第二十六章:絆の色
偽りの楽園で「色を喰らう者たち」による襲撃が激化する中、ユイは感情の嵐を「聴く」ことに感覚が麻痺寸前だった。
視覚が奪われたモノクロームの世界で、彼女の耳に届くのは、異形たちの飢餓と恐怖、そして仲間たちの焦燥が混じり合った、耳を潰さんばかりの不協和音。
圧倒的な数の敵に対し、個々の能力だけでは限界があることを、誰もが痛感していた。
それはまるで、それぞれが孤立した島のように、絶望の海に飲み込まれかけているかのようだった。
「クソッ、キリがない……!」
レンが悪態をつきながら、腐臭を放つ異形の腕を切り払う。
だが、切り裂かれた影はすぐに再生し、新たな個体となって襲いかかってきた。
彼の嗅覚は、敵意と憎悪の匂いに飽和し、もはや個々の敵の位置を正確に特定することが困難になりつつあった。
疲労が彼の動きを鈍らせ、集中力を削いでいく。
「カイ……! そっちはどう!?」
ミコが叫ぶ。彼女は自身の周囲に精神的な防壁を張りながら、カイに意識を向けていた。
「……うるさい。赤が、多すぎる……!」
カイは、もはや警告を発するどころか、自身の身に降りかかる「痛み」の奔流に耐えるだけで精一杯だった。
彼の赤い瞳からは、涙のように血の筋が流れている。
呪いの悲鳴をその身で受け止め続ける代償は、彼の精神と肉体を確実に限界へと追い詰めていた。
このままでは、各個撃破される。
時間の問題だった。
その絶望的な状況下で、ユイは無意識に試みていた「音の調整」に、光明を見出そうとしていた。
感情の嵐の中から、仲間たちの音だけを拾い上げる。
レンの焦りが奏でる、鋭く尖った金属音。
ミコの恐怖と決意が混じり合う、低く震える弦楽器の響き。
そして、カイが耐える痛みが発する、張り詰めた太鼓の連打のような音。
それらを、混沌のノイズの中から、必死に濾過していく。
そして、ユイは叫んだ。
それは、声というよりも、彼女の意識そのものが発する「音」の指示だった。
「レン! 匂いを追わないで! 私の音を聴いて! 左、三歩! そこにいるのは実体がない、ただの感情の残響!」
レンは一瞬戸惑ったが、ユイの切羽詰まった声の響きを信じ、咄嗟に左へと跳んだ。
彼が元いた場所を、実体を持たない影の爪が空しく切り裂く。
レンの鼻では捉えきれなかった、ただの感情の幻影。
ユイの「音」は、その本質を見抜いていた。
「ミコ! 記憶を読まないで! カイの痛みのリズムに合わせて! 次の大きな攻撃が、三秒後に正面から来る!」
ミコはカイの呻き声に意識を集中させた。
カイの痛みが刻む、不規則だが確かなリズム。
そのリズムが、一際大きく脈打った瞬間、ミコは全神経を防壁に注ぎ込んだ。
直後、轟音と共に、異形たちの憎悪が凝縮されたエネルギー波が防壁に激突し、激しい火花を散らした。
ミコの口から血がこぼれるが、致命傷は免れた。
これは、これまで孤独に戦ってきた彼らにとって、全く初めての経験だった。
特にレンは、驚愕に目を見開いていた。
ユイが「感情がない」のではなく、彼らが見る「色」や感じる「匂い」を、全く異なる次元の「音」として感受し、それを戦場の地図として、恐ろしく強力な武器へと昇華させていることに。
彼女の「静けさ」は、感情の欠落などでは断じてない。
世界のあらゆる感情の奔流を一度受け止め、
ユイは、彼らの五感が伝える情報を、自身の「色を聴く力」で統合し、まるで混沌のオーケストラの指揮者のように、的確な指示を飛ばし続ける。
ミコの記憶の音が、過去の敵のパターンを。
レンの匂いの旋律が、敵の感情の質を。
カイの痛みの打撃音が、攻撃のタイミングと威力を。
それら全てが、ユイの耳の中で一つの、完璧な戦場の楽譜となり、彼女は正確に仲間たちを導いた。
激しい攻防の末、無尽蔵に湧き出ていたはずの異形たちの勢いが、わずかに衰えた。彼らの攻撃は統率を失い、その場しのぎの散発的なものへと変わっていく。
好機と見たレンが、ユイの指示に従って異形の群れの中心へと突撃し、その核となっていた個体を切り裂くと、異形たちはついに、一時退却を余儀なくされた。
戦いが終わり、偽りの楽園には、再び不気味な静寂が戻った。
疲弊しきった四人は、互いに肩を貸し、あるいは背中を預けながら、荒い息をついていた。
だが、その瞳には、先程までの絶望の色はなかった。
互いの存在が、自らの能力の限界を補い、そして増幅させる、不可欠なものであることを、この死闘の中で深く、深く理解したのだ。
レンのユイへの視線は、もはや「感情を持たない異端者」を見るものではなかった。
この世界の呪いを解き放つ可能性を秘めた、「独自の才能」を持つ、真の仲間へと変わっていた。
彼らの間に、確かな信頼と理解の「絆の色」が生まれた。
それは、ユイの目には見えない。
だが、彼女の耳には、四つの異なる楽器が、初めて一つの美しい和音を奏でたように、確かに聴こえていた。
その響きが、未来への、微かだが確かな希望を灯した。
(第二十六章 了)
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