04

 その日は、ただ靴下を探していただけだった。

 タンスの引き出しの奥に手を伸ばしたとき、指先に固い紙の感触があたった。


 引き出してみると、薄茶色の封筒。

 端が少し湿っていて、紙が波打っている。

 まるで、何年もここで眠っていたみたいに。


 封を開けると、見慣れた自分の名前があった。

 でも、その下に並ぶ、父と母の名前が、知らない人のものだった。


「……誰?」


 心臓がどくんと跳ね、息が浅くなる。指先が冷たくなっていく。

 しばらく、その紙を握りしめたまま動けなかった。


「いづつー、ごはんよー」


 階下から、母の声がした。


 私は戸籍謄本を持ったまま、階段を降りた。

 台所では、母が味噌汁をよそっていた。

 湯気がふわりと揺れて、いい匂いがした。


「……ねぇ、これ、なに?」


 できるだけ、普通の声を装って聞いた。


 母は私の手元を見て、箸を持つ手を止めた。


「それ……どこで見つけたの?」

「タンスの奥」

「……そう」


 母は少し視線をそらして、黙った。

 その沈黙が、怖かった。


「本当は、二十歳になったら話すつもりだったの」


 母の声が、少し震えていた。


「あなたは……私の実の子じゃないの」


 頭の奥で、何かが崩れる音がした。

 でも、泣くことも笑顔で取り繕うこともしなかった。

 ただ、「ふーん」と口からこぼれた。


「実のお母さんは、別にいるの。あの日、会う約束をしてたの。でも――」


 私は母を見た。

 その目が、少し赤かった。


「ほら、あの日、あなた急に家族面談があるって言ったでしょう?」


 胸が詰まった。


「あれで、その約束は流れたの」


 あの日――。

 母の死を避けようとして、私が必死についた嘘。

 その嘘が、母たちの運命を変えてしまっていた。


 けれど、もしかしたら――

 私は母を救ったのかもしれない。


「……会ってみる?」


 少しの沈黙のあと、母が静かに聞いた。


 私は、うなずいた。

 怖かった。でも、もう逃げられない気がした。


 その夜は眠れなかった。

 天井の木目をぼんやり数えているうちに、朝が来た。




 放課後、私は図書室に行った。

 あの奥の棚――勝手に《記憶の書架》と呼んでいる場所。


 昨日まで白かったページは、今日も白いままだった。

 けれど、ページの端に、うっすらと文字が浮かんでいた。


 ――美空いづつ、実母と面会予定


「……やっぱり、運命って動くんだ」


 笑ったつもりが、涙が一粒だけ落ちた。


 ページに指をそっと触れると、空気が少しあたたかくなった気がした。

 そのぬくもりが、私の決意を試すように感じた。


 私は本を閉じた。


 明日、本当の母に会う。

 運命がまた、少しだけずれる音がした。

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