第十一話:ガラスの箱のひび割れ(語り手:アオイ)

データセンターの地下でコウが感じたあの異常は、僕たちにとって単なるノイズでは終わらなかった。

2055年。僕は20代後半になり、父の事業を引き継ぐべく、高スキル層の指導者として、都市特区のシステム管理の最前線に立っていた。僕が担当するのは、AIが管理するエネルギー配給システムだ。

父の世代は、自分たちが**「世界一効率的で安全な社会」を築いたと信じて疑わなかった。彼らは貧困層の静かな消滅を「不要なコストの削減」**だと合理化した。しかし、その結果生まれたのは、外部からの衝撃に極度に弱い、ガラスの箱だった。

問題は、国内ではなく、グローバルな領域から始まった。

ある日、海外の主要な金融ハブにあるデータセンターが、新型のランサムウェアによって壊滅的な被害を受けた。僕たち富裕層の資産のほとんどは海外の投資に依存しており、そのデジタルウォレットへのアクセスが断たれた。タワーマンションの最上階で、父を含む富裕層の顔が一斉に青ざめた。彼らの傲慢な富は、単なるコード上の数字でしかなかったことを思い知らされた瞬間だった。

その数日後、国内のインフラシステムでも連鎖反応が起きた。

都市の老朽化した水道管のセンサーが、大規模な故障を一斉に報告し始めたのだ。AIは、この**「同時多発的な非効率」を理解できなかった。システムは何度も再起動を試みたが、エラーは深くなるばかり。最終的に、都市特区の重要エリアを除く水道供給が停止**した。

僕はすぐにコウがいるデータセンターに連絡を取った。

「コウ!なぜAIは異常に対応できないんだ?ケンジたちに現場へ向かわせろ!」

しかし、コウからの返答は、冷たい現実を突きつけるものだった。

「アオイさん。AIは設計通り、『非効率な手作業による現場修復』のプロセスを完全に切り捨てています。そして、ケンジたちはもう、水道管の全貌を理解していません。彼らの仕事は、AIの指示に従う**『点検』**だけだったからです。誰も、この古い水道網全体を修理するスキルを持っていません。」

僕たちは、自らの効率の論理によって、問題解決に必要な「人間力」を完全に排除してしまったのだ。

電力が不安定になり、タワーマンションの静寂はさらに深まった。非常電源は、父や母の生命維持装置のために使われ、僕たち技術者が使えるリソースは限られていた。

僕たちは暗闇の中で、目の前のシステムが沈黙していくのを見た。貧困層の静かな消滅は、この社会から回復力(レジリエンス)という名の筋肉をすべて奪い去っていた。

外の「沈黙の層」は、動かなかった。彼らはもう、自分たちのために立ち上がる意欲も、能力も持たない。そして、僕たちもまた、彼らを救うために自ら泥にまみれる意欲も、術も失っていた。

僕が生きるこのガラスの箱は、音も立てずに崩壊し始めていた。それは、革命でも、天変地異でもない、ただの機能停止。僕たちは、自分たちが作り上げた静かな檻の中で、緩やかな窒息という結末を迎えていた。

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