第10話 群れの外から ― 不穏なる影 ―

乾いた風が吹く。

 サバンナの緑は、少しずつ褪せはじめていた。

 短い雨季が終わり、再び乾季の匂いが戻る。

 群れは穏やかだった。

 仔たちは元気に駆け回り、メスたちは体を舐め合い、父は岩の上から周囲を見張っている。


 俺は高草の中を歩きながら、リアの姿を探していた。

 狩りの練習を兼ねて、群れの若いメスたちと共に見回りをする約束だったのだ。


 「ガウ(リア、こっちだ)」

 「グルル(遅いわね。あんた、のんびりしすぎ)」

 「ガウ(見張りも大事なんだよ)」

 リアが尻尾を振って笑った。


 そんな平和なやり取りの中――風が変わった。



 湿り気のない、乾いた風。

 その中に、微かに混ざる“血の匂い”。


 「グルル……(リア、止まれ)」

 「グル(どうしたの?)」


 耳を立て、息を殺す。

 遠くの茂みの向こうから、低い唸り声が聞こえた。

 「ガウウゥゥ……」


 ライオンの声だ。

 だが、父でも、群れの誰でもない。

 ――外の雄だ。



 茂みの影に二つの影が見えた。

 若い。だが体格は俺と同じか、やや上。

 筋肉の動きが滑らかで、牙が光る。

 その目は獲物を見るように俺を測っていた。


 「ガウ(放浪者か……)」

 「グル(ここを嗅ぎに来たのね)」

 「グルル(リア、下がれ。俺が出る)」


 俺は一歩、前に出た。

 草を踏む音に、相手の視線がこちらに向く。


 「グルル(ここは俺たちの縄張りだ)」

 「ガウゥ(へぇ、若い雄が仕切ってるのか)」

 「グル(王の息子、レオン。群れに手を出すな)」


 相手は口角を吊り上げた。

 「グルル(王の息子ねぇ。じゃあ――俺たちがその座をもらってもいいか)」


 風が止まった。

 草のざわめきも、鳥の鳴き声も消える。

 ただ、獣たちの息だけが交差する。



 リアが小さく唸った。

 「グル(レオン、引こう。ここで戦ったら――)」

 「ガウ(わかってる)」


 俺は低く構えたまま、じりじりと後退する。

 相手の雄はそれ以上は追ってこなかった。

 ただ、その視線は終始、俺から外れなかった。

 まるで“試すように”。



 群れのもとに戻ると、すぐに父が現れた。

 「グルル(外の雄と会ったと聞いた)」

 「ガウ(……二頭。俺と同じくらいの若い奴らだった)」

 「グル(姿勢は?)」

 「グルル(挑発的。でも、すぐには攻めてこなかった)」


 父は低く唸った。

 「ガウウゥゥ……(間違いない。狙っている)」


 「グル(群れを……?)」

 「グルル(お前を、だ)」


 息が詰まった。


 「グルル(若い雄にとって、お前の存在は“脅威”だ。群れを奪うより先に、お前を潰す)」

 「ガウ(そんな……)」

 「グルル(サバンナではそれが掟だ。群れを継ぐ資格を持つ者は、常に獲物になる)」


 父の声は冷たくも、どこか寂しげだった。



 その夜、俺は一睡もできなかった。

 星明かりの下で、草の揺れを見つめながら考え続けた。

 ――俺が狙われる。

 俺が群れの弱点になる。


 リアが静かに隣に座った。

 「グル(怖い?)」

「ガウ(少しな)」

 「グルル(当たり前よ。でも、あんたは逃げないでしょ)」

 「グル(どうしてそう思う?)」

 「ガウ(あの濁流の中でも、父さんを助けたじゃない)」


 リアは俺の横顔を見て、柔らかく笑った。

 「グル(王の血は、もう流れてる)」


 その言葉に、胸の奥が静かに燃えた。

 風が吹き、草が波打つ。

 遠くの闇の中で、またひとつ――低い咆哮が響いた。


 「ガウウゥゥゥ……」


 それは、宣戦布告の声だった。

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