01

 ひと、ひと、ひと、ひと――。

 砂埃を巻き上げながら、叫び声が校庭に響いていた。

 昼休みの鬼ごっこは、いつだって戦場だ。


「……あたし、また小学生やってんのか」


 隅っこで体育座りしている私は、その喧騒に加わらず、ただ遠くを見ていた。

 白いシャツの袖からのぞく自分の腕が、やけに小さい。


 美空いづつ、十歳。

 見た目はふつうの小学生。

 中身は、二十八歳の記憶を持つ転生者。


 転生というより、強制リプレイ。チートもセーブもない。

 地味で地道なやり直し人生。


 ――そういえば、小学校のときもすみっコだったな。


 教室でも校庭でも、なるべく隅にいた。

 目立たないように、空気みたいに。それがふつうだと思ってた。

 

 でも、前世ではふつうになれなかった。

 学校にいって、就職して、休日にカフェで読書。推しのライブに行って、たまに旅行して―― そんなふつうの暮らしが、ずっと欲しかった。


 転生前に、私は気づいていた。

 世界は、線と文字と数字と色と――人の想いでできている。

 誰かが描いた物語に、誰かが救われる。

 だから今度こそ、自分で自分の人生を思い描いてみようと思った。


「ふつうに生きたいだけなんだけどな……」


 それが、私にとっての最難関。

 今度こそは、ふつうに小学生をやって、ふつうに友達を作って、ふつうに宿題をこなす――はずだった。


 ……はず、だったんだけど。




 問題は図書室だった。

 放課後、ふらりと足を運んだそこには、誰もいないはずの空間に白い影がいた。

 棚の奥から、一冊の本がふわりと浮かぶ。

  

 表紙には、こう書かれていた。

 『美空いづつの人生(未完)』


「……え、これ、あたしの?」


 風もないのに、ページが勝手にめくれていく。

 そこには前の人生の記憶が詳細に記されていた。

 ――母の死。街に逃げ、ホストに騙され、借金、そして屋上。


 そして、声がした。


「この本は、君の選択を記録する」


 声が続く。


「君がふつうを選ぶたびに、ページは白くなる」

「え、どういうこと?」

「ふつうとは、記録されない人生。だが、記録されない人生こそが、最も尊い」


 私は、思わず笑ってしまった。


「なにそれ、哲学? ていうか、誰?」


「私はふつうを守る者。君が異常を選べば、私は消える。だが、君がふつうを選び続ければ――君は、この世界でやり直せる」


 私は、しばらく黙っていた。 そして、ぽつりと呟いた。


「……じゃあ、まずは宿題やるか」


 その瞬間、本のページが一枚、真っ白になった。


 図書室の空気が、少しだけ温かくなった気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る