第6話 海の残響
第6話 海の残響
電車が静かに止まる。
車内灯がゆらりと明滅し、ドアが開くと少し生臭い匂いが鼻を掠めた。
駅のホームの階段を上がると、そこは水族館のようだった。
けれど、生き物の気配は薄い。
巨大な水槽のガラスはひび割れ、底には濁った水が少しだけ残っている。
錆びついた鉄骨が軋み、どこからか水滴が落ちて私の靴を湿らせていく。
水槽の中では、白いクラゲがいくつか漂っている。
光のない水の中で、まるで時間ごと閉じ込められているように、ゆっくりと形を変えて揺蕩っている。
だが、それ以外の水槽は腐った水が少し残るだけの空っぽだった。
魚の骨、剥がれかけた案内板、「タッチプール」と書かれた看板、それらを通り過ぎると出口が見えた。
足元の青いタイルが照明に照らされ、テラテラと輝いている。
「……外に出られそうだね」
出口の回転ドアを押し開けると、まばゆい光が差し込んだ。
眩しさに目を細める。
そこには、白い砂浜が広がっていた。
けれど波はなかった。
海は、床に描かれただけの絵だった。
青と白のペンキが乾いてひび割れ、遠くまで続いているように見える。
けれど、風は本物の潮の匂いを運んでくる。
歩くたびに、砂浜の白い砂に足が沈む。
海はただのペイントされた絵なのに、砂だけは本物だった。
靴に忍び込んでくるザラザラとした感触を楽しみながら、歩いた。
そこには、遠い波の音とカモメの声が反響していた。
「ねえ、REM。潮の匂いってさ、何の匂いか知ってる?」
《いえ、成分情報としては把握していますが、由来までは》
「ママが言ってた。あれはね、死んだプランクトンの匂いなんだって」
《とても興味深いです》
「うん……あれ? そうだった気がする…うん、そうだったと思う。」
風が頬を撫でた。
その中に、かすかなBGMが混じっていた。
はっきりとは聞こえないけどメリーゴーランドの音楽だと感じた。
浜辺のあちこちに、色褪せたウサギのぬいぐるみが転がっている。
綿がこぼれ、片耳がもげたものもある。
そんなウサギ達の近くには、赤い風船の残骸が砂に混じって落ちていた。
まるで、誰かが遊んだ後のようにバラバラとあちらこちらに散らばっている。
歩くたびに、サクッサクッと砂が鳴る。
ペイントの海に響く波の音を背にただ歩いた。
やがて、陽炎の向こうに何かが見えた。
海の端──ペンキの境目のその先に、錆びた観覧車が立っていた。
動かないまま、風に軋む音だけを残して。
「……遊園地?」
《そのようですね。行ってみましょうか?》
「……行ってみよう」
REMが頷く。
光がゆらぎ、ペイントの海の向こうに赤い風船がひとつだけ浮かび上がった。
それは、まるで誰かが“おいで、おいで”と手を振っているようだった。
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