第16話 血の朝 ― 王の背を追う者 ―

夜明けの風が冷たかった。

 東の空が白み始める頃、俺はうっすらとした血の匂いで目を覚ました。


 ――父の傷が、まだ治っていない。


 昨夜の戦いで、バルドの爪が深く肩を裂いていた。

 父は何事もないように振る舞っていたが、歩くたびに血が滲んでいた。


 「ガウ(……父さん)」

 俺が声をかけると、父はゆっくりと顔を上げた。

 「グルル(目覚めたか、レオン)」

 「ガウ(無理をしてるだろ)」

 「グル(王は、弱みを見せぬ)」


 その言葉に、胸が少し痛んだ。

 でも、その背中は今もなお、大きく見えた。



 朝の光が地平線を照らす頃、リアが群れを呼び集めた。

 仔たちは元気を取り戻しつつあり、メスたちは狩りに出る準備を始めている。


 「グル(今日の狩り、どうする?)」

 「ガウ(いつも通り、二手に分かれよう)」

 父は淡々と言った。

 だが、その足取りは少し重い。


 俺は一歩前に出た。

 「グルル(父さん。今日は俺が前に立つ)」

 「ガウ(……ほう)」

 「グル(父さんの代わりに、“王の狩り”を見せる)」


 父は少しだけ口元を緩めた。

 「ガウウ(……良いだろう。なら見せてみろ、レオン。お前の群れを)」



 太陽が昇りきる前、俺たちは狩り場へと向かった。

 乾いた風が吹き抜ける草原。

 遠くにガゼルの群れが見える。

 数は多いが、警戒心も強い。


 「グル(リア、右から回り込め)」

 「ガウ(了解)」

 「グルル(サラ、仔たちは木陰に)!」

 俺の声に、群れが動く。

 父が見守る中、俺は息を殺した。


 風向きは悪くない。

 匂いはまだ届いていない。


 「ガウゥゥゥ(今だ)」

 俺が地を蹴った。

 リアが低く走り、ガゼルたちが一斉に散る。

 狙いは一頭。群れの外れにいた若いオスだ。


 「グルルルゥゥッ!!」

 砂が舞い、足が地を裂く。

 ガゼルが跳ねた瞬間、俺はその首元に牙を突き立てた。


 「ガウウゥゥゥ……!!」

 手応えがあった。

 体をひねり、喉を締める。

 ガゼルが小さく痙攣し、やがて静かになった。


 ――静寂。


 俺は荒い息を吐きながら、振り返った。

 リアが息を止めてこちらを見ていた。

 そして、小さく微笑んだ。


 「グル(やった……レオン)」


 その瞬間、胸の奥で何かが弾けた。

 血の匂い。汗の味。心臓の鼓動。

 すべてが生きている証のように感じた。



 水場に戻ると、父が待っていた。

 俺の足元の獲物を見て、静かに頷く。


 「ガウ(見事だ)」

 「グル(父さん……)」

 「ガウ(狩りとは、生を奪うことではない。群れを生かすことだ)」

 「グル(……わかってる)」


 父はゆっくりと立ち上がり、俺の前に歩み寄った。

 「ガウ(お前の眼は、もう“王の眼”をしている)」

 「グル(まだ早い)」

 「ガウウ(遅かれ早かれ、時は来る)」


 その言葉に、何かを感じた。

 ――まるで、別れの予感のような。



 その夜。

 リアと並んで星を見上げていた。

 遠くで父の咳の音が聞こえた。

 小さな音だったが、胸が締めつけられた。


 「グル(父さん……もう長くないのかな)」

 リアが静かに言った。

 「ガウ(そんなことは……)」

 「グル(わかってる。でも、あの人は“王”だから。最期までそうあろうとする)」


 俺はリアを見た。

 彼女の瞳には、悲しみと誇りが混ざっていた。


 「ガウ(……俺が、引き継ぐ)」

 「グル(うん。あんたなら、できる)」


 風が吹いた。

 草がざわめき、夜空の星が揺れる。

 父の背中は、月の光の中にゆっくりと沈んでいった。

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