第三話 自己紹介

「結局行ったらしいな」

 時波の言葉に、「らしいなあ」と暢気な声が返事をした。

 NOA高等部寮、最上階の一室。

 その部屋の主は浴室にいる。

 曇りガラスの壁の中に湯船の置かれた、不透明な浴室。

 その外側のガラスの壁にもたれて、時波は腕を組む。

「ま、所詮新参者やけん、まだまだここの常識に疎いぜよ」

 浴室の壁に面した部屋は脱衣所を兼ねて、ソファやマッサージ機具が置いてある。

 マッサージチェアの一つに腰掛けて、九生は片手に何かの携帯ゲーム機を持っている。

 さっき、「あ、負けた」という呟きが聞こえたので、ゲームで負けたから会話に参加してきたらしい。

「型破りに見えたけん、実際は流儀ルールに従う有り触れたヤツってことじゃろ」

「そうとも限らないと思うが」

「ん?」

 時波は腕を組んだまま、若干遠い目をする。浴室から響く、シャワーの音。

「あれは、ルールに従うタイプではなく、白倉の言葉を鵜呑みにするタイプだろうな。

 白倉は自分に嘘を吐かないというか、好きだから言葉を額面から信じるというか…」

「あー、そっちか…」

 九生も、「確かに」と納得する。

「それに臨機応変さは備わっていると思う。だから、状況を処理しきってしまえば、怖いだろう」

「…やっかいな獲物に手を出したの、あいつ」

「白倉以外に加減はしないだろうしな。あいつのランクでは本来手に負えない」

 時波も九生も、吾妻に送られた果たし状の「送り主」を知っているそぶりの口調だ。

 浴室の人物は、これといった反応を見せない。彼も知っているからだ。

「割とNOAは無法地帯やけん、荒事も歓迎したいとこじゃが、吾妻レベルは遠慮被りたいの」

「向かってきたら全力で迎え撃つつもりな癖に」

「お前さんもじゃろ」

 軽口の応酬をする二人の意識が余所に動いた。浴室の扉が開いた音がしたからだ。

「まあ、俺と吾妻が週番なのもあるだろう。

 相手が戦える状況下以外では、ケンカを売らないのは暗黙の了解だ」

 浴室からタオルを肩に掛け、濡れた髪で、上半身裸、下半身にショートパンツを身につけただけの白倉が顔を覗かせた。

 ここは白倉の部屋だ。

「そうそうそこじゃ。

 俺らが危惧しとんのは、お前さんが巻き込まれないかっちゅうことじゃ」

「それ以外は吾妻がどうなろうが知ったことではないしな」

「…お前ら………」

 白倉は微かに呆れて、息を吐く。

「でも、実際になにか吾妻に起きたら、なんだかんだで助けてやるんじゃないの?」

「は?」

「特に九生は」

 軽い意地悪を含んだ笑みを向けられ、九生は「なんで俺」という顔をする。

「えー? 案外気に入ったように見えたけどなー。吾妻のことー」

「俺もそう思う」

「時波まで…ひどいぜよ」

 二人に楽しそうに(時波は無表情に)冷やかされ、九生は困ったように頭を掻く。

「そこそこ気に入ったってだけじゃ。そんな擁護してやるほどじゃねぇな」

「入れ知恵とか」

「そんくらいなら、気が向いたらしてやるかもしれん」

 九生は最終的には笑って認める。この三人のみの時は、お互い隠すことがない。

「岩永達は静観する気なんだろう?」

「多分な。聞いて確認したわけじゃない」

 時波の質問に、白倉が答える。

「ただ、夕はともかく、嵐は面白がってる気がする」

「あいつはな」

「じゃ、気が向いたら教えてやるか」

 九生はマッサージチェアの手すりに手を突いて立ち上がり、ゲーム機の電源を切る。

「自分で気づきそうな気もするが?」

 時波は他人事として呟く。

「勘は聡いみたいだしなぁ……。

 気づくんじゃない?」

「NOAの『超能力使用禁止』はあくまで定型校則で、決定的瞬間を教師に見破られなければ使用も可。だましも可。

 それを教師も知ってて、そのうえで見つからないように裏をかけ、ってのが本当の校則って話はな」

 九生はゲーム機をマッサージチェアの上に置き、両手を頭の上で組んで、背伸びをした。眠そうに。




 翌日、昼休みに図書室を訪れた吾妻は、角の席に見知った姿を発見して近寄った。

「岩永」

 傍に立って呼ぶと、気づかなかったのだろう。岩永が顔を上げた。

 テーブルの上には数冊の本と、ノートにペンケース。宿題だろうか。

 一組には特に宿題は出ていないが。

 その顔に違和感を覚えた。

「吾妻」

 自分を見上げた岩永の顔には、見慣れない眼鏡。

「どないしたん? 珍しい」

「…いや、ちょっと人捜し?」

「はあ」

 吾妻は適当に答えると、岩永の前に積まれた本を手に取る。

「宿題なんか出てた?」

 本の表紙を見るが、すぐにわからなかった。

 日本語じゃない本だ。

「…イタリア語?」

「うん」

「読めるの?」

「完全やないよ。やから書取で勉強中」

「へ――――………」

 感心を通り越し、ちょっと引いた。そんなの高校生が身につけてどうする。

「NOAは海外にも支部があるからな。将来の職、考えたらやっぱこの力使うた仕事がええし」

「…ふうん」

 それを聞けば、少しは納得できる。岩永は真面目で堅実な性格だというのは吾妻もわかってきた。

「ていうか目、悪かったんだ」

「うん。普段コンタクト。今さっき、トレーニングルームにおって、落としてしもたから」

「ああ」

 そういえば、岩永に聞きたいことがあったような。

 なんだったか。

「そういや、吾妻、結局行ったんやな」

「へ?」

「礼拝堂」

「……」

 不意打ちで指摘され、吾妻は思考が一瞬混乱した。

 すぐ静まったが、おかげで今考えていた「聞きたいこと」が完全にわからなくなる。

「ああ、だけど、ああそうだ…」

 吾妻は鞄からハサミを取りだして、テーブルに置いて見せる。

「これ、呼び出したヤツが」

「これは、購買で売っとるヤツやな。

 それだけやとなんの証拠にもならんやろ。顔は?」

「見てない」

 岩永は「ふーん」と呟く。目が疲れたのか眼鏡を外した。

「ハサミ?」

 背後から急に声がして、吾妻はびっくりする。

 背後から覗き込んでいるのは、あの夕の従兄弟だった。

「ああ、御園」

 岩永が眼鏡をかけ直さないまま挨拶する。

「よう。なにしとん? 勉強か」

 岩永とは付き合いが深いらしく、優衣という男はすぐにそこまで理解した。

 それから、自分から距離を取った吾妻を見て、傷付いた顔をする。

「ひどいなあ、そこまでびびらんかて」

「お前、あんま人のこと言えへんけどな」

「俺は胡散臭いだけや」

「えばることか?」

 岩永と優衣の馴染んだやりとりに、吾妻は「そんな悪いヤツじゃないかも」と思い、少し近寄った。

 少なくとも、岩永は信用しているみたいだし。

「…そのハサミ、」

 不意に優衣がテーブル上のハサミを見て微かに目を見張った。

「ああ、吾妻が、昨日礼拝堂で会ったやつの落とし物とか」

「…あー、あの果たし状」

 いかにも、「そんなんあったな」と頷く動作。

 しかし、それに僅かに「虚偽」が混ざったような感触を受けた。

「これ、あんた知ってるの?」

「は? いや、購買のハサミやろ?」

 唐突に問われて、優衣はびっくり顔だ。

 優衣の心を探ろうと力を使うが、彼の心に礼拝堂の映像は出てこない。

 その場に結びつきの強いアイテムが出てくれば、心に浮かんでくる可能性が高いが、優衣の心に浮かぶのは今いる図書室の映像と、購買の映像だ。

「…なんでもない」

「そうか? ならええけど」

 なんだか知らないが張りつめた空気の吾妻と対面して、優衣は少し気が張ってしまったのか、気を抜くような声を出した。

 その一瞬、優衣の心に浮かんだ映像が引っかかった気がしたが、優衣に伸ばした力を引っ込めたところだったので、完全な形になる前に見えなくなってしまった。

 心を読む力は、電波と端末に近い。

 読もうと思った相手の精神が「電波」で、それを受け取る「端末」が自分だ。

 完全に「端末」に読み込む前に通信を遮断してしまえば、わからなくなる。

 丁度そんな感じだった。

 今、もう一度読もうと力を使っても無理だろう。

「…そういえば、御園はなんでここ……」

 岩永がこの空気を緩和しようと口にした時、高い棚の並ぶ方で声がした。

 横に何列も並んだ棚の一つが傾いだところだった。誰かが派手にぶつかったかしたのだろう。

「岩永、これ貸して!」

「どうぞ」

 そのままドミノ倒しになりそうな状態。優衣は視線をそちらに向けたまま、岩永のペンケースからボールペンとシャーペンを一本ずつ拾うと、傾いだ棚の足下に投げつけた。

 それだけで、倒れる寸前の棚が止まった。

 映像の一時停止のように、傾いた状態で静止した。

 棚から落下途中の本も、空中で静止している。

 視線で追うと、ボールペンとシャーペンは、棚の影の上に突き刺さったように立っていた。支えもなく。

 床に突き刺さってもいないのに。

「お見事」

 岩永がぱちぱちと拍手する。

「いや、向こうの端っこの本がいくつか落ちた」

 完全には間に合わなかったか、と優衣は呟く。

 人がいなかったのが幸いだ、と。

「ところで、なにそこぼーっとしとんの?」

「は?」

 優衣に唐突に話を振られ、吾妻は驚いた。

「お前、週番やろ?」

「そうだけど…」

「なら、これの報告。職員室」

「え」

「そういうんも、週番の仕事やで?」

 ガンバレや、と優衣は笑顔で手を振る。白倉はいない。

 吾妻はため息を吐いて、歩き出した。背中に、

「あ、俺が力使うたけど『防衛措置』ってちゃんと伝達してな!」

「はいはい……」

 吾妻は投げやりに答える。

 遠ざかる背中を見送って、優衣は岩永と顔を見合わせて笑った。

「あ……」

 優衣は、岩永の手元にあるペンケースの中から、紙に包まれたなにかを見つけて目を瞑った。

「まだ持っとったんや」

「…諦め悪くて」

 優衣の言葉に、岩永は切なそうな笑みを浮かべた。

 その白い紙の中身は、変哲のない、お守りだ。




 報告を終えて職員室から出て、吾妻は廊下を歩く。

 考えるのは昨日のこと。

 優衣。彼だと思うのは早計すぎる。

 訛がないのは、どうとでも出来るし、シルエットで掴んだ体格と近い気もする、が。

 大体、超能力が違う。

 彼が扱っていたのは「影」を操る力のようだし、あのハサミを床に埋め込んだ力とは違う。

 が、自分みたいに二つ持っているヤツもいるはずだし。

 思考が迷路になってきた。

「ねえ、そっち、立入禁止区域だよ?」

 考え事をしたままずんずん歩いていたら、急に背後から呼ばれた。

 吾妻はハッとして、周囲を見回す。

 目の前には「立入禁止区域」の立て看板。そこを通り過ぎるところだった。

 薄暗い廊下だ。職員室から随分歩いてきてしまったらしい。

 さっきの声は、と背後を振り返ると、開いた窓枠に腰掛けている男を見つけた。

「よかった。声が聞こえてないのかと思っちゃった」

 にっこり、と気安い笑顔を向ける明るすぎる髪色の男だ。

 橙色、と言ったらいいのか。ペンキを塗りたくったような、明るいそんな色の短い髪。

 軽い感じの声。片手に何か持っているが、吾妻の位置からではよく見えない。

「ごめん。助かった」

「いえいえ気にしないで。

 キミ、転校生の吾妻クンでしょう?

 知らなかったんだよね」

 都合良く解釈してくれる男に、内心「なんも見えてなかっただけだけど」と答えた。

 口にはしない。

「ああ、ありがとう」

「いーえ」

 男はにこにこ笑って、窓枠から降りた。

 片手に持っていたのは、扇子だ。紙と木で出来た妙な柄の扇子。

「僕、本当に有名だね」

「うん。白倉クンのおかげで」

 やっぱり。

「ああ、でも、昨日勝負挑まれたんでしょ? それも噂広まってるよ」

 少し、心臓がざわついたが、そう、とだけ答えた。

 それも、普通知っていておかしくない情報だ。

 その場にいなくても、男の言うとおり噂は簡単に広まる。

「俺も出来たら、戦ってみたいな。まあ、先生たちの采配次第だけど」

「…あんた、何ランク?」

「俺? Aランク」

 吾妻の問いを全く気にせず、男は答える。

 あの男と同じランクだが、この学園内で一番人数の多いランクはAランクだ。

 これだけでは決められない。

「発火能力だって? いいなあ。派手だね」

「あんたは?」

「それは教えられません」

 吾妻は内心「だろうな」と思う。

 普通、教えない。

「あ、でもね、なにか条件付きなら教えてもいいよ」

 その発言に、吾妻の眉が動いた。

 昨日の男の発言と少しだけ重なる。気にしすぎか?

「吾妻クンの――――」

 吾妻は身構えて、男を睨み付けた。

「…好きな女の子のタイプ、ってどんなの?」

 なんで睨まれているのかわからない困惑顔で、彼はそう質問した。

 吾妻は脱力する。

「あ、ごめん。なんか違う質問期待してたの?」

「…べつに」

 あからさまにがっくし来た吾妻を見て、彼は少し気にした様子だ。

 遠くでチャイムの音がした。予鈴だろうが、急がないと五時間目が始まる。

「あー、タイムリミットだ」

「…あんたも早く戻ったら? えーと」

 Aランクは、上位組が一組。下位組が二組だ。彼はどっちだろう。

「あ、そうそう忘れてた。

 俺は流河理人りゅうがりひと。三年一組所属。Aランク最上位。

 よろしくね」

 吾妻の質問の内容を勘違いしたのだろうが、あるいみ正しいことを彼は答えた。

 扇子を開いて、にっこり微笑む。

 扇子の柄は、富士山と鷹と茄子。

「……覚えとく」

「うん、よろしくねー♪」

 扇子でぱたぱた扇ぎながら、とても上機嫌に彼は吾妻を見上げ、笑った。

 さっさと背中を向けて、教室に向かう彼を眺めながら、吾妻も歩き出す。

 ちゃんと参加しないと、白倉に迷惑がかかる。

 不意に、吾妻はすっかり遠くなって、豆粒みたいな流河の背中を見遣った。

「…………?」

 彼は噂で聞いたと言った。そして同じクラス。

 なら、真っ先に話題になるのは「白倉にプロポーズ」×2だ。

 なのに、自分に「好みの女の子」と聞くか……?

「……あれは、」

 本当に聞きたかったことなのか?

 あるいは、あの一瞬で、「質問」を差し替えたのか?


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