第七話 PHANTOM CALL

「どっから説明したらいいかな。

 ええと、そもそも岩永クンに非はなくて、暴走キャリアっていうのは本人の意思関係なく力だけが暴走する型なんだ」

 言葉を失っている吾妻に、流河は言葉を選びながら話す。

 なるべく、吾妻を動揺させないように。

「力の一人歩きだね。そして、宿主の記憶や心、身体を食い破る。

 だから病気のウイルスと同じ。だから【暴走キャリア】。

 防ぐ方法はただ一つ。能力を完全に覚醒させること。そうすればキャリアと同じだ」

「……そこまではわかったよ。

 だけど、新聞には岩永のこと【キャリア】ってあった」

「あ、うん。そこ。

 そこね、えっともっかい言うけど、超能力にはタイプがあって」

「もう聞いたよ」

 先を聞きたくて、苛立たしげに反論をした吾妻の頭が叩かれる。

 硬い物に「変換」した扇子でだ。吾妻は痛みに呻く。

 流河は視線だけで「黙れ」と睨む。口に出す暇が惜しいらしい。

「まず整理するよ。

 超能力を内包する“能力者の型”が単一型と複数型。

 で、内包される“超能力の型”が常態覚醒型・キャリア型・暴走キャリア型。

 でも当時は二つだったんだ」

「……は?」

「だからね、NOAは世界の超能力の教科書でしょう?

 超能力に関してはNOAが第一人者。一番の知識。常識。

 そのNOAが思い違ってたんだ。

 超能力の型が常態覚醒型とキャリア型だけだと思っていた。

 NOAのトップから関係者全てね。

 だから、当時誰も暴走キャリアなんて知らなかったんだ」

「……」

 吾妻は呆然とした。なんというか、それってすごく。

「…馬鹿って言ったらわるい?」

「俺もそう思うからいいよ。許す」

 流河は腕を組んで淡々と言う。

「それまでいなかったの? 岩永以外」

「それまでにも暴走キャリアはいたよ。

 ただ、気づかれなかったんだ」

「…暴走せずに済んだ…?」

「してたよ。暴走。あとから調べたら何百人もね。

 ただね、NOAの超能力に対する防御が鉄壁すぎて、大きな騒ぎに絶対ならなかった。

 だから、全てが“ちょっとしたコントロールミス”で片付けられてしまったんだ。

 そして誰も【暴走キャリア】という型の存在を知らなかった。

 岩永クンの暴走がなければ、今でも」

「………」

「それほど、岩永クンが内包してた力っていうのは“最悪”だったんだ」

 吾妻は読んだ村崎の記憶の光景を思い出し、震え上がった。

 己の身体を腕で抱き、震えを堪える。冷たい汗が肌を流れる。今、思い出しても怖気が走る。

 灰色の空。美しいというより、恐ろしいと呼んだ方がいい、全てを喰らう白い閃光。

 あの、怨嗟の連なりのような光景。

 吾妻が逃げ出さずに、どうにかその場に踏みとどまれていたのは、あれが現実の自分の前で起こったことではなかったからだ。

 それでも、暴走があれ以上極まれば、無理矢理に心を閉じて、あの光景から逃げただろう。

 それほどの代物だった。

 誰も気づかなかった。

 岩永は吾妻ほど好戦的ではない。

 楽しむ感情も挑む心も相応にあるだろうし、負けず嫌いであると思う。

 それを見せないのは彼が強いだけだ。

 それでも吾妻ほどには、戦いを好んでいない。

 他人をねじ伏せるより、手を差し伸べる方が容易い人格だった。

 だからこそ、その中に眠っていた力は、化け物だ。

「岩永クンの暴走のあと、立て直されたNOAで真っ先に行われたのがキャリアと暴走キャリアの検査。

 俺もそこでキャリアだってわかった。

 白倉クンに時波クン。彼らもその検査で未然に暴走キャリアだと発覚したんだ。

 彼らは今、二つ目の力を暴走させずに覚醒させる訓練を受けてる。

 なんせ、あの二人もあの二人で岩永クンに近しいからね」

 流河が言った“近しい”はあの三人の親しさではない。

 能力の危険性だ。

 暴走した場合、引き起こす惨事が、岩永の暴走と同等のものになりかねないという。

「だから、キミに近づいて欲しくないんだろう。

 前例が岩永クンしかいない。彼の暴走のスイッチは誰かへの思いだった。

 白倉クンがキミを意識することを禁じてる理由は、多分そこ」

「…………」

「多分、白倉クンの力が覚醒していたなら、許したと思うよ。あの二人は」

 白倉と自分の関係を遠ざけるのは、ひとえに白倉のためだ。

 彼に、岩永と同じ道を辿らせたくないから。

「……岩永は、もう」

「平気だよ。完全に覚醒してるし。見たでしょ?

 彼が吸収の力を使うところを、二回」

 流河の「二回」の意味にすぐ思い当たる。

 一回目はGWの街中。二回目は夕と岩永の試合。

「…ただ、全てなかったことにできなくてね。彼の本意じゃなくても。

 彼の危険性を完全に無視できない。

 だから、NOAは彼に、制御装置を課してる。

 力の強さを1ランク引き下げる抑制装置。

 …それがなけりゃ、彼は本来Sランクだよ」

 吾妻は言葉を失った。なんと言ったらいいかもわからない。

 だって、岩永に非があったわけじゃないと、今。

「…なあ」

 喉が渇いている。うまく話せているだろうか。自信がない。

「…なに?」

 流河は静かに受け答える。小さな懐中電灯の明かりの中、流河はあくまで落ち着いた表情をしていた。

「岩永と村崎は、あの二人は」

「…なんか知ったの?」

 それが微かに揺らぐ。それも知ってしまったのかと、悲しそうに。

「…あの二人は……」

「恋人だったよ。一年前の、事件までは…」

 流河の声は明るく取り繕われていた。悲しみを押し殺すように。

 それが吾妻にはわかってしまった。

 力を使わずとも、彼がまとう空気で、わかる。

「…元には」

 戻れないのか。そう聞いた。

 あんなにも、辛そうな岩永を見るのは、自分も痛い。

「そうだね。俺もあの二人が以前のようになれたらいいと思うよ。

 でもそうじゃないんだ。

 そう簡単に再び向き合えるような二人じゃない。

 …一年前に、二人が失ってしまったものは、…大きすぎて、重すぎる。

 潰れてしまうほど…」

 語尾に近づくにつれ、流河の声は掠れて、詰まった。

「…少なくとも、村崎クンの方はもう疲れてしまったんだろうね。

 “今”の岩永クンと、向き合うことに」

 吾妻は立ち上がって、流河の傍らに立つ。

 そっと、その思ったより柔らかい髪を撫でた。

「ごめん」

「…」

 流河はすぐに返事をしなかった。微かだが鼻をすする音が聞こえた。

「…やだなあ。なんで謝るのさ」

 そして、顔を上げていつものようににっこり微笑んで、明るく言った。

「無理しなくていいよ。

 結局、あんたのこと傷付けた」

 吾妻の静かな声に思いやられて、流河は声を失い、それからとてもすまなそうに笑った。

「ごめんね」

 彼の明るく意識した謝罪に、謝るのは自分だと心底思った。




 自室に戻る最中、廊下の自販機の前で岩永を見つけた。

 照明が煌々と点いた廊下。クリーム色の床と白い壁。

「あ」

 小銭が一つ落ちて、磨かれた床を転がる。

 吾妻の靴にぶつかって止まり、倒れたのを見て、岩永は顔を上げる。

 ああ、と微笑んだ。人懐っこく。

「なんや、吾妻か。出かけとったんか」

「…ああ、ちょっと」

 なんとも答えにくくて、吾妻は曖昧に濁した。

 岩永は「ふうん」と相づちを打っただけで、それ以上は追求しない。

 疑ってもいないだろう。

「あ、それとってもらえる?」

 岩永は百円玉を指さした。吾妻は頷いて、しゃがみこんで拾う。

 岩永に近寄って、指で挟んだそれを差し出した。

「はい」

「おおきに」

 にこにこ笑って、彼は小銭を受け取る。その時、触れ合った指先。

 暖かい感触だった。当たり前だ。血の通った人間の指。

 なのに、吾妻は死体にでも触れてしまったように、思い切り手を引っ込めて、数歩背後に下がった。

 一瞬だが、怯えた顔すら浮かんでしまった。

 岩永がぽかんとしている。

「どないしたん?」

 不思議そうに首を傾げて、岩永は問うた。

「…あ、俺のうしろになんか見えるーとかはやめてな? いややねんそういうの」

 岩永は若干怯えた顔で笑い、手を左右に振る。

「……ううん。ごめん。びっくりしただけだよ」

「…あ、そう。よかった」

 明らかに不自然だった。不自然な態度に、その答えにならない誤魔化し。

 それでも、岩永は明るく声を出し、微笑んだ。

 優しく、自分を見た。

 思いやられたのだと、気づいたのは、部屋に戻ってからだった。

 寝台に寝転がって、天井を見上げる。明かりを点けていないから、暗い。

 右手を持ち上げて、薄暗い中でぼんやりと見つめた。

 あの時、彼と触れた指先。

 あの、村崎の記憶の中の光景を思い出し、あれが岩永が起こしたものだと考えた瞬間、触れた彼の指先からすら、恐怖がはい上がってきた。

 身の毛がよだった。

 そんな自分を、心底嫌悪する。

 彼は優しくて、真面目で、あれは力の暴走で、彼の本意では決してないのに。

「…だけど」

 呟いた。一人きりの部屋。

 だから、村崎は彼を拒むのか?

 あんな、恐ろしい力を持つ人間だとわかったから。

 あの光景を思い出したくもないのに、思い出してしまい、岩永と向き合えないのか?

 自分は、待つべきなんだろう。

 白倉のためを思うなら。

 彼に無事、微笑んでいて欲しいなら。

 彼が愛しいなら。

 広い寝台のシーツに手を伸ばす。

 つい、先日、ここで自分の隣で、眠っていた白倉がいた。

 目覚めて、おはようと言った彼がいた。

 好きにならせて欲しいと、言った彼がいた。

 手を伸ばしたくて、抱きしめたくて、構わないから一緒にいたいと叫んでしまいたくても、出来ない。

 そんなのは嫌だ。白倉が傷付くのは、苦しむのは嫌だ。

 それなら、自分が苦しい方がいい。

 瞳から溢れた涙が、頬を伝う。

 シーツに落ちた。

 こんなに好きなのに。だから、なんでも我慢できる。

 大丈夫だ。きっと何年先でも、彼を好きでいられる。待っていられる。

 だから、だから大丈夫だ。

 こんなにも好きだから、ただ傍で見つめるだけでいい。

 大丈夫だ。

「…………………」

 必死に言い聞かせていた。

 不意に、吾妻は目を見開く。

 涙で不明瞭な視界を拭って飛び起きた。

「…」

 ちょっと待て。

 村崎は、あの記憶の中で、逃げもしなかったのに?

 あの恐ろしい光景を前にして、彼は逃げてなかったんだぞ?

 破壊された校舎の傍で、必死に岩永を呼んで、決して目を背けようともしなかった。

 一途に、あの白い閃光を見つめていた。

 その中心にいる、愛しい人を呼んでいた。

 そこに自らの意志で駆け寄ろうとしていたんだ。

 そんな人間が、本当に恐怖だけで岩永から離れるか?

 そんなに愛しいならば、今でも岩永の傍にいてやるんじゃないのか?

 なんだろう。腑に落ちない。

 そうだ。

 おかしい。

 岩永が普通すぎる。

 あんな過去があって、しかも一年前。

 なんらかの異常を精神に来してもおかしくないのに。

 彼は普通に笑っている。村崎を諦めていない。

 村崎の性格はわからないが、岩永の性格はわかる。

 流河の語ったことが全てならば、岩永は本来、村崎と自ら距離を取る。

 村崎が拒むのではなく、岩永の方が逃げるはずだ。

 彼はそういう人間だ。

 自分より、他人の痛みに敏感な。

 なにより、それならば白倉を想う吾妻を応援しない。

 九生のように、遠ざけようとするはずなのに、彼は自分に「よかったな」と言った。

 時波に挑む自分を励ましていた。

 なんだ?

 自分が得た情報には、決定的ななにかが「欠損」している。

 足りない。

 なにが、足りない?




「あ、そういや来週やんか」

 岩永と流河の部屋。戻ってきた流河が、コーヒーを煎れてもらいながら、「なにが?」と聞いた。

「…なにぼけとんの?」

 吾妻やあるまいし、というきょとんとした岩永の顔に、流河は記憶を手繰って、「ああ!」と手を叩いた。

 しまったしまった。さっきまで吾妻と深刻な話をしていた所為で、いろいろ頭から飛んでいた。

「そうだった。そうだよね。

 吾妻クン、男に戻っててよかったね」

「あ、そっか。それがあったもんなぁ」

 そら忘れてまうよな、と岩永。良いように解釈してくれたという風に見えるが、流河は知っている。

 彼はそんな鈍い人間ではない。

 今もきっと、「いつものように」気づかないふりでいい方向に解釈して「見せた」だけだ。

 彼は、変わらない。以前となにも。

 村崎は、それを、本当は知らないのだ。

 岩永の中身が、何一つ変わっていないことを。

「バトル鬼ごっこ。あれサバイバルだよねー」

「やんなー」

 話しているのは、五月の恒例行事だ。

 離れた区域にある巨大施設を利用して、そこで全員が鬼のバトルを行うものだ。

 二人一組で、最後の一組になるまで行う。

 当然、超能力使用許可。その施設は建物全てが戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉と同じ構造で、超能力による怪我は負わない。同じルールで、HPがもうけられ、ゼロになったらリタイアというルール。

 報奨が破格なだけに、皆、殺気立つ。

 なんせ、ランク昇格も夢ではないからだ。

「くじ運に恵まれるといいなあ」

「なに言っとんねんラッキー流河」

 コーヒーを飲みながらしみじみ言うと、すぐさま岩永に突っ込まれた。

「いやいや、正直、あれさ逃げてる最中のパートナーとの会話も楽しいからね?

 乗ってくれない人と当たりたくないわけ」

「若松とか?」

「時波クンもちょっとあれだな…。あの人がおどけるのって白倉クンと九生クンにだけじゃん」

「確かに」

 岩永も自分用に煎れたコーヒーを口に運ぶ。すぐに熱い、と舌を出す。

 猫舌なところも、昔と変わらない。

 バトル鬼ごっこは、五月十八日。

 岩永の暴走は、去年の同月の二十日。

 当たり前のように笑って話す岩永の姿がある。

 それを、村崎は知らない。


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