第八話 あの日、一度死んだ世界で
五月十八日。
その日は全校あげての一大行事の日だ。
「バトル鬼ごっこ…なあ」
当然初耳の吾妻は、集合場所でぼんやり呟いた。
NOA本部からバスで数十分の場所にそれはある。
高い白の塔。NOA本部と同じ外観の建物。
それは三層にわけられているという。
通称、
その敷地内。大きな更地の広場に全校生徒が集まっている。
「吾妻は初めてやもんなあ」
一緒にいた岩永がそう言った。
その場には夕と流河、白倉もいる。皆、格好は動きやすいジャージだ。
「どういうもの?」
「鬼ごっこや。超能力使用許可の…まあ、戦闘試験の範囲の広い、追いかけっこありの多人数戦闘って思え」
「…ふうん」
岩永が腕に嵌めた腕輪を見せる。
細長い液晶画面のある小型機械をバンドで腕に留めている。
吾妻の左手首にもある。
「ここにそのうちパートナーになるヤツの番号が表示されるから、そいつと一緒に」
「…くじ?」
「そう」
ランダムな、と夕。
「…全員でなあ」
随分大規模だ、とぼやくと、流河は苦笑した。
「違うよ。厳密には全員じゃないの」
「…?」
首を傾げる吾妻に、流河は人差し指を振る。
「ほら、ランクの差ってきついじゃない?
全員一緒にやったらどうしても下位ランクは負けるでしょう?」
「…ああ」
それはわかるので吾妻は頷いた。
「だから、あのトリプルツリーは三層にわかれてるんだ」
流河は建物を指さす。
白い建物には、横に二本黒い線が入っている。
「一番下の六階分が、アンダーエリア。
真ん中の六階分が、センターエリア。
一番上の六階分がファーストエリア。
その間は行き来できない。隔離されてる」
一番下から六階までのエリア。七階から十二階までのエリア。十三階から十八階までのエリアは完全に区切られているという。
「DとEランクはアンダーエリアで。BとCランクはセンターエリア。
俺達、Aと吾妻クンたちSランクはファーストエリアでやるの」
「なるほど」
ランクの差で大きな不公平が生じないように、か。
「ちなみに、俺みたいな転移の力は使用禁止。反則だから」
「ああ」
「使ったら強制リタイアだよ。テレパスはセーフだろうけど」
ピピピ、と腕にはまった機械が電子音を上げた。
「お、そろそろ開始やな」
「ちなみにこれ、パートナーとはぐれた時に追跡できるようになってるから。
広範囲の戦いだからね」
「へー。敵は?」
自分たち以外の全員が敵のバトルだ。敵は追跡できるのかと聞いたら、流河は呆れた。
「いや、これは鬼ごっこだからさ。いつ来るかわかっちゃったらダメでしょ」
「…あ」
「アホ」
それもそうだったと固まった吾妻に、白倉がつっこんだ。
心臓がどきんと鳴る。痛い。
結局、あまり話せずこの日になってしまった。
傍にいるのか、離れるのか、覚悟を決められないまま。
腕のパネルにくじの結果の番号が表示される。
英字1文字と、二桁の数字。
「えー、俺はBの11か。誰か…」
「あれ、岩永クン、Bの11?」
腕の自分に割り振られた数字を見て、岩永が呟き視線を巡らせると、傍の流河が嬉しそうな声を上げた。
「あれもしかして」
「うん。俺だ。パートナー」
流河が自分の腕のパネルを見せる。同じ番号が表示されている。
「よかったー! 流河ならかなりええとこ行くわ」
「俺もラッキー! 岩永クン、明るいしノリいいし強いし!」
同室だし!と喜びに盛り上がる二人を余所に、夕は自分のパートナーは誰だと周囲を見回す。
「おーい、お前らちょっとええかー?」
そこに優衣がやってきた。
腕のパネルを見ながら。
「ここにCの20おらへん?」
「…Cの…」
自分のパートナーを捜しているらしい。
吾妻は呟いて自分の番号を見た。
Gの30。違う。
「白倉、いくつ?」
「俺はGの30」
白倉の発した番号に、吾妻はぎょっとした。
優衣のとは違う。が、自分と同じじゃないか。
普段なら手放しに喜んだ。でも、今は。
「…」
隣で自分と似た表情をしている男がいた。
なんとも複雑そうな顔。
夕だ。
「…お前、まさか…」
優衣は夕の方に視線を寄越し、半眼になる。
「……」
二人は顔を見合わせ、揃って地面を蹴った。
「敵同士で競いたかったんやな」
「運がいいのか悪いのか」
岩永と流河が他人事として呟く。
「吾妻は?」
不意に岩永に見上げられ、吾妻は引きつった。
「?」
「……」
普段なら絶対喜んだ。でも、今は。
傍にいるか離れるかも、決められていないのに。
時間はたっぷり五時間。
制限時間が終わるまで残っていたペアか、他の全員が消えて最後に残ったペアが勝ち。
ちなみに片方がリタイアしても、片方は強制リタイアにならない。
パートナーがリタイア後、一人でどうにか生き残る生徒も毎年結構いる。
だからひたすら逃げるのもありだ。
十三階の廊下を歩く吾妻は、隣の白倉をちらりと見て、視線を前に戻した。
その吾妻の内心は複雑だった。
なんて話したらいいかもわからない。
「ごめんな」
白倉は唐突に謝った。落ち込んだ声で。
「え? …どうして白倉が謝るの!?」
吾妻は思わず足を止めて、白倉を見下ろす。
「俺が」
白倉は心底辛そうな顔をしていた。
「俺が吾妻に、いつか絶対話すって約束したのに…。
なのに…」
吾妻はすぐに理解する。
ああ、そうか。
あの時、白倉が話すと約束したことを、九生が語ってしまった。
「…白倉」
吾妻は不意に気づく。
「あれ、白倉の、同意じゃなかった…?」
白倉ががばりと顔を上げる。泣きそうに。
「同意じゃない! 普段は、同意だったけど。あれは…俺は、…だって納得してない!
お前と、…離れるなんて」
信じて欲しい、と願う翡翠の瞳が揺れる。
吾妻は一瞬微笑んだ。わかったと、大丈夫だと言うつもりだった。
でも、泣きそうな頼りない白倉を見て、我慢なんか効かなかった。
手を伸ばして抱きしめる。
「………白倉」
白倉は驚いたが、おずおずと吾妻の背中に手を回す。
「…ありがとう。それだけで、うれしい」
「…それだけ? なんで? 諦める気なのか!?」
白倉はすぐに自分の胸に手を突っぱねて身体を離した。
「…そんなつもりはない。
ずっと好きだよ。誓う。
だけど、白倉が覚醒するまで、僕はきっと待てる」
「俺が待てない!」
悲鳴のように叫んで、白倉は俯いてしまった。
「……俺が、…堪えられん……」
下を向いた白倉の姿。頼りない肩。うなじが見える。
震えた身体。
堪らなく嬉しくて、愛しくて。
「…だけど、僕は…」
お前が苦しむのは、見たくないんだ。
あんな、岩永みたいな。
「ずっと、傍にいる。
お前がどんなことになっても。
僕は、必ず待ってる。
…誓う」
全身全霊で、誓った。
白倉はゆっくりと顔を上げる。
涙の浮かんだ瞳。赤い目尻。
手を伸ばして拭って、もう一度抱きしめた。
「大丈夫。
僕は、今も昔も、白倉一人を、愛してる…」
優しく背中を抱いて誓った。
目を閉じて、一心に誓った。
「…………………」
二人はそこで、妙な沈黙の気配に気づいた。
身体を離して、廊下の向こうを見遣る。
普通の校舎となんらかわりない廊下や教室のある施設だ。
そこに、一人突っ立って、どうしたらいいんだろう、という顔をした後輩。
吾妻と白倉が真剣な話をしていたので、流石に攻撃も出来ず戸惑っていたらしい。
吾妻と白倉は一緒に咳払いをした。それに、彼は嫌な顔をする。
「………もういいぞ。じゃあ、やろか?」
気持ちを切り替えた白倉に取り繕った声と顔で言われ、赤目土岐也は「はあ…」と頷いた。
「…ま、いいですけど」
まだなにか言いたそうにしながら、赤目も咳払い。
「あ、そうでした。
俺、吾妻さんに恨みがあったんですよ! これ言いたかった!」
気持ちを無理矢理切り替えたのがわかる無理矢理な話の導入の仕方。
しかたないよな、と白倉は顔が赤くなりそうだ。
「え? 僕、なにした?」
吾妻は若干、さっきの雰囲気を引きずったまま、どうにか赤目の話に乗る。
「この間、女になってたっしょ?
すげー美人だったのが、こんなばかでかい残念な男になっちゃったのはいいです。
別に好みじじゃなかったし」
「…ざんねん…」
「それよりも、俺はあの時、アイス買ってきてたのに!
あんたに付き合ってたら溶けてました!」
吾妻を指さして、真剣に怒る赤目に言いたい。
「…僕の所為じゃないよ?」
自分の所為でああなったんじゃないし、そもそもアイスがあるから置いてきてからでいいかと言われたら待ったし、と言うと、赤目は言葉に詰まった。
ソレは確かに、と思ってしまったらしい。
しかしすぐに持ち直す。
「問答無用! 喰らえ!」
そういえば赤目はSとAどっちのランクだ。
というかパートナーはどうしたんだ。一人だし。
そんな疑問はすぐに消えた。
なぜなら、吾妻の視界一杯に出現したのは、大小さまざまな蜘蛛。
廊下の壁から床から、天井を埋め尽くしている。
蜘蛛は嫌いだ。NOAでそれを他人に言ったことはない。
そんなことは、今はどうでもいい。
「―――――――――――――!!!!!」
「え? なに?」
声にならない悲鳴を上げて暴れ出した吾妻からひらりと逃げて、白倉は首を傾げる。
「吾妻さんは蜘蛛嫌いって雪代先輩に聞きましたから!
幻覚見せたんです!」
「ああ」
得意げに胸を張る赤目を見て、白倉は納得すると「で?」と言った。
「はい?」
「俺は?」
白倉は自分を指さし、首を傾げた。赤目が固まる。
「キミ、Aランクだろ? 俺にどう勝つ?」
「……………………」
「考えてなかったんだな」
「うるさいっす! そんなん…」
赤目は顔を赤くして、手を振るう。白倉に攻撃を向けようとした瞬間、その場を業火が襲った。
「うあっ!!」
間一髪、持ち前の瞬発力で交わして、赤目はまさか自分の幻覚を破ったのかと吾妻を見る。
そして、戦慄した。
吾妻はあらぬ方向を見て呼吸が荒い。瞳が正気ではない。
自分の幻覚にかかったままだ。
「―――――――――――――!!!」
そして言葉にならない絶叫を上げて、あちこち構わず炎を放った。
「うわ―――――!!!! あっ、熱っ…うわっ、あっ、わー!!!」
縦横無尽に自分にも向かってくる業火に、赤目は逃げ出した。
防ぐのは無理だ。
脱兎のごとく逃げていった赤目を見送って、念動力で防いでいた白倉は吾妻の傍に立つ。
肩を叩いた。
「吾妻、もう幻覚とけただろ?」
だが、錯乱した吾妻は蜘蛛が肩に落ちたと思い、白倉の手から思い切り飛び退き、悲鳴を上げながら走り出してしまった。
白倉も流石にびっくりして、見送ってしまう。
吾妻の姿が完全に見えなくなった頃、呟いた。
「…さすがに、ショックだ。…一緒に、いたかったのにな…」と。
「いやー、幸先いいねえ」
一方十四階の廊下。
一緒に歩いているのは流河と岩永。
「よっぽどやなければ残れるやろうしな」
「ね」
岩永と流河はAランクのツートップだ。そうそう負けない。
「Sランクにあったら逃げるとして」
「そうそう。今回は正面切って勝たなくてもいいし」
今までに三回バトルを済ませ、全てに勝ってきた。
倒した人数分、ポイントが付与される。
それを地道に稼いでもいいわけだ。
そんなことを話していると、なにやら一階下で悲鳴が聞こえた。
「…今の」
岩永は窓の方を覗く。中庭に面した窓だ。
「なんだろう。すごい悲鳴だったよね…」
「誰かが吾妻とかに会うたんやない?」
岩永の言葉に、流河は微妙な顔をする。
「いや、吾妻クンっていうより九生クンとかじゃない?」
「ああ、そっか」
「あるいはさ、化野クンとか」
「言うたら来るからやめぇって」
怯えた岩永の声に、流河は笑って謝る。
「でもいくらなんでも、こんなに広いのにそれはないよ」
長い廊下を歩いて、角に出る。
曲がった瞬間、丁度反対側から曲がろうとして来た生徒とでくわした。
ウェーブの髪の、穏やかな笑みを浮かべた美しい男。
「あ、岩永、流河。ちょうどよかった!」
そこにいたのは、
ジョーカー出たぁ――――――っっっ!!!!!
流河と岩永は青ざめて泣きそうになった。心臓が止まるかと思った。
恐怖と戦慄、驚きをいっぺんに味わった胸中は全く一緒。
流河は持っていた扇子を硬い物に物質変換して化野に投げつけ、岩永は風を操ってぶつけると、揃って足を返して反対方向にダッシュで逃げた。
二人とも青ざめた顔で一心不乱である。
廊下の一番端までやっとたどり着いた瞬間、流河の後頭部をなにかが打った。
「流河!!?」
岩永が思わず足を止める。流河はその場に倒れて動かない。
傍に落ちているのはさっき流河が投げたはずの扇子。
化野に流河みたいな力はない。正真正銘、ただの木と紙の扇子。
それが頭にぶつかっただけで昏倒するはずがない。普通なら。
岩永は恐怖に震え上がった身体で、背後を振り返った。
にっこり微笑んでいる化野がいる。
岩永は傍の窓を開けて、足をかけた。
「許せ流河。骨はあとで拾ったる!」
そして窓から一気に飛び降りた。
「あ、しまった」
化野はあまり惜しくもない口調で呟く。
窓の外は中庭。
中庭は吹き抜けだが、七階部分と十三階部分には人工庭が設置されているから、ここから飛び降りても、十三階部分の庭に着地できる。岩永にはその運動神経もある。
「…ま、今は見逃してもいいかな」
そう呟いて、化野は歩き出した。
「なんでお前とペアなんや」
「俺の台詞だ!」
一方、十五階。
中庭を囲う廊下を歩いているのは、御園優衣と御園夕。
さっきから、こんな会話を繰り返している。
「戦闘試験ではなんでか全然当たらへんし」
「それ俺の所為じゃないし」
「なんに部屋は一緒やし、これも一緒やし」
「俺に言うな」
さっきから文句を並べているのは、普段落ち着いた態度で知性的な印象の優衣だ。
夕と一緒だと、その雰囲気は保たれない。
絶対負けたくない相手。永遠のライバルだ。
甘えている部分も、もちろん互いにあるが、本人たちはあまり自覚がない。
他人の評価だ。
ちなみにここに来るまでに、既に十回は戦った。
ほぼ全勝である。“ほぼ”なのは、勝てずに逃げた時もあったからだ。
相手は当然Sランク組。流石に勝ち目がなかった。
「今、どんくらい時間経った?」
「んー…一時間やな」
「まだそんだけか」
合計五時間がリミット。まだまだ時間はある。
長時間の戦闘。休憩を取ることも必要だ。
要所要所に自販機が設置されていて、飲み物を得ることが可能だ。
ただし、その自販機は金では動かない。
そこまでに敵を倒して得たポイントで動く。だから一回も勝っていないペアは買えない。
優衣と夕は八回は勝った。視界の端に見つけた自販機に駆け寄って、腕の機械を自販機から伸びたコードと接続する。
一回勝ったら1ポイント得られ、自販機では1ポイントで二つ買える。
「俺、コーヒーな」
「はいはい。俺どないしよ」
「普通に紅茶とか買うとけや」
自販機の前に立った夕はコーヒーと炭酸ジュースを買うと、接続を切り、コーヒーを優衣に渡す。
そして自分の炭酸ジュースの蓋を開けた。
「…あー、生き返る」
「なー…」
壁に背中を預け、お互い一気に半分くらい飲んでから、息を吐いた。
「なにが一番やばかったっけ?」
「あれやあれ。
雪代と会うた時」
「ああ! あいつ意外にしつこいからなあ」
「雪代は案外しつこいで」
優衣は遠慮なく言って、また一口飲む。
「あとはなんや」
「あ、琉輝ちゃん!」
「ああ!」
夕の台詞に、優衣は指を立てて頷く。
「あれきついわ」
「やって延々延々追っかけて来よったやん…死ぬかと思った」
「偶然七倉が通りかかってよかったな…」
「な」
沈黙が落ちて、二人揃って缶を口につけて飲む。
はあ、と揃って息を吐いた。
「……」
「優衣?」
優衣が不意に真剣な表情をしたので、夕は怪訝な顔で見遣る。
「夕、来ぃ。声出すな」
夕の手を掴み、声を潜めていい、傍の教室の扉を音が立たないように開けて入り、閉めた。
誰か来たのだろう。夕も声を出さないよう、息を殺す。
少しして、傍の廊下を歩く足音が、三人分。
「…おい」
夕と優衣が隠れている教室の前を通りかかった三人のうちの一人。
最後尾の男が前の二人を呼んだ。
「おい」
沈黙が返る。さっきからこうだ。
「人の話聴けよこら」
「…なんだ、風雅」
前を歩いていた一人の時波が振り返って、微かに不機嫌な顔をする。
しかたなく、隣を歩いていた男も足を止めた。この三人の中で一番身長が高い。
「人をシカトすんな。
俺がさっきから下に降りてみねえかって言ってただろ」
風雅という男は、さほど怒ってはいない。気力的な意味で疲れているが。
「降りてどうする」
「いるかもしれねーだろ。そっちに」
時波はいないかもしれないじゃないか、と聞き入れようとしない。
「大体、お前がはぐれるのが悪い」
「俺の所為かよ。赤目が突っ走ったんだよ」
会話から、優衣と夕は風雅のパートナーが赤目で、彼が突っ走ってはぐれ、しかたなく若松・時波組に合流したんだろうと思った。
気配は殺したままだ。
「第一、他人事の顔してんな若松。
あれはお前の管轄だろ」
「…面倒を見ているのはどちらかと言えば鷹明だが」
「お前が世話してるとは思ってねえ」
風雅が投げやりに言う。時波は腕を組み、
「そうだな。若松は放任で子供が背中についていけないタイプだ」
と無表情で言い切った。
「それ、お前が言うか………?」
風雅は同情の眼差しを若松に向けながら時波に突っ込んだ。
「あきらかに同じカテゴリーじゃねえか? お前ら」
「そうか?」
「そうだろ」
断言した風雅は、疲れたように息を吐く。
「大体、俺だけか? それは」
「なにがだ?」
「お前らだってパートナーとはぐれてたじゃねーか。
俺が出くわすまでにらみ合ってたくせに」
「はぐれたんじゃない。勝手に突っ走られたんだ」
「尚更一緒だ」
風雅に瞬殺されてしまい、時波は密かに落ち込む。
一緒扱いされた。
「っていうか、お前ら相手誰だ?」
そういえばそこは知らなかった、と風雅は問う。
「俺は化野がパートナーだ」
「ああ、それはしかたねーな。お前は悪くない」
若松の言葉に、風雅は断言する。
「俺は七倉がパートナーで」
「お前も悪くねーぞ。それ」
時波の言葉にも風雅は同じ断言をして、不意に遠い目をした。
「…似たもん同士じゃねーか。ここ」
「…」
全員パートナーに置いてかれた連中だろ、という風雅の台詞。
傍の教室に隠れている優衣と夕は笑いを堪えるのに必死だ。
淡々と進む会話が、いちいちおかしい。
つまり、彼らは三竦み状態なのだ。
誰かと誰かが戦えば、全員Sランク。余裕はない。
最後の一人に不意を付かれるだろう。だから、一時休戦か。
夕が視線で優衣に訴える。俺等どうすんの?と。
流石にSランク三人に見つかったら、まず勝ち目もないし逃げられないだろう。
若松と風雅、時波では見つからない方がおかしい。
教室の窓の外はトリプルツリーの外壁。庭のような足場はない。
第一、中庭側ならいいが、そっちから出てしまったらリタイアだ。
三人はなにか話していたが、そのまま通り過ぎて行ってしまった。
「あれ…?」
優衣はびっくりして、おそるおそる扉を少し開けて外を窺う。
三人の姿は廊下の見える範囲にはない。
「…気づかなかった…?」
「それこそありえへんのやけど……」
二人はゆっくり、足音を殺して廊下に出る。
なんでだ?と顔を見合わせた。
不意に、中庭側の窓を見る。
角を曲がって向こうは、ここから窓を通して遠目に様子が見える。
そこを通った若松、風雅、時波の姿。
風雅だけ、こちらを見て悠然と微笑んだ。
「…」
優衣は「ああ…」と呟いて頭を掻く。
「え?」
「…情けかけられたっぽいな、風雅に」
「え」
優衣は悔しそうな顔をして息を吐いた。
「俺らがまだ残っといた方があいつ的に楽しいんやろ」
「…あー、そっか」
夕も納得する。
よく考えたら自分たちのいる教室の前に来てからだ。風雅がさほど必要のない会話を不自然に始めたのは。
おそらく若松と時波の気を逸らすために。
そういえば優衣は風雅とは腐れ縁だ。
初等部からのメンバーが多い学園だから、顔見知りの生徒は多いが、親しくなるかと言うとそれはまた別。全く接点がないまま卒業する生徒もいる中、なにかと接点が多くなる生徒もいる。
夕にとってはそれが白倉と岩永で、優衣にとってはそれが風雅だ。
だからこその情けだろう。
「…絶対恩に着ぃひんからな……」
優衣は心底悔しがって、そう呟いた。
十四階まで来たが、吾妻に会わない。
腕の機械の追跡機能も、一定距離まで近づかなければ反応しないのだ。
折角、九生たちに邪魔されず、一緒にいられる機会だったのに。
白倉は肩を落としながら歩いていた。
ため息も出る。
廊下を歩く時、隣を埋める大きな身体が、声が、あの靴音がないと寂しい。
こんな風に、いつから思うようになったんだろう。
きっかけはGWで、でもそれから、一気に落ちた気がする。
でも、九生に離れるように言われてから、余計、恋しくて。
「…」
白倉はなんとなく、前の廊下を見遣った。
十字になった廊下。西から東に真っ直ぐ走る廊下と、北から南に走る廊下が交わったところだ。
向こうに見えた姿に、白倉は「げ」と思った。
九生と山居。
いろんな意味で嫌な組み合わせだ。
というか、勝ち目が流石になさそうだ。
「お、白倉やん」
九生が親しげに声をかけてきた。
「なんだ」
「つれないのー。そんないきなり攻撃せんぜよ。お前さん、パートナーは?」
上機嫌に話しかけてくる九生と、白倉は睨みながら距離を作る。
「はぐれた」
「しょうがないの」
「誰の所為だよ」
白倉の不機嫌丸出しの声に、九生は「俺?」と意外そうに自分を指さす。
「離れろって言ったんが? あいつここでまで?」
自分と吾妻がペアなのを知っていたのだろう。自分の忠告が効きすぎたのか、と九生は若干すまなそうにする。
「……………赤目クンに幻覚見せられて混乱してどっか行った」
「おい!」
ここで九生の所為にして、詳しい事情を言わないことも考えた。せめてもの仕返し。
しかし、やはり九生を騙すのは気が進まない。彼の申し訳なさそうな表情に心が動いて、素直に話すと九生は手を使ってつっこんだ。
関西人みたいですね、と山居が淡々と言う。
「俺の所為じゃなくないか?」
「だって、九生の所為もあるもん」
「…あ、そら…悪いとは思っとるけん」
拗ねた口調、微かに寂しそうな白倉の表情に、九生は眉尻を下げて近寄り、頭をぽんぽんと撫でる。
白倉の唇がにやりと笑んだ。
「九生くん!」
「え?」
山居の慌てた声に、九生は間抜けな表情でそちらを振り返る。
その顔が、引きつった。九生の身体が背後に飛ぶ。バック転だ。
離れた位置に着地した九生の肩の服が裂けている。
「油断する方が、悪いんだぞ?」
白倉は九生の服の切れ端を掴んで、にっこりと天使のように微笑んだ。
「…おっかないの。お前さん。知っとったけど」
「使えるもんはなんでも使う。一応戦闘中だしな」
「ごもっとも」
白倉が切れ端を床に捨てる。
九生と山居が構えて、顔を引き締める。
白倉は一人とはいえ、全く無傷とはいかないだろうし、片方が脱落する可能性も低くない。
流石に、身体を操るのは禁止だし。
しかし、緊迫した三人の間を、絶叫を上げ泣きながら小柄な少年が突っ切って、そのまま走っていく。
悲鳴がまだ響いている。
「……今の、土岐也じゃなかったか? 山居」
「赤目くんでしたね」
九生の構えたままの言葉に、山居も構えたまま返す。
「なんや、なんかよっぽどおっかない奴に追っかけられとるみたいな顔……」
白倉はそこまで考えて、はたと顔を引きつらせた。
「なあ…しかけといてあれだけど、一時休戦で俺らもこの場から逃げた方がいいんじゃない?」
構えたまま白倉が言った案に、九生はなにを今更と笑う。
「泣き言いったって遅いぜよ」
「いやそーじゃなくてな?
考えろ? あの勝つこと大好きな逆境精神逞しい赤目クンがだ?
あそこまで悲鳴上げて泣きながら逃げる相手って言ったら、…自ずと限られるだろ?」
そういう白倉の顔が青ざめていることに九生は気づいた。
心なしか怯えてもいる。
九生と山居は考えた。あの、若松や自分にすら結構ふてぶてしい赤目が、あそこまで怯える相手。
一瞬で理解した九生と山居は、震え上がり、青ざめて頷く。
「そ、そうじゃの! ここは、お前さんの言うとおり、一時休戦じゃ」
「そ、そうですね。また会えたら決着を。では!」
九生と山居は焦った口調でそう言い、白倉と反対方向に猛スピードで逃げた。
その時には、白倉もそれと逆の方向に同じように逃げている。
三人の姿が見えなくなったあと、その場にのんびり歩いてきたのはウェーブの髪の穏やかな美貌の男。
「あれ? 今、ここに誰かいたような……?」
ちなみに、若松とパートナー。絶賛迷子中だ。
吾妻は十五階にいた。
とぼとぼと肩を落として歩く。
悲しい。
白倉が見つからない。
あんな幻覚に我を失った自分が悪いから、自分を責めて落ち込んでいる。
一緒にいたいのに。
好きなのに。
でも、白倉を苦しめたくない。
岩永と同じ目に遭わせたくない。
でも、白倉が離れたくないって言ってくれて。
その場にしゃがみ込む。
「潰れそうだよ……」
いろんなものに、潰されてしまいそうだ。
全部、背中から退かして、彼の傍に走り寄って、抱きしめてキスできたらどんなに。
切ないくらいそうしたい。
傷付けたくないのに、彼の言葉に、「うん」と、「傍にいる」と、「自分も堪えられない」と言ってしまいたかった。
疑問が戻ってくる。頭痛がする。ずっと悩んでいることがある。
長い廊下の端。廊下の向こうから歩いてくる気配を感じて、吾妻は立ち上がると逆立った気持ちのままに確認せず、業火を放った。
「…うわっ!」
廊下を曲がってきた瞬間、視界を埋め尽くした炎にあがった悲鳴は吾妻が聞き馴染んだもの。
岩永の声だ。吾妻は我に返る。水を頭から被ったような気持ちになる。
あれ、でも、今は敵だし、怪我はしないからいいんだけど。
でも、肝が冷えた。多分、ずっと悩んでいることだったからだ。
業火は一瞬で収束した。
岩永が指で宙に丸い円を描く。その円の中に吸い込まれて、炎は跡形なく消えた。
岩永の碧の瞳が、金色に染まって自分を射る。
「…」
背筋を走るのは、恐怖だ。
あの時と同じ。
吸収の超能力。
結構力のこもっていた炎をあっさり吸い込んでしまった。
これで、抑制されている?
流河は岩永に、抑制装置がついていると言った。
本来の力を出せないように、抑える装置が。
その上で、Sランクの攻撃をあっさり吸い込むなら、無敵だ。
「吾妻やん」
岩永は明るく微笑んだ。その瞳は、既に茶色い。
「……」
「…」
怯えたように、後退る吾妻を見遣って、岩永は苦笑する。
「流河から聞いた?」
優しい口調でそう問う。吾妻は胸が塞がれた気がした。
なのに、責めないのか、と苦しくなった。
「…他人事みたく言うんだね……」
「ん?」
「責めないし」
吾妻の声は震えていた。悲しくて。
なんでそんな風に、いつも、他人事のように笑うんだろう。
村崎のことだって、どうして。
「……やって、わからんのやもん」
岩永は自分の手を背中に回して、のんびり笑った。
「…わからん?」
「そこんとこ、流河は言えへんかったんやろ」
岩永はあくまで明るく、いつものように微笑んで、吾妻を見つめて話す。
柔らかい、暖かい感情のきちんとこもった声で。
「…俺なあ、一年以前の記憶がないんや」
岩永の言葉が、すぐに理解できなかった。
「知識とか、自分に関する最低限の記憶はあったから、別に精神年齢が退行することはなかったけど、他人に関する記憶が全滅」
「……まさか」
吾妻は声が掠れたのを感じた。
喉が痛みさえ訴える。頭痛もする。
聞きたくないのに、口が動く。
「一年前の事件より昔の記憶があらへん。
白倉や夕と、事件前にどんな風に話しとったか付き合っとったか、あいつらがどんな奴らやったか、わからん。どんな風に出会ったかも。
村崎のことも、昔、どんな関係やったかなんて、覚えとらん。
…忘却やない。
俺の頭の中から全て、“消滅”した。復元なんか敵わん。
元に戻ることはあらへん。思い出す望みは最初からない。
…俺は、事件のことすら覚えとらんから、やから笑ってられる」
信じたくなかった。
吾妻は疑いたかった。
目の前に立っている男が。
いつも、白倉や夕や、自分と笑って楽しそうに話している彼が。
あんなに白倉や夕と分かり合った言葉を交わす岩永が。
一年以上前の記憶を、なに一つ持っていないなんて。
「…村崎のこと、どうして」
それでも、村崎が好きなのか。
吾妻は、彼が村崎と付き合っていたと知っている。
でも、岩永には、その記憶すらないのだ。
優しい村崎の記憶なんて、おそらく一つたりとも持ってない。
村崎が、岩永から離れた理由を知る。
恋人の中から、自分への思いも記憶も全てが消えたら、誰だって絶望する。
自分の名前を誰より知っているはずの相手から、「だれ?」なんて言葉が出たら、それは一体どれだけの。
元に戻る望みがあるならがんばれるだろう。でも、永久に戻らないとはっきりしてしまったら。
「……でもなあ、好きやねん」
岩永はやっぱり微笑んで言った。
「…今の俺は、村崎の傍におれんくて、愛されへんってわかっとっても」
今度は少しだけ、泣き出しそうに。
「二度と記憶が戻らへん。やから二度と村崎の望む“岩永嵐”にはなれんってわかっとっても」
「それでも」
諦め悪く、ただ一人を想うのだ。
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