第六話:静かなる終焉(語り手:アオイ)

あの電力管理AIのバグは、単なる警告ではなかった。それは、僕たちが設計した**「ガラスの箱」**の、静かなひび割れの始まりだった。

僕の世代の富裕層は、父の世代よりも賢明だったかもしれない。僕たちは、貧困層の「静かな消滅」と引き換えに手に入れたこの安全な世界が、実は脆弱な自己満足の上に成り立っていることに気づき始めていた。しかし、気づいたところで、もう遅かった。

ケンジやコウの世代が担っていた、予期せぬ問題に対する「人間の手作業」は、AIが排除すべき「非効率」として切り捨てられて久しい。そして、そのAIシステム自体を深く理解し、修復できる高度なベテラン技術者は、高齢化と引退によって数を減らし、補充はほとんどなかった。

2055年、特区を襲ったのは、想定外の複合的な事象だった。

まず、海外の主要なデータセンターが、新型のランサムウェア攻撃を受け、グローバルな金融システムが一時的に麻痺した。父が築いた海外資産へのアクセスが断たれた。ほぼ同時期、国内ではAIが管理する老朽化した水道網の基幹部品が連鎖的に故障した。

AIは設計された効率の範囲内で対応しようとしたが、**「想定外の事態」**を前にパニックを起こした。システムはフリーズし、都市中枢の電力供給が不安定になった。僕たち高スキル層が必死にコードを読み解こうとしたが、システムは複雑に絡み合いすぎていて、誰一人として全体像を把握できていなかった。

電力が落ちたガラスのタワーは、静寂に包まれた。非常電源は富裕層の最上階の生活維持にわずかに使われたが、システム全体を動かすには足りなかった。僕たちは、暗闇の中で、目の前のコードが、かつて自分たちが排除した「非効率な人間」の代わりを果たせないことを悟った。

水道が止まり、食料の自動供給システムも止まった。

特区の外にいた低スキル労働者層は、この混乱に一切関与しなかった。彼らは、AIの管理下で最低限の食料と水が供給される生活に慣れてしまっており、「自力で解決しよう」という意欲も、能力も、組織力も持たなかった。彼らの「静かな消滅」は、**社会の危機に対する最後のレジリエンス(回復力)**をも奪い去っていたのだ。

富裕層はパニックに陥ったが、彼らは**「自力で何かをする」**スキルを失っていた。彼らが唯一得意としていた「グローバルな資産運用」も、この局地的な機能停止を前に意味をなさなかった。

僕たちは、混乱ではなく、静寂によって滅びた。

ユウキさんの世代が選んだ「静かな消滅」、アスカさんが設計した「効率的な管理」、コウが監視し続けた「機能停止寸前のシステム」。すべての要素が連鎖し、この社会を、外部からの衝撃に耐えられない、脆い構造へと変えていた。

電力の途絶、水の枯渇、そしてシステム管理者の高齢化。僕たちが築いた**「エリートのパラダイス」は、静かに、そして完全に機能停止した。**

暗闇の中、僕は窓の外を見上げた。かつてユウキさんが見上げていた、輝く都市の光は、もうどこにもない。そこにあるのは、社会の活力が完全に失われた、深い夜の静寂だけだった。

沈黙の国のアリスは、鏡の向こう側で、一人取り残された。

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