第三話 青い薔薇は咲かない
先日、流河から事情を聞いていた教師は、吾妻の姿を見てため息を吐いた。
「…まあ、吾妻はしらんかったからな」
と、疲れたように。
流河は内心、自分が教えてしまったんだけど、と思うが言わない。
「…」
教師は額に手を当てて、考え込む。
「まあしゃあないか。
吾妻、白倉、岩永と御園夕。あと流河」
その場に立っている全員が、呼ばれて姿勢を正す。
「全員、吾妻が元に戻るまで、超能力の常時使用許可を出しておく。
特例や」
「いいんですか?」
「非常事態やしな」
白倉の問いに、教師は頷いた。
「幸い、GWやし、その間に戻ればええが」
「元に戻れるんですよね?」
「あいつの作ったもんなら大概は」
教師の言葉に、全員ホッと息を吐く。
吾妻も実は、心配だった。
「その、作った先輩に聞けますか?」
「…」
岩永の言葉に、教師はあからさまに浮かない顔をした。
「………?」
「そいつ、もうとっくに卒業してな。
今、ドイツのNOA支部におるんよ」
「…………ドイツですか」
「まあ、聞いてみるけど」
ただ、直に装置や対象を見ないと解除方法がわからない場合、困る、と言う。
「…あの、でも、確か一年前に似たような被害に遭ったヤツが高等部にいませんでした?」
「ああ。そういやおった」
「そいつに聞いて構いませんかね?」
「ああ、俺からも連絡しとく」
教師は職員室の椅子に深く座って、デスクの上を探す。
その事件の資料がどこかにあるのだろう。
「ええと、そいつの名前は?」
「えー…ああ、そうそう」
教師はデスクの山積みの資料の中から、ある紙を引っ張り出した。
「二年一組所属、
生徒のろくにいない廊下とはいえ、吾妻は目立つ。
白倉たちのように、用事があって訪れた私服の生徒は、何度も吾妻を見て、困惑している。
差詰め、「あれ? 吾妻? でも女だし。あれでも?」みたいな感じだ。
「でもさ、超能力許可されたのは有り難かったね」
流河の言葉に、夕は頷く。
なにかに巻き込まれた時、公に使えるか使えないかでは、安心度がかなり違う。
白倉も、それは安心したらしい。
「流石に女になったら、男に勝てっていうんも無茶だしな」
「そう?」
とぼけた顔をする吾妻に、夕は「男に力で勝てないだろ」ときつく言う。
危機感がない、と。
「じゃ、夕、右手出して。エアー腕相撲」
「は…? まあ、いいけど」
急に言われて、夕は怪訝な顔をしながら足を止める。
差し出された吾妻の左手に、自分の右手を重ねた。
「せぇのっ」
「うわっ!」
一斉に力を込めたが、吾妻の手はあっさり夕の腕をねじ曲げるように折った。
「…あれっ!? 嘘っ! んのっ……あーうそ!」
夕はもがきながら力んで、大声を上げる。
が、自分の手を倒す吾妻の腕は持ち上がらない。
吾妻はにこにこ笑っている。
「……すんません、甘くみとってすんません。降参」
「わかったらいいよ」
手を解放され、夕は赤くなった手の平を見てうわあ、と青ざめる。
「夕クン、力強い方なのにねぇ……怖いなー。
やっぱ、女の子以前に、吾妻クンだぁ……」
流河は戦慄して、自分の腕をさすった。
「せやけど、慎重になるに越したことないと思う。
相手が絶対一人とは限らないもん」
白倉が真剣な表情で言った。
「まあ、そうだけど」
「…吾妻、俺から離れたら駄目だからな?」
吾妻の細い手を掴んで、白倉は見上げて頼む。
そのなめらかな白い肌と、不安に揺れる瞳に、吾妻はきゅん、と胸が鳴った気がする。
「……うん」
「…約束な」
吾妻が頷くと、白倉はホッと息を吐く。
微かに赤い頬。自分より余程可愛らしいと吾妻は思う。
「…白倉が女の子になったらよかったのに」
思わずそう呟いたら、白倉はきょとんとしたあと、おかしそうに笑う。
「駄目だってそれ。
シンデレラの魔法みたいなもんだろ? 解けたらただの灰かぶり。
ほんとに好きな王子様以外の眼には、やっぱりなんも変わらないんだから」
笑う顔が、不意に吾妻の瞳を見つめて、首を傾げた。
「…どうした? なんか、今、」
「え」
「不安そうにしたから、吾妻」
白倉の優しい声に、吾妻はなんでもないと微笑む。
今、胸に刺さった棘が、抜けない。
なんだろう。
痛い。
外出していたその生徒は、片手にペットボトルとアイスの入った袋をぶら下げてNOA施設内に戻ってきた。
艶のある黒髪と、黒い瞳の、まだ幼い少年。
「
丁度出かけるところだった別の少年が、寮から出てきたところで彼を見つけて、瞳を和らげた。
彼は少し緊張した面もちで、近寄る。
「化野先輩? どっか行くんすか?」
土岐也と呼ばれた少年は、その穏やかな微笑を浮かべた紫暗の髪に緋色の双眸の美貌の相手を「
化野はにこりと笑う。
「若松と
土岐也も先に行かないで、待っていたらなにかおごってあげたのに」
「あ、でもいいっす。なんか肩懲りそうな取り合わせ」
「へぇ」
優しげに紡がれた声が微妙に低かった気がして、二年一組所属の赤目土岐也は冷や汗が流れた気がする。
「…すんません。言葉のアヤっす。
化野先輩と同行させていただけるなんてもったいなくて」
「あはは、棒読みだよ。
でも、心意気は買う。ありがとね」
化野は爽やかに笑い、赤目の頭を撫でた。
「ああ、そういえば、俺と同じ組の白倉が探していたな」
「俺を?
そりゃまあ白倉さんは有名だから知ってますけど」
赤目は自分を指さし、怪訝な顔をする。
「ほら、土岐也。去年開かずの間に入って大変だったでしょ?
それを聞きたいんだって」
「へー……」
校舎の方をふと見ると、五人の生徒がこちらに向かって歩いてくる姿が見えた。
みんな長身の美男子ばかりの中、一人だけが美女だ。
「白倉さん、すよね?」
「うん。丁度よかったね」
あの王子様のような、高潔さのある美貌はすぐに見分けがつく。
化野が手招くと、彼らは顔を見合わせ、安心したように駆け寄ってきた。
「化野クン。こんにちは」
「こんにちは。土岐也に用事だろ?」
「うん」
化野に挨拶をしてから、白倉は赤目に向き直って微笑む。
「こんにちは。赤目クン。
三年の白倉だ。ちょっといいかな?」
「はい、かまわないっすよ」
赤目は会釈したあと、軽く頷いた。
「キミ、去年、開かずの間に入ってなんか被害に遭ったって聞いたから」
覚えてる?とあくまで落ち着いた声に問われて、赤目は「はい」と答える。
「俺、なんか子供になったらしくて。
そこらへん曖昧なんすけど…」
「どうやって元に戻ったん?」
「え、なんだったっけ……」
赤目は腕を組んで考え込む。
「しゃっくりと同じ療法だっただろ?
作った本人にも聞いたし」
「あ、そうだ」
化野のアドだよスに赤目は手を叩く。
白倉達は「しゃっくり?」と呟き、顔を互いに見合わせた。よくわからない。
「なんか、ものすっごく驚くことっていうか、精神に衝撃を与えるといいらしいんすよ。
俺、先輩たちにえらい眼に遭わされた!」
「あくまで土岐也のケースだけど」
どうだろう?と化野に伺われ、白倉は笑った。
「充分参考になった。ありがとう」
礼を述べると、赤目は明るく微笑んだ。よかった、という風に。
「…ところで、珍しいっすね」
視線を動かし、赤目は言う。その瞳は吾妻を見上げていた。
「白倉さんたちが女の人連れてるなんて」
「…あー」
「まあ、すげー美人だし、いいけど」
普段、女と一緒に歩くことなどないメンバーだったので、赤目は多少意外に思ったのだろう。吾妻と面識がないからだ。
流河個人なら、女好きだから納得するが。
「こいつな、」
どうせばれるし、と夕が説明しようとすると、化野が笑った。
「土岐也。違うよ。そういう話を聴きに来たってことは、その人が今回の被害者なんだろ」
「……え」
赤目はじっと吾妻を見上げて、ああ、と納得する。
「じゃ、男か。
なーんだ」
その「なーんだ」がすごく残念そうで、吾妻は引っかかる。
赤目の額を押さえて自分の背後でおとなしくさせてから、化野は吾妻と白倉を見た。
「他意はないんだよ。
ごめんね」
「…どういう意味?」
「え? ううん?
…えっと、もし誰かに好きになってもらっても、元の姿に戻った時、手の平返されそうじゃない。
それだけ」
化野はやけに意味深に、なにかを深く読んだように笑う。
吾妻の胸中を見透かしたように。白倉のことを好きなのは、知っているはずだけど。
遠回しに言われた。
白倉にもし好きになってもらっても、元の姿に戻ったら意味ないかもね、と。
胸に刺さる。
棘が、柔らかい部分を、裂く。痛む。
飲み下せない感触に、吾妻は眉を寄せた。
吾妻の部屋に戻ると、吾妻が浮かない顔をしている。
残ったのは白倉だけで、皆自室に帰った。
「…どうした?」
「…」
寝台に座って黙っている吾妻を見下ろす。
やっぱり、女の身体は不安なんだろうか。
そう思った白倉は、不意にどきりとした。
吾妻が切なそうに、自分を見上げたからだ。
「万一、」
「うん」
「…僕に勃つって言ったでしょ?
…抱いて、だけど、元に戻ったら、白倉は…」
戸惑う白倉に、万一、もしもの話だ、と繰り返した。
白倉は微かに頬を赤らめながら、躊躇いがちに口にする。
「ん……でも、それはお前が女だから欲情するわけだし。
男に戻ったら、思い出しはしても、襲ったりしないから」
安心して、と控えめに笑った。
「………」
喉が乾いている気がする。胸が塞がったような。あのキスを問いつめた時と、同じ気持ち。
「……想い出に出来るの?」
「…できるできないもなにも、するんだよ。
そうだろ?
俺はお前を、友人だと思ってる。
身体が反応するのは、お前が女で、たまたま好みだったってだけ。
ほんとのお前を、否定する気ない」
女のお前は、初めからいないんだから。
戻ったら、想い出にして、忘れて。
そう語る白倉にやましさはなく。
棘の正体を知る。
「…そ」
としか言えなかった。一文字以上話したら、絶対声が震えてるのばれるし、それでこっち見てもらっても嬉しくないし、それで本気で欲情されてしまったら本気で自分は泣く。大泣きすると断言してもいい。
昨日まで、抱かれてもいいとか思っていた自分がわからない。
馬鹿だろう。
だって、男の自分にはあんなに困って、嫌がっていたのに。
女になったら、抱きたいくらいは思うなんて。
男に戻ったら、やっぱりなにも意味がないなんて。
好意一つ、残らないなら。
寂しすぎる。
五月五日。
頭の上で鳴るアラームで目を覚ました。
鳥の鳴き声が聞こえる。
アラームをセットした記憶はない。
部屋にはアラームが予め置かれていたが、吾妻はそれに頼ったことはなかった。
横を向く。
自分の隣。
自分の腕を枕に、寝息を立てている白倉の眠る顔が目に入った。
彼がセットしたのだろう。その割りにまだ寝ている。
自分が意地でも抱き込んで寝ようとするものだから、白倉は最後には眠気でどうでもよくなったらしく、おとなしく収まっていた。
今の体格では、白倉の方が肩幅があり、腕も太いが抱きしめるくらいなら、自分の手は背中に回る。両手を白倉の背中で繋げるくらいには、腕も長い。
そっと、白倉の下から手を引き抜いた。
寂しい。
堪えられない寂寥がある。
「……ん」
白倉がアラームに顔を歪めて、うるさそうにした。
吾妻の手がアラームを止めると、一瞬頬が緩む。眠そうに。
それでも一度覚醒したあと、再び寝る習慣がないのか、白倉は眠そうに目を擦りながら起きあがった。
「…あ、おはよう」
すごく眠いのか、吾妻を見ても昨日のように赤面しない。
彼が寝ぼけていてよかった。
そんなあどけない白倉の姿に、自分の顔が赤くなる。
でも、むなしいのだ。
「…白倉、今日、暇?」
「うん? うん」
GWだし。と答える声。
起き抜けでまだ力の入らない手を掴んで、噛みつくようにその唇を奪った。
白倉は目を見開いて、ただキスを享受する。
数秒後、ゆっくり身体を離して、手を解放する。
「…なあ、」
白倉ははっきりした声で、どこかぼんやりした視線で、真っ直ぐ吾妻を見上げる。
「すごくしんどそう。
……お前、ほんとに、…しんどくない?」
白い手が頬に伸びて、自分の濃い色の皮膚を撫でる。
「……」
「吾妻?」
「…出かけよ。どっか」
「……うん」
少しだけ、不安そうに自分を見た。
そして、白倉はいつものように笑った。
いつもの、自分を「しょうがないな」って、許す。いつもの顔で。
白いチノパンとシャツを着て、部屋を出ると、丁度起きてきた岩永が吾妻の格好を軽く見て、「これかけたら?」とサングラスを顔にかけて行った。
今から朝食だと言う。
遅れて部屋から出てきた白倉は、吾妻の顔のサングラスを見て、びっくりした。
「…なんか、迫力あるなあ、お前」
しみじみそう言った。
「女より支度遅い男ってのもどうかな」
「は?
お前はなんちゃって女だろ。
普通の女はもっと化粧とか服選びとか時間かかるんだよ。ソレの前には充分間に合う」
笑って語る白倉の顔から、視線を逸らした。
「経験済み? 案外?」
「は?」
「童貞じゃなかったりして」
廊下を歩き出しながら、吾妻は笑った。自嘲だ。
背後を追う白倉には、その顔は見えない。
歩幅はほとんど同じで、白倉を置き去りにすることはない。
白倉はスピードを速めれば追いつくだろう。彼はそうしない。
「…そもそも、童貞だったとして、お前、もらう気ないだろ」
素っ気なく背後で吐かれた言葉に、吾妻はびっくりして振り返った。
サングラス越しで吾妻の瞳は白倉には見えない。
彼は不思議そうに首を傾げた。ただ、なんでいきなり足を止めたんだろう、と。
街を歩く。
ナンパには清々しいほど遭わなかった。
なんせ、吾妻も女として破格に美女だが、一緒に歩く白倉も破格の美男だ。
釣り合いが素晴らしくとれた美男美女カップルにしか映らない。
白倉に眼を惹かれた女性は吾妻と張り合う自信がなく、吾妻に眼を惹かれた男は白倉に張り合える自信がない。
だから、呼び止められることなく街を歩けた。
自分が男のままだったら、絶対違っただろう。
思って、吾妻はしゃがみ込む。
全国にチェーンのあるコーヒーショップ店内。
白倉はまだメニューを見ている。
急にカウンターの前付近でしゃがみこんだ吾妻に、周囲の客がいぶかしんだ。
「吾妻。席行こう?」
不意に眼前に白倉がしゃがみこんで来た。吾妻は露骨に驚く。
サングラスで眼が隠れていても、全身でびっくりした場合は白倉にもわかる。
どないした?と笑われた。
その手には、二つコーヒーが乗ったトレイ。
「俺の奢りな」
「……」
ソファに座って、吾妻はじっと白倉を見つめる。
「いやだった?」
「女だから?」
「…」
自分に奢るなんて気遣いは、女だからかと勘ぐる。
昨日まで嬉しかった。昨日までなら手放しに喜んだ。
だってもうダメだ。
女としていくら意識されたって、彼の心にはなにも残せていない。
自分を好きになって欲しいなら、男のままで意識されなきゃ、意味がない。
元に戻った後、「女の自分が好きだから」なんて万一言われたら死にそうだ。
「お前、まだこの街知らないじゃん。
案内。
普通、男でもおごるだろ?」
こういう場合は、と優しい口調。
ホッと、肩の力が抜ける。
手を伸ばして、コーヒーのカップを取った。
「お前、ブラックいける?」
「うん」
「仲間だ。嵐もいけるけど、あいつ普段果実ジュースばっかやねん」
「…ふうん」
話題にちらつく名前にすら嫉妬する。
自分も嫌いじゃない相手だから、まだマシな方だ。
「白倉、」
「ん?」
駅ビルの三階にあるショップだ。窓際の席。下の街の様子が全面ガラスの窓から見える。
「キスの理由、今なら話せる?」
コーヒーを含みながら聞いて、失敗した。
言葉が不明瞭になった。
白倉はなにを言われたのかわからない顔。
「…」
「言えない? 聞こえなかった?」
早口で問う。白倉は片手を上げて、吾妻を制止した。
「…それは、言わないと駄目か?」
今更なことを、彼は言いだした。
吾妻は瞳をつり上げる。
サングラスで、彼には見えない。
「どうして? なら、そもそもしなかったらよかった話だよ」
「…」
「ひどいね。白倉」
強い口調で罵る。美男美女の目立つ取り合わせだから、周囲の客が視線を寄越して「ケンカ?」という顔をする。
白倉は顔を伏せ、躊躇いがちに言葉を紡ぐ。
「……話そう思った。だけど、やっぱ」
「僕には言えない?」
「…まだ」
白倉は微かに頷き、そう付け足した。
以前なら「まだ」というなら「いつか」は、と希望を持っただろう。
「……っ」
詰る声が、喉に詰まる。声が出ない。言葉が浮かばない。
リフレインする、流河の言葉。
『白倉クンにもよっぽどの事情があったんだよ。
キミにまだ話せない、大事ななにかが。
言ったでしょ? 彼らは過去に多々ありすぎで、それを一朝一夕でわかりあえないし、普通話せないんだ。
事情があって、そのためにキミにあんなことをして、でも、それはまだキミには言えなくて。
白倉クンも苦しんでる。多分ね』
だったら、無理矢理聞けない。
そんな言い方されたら、彼を好きな自分は、それを無視できない。
「吾妻……」
白倉の驚いた声が聞こえる。サングラスでも隠せない。
吾妻の頬を伝うのは涙だ。
「ごめん」
「…なにが?」
謝ると、白倉がやけに焦ってそう問う。
「好きになった」
「…。」
答えると、彼は絶句した。
凍り付いて、包帯を巻いた手を微かに震わせ、それを右手で押さえた。
「…出ようか。ここでする話じゃない」
白倉は抑揚のない声でそう言い、コーヒーには目もくれずに、立ち上がって吾妻の手を掴んだ。
前を黙って歩く白倉の背を、妙に大きく感じた。
自分の手を引っ張る手。いつもは、自分より小さな手。
「…お前も、俺に黙ってることあるだろ」
足を止めないまま、白倉は言う。
まだ明るい空。人気もまばらな街の外れ。
海が見えた。公園だ。
「…それを、すぐに俺に言えるのか?」
吾妻は鼻をすすって、白倉の手を握り返す。
白倉の指が微かに震える。
「一番仲よかった友だちのこと話したでしょ」
「そんなん…」
白倉は咄嗟に振り返り、反論しようとして、サングラスを外した吾妻の真剣な眼差しに戸惑う。
「そいつが、力の制御が効かなくて、僕の目に怪我負わせた。
だから、そいつとは連絡とってない。そのあと、NOAに誘われた」
白倉が息を呑む。どうして。そんな感情がありありと出た不安定な白い顔。
「…白倉に好きになってもらえるなら。それなら、手札はなんでも見せる。
なんでも使うよ。女の身体でもなんでも。
そうしないと、あんたはいつまで経っても僕を意識しない!」
「……あ」
白倉の喉から出た掠れた声。戸惑って、混乱して、吾妻を信じられないものを見るような眼で見ている。
手を伸ばして抱きしめた。身を固くした白倉の背中を抱いて、押しつけるように唇にキスをした。
今の自分よりは少し硬いような、それでも充分艶やかで柔らかい唇。
「…恋愛ゲームはやったことないけど」
唇を離し、間近で微笑んだ吾妻は、白倉が初めて見る、あまりに頼りなく心細い表情だった。
「決まってたらいいのにね。
何回キスしたらとか、何回話しかけたら、自分のこと好きになってくれるって、決まってたら……」
震えた声。あまりにか細くて、徐々に聞こえなくなっていく。
「でもな、お前はそれ、楽しい?」
「楽しいとかそうじじゃないとか、僕には関係ない。
あんたが好きで、あんたしか見えない。…ほら、あんたは困ってる」
心を読む力が吾妻にはある。
白倉は泣くその顔を間近で見つめて、不意に、ふ、と優しく微笑んだ。
「…その能力、お前が思うほど有能じゃないぞ。鍛え直せ」
不敵な言葉。どこか挑発的な表情。
吾妻は虚を突かれて、なにも言えない。
白倉はその手を掴み、浅黒い顎を手で捉えて、顔を近づける。
ここ数日で、何度もキスされた。
でも、自分からしたのは、この一回がすべてだ。
ただ押しつけるだけの、子供じみたキス。
吾妻の癖の強い髪を、左手で掴むように撫でる。
吾妻は目を見開いて、呆然と享受する。
唇を離して、白倉は妖艶に微笑む。
「今度は、マジ。
…俺の意志で、お前にキスした」
「…しら」
掠れた声が発される唇。それを今まで自分が塞いでいたかと思うと、どこか胸がすっとする。
「よう聞いとけ吾妻」
ふと真剣な表情になって、白倉は吾妻の髪に当てていた手を離す。
「“いつか”絶対話してやる。俺の過去も、あのキスの理由も。
お前だけには、“いつか”絶対話してやる。
…いつかで悪いけど、必ず約束する。お前に、嘘はつかん」
そして、白倉は大輪の花が綻ぶように、頬を染めて笑う。
「今は“LIKE”でごめんな。
でも、お前のこと、めっちゃ……大好き」
白倉の笑う、綺麗な綺麗な顔が、ぼやけて見えなくなる。
涙が覆い隠していく。
拭いたいのに、嗚咽になって喉からもなにか溢れる。
泣きじゃくる吾妻を、白倉の身体がそっと抱きしめた。
気づくと、白倉の身体は吾妻より確実に小さくて、吾妻の目線は遥か高くて。
『なんか、ものすっごく驚くことっていうか、精神に衝撃を与えるといいらしいんすよ』
自分が男に戻ったことを、ぼんやり自覚した。
「…白倉」
彼を呼ぶ声は、いつもどおり低く。
「…大好き」
吐く言葉は、いつもどおり、答えがない。
でも、いつもより、落ち着いた気持ちで、それを伝えられた。
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