湖面の花

@kugirano

第1話 銀葉と汀



風の質感が柔らかいものに変わり、同時に青々としていた木々も模様替えを始めていた。ときたま落ちてくる黄色や茶色の葉が秋の訪れを感じさせる。

公園の遊歩道脇にある小さな東屋。そこは、幼いころから銀葉ぎんようなぎさがよくたむろしている場所だった。公共の場であるが、屋根があり、机があり、椅子があり、背面や左右に壁のある半密閉された空間は二人にとって秘密基地のようなものだった。

まだ16時だというのに薄く橙色に染まる空を見ながら、汀は少しだけ汗ばんだ体に冷やすように襟をパタパタと扇いだ。

「なぁ、お腹空いた~」

隣にいる親友の如月銀葉にそう漏らせば、彼は表情を変えずにポケットを漁り、何かを差し出してくる。見れば、個包装のパッケージがぐちゃぐちゃで皺だらけになったチョコレートだった。つまみ上げれば、中身が溶けているのが分かる。

「これをおれに食べろって言うのぉ~? 銀葉やい! あんまりだ!」

おおかた、クラスの女子にもらって今の今まで忘れていたのだろう。

そういう男だ。

「ふはっ、冗談だ」

珍しくそう笑う銀葉に汀は肩をすくめる。

ここにクラスメイトがいれば、ギョッとしたに違いない。なんたって、銀葉の笑顔なんて汀でさえも月一で見れるか、というプチプレミアだ。ただ、だからこそ、ここに居たのが自分だけでよかったな、なんて思ってしまう。

「で? 他には?」

「ないけど」

「……おれの期待を返せ!」

銀葉の首に腕を回しながら、その体を前後に揺さぶる。あまりの勢いに、銀葉の頭ががくがくと揺れた。

「汀、目が回る……」

「そうしてんだよ!」

最後に一際大きく揺さぶって終了するとともに、汀の腹から虫が鳴く。

「……はぁ、お昼あんだけじゃ足りないって~」

汀は銀葉の肩に顔を埋め、お昼のお弁当を思い出す。そして、自身の母親のにこやかに笑う顔も。

「可愛い弁当だったな」

銀葉が少しだけ憐れんだようにそう零す。

「そう、可愛かったよ。すごくな! でも、可愛いだけじゃ腹は満たされん!」

最近、母の桜はキャラ弁制作にハマっているようで、持たされる弁当は可愛かった。キャラ弁と言ってもアニメキャラの時もあれば、可愛いクマやウサギと言った動物なんかの時もある。

毎回お弁当の時間が楽しみではあるが、成長期である男子高校生には少し物足りない。

「でもさ、母ちゃん、すごく楽しそうなんだよ……。少ないから普通の弁当にしてくれ、なんて言えないって」

「桜さんなら、キャラ弁のままで量を増やしてくれそうではあるけど」

「そう思うだろ? おれもそう思って、さりげなく言ってみたことがあるんだよ。そしたら、全然そこを理解というか、気づいてくれなかった! 何を勘違いしたのか、可愛さに全振りするようになった!」

「桜さん、天然入ってるもんな……」

息子の目から見ても母の桜は可愛らしい人だった。昔からそんな母が自慢ではあるのだが、その天然さが年々パワーアップしているのが気になるところだ。

「てか、暑い」

抱きしめるような体勢に銀葉が肘で押して抗議してくる。

たしかに、暑い。だが、そんな風に嫌がられるとうずうずしてきてしまう。汀はにんまりと笑って、抱きつく腕に力を込める。

「おれは傷つきました~」

「おい! 暑いって言ってるのに、更にくっついてくるなよ!」

ギャーギャーと喚きながら、二人でじゃれ合っていると、目の前の池の対面側にある東屋に一組のカップルが入ってくるのが見えた。

「うわ、彼女のほうめっちゃ美人」

「ほんとだ」

こちらから見えるということは、あちらからも見られてるということで。汀は少しだけ残念に思いながら、体を離した。

「でも、男のほうは少しパッとしないな」

「お前、失礼だな。てか、そこまでよく見えたな」

「視力いいからな」

女性の方は金髪で顔立ちもはっきりしているため、目視しやすかったというのもある。その点、男の方は失礼な話、遠目からでも服装からも体形からも清潔感が感じられなかったのだ。

それでも、その二人をカップルだと判断したのは、その距離間とつながれた手だった。

「いいなぁ~。どうやって、あんな美女を彼女に出来たんだろう」

「男が凄く優しいとかか?」

友達としゃべっていても、最近の話題は何組のあの子がかわいいとか、胸が大きいとか、彼女が出来た、別れた、なんかばっかりだ。汀も乗るが、すごく興味があるわけでもない。

しかし、池の向こうのカップルにはなぜか興味を惹かれてしまった。

「それか、男が金持ちとか、な」

銀葉が意地悪そうに汀にそう言う。

「そんなの嫌だぁ~。あんだけ美女なんだから、天使であれよ~」

「お前って……ほんと、難儀」

「だって、だってよぁ」

「あれだぞ? 桜さん基準にしたらダメだからな?」

汀は銀葉の言葉に呻く。

しょうがないのだ。汀だって分かっていた。自分の女性観と同世代の女子とのずれを。

「お前が桜さんを基準にしてたって、マザコンとは思わないけど……、いや、う~ん」

「銀葉! お前、おれの心を抉りたいのか!?」

「いや……、桜さんは本当に女神だろ」

「……お前の方がどうかと思う」

人の母親に女神とか、と汀が銀葉に引きつつ、先ほど銀葉から受け取ったちょこの包装を開けてみる。やはり中は、ドロドロしており、クリーム状だった。

「さすがに食べれないか」

「食べたら吐かせてた」

「そんなもの渡すな!」

カバンの中に入れていたごみ入れのレジ袋を取り出し、その中にチョコを放り投げる。

ふと、対面のカップルを見ると体を寄せ合いいちゃついてる真っ最中。汀はげんなりした表情で銀葉に視線を向ければ、彼は涼しい顔で二人を観察するように見ていた。

「よく見れるな」

「いや、公共の場でよくいちゃつけるなって思って」

冷めてるな、と思いながら前を見ないように視線を落とす。そして、湧き上がってきたいたずら心を抑えられず、ニヤリと笑った。

「なら、おれたちもいちゃつく?」

「は?」

「こうやってな」

指をわきわきさせながら銀葉にのしかかれば、ギョッとしたような表情で抵抗してくる。地味に痛い。

「マジでやめろっ!」

「や~めない! こちょこちょ~」

「ちょ、ばっ、ははっ、やめ――!」

銀葉がくすぐりに弱いことを汀は知っている。今だって、脇を少しくすぐっただけで息も絶え絶えだった。

これ以上は怒られるなと判断して、くすぐりをやめる。肩で息をする銀葉は首まで赤くし、汀を睨みつけていた。そんな表情に思わず汀はドキリとしてやりすぎたな、と反省した。パッと体を離し、銀葉から距離をとる。

「汀、ちょっとこっち来いよ」

怒りの滲む銀葉の声に口笛を吹きながら、じりじりと横へ横へとずれ、彼と距離を保つ。

「自分だけ逃げるなんて、ズルいと思わないのか?」

「ちょっと、いたずら心がさ~」

「お前のいたずら心なんて知るか!」

今度は銀葉が汀にのしかかり、やり返してくる。

まさに自業自得だが汀は後悔した。

「ちょ、待って待って! は、ははははっ! ま、――今は、ま、ぎゃっ、ダメだって~」

「ふん! お前だってくすぐりが弱い事忘れんな」

そう言いながら、銀葉は自分がされた倍の時間、汀をくすぐり続けた。

そうして、気が付くと先ほどよりも空がオレンジ色に染まり、影が落ちている。対面の東屋には誰もいなくなっていた。

「ぎ、銀葉が~、おれを……お嫁に行けない体にした~」

未だ少しだけ上がる呼吸を整えながら、汀は椅子に上体を横たわらせながら言った。

「大丈夫だ。そもそも、お前はお嫁には行けない」

「え! そうなの!? 一生一人ってこと!? 孤独死じゃん!」

「……お嫁じゃないくて、お婿ならいけるんじゃないか?」

「そういう話じゃない!」

汀が銀葉に手をのばせば、当たり前のようにその手を引っ張り、起こしてくれる。

この分かってくれている空気が汀には誇らしくて嬉しいものだった。

「……帰ろうか」

頬を撫でる風に冷気が混じる。

銀葉の言葉に、汀は小さく頷いて鞄を背負い、東屋を出る。

遊歩道には影が落ち、ひらひらと落ちる葉が帰宅時の物悲しさを助長するかのように汀の足元に落ちる。幼いころからこの時間が苦手だった。銀葉をあの家に帰さないといけないこの時間が。

「あ」

そんな声が隣から漏れた。

不思議に思い、銀葉の視線の先を見ると、対面の東屋にいたカップルが歩いてきていた。

二人は仲睦まじそうに手を繋ぎ、体を寄せ合って、ゆっくりと近づいてきている。汀はぼんやりと歩きずらそうだな、と思った。そして、近くで見ると遠目から見てた以上に美しい女性なことにさらに驚く。

金髪の髪はさらさらと歩く度に風に遊ばれ、肌は白く、頬は薄く桃色に染まっている。

圧倒的な美しさに見惚れていると、突き刺すような視線を感じ、そちらへと視線を移せば隣を歩く男の物だった。汀は「やべっ」と男にへらりと笑いながら会釈をして、視線を逸らす。

隣から、小さく「あほ」という声が聞えたが無視をした。

すれ違う瞬間、風になびいた女性の髪の隙間から見覚えのある紋様が見えた。

「アンドロイドか」

銀葉も見たようで、ボソッとそう零したのが聞こえた。

しばらく二人の間に沈黙が流れた後、汀は空を見上げながらポツリと。

「なぁ、別に否定するつもりはないんだけどさ、アンドロイドとラブドールってどう違うんだろうな」

そんな問いが漏れた。

「だって、ラブドールは物言わぬ人形じゃん? だから、持ち主がどう扱おうと何も言わないし、何も思わない。でも、アンドロイドだって、持ち主に反抗しないし、なんならそういう用途だから、何でも受け入れる。肯定して、甘やかして、好きだって言ってくれる」

「…………」

「それって、満たされるんかな?」

湿度を全く含まない、サラリとした風が二人の髪を撫で過ぎてゆく。

「……お前って、馬鹿だけどそういう所ちゃんと考えるよな」

「はぁ!? 馬鹿っていった!?」

汀が銀葉に飛びかかり、思いっきり体重をかける。銀葉はその重みに声を漏らしながら、引きずるように歩く。

「でもさぁ、それを考えることも失礼なのかもなぁ」

「どっちに?」

「アンドロイドに」

命も感情もあるかさえ分からないが、使われているのはアンドロイドだ。だが、そこに憐れみのような疑問を抱くのも失礼なのかもしれない。

「ただ、所有者もそのアンドロイドをちゃんと好きでいてくれたらいいなって思う」

「……そうか」

汀は銀葉に体重をかけたまま目を閉じる。

いつまでこの体温を直ぐ側で感じていられるのだろうか、そんな焦りのような感情を胸に抱きながら。


秋はすぐそこに来ている。



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