃなくて」


 人好きのする、くしゃりとした笑顔を見せるモブくん。

 いえいえ、こちらこそ! 良かったです、ちゃんと認知されているようで!


(まあ、そのために毎回同じ席に座ってたわけだけど)


 地味に思えた作戦は、どうやら想像以上に成果が大きかったようだ。

 そのまま彼と並ぶように歩きながら、出来合いのきんぴらごぼうやポテトサラダに手をのばす。ちなみに、モブくんの買い物かごには、すでにエリンギや茄子、トマト、チーズが入っていて、惣菜コーナーには興味がないようだ。


「このあたりにお住まいなんですか?」


 彼から話しかけてきたので、ひとまず「いえ」と小さく首を振る。


「これから友達と家飲みするので、おつまみになりそうなものを、と思って」

「それで、きんぴらとポテトサラダ?」

「あ……信じてませんね? でも、どっちもビールにあうんですよ?」


 うんうん、我ながらいい感じ。モブくんも「そうですか?」と言いつつ、目を細めてニコニコしているし。

 だから、ちょっとだけ気が緩んだ質問をしてしまった。


「モブさんは、この近くに住んでるんですか?」


 私の質問に、彼は一瞬足を止めて目を丸くした。

 ──あ、これ、もしかして失敗した感じ?

 というか、警戒レベルを上げられた?


「あ、ええと……ごめんなさい。つい、お住まいのこととか聞いちゃって」

「ああ、いえ、そうじゃなくて……まさか『モブさん』って呼ばれるとは思わなかったからびっくりして」


 なんだ、そっちか。

 でも、たしかにこれも失敗といえば失敗かも。


「ごめんなさい。店長さんがいつも『モブ』って呼んでたから、つい」


 申し訳なさそうにうつむくと、彼は「いえいえ」と目の前で手を振った。


「べつに責めたかったわけじゃなくて」

「本当ですか?」

「ほんとほんと。ただ、ちょっと驚いただけで……そんなふうに呼ぶの、あの人くらいだから」


 あの人、とは、もちろん貸本屋の美人店長のことだろう。


「じゃあ、本名は違うんですか?」

「違いますね。俺、『シゲタケ』っていうんです」

「シゲタケ──」

「そうです。漢字で書くと、草かんむりの『シゲ』に、武士の『ブ』」


 爪が短い人差し指で、モブくんは宙に「茂」「武」と書く。


「気づきました? 『茂』と『武』──これを音読みすると?」

「……『モブ』?」

「ですです。それであの人、俺のことを『モブ』って呼ぶんです」


 眉毛を下げて笑う彼は、たぶんこの失礼なあだ名を嫌がってはいないのだろう。


(そういうところ、人がいいというか)


 やっぱり、人懐っこくて心根が穏やかなゴールデンレトリバーっぽさがある。


「じゃあ、私は『シゲタケさん』って呼びましょうか?」

「いえ、『モブ』でいいですよ。『シゲタケさん』って、なんかへんな感じですし」

「他の人たちは、苗字で呼ばないんですか?」

「うーん……どちらかというと、名前で呼ばれることが多いですね」


 なるほど、彼の場合、たしかに名前のほうが呼びやすそうだ。

 そう納得したところで、レジ前に到着。お互いに会計を済ませ、スーパーを出たところで「それじゃ」「またお店で」と軽くあいさつしてそのまま別れた。

 モブくんは、エレベーターで地下に下りていった。おそらく、ここには車か自転車で来たのだろう。


(たぶん自転車だな、モブくんなら)


 まずい、想像しただけでちょっとニヤけてしまう。

 でも、これで確実に「ただの客」から「知り合い」くらいにはなれたはずだ。


(ていうか、認識されていたんだ、私)


 もちろん、そのための努力はしていたつもりだ。ただ、こんなに早く効果が出るとは思ってもみなかっただけで。


(やばい、順調すぎ)


 浮かれた私は、鼻歌を歌いながら帰路についた。

 こんなに心が弾むのは、本当に久しぶりのことだった。

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