第19話 新たな群れ ― 王としての試練 ―

夜明け前のサバンナは、まだ静かだった。

 東の空がわずかに白み、草原の上に露が光っている。

 俺――レオンは、岩の上から群れを見下ろしていた。


 父リガルがいなくなってから、五日。

 群れは表面上は落ち着きを取り戻している。

 だが、その下には小さな不安と不満が確かに渦巻いていた。



 「ガウ(……またか)」

 朝の空気を裂くように、メスたちの唸り声が響く。


 下では、二頭のメスが一頭のガゼルを奪い合っていた。

 若いメス、ナラと、経験豊かなメス、ゼラ。

 どちらも、群れの中で食料を巡って張り合うことが多い。


 「グルル(私が先に狩ったのよ!)」

 「ガウ(群れのために運んできた獲物を、勝手に独り占めするな!)」


 周りのメスたちが距離を取り、空気がピリついていた。

 群れの中での争いは、王の威信を試す。

 今の俺がどう動くかで、彼女たちは“新しい秩序”を感じ取るだろう。



 俺はゆっくりと岩を下りた。

 踏みしめるたびに草が鳴り、空気が静まり返る。

 メスたちがその場で息を止めた。


 「ガウウ(ナラ、ゼラ)」


 二頭の視線が俺に集まる。

 「ガウ(狩りの掟を忘れたか)」

 「グル(……群れが飢えてるのよ。私も、子も)」

 「ガウ(知っている。だが、お前たちは群れの一部だ。王の目の前で牙を剥く者は、敵と同じだ)」


 俺の声に、空気が揺れた。

 “カリスマ”がわずかに働く。

 ナラが怯んだように目を逸らし、ゼラが舌を鳴らして黙る。


 俺はガゼルの死体に近づき、前脚で軽く裂いた。

 「グルル(この獲物は、子を持つ者たちに分けろ)」

 「ガウ(残りは、狩りを手伝った者に)」

 「ガウウ(不満があるなら、次はもっと大きな獲物を狩れ)」


 沈黙。

 やがて、ナラがゆっくりと頭を下げた。

 ゼラも同じように伏し、他のメスたちがそれに倣う。


 小さな火種は、風のように消えた。



 リアが背後に歩み寄る。

 「グル(上出来じゃない)」

 「ガウ(いや……あれはまだ恐怖で従っただけだ。信頼じゃない)」

 「グル(信頼は時間で作るものよ。父のように)」


 その言葉に、少しだけ胸が温かくなった。

 リアは穏やかに笑い、群れの方を見つめた。

 子どもたちがじゃれ合い、若いメスがそれを見守っている。

 ――少しずつ、群れが動き始めていた。



 午後、俺は狩りに出た。

 雨季前のサバンナは乾き、獲物の動きも鈍い。

 風を読み、匂いを追い、慎重に距離を詰める。


 ――バサッ。


 跳んだ。

 砂埃が舞い、シマウマが散る。

 だが俺の脚が一頭の腹を捕らえ、牙が喉を裂いた。


 息絶えたシマウマを見下ろしながら、俺は思った。

 これはただの狩りじゃない。

 王が群れに“食料をもたらす”という、責任の象徴だ。


 「ガウウ(父さん……これが、守るってことなのか)」


 風が吹き抜けた。

 どこか遠くで、雷の音が微かに響いた。

 もうすぐ雨季が来る。

 新しい季節と、新しい時代の始まりだ。



 夜。

 星空の下、群れが静かに眠る中、リアが俺のそばに寄った。

 「グル(……ねえ、レオン)」

 「ガウ(何だ)」

 「グル(あなたの声、みんな好きみたいよ)」

 「ガウ(……声だけで腹が満ちればいいんだがな)」

 リアが小さく笑う。

 「グル(腹は満たせなくても、心は満たせるわ)」


 その言葉に、俺は少しだけ顔を上げた。

 父がいなくても、サバンナは息づいている。

 群れも、生きている。

 そして俺もまた――生きている。



 月が高く昇り、草の海を銀色に染めていた。

 その中で、俺はそっと目を閉じた。


 いつか、父が言っていた。

 “王は、群れを導く風であれ。嵐ではなく、流れを作る風になれ”――と。


 俺は静かに息を吐き、心の中で誓った。

 この群れを、必ず強く、美しく育てる。

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