第二話 第一回戦闘試験

 四月七日。新学期が始まって第一回の戦闘試験の日が訪れた。

 対戦カードは朝、生徒達の登校前に三階の廊下に張り出される。

 その日ばかりは遅刻者はまず出ない。

 みんな、朝早くからそれを見るために登校するからだ。

「うわー毎度のことながら人混みすごっ!」

「ほんとにな」

 朝八時に登校してきた岩永と夕は、この日の中では遅いほうに入る。

 彼らがのんびり登校する理由の多くは、「大抵の相手ならば勝てる」実力者だからだ。

 廊下一帯の人だかり。夕と岩永は長身の部類だから、遠くからでも見える。

「…御園、御園夕……」

「夕、お前の名前、そこにあるで」

「え? あ、ほんとだ」

 自分の名前を呟きながら探す夕の視線を、岩永が指で促し、紙の一番端の方を示す。

 夕の名前はそこにあった。

「……うそ――――!? マジでか!」

 夕の絶叫に、紙ばかりを見ていた生徒達も振り返る。

「声でか…」

 傍にいた岩永がうるさい、という表情で耳を押さえた。

 夕の声は、嬉しい悲鳴ではない。

「お気の毒」

 岩永の呟きを拾って、夕は彼をどつく。それから自分に注目した生徒達に笑って「ごめんな」と謝る。

 夕はその人柄とランクで有名人だ。みんな、ああ、夕か、と納得してすぐ視線を戻す。

「勝ち目ないやろお前ー」

「うっさい」

 にやにや笑う岩永に返す声もあまり覇気がない。

 それもそのはず。

 夕の相手はSランクの九生。まず、勝ち目がない相手だ。

「お前と当たりたかったー!」

「お前、ここ最近、打倒俺やもんな」

「うん」

 夕はここ数カ月、岩永に勝つことを目標としている。

 Aランク二位の夕としては、最上位の岩永を目標とするのは妥当だ。流石に、Sランクから揺らがない相手は、無理だ。

「…そういう嵐は誰…」

「俺の相手はAランクの四位やな…」

 名前一応覚えてる、と岩永が言えば、夕はがっくり項垂れた。

「夕、嵐、どう?」

「あ、白倉」

 そこに白倉が合流した。彼はSランクなので、岩永たち以上に暢気だ。

 白倉と一緒に九生もいた。夕の顔が自然険しくなる。

「お? 御園、なんじゃその面」

 もちろん、今来たばかりの九生は自分の相手が夕に決まったなんて知らない。

 無邪気な笑顔を見せる。

「白髪ヒヨコめ」

「ピヨ?」

 夕の発した言葉に、「?」を浮かべる九生の肩を叩いて、岩永が指で紙を示す。

 自分の名前を見つけた九生が、「ああ」と納得の声をあげて、とびきりの微笑みを夕に向ける。

「任せときんしゃい。可愛がってやるぜよ♪」

「あああめっちゃいい笑顔…」

「ああ、夕は九生とか…」

 九生と夕のやりとりを眺めながら、白倉はのんびり言う。

「あれ? 白倉、あいつは?」

 岩永が吾妻は?と聞く。あいつのことだから、白倉の傍につかず離れずっぽいのに、と。

「しらん」

「週番やろ? 一緒にいないと駄目やん」

 白倉は一貫して知らない、と答える。案外、寝坊していたりするのか?

「その吾妻は対戦なしじゃな」

 九生の言葉に、白倉も紙を見遣る。

 確かに吾妻の名前はない。転校後初だから、今回は様子見か。

「白倉の名前もないな」

「ほんとだ」

「ま、Sランクになると試合数がぐんと減るけんの」

 なにしろ、Sランク自体数が少ないから、試合も少ない、と九生は腰に手を当てる。

「ああ、そうじゃな」

「九生?」

「そいつ、多分しらんのじゃろ?

 戦闘試験のやり方」

 唐突な九生の言葉に、白倉は意味を察してなるほど、と頷いた。

 吾妻に『戦闘試験』がどんなものか理解させるために、今回はナシということか。




 二時間目の休み時間から、緊張感と期待感、不安感が教室に満ちてくる。

 戦闘試験は四時間目だ。

「ちゅうか、吾妻がおらんぞ?」

 白倉の隣の席に座って、九生は白倉と岩永に話しかけた。

 彼の席は本来、一番後ろの窓際。

 白倉の席は、廊下側の一番後ろだ。

「来ないな…」

「まさかとは思ったけど、マジに遅刻か。どんだけ図太いんだあいつ…」

 白倉の傍に固まっているのは九生、岩永、夕の三人だ。

 全員、「マジか」という呆れ顔。

「戦闘試験の対戦カード、ずっと貼られとらんのになぁ…」

「な」

 対戦カードは一時間目終了の休み時間に撤去されてしまう。

 つまり、まともに見るチャンスは朝のHR前だけだ。

 遅刻防止策らしいとは聞いたことがある。

「俺、今眠いんやけど…」

 岩永がのんびり欠伸をした。彼は今回、下位ランクが相手なので暢気だ。

 夕は上位ランク相手だが、かといって後込みもしないし、過剰に不安定にもならない。

 精神面がよく出来ている人間だ、と評される。

「夜更かししたん?」

「してない。あ、したかも」

「どっち」

「布団の中でうつらうつらしながら考え事してたから眠りが浅くて」

「ああ…なにを?」

 なにをそんななるまで考えたん。と夕に突っ込まれて、岩永は適当に濁す。

 タイミングを計ったように、廊下から靴音が響いてきた。

 白倉達が視線を向けた先に、巨人の域の吾妻の姿があった。

 頭を下げて、教室内に入ってくる。

「おはよう、白倉」

 にっこり上機嫌に笑って挨拶してきたので、白倉は冷めた視線で「みんなにも挨拶しろ」と返す。

「えー? 白倉、僕に挨拶は?」

「みんなにしたらな」

「おはよ」

「うわ適当っ」

 吾妻の「おはよ」があまりに軽く、あっさりしすぎていたので、夕がつっこんだ。

「もうちょい感情こめたほうがいいぜよ。バレちょるぞ?」

「え? 別にいいよそんなこと」

「うわ、あっさり『そんなことどうでもいい』って言った」

 岩永が九生に同意を求める。

「言ったの。今のは」

「お前、いっぺんしばくぞ」

 九生が賛同すれば、夕が拳を鳴らす。それらをのほほんと見遣って、吾妻はにこにこ笑った。

「白倉、『おはよう』」

「おはよう」

 白倉に挨拶を要求し、叶うと吾妻は心底嬉しそうな顔を見せる。白倉の返事は思い切り棒読みだったが気にしていない。

「白倉、四時間目デートしない?」

 その発言に、戦闘試験に向けて緊張していた生徒達が殺気を向けた。

 岩永や夕は「おいおい平気かこいつ…」と思ってしまう。

「おい、四時間目、戦闘試験」

「ああ、知ってるよ。だけど、僕も白倉もナシだし」

「……」

 さらっと当たり前の口調で言った吾妻に、白倉は九生と顔を見合わせた。

 九生も、首を傾げる。

「お前、実は朝もういた?」

「…あー、そういうことにしとこうかな」

「なんだそれ…」

 曖昧な吾妻の言葉に、首をひねっている間にチャイムが鳴る。

「な、白倉。デート」

「いや。俺は九生と夕の」

「だから、見ながらデート。戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉の見物席でいいから」

 隣の席で、吾妻は内心の読めない顔で微笑んだ。

 教師が教室に入ってくる。

 白倉は内心、「戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉のことなんで知ってる…?」と思ったが、聞けない。




 戦闘試験を行う建物は校舎内にある。

 戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉は、高等部校舎では三階・四階だ。

 フィールド自体は普通の部屋。

 ただ、壁に窓はなく、扉もなく、白い全く凹凸のない床が一面続く。

 それが三階・四階内に合計三十個ある。

 一度に多数の組み合わせが行われるのだから、一つの鳥籠では足りない。

 一つ自体の面積は、普通の体育館一つの広さ・高さと思っていい。

 この空間をいかにうまく使うかも試される。

 しかし、戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉の特徴は、そこではない。

「白倉」

 見物席は一つの鳥籠の周囲に、吹き抜け状に設置されている。

 気づけば背後に立っていた吾妻に、白倉はきつい眼差しを向けた。

「こわいね」

「お前みたいなちゃらんぽらんと一緒にすんな」

「ひどい」

 吾妻はけらけら笑って、白倉の隣に並ぶ。

「…」

 嫌だが、しかたない。

「お前は、今回で戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉での戦い方を学ぶんだ。

 しっかり見とけ」

「は? ただ普通に戦えばいいでしょ?」

 見物席の最前列。手すりの前に立った吾妻の返答に、白倉は呆れる。

「アホか。そんなんならどこでもできる。

 戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉はただの籠じゃない」

「…?」

「見てればわかる」

「ふうん…」

 白倉の言葉に一応の納得は見せたが、吾妻は理解とはほど遠い顔だ。

 刹那、フィールド内の照明が一瞬だけ落ちた。皆わかっているから、ざわめきも一瞬で退く。

 見物席の方を向く形で、光の粒子が浮かび出来上がった複数の四角い画面に、「COUNTDOWN」の文字が浮かぶ。

 見えないが、フィールドと見物席の間には壁がある。その壁面に映像が浮かんでいるのだ。

 スクリーンに浮かぶ文字は、試合開始十秒前を示した。

「10」から始まった数字が減っていく。

 白倉達から見て下方。右側に九生。左側に夕の姿が見えた。

 特に防具のようなものは身につけていない。

 画面の数字が告げるカウントダウン。

 「1」が浮かんだ瞬間、息を自然詰めてしまう。


「GAME START!」


 人工合成音声と同時に、夕と九生が構えた。

 スクリーンには、一つの画面に夕の名前と、ランク、それからHPという字が表示される。HPの横に、100%の文字。

 別の画面には九生。

「HP…」

「リカバリー限界値」

「…リカバリー?」

 吾妻の疑問符に、白倉は視線を逸らさないまま答えた。

「戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉では、怪我はしない」

 風が舞った。夕の周囲を踊る。

 夕の手が示すままに走ったのは、空気の鎌だ。

「大気の能力者…」

 夕は大気を操る能力者か、と吾妻が呟く。

 見物席とバトルフィールドは隔離されている。

 視覚では見えない防壁に防がれて、夕の発する風は吾妻たちには届かないが、壁が軋み、悲鳴を上げているのがわかる。

 おそらく、フィールド内では息を吸うことすら出来ないはずだ。

 それほどに、夕があの場の『大気』と呼ぶ存在全ての手綱を握ってしまった。

 それだけで、夕のレベルの高さは知れる。

 しかし、夕の相手はそれ以上。

 放った風は九生の前で容易く掻き消された。

 九生の周囲に光が散っている。九生は悠然と呼吸をする。夕の制約など意に介さず。

 九生の唇が弧を描く。

「まだまだっ!」

 夕が地面を蹴った。瞬き一回した間に、夕の姿は九生の背後の宙を飛んでいる。

 風の高速移動。

 夕はかまいたちを無数に放ちながら、九生に突進した。風を纏った状態だ。竜巻のようなもの。ただではすまない。

 九生は振り返り、相変わらず笑んだままで手の平をひらりと振った。

 瞬間、空から現れた同じ数の光の刃がかまいたちを打ち消し、夕に向かう。

 紙一重で夕が交わしたが、肩に一発当たる。

 夕のHPが18%減った。しかし、肩の傷は一瞬で消える。

「戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉は特別な空間だ。

 ここでの負傷は本物の負傷じゃない。

 攻撃は身体に当たる前に消される。ただし、身体に鈍い痛みと、実際喰らった分だけの負荷として蓄積される。

 それが通常空間での死亡値に達した時点で、ゲームオーバー。

 HPは、実際なら死んでるというバロメーターだ」

「…なるほど」

 会話の最中に、戦況は変化している。

 そのまま突進した夕を、風の塊ごと片手で受け止めた九生は余裕の表情だ。

 その手の平から七色の閃光が走ったかと思った瞬間、夕は壁際まで吹っ飛ばされている。防壁が一度、稲妻のような大きな軋みの悲鳴を上げて震え、止まる。

 壁際で倒れた夕を見下ろし、九生は自分の右肩の上に片手を浮かせた姿勢で笑む。

 見ると、夕のHPが0になっている。


「GAME SET! WINNER 九生柳!」


 人工音声の声に、九生が緩い笑みで手を挙げる。見物に来ていた生徒たちの歓声。

「まあまあ、強いね」

「まあまあ、な…」

 吾妻のなんとも言えない言葉に、白倉は苦笑を浮かべる。

「…だけど、白倉は思い入れがあった?」

「は?」

「九生に」

 吾妻は初めて、九生の名前を呼んで微笑む。

「あんたに意識してもらうためには、あいつ倒さないと駄目?」

「……お前に勝てる相手じゃない」

「やってみないとわからない」

 暢気じゃない、含んだ笑みを浮かべる吾妻から視線を逸らす。

 下を見ると、九生がこっちを見ていた。

 真剣な顔をしていた九生は、吾妻を見遣って指を立てる。

 挑戦的な笑みを浮かべて、挑発的なサイン。

「やってみないとわからないよ」

 吾妻は同じ言葉を繰り返した。

「わかる」

「わからん」

「わか」

 言いかけて、白倉は息を呑む。

 気づくと、自分を熱い眼差しで見つめている吾妻がいて、どくんと心臓が鳴る。

 どうしてか呼吸が出来ない。

 視線全て、身体全てで、「愛おしい」と言われ、賛美されているような感覚。

 しかし、

「白倉、パンツ何色?」

 それがブチっと切れた。

 白倉はつんのめりそうになって思い直した。こいつは変態。真剣になるだけ無駄、と。

「…テレフォンセックスみたいなことを俺に言うたぁいい度胸だ」

「いだいだいだっ!」

 近寄って吾妻の耳朶を引っ張ると、大きな悲鳴を上げる。

「…あ、白か。白倉らしい」

 それから、涙を浮かべた顔で笑って一言。

「お前に俺のなにがわか…ってなんでわかんの!?」

「見えた」

 と、未だににやにや笑う吾妻。白倉は急いで彼から離れた。

「嘘! 絶対今の勘だろ!」

「あはは」

「あははじゃない!」

 真っ赤になって怒鳴ると、吾妻はぴたりと笑うのを止めた。

 悩んだような間のあと、白倉を真っ直ぐに見る。

「……んー、どっちでもいいよ。

 白倉がそう思うならね」

 さっきまでの飄々とした笑みが嘘のように、吾妻は意味深に笑った。

 さっきみたいな子供らしい楽しそうな笑みじゃない。誤魔化す笑みじゃない。

 低い声で、囁くように。

 さながら、命を使った謎々のヒントを、ほのめかす悪魔みたいに。


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