3.望まぬ再会

入口に立っていた青年は、僕の声を聞くと、派手に舌打ちをしながら入ってきた。その様子を見て、みそらが身構える。

「は? 何俺の名前を馴れ馴れしく呼んでるんだよ? 『障害者』ごときが気安く呼ぶな」

青年が、宿敵でも見るような目でこちらを睨む。簗康平君。忘れもしない、僕のことを忌み嫌い、名前を呼ばずに必ず『障害者』と呼んで蔑んでいた、嘗ての同級生である。

「……何、私達に何か用? それとも、わざわざ嫌味言いに来たわけ?」

みそらが簗君を厳しい目で睨みつける。それと同時に、ごく自然に僕を背に庇った。

「貴様らこそ、なんでこの町にいるんだよ? 折角出ていってくれて清々してたのに、戻ってきやがったのか?」

そこで気付いたが、簗君の後ろにも何人か立っていた。どの人物にも、見覚えがある。どうやら、同級生数人で久しぶりに母校を見に来ていたらしい。そこで偶然鉢合わせてしまったのだろう。

「日笠先生のお葬式に呼ばれたの。招待されたのに、来ちゃいけないの?」

完全に喧嘩腰になっているみそらのその言葉に、簗君は大きく頷いた。

「あぁ、来んな。というか、障害者の分際で、恩師の葬式に出ていいとか思ったのか? 俺達の邪魔にしかならないゴミだって自覚が足らないみたいだな。ゴミはゴミらしく、ゴミ捨て場でくたばっとけ」

簗君が吐き捨てるようにそう言った。彼の障害者差別は、子供故の至らないものだと思っていたが、どうやらそうではないようである。

「あーあ、せっかく思い出に浸ってたのに、ゴミ虫のせいで台無しだなぁ!」

簗君の背後から、大柄な青年が姿を現した。松蝉順也君。元柔道部の主将であり、『表向きは』風紀委員長として学校の風紀を正す真面目な生徒であった。しかし、裏の顔は真逆であり、自分より弱い人間を、得意の柔道の技で投げ飛ばし、痛めつけては笑うという、悪魔のような所業を繰り返していた人間であった。僕も例外ではなく、背後からいきなり投げられ、コンクリートに叩きつけられて怪我させられたりした。

「こうなった責任は取ってもらわないとなぁ。おい、今すぐ土下座しろ」

松蝉君は、そう言うと僕に近づき、手を伸ばしてきた。まずい、このままではまた投げられてしまう。しかし、その手はすぐに弾かれた。

「何すんだよ」

「……時羽に、近づかないで。これ以上何かするなら、私にも考えがあるから」

僕を庇うように立っていたみそらが、松蝉君の手を弾いてくれたのだ。みそらは、大柄な松蝉君にも臆することなく、怒りの宿った瞳で彼を睨みつけ、低い声で言い放った。そこで気付いたが、みそらは僅かに体勢を変えていた。腰を少しだけ落とし、腰の高さに拳を握る。この姿勢は、空手の時にとる体勢であった。つまり、みそらにとっての臨戦態勢をとっているのである。まさか、松蝉君の行動次第では、戦うつもりなのだろうか。

「邪魔すんじゃねぇ!」

松蝉君はそう言うと、一気に距離を詰めてきた。それと同時に、みそらの姿が消える。それは、本当に一瞬の出来事だった。松蝉君が、虚空を見つめたまま固まる。彼の鳩尾には、みそらの右拳がめり込んでいた。みそらがそっと拳を引き抜くと、彼は苦しそうにお腹を押さえてよろめいた。

「時羽に、指一本触れさせないから」

そう言い放つみそらの背中に、在りし日のみそらの面影が重なる。自分が窮地に陥った時、何度もみそらが助けてくれた。僕と違って、危険に立ち向かえる強さと勇気があって、戦える。僕は、みそらに助けられてばかりである。

「俺が、女如きに簡単にやられると思ったか?」

「えっ……?」

その瞬間、松蝉君がみそらめがけて距離を詰めた。一方のみそらは、彼の思わぬ言葉に驚いて動けない。しまった、このままでは。

僕だって、助けてもらってばかりは嫌だ。

「ダメっ!」

気づけば僕は、みそらを突き飛ばしていた。そのまま、松蝉君の巨体が、とてつもないエネルギーと重量を持って僕にぶつかる。小柄な僕が、彼の体当たりを受け止めきれるわけもなく、吹き飛ばされて壁に衝突した。頭を強く打ちつけたせいで、まともに立つことも難しい。

「チッ、女の方をやるつもりが、ゴミ虫に当たるとはな。まぁいい、元は、ゴミ虫の方をやるつもりだったからな」

松蝉君は、吐き捨てるようにそう言うと、動けなくなっている僕の方に大股で近付いてきた。彼の、獲物を前にした猛禽類のような目を見た段階で、覚悟は決まっていた。

「ダメ! 時羽!」

そう叫ぶみそらは、いつの間に入ってきていたのか、嘗ての同級生である女性二人に取り押さえられて、動けなくなっていた。守宮保江さんと、草取桜子さん。仲良しの二人は、揃って学級委員をやっており、その権力を悪用して僕に色々嫌がらせをしてきていた。

「さてと、ゴミ虫。よくも俺の手を煩わせてくれたな。その責任は、きっちり取ってもらうぞ」

動けない僕に近づくと、松蝉君は、乱暴に僕の髪を掴んで、僕の頭を床に叩きつけた。奇しくも土下座のような姿勢になる。床に顔を近づけたこの感覚に、かつての記憶が蘇る。子供の頃も、こうして何度も土下座をさせられた。

「ほらよ、『申し訳ございませんでした』って言えよ」

松蝉君が、僕の頭を踏みつけて怒鳴る。一方の僕は、ただ黙ってひれ伏すことしか出来なかった。頭を何度も踏まれて、視界が揺さぶられる。

「それと、『生まれてきてすみませんでした』って言えよ。ほら、早く」

松蝉君の隣にいる簗君が、下品に笑いながら囃し立てる。そこにいて、気分を悪くさせて申し訳ない。果てには、そもそもこの世に生まれてきて申し訳ない。彼らは、僕の全てを、僕自身に否定させようとしていた。こうして、彼らは錆びついた自尊心を満たしているのだろう。彼らの言葉に完全に納得することは出来ないが、僕が謝って丸く収まるなら、こんな頭、いくらでも下げよう。そうして、僕が覚悟を決めた、その時だった。

「と、時羽君に、何するの!」

ふいに頭上から声がした。それと同時に、僕の頭を踏みつけていた松蝉君の足が離れる。ゆっくり顔を上げると、すみれ先輩と松蝉君が相対していた。どうやら、先輩が松蝉君を突き飛ばし、僕を助けてくれたらしい。

「あ? んだテメェ、ナメんじゃねぇ!」

そう叫び、松蝉君がすみれ先輩に掴みかかる。だが、先輩はその手をヒラリと躱し、松蝉君の背後に回り込んだ。驚いた松蝉君が、振り向きざまに掴もうとするが、またしても先輩が避けた。そうして、彼は何度も先輩を掴もうとしたが、先輩は悉く回避した。軽やかに避ける姿は、まるで舞い踊るかのようであった。

「ど、どうなってやがる!」

困惑を隠せない松蝉君に、すみれ先輩が冷たく言い放つ。

「時羽君達を傷つけるなんて、許さない。大事な後輩に、これ以上手出しさせないから」

そこに、いつもの穏やかで優しいすみれ先輩の姿はなかった。どうやら、松蝉君の暴挙が、先輩の逆鱗に触れたようであった。

「知るかよ! こうなったら――」

松蝉君がいよいよ逆上し始めた、その時だった。彼の肩に手が置かれた。

「よせ、松蝉。これ以上やっても時間の無駄だろう。障害者にくれてやる時間なんて無い」

それは、簗君であった。彼の言葉に、昂っていた松蝉君が落ち着きを取り戻す。

「それもそうか。時間もいい感じだしな」

彼はそう言うと、わざとらしく舌打ちをして教室を後にした。その背中を追って、守宮さんと草取さんも教室を出る。最後に、簗君も教室を出ようとしたが、戸口で振り返った。

「……『人殺し』に、居場所があると思うなよ」

吐き捨てるようにそれだけ言うと、簗君も教室を後にした。その背中を見送っていると、すみれ先輩とみそらが僕のもとに駆け寄ってきた。

「時羽君、大丈夫? 怪我はない?」

「えぇ、お陰様で。ありがとうございます」

すみれ先輩にそう頷き返すと、先輩は良かったと胸を撫で下ろした。先輩もだが、みそらも松蝉君から僕を守ってくれた。お礼を言わなければ。そう思った、その時だった。

「時羽! どうしてなの!」

突然、みそらが詰め寄ってきた。その剣幕に気圧されて、言葉が出てこなくなる。

「私を突き飛ばして、あの柔道男の体当たりをまともに受けてさ、私、そんなに頼りなかった?」

そう言うみそらの目は、僅かながら潤んでいた。あの時、みそらを守らなければと思って咄嗟に庇ったのだが、逆効果だっただろうか。逆にみそらのプライドを傷つけてしまったらしい。これは謝った方がいい。そう思い、口を開こうとしたが、その前にみそらが首を振った。

「いや、時羽なりに私を守ろうとしてくれたんだよね。その、ありがとうね」

「姉弟だもん。それに、いつもみそらに守ってもらってばかりだから、僕もみそらを守りたかったんだ」

その言葉に、でも、とみそらが首を振る。

「無茶はしないで。私にとって、時羽の無事と幸せが大切なんだから。気持ちは、受け取るよ」

みそらの言葉に、僕は黙って頷くことしか出来なかった。僕の無事と幸せが、みそらにとっての『大切』である。一番近い肉親が、一番の理解者で良かった。

「それにしても、ごめんね。私が学校を覗こうなんて言い出さなければ、あんな目に遭うことも無かったんだよね……」

申し訳無さそうに俯くすみれ先輩に、みそらと揃って首を振る。どうやら想いは二人とも同じようであった。

「先輩が責任を感じることはないですよ。悪いのはあの連中ですし。ね、時羽?」

みそらの言葉に頷く。すると、すみれ先輩はゆっくりと顔を上げた。

「ありがとう……でも、本当にごめんね」

そう言って、先輩が軽く頭を下げる。

「見学は、これくらいですかね」

そうだね、と頷くと、すみれ先輩は教室を後にした。その後に続いて、みそらも教室を出る。自分も行かなければ。そうは思っていたが、自分の中で引っかかることがあった。

『……『人殺し』に、居場所があると思うなよ』

あの時の、簗君の言葉である。彼は、僕のことを散々『障害者』とは言ってきたが、『人殺し』と呼んだことはなかった。当然、人殺しなどという言葉に心当たりは無い。僕の周りにいる人達は、みんな元気にやっている。ただの悪口だと切り捨てることも出来たが、それでは済ませられない何かもまた感じ取っていた。

「時羽ー、どうしたのー?」

みそらに声をかけられ、そこで我に返った。そして、慌てて教室を出た。

僕のことを散々蔑んできた、嘗ての同級生達。決して望まぬ再会であり、味わいたくない負の感情ばかり残されたが、それらと同時に、大きな疑問が僕の中に残された。僕が『人殺し』とは、どういうことだろうか。そうして、ゲスト証を事務室に返して、玄関を出たその時だった。

「やぁ、さっきは災難だったね」

突如、見知らぬ青年が現れた。みそらが咄嗟に庇ってくれたが、それを見て、彼は苦笑いを浮かべた。

「そんな警戒しなくてもいいじゃない。同級生なんだから」

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