第11章 未来のAIと著作権

 本項では、現在の生成AIではなく、それこそ技術的特異点シンギュラリティを超えて、AIが人間を超える能力を手に入れたと仮定(2045年頃と予想されている)して、その時代におけるAIと著作権の在り方の『可能性』を考えてみます。


 ここから先は、ほぼSFの領域に属する話となります。AIは今後も発達し続けるのは間違いないと思いますが、実際のところ、その結果がどうなるのかは正確には分かりません。

 ですがせっかく小説等書く身ですので、想像で色々考えてみようかと思います。


【AIが人間を超える】

 いわゆる技術的特異点シンギュラリティの到達ですね。

 あと二十年も生きていれば到達するとされているので、多分私でもその影響は見られるのではないかと思っています。


 まず、生活のほとんどにAIによるコントロールがあるでしょう。

 それこそ、健康管理についてはAIが人の生体情報を読み取り、そこから最適な管理を行うのが当たり前になると思います。特に病院などは、積極的にAIを導入するでしょう。

 医療分野はAIの活用が最も期待されている分野の一つですし。

 そして人間では気付きようもない知見で、病気の早期発見などを行う可能性がある。


 他にも、例えば会社の経理処理などは、特に集計、開示といった行為は全部AI任せになる可能性があります。

 行政文書の提出なども、AIが全部やってくれる未来があるかもしれません。

 行政書士の書類作成の部分は出番なくなるかもしれないくらい。

 他にも、今すでに活用が始まってますが、投資判断はもちろん、実際の投資行動もAIが自動的に行うのが当たり前になっていくでしょう。


 さらに考えられるAIの進化が、コンピューターそのものの進化です。

 現在のコンピューターは、極論、全て同じノイマン型コンピューターです(これについては詳しい説明はWikipediaを参照してください)

 ですが、すでに新しいコンピューターの理論だけはいくつか誕生しています。

 やがてそれらの理論を組み合わせた、さらに新しいコンピュータの理論が誕生、実現され、コンピューターの処理速度が爆発的に向上する、大きなブレイクスルーが訪れると思われます。

 その技術革新をAI自身が起こす可能性もありますが、いずれにせよそれにより、AIの性能は現在とは比較にならないほど向上するでしょう。


 さすがにそこまでの社会変化が起きるには、短くてもあと半世紀、長いと百年はかかりそうです。ただ、何か致命的なこと(核戦争で北〇の拳的な世界になる等)が起きなければ、確実に訪れる未来だと思います。


【AIの活躍の場の拡張】

 現状、AIの弱点というか欠点の一つは、実はインターフェースです。

 コンピューターやその中での対応、また音声入力や出力はできますが、それ以上のことはできません。

 ものすごく単純な話、どれだけ優れたAIでも、現状では『ごみ捨てをしてきてくれ』と頼むことはできないわけです。


 なので、おそらくAIの進化と同時に、これらのいわば『出力装置』、言い換えるなら物理的なインターフェースの開発は必須です。

 今でも配膳ロボットなどがありますが、これがより汎用的になり、普通の家庭でも導入されるようになれば、AIのステージはまた一つ変わると思います。

 そしてこの開発は、AIそのものが関わるでしょう。

 その性能次第では、人間以上のことができるようになる。

 さらに言えば、それは人間が働くことすら不要になることでもあります。


【AIが発達した世界】

 この辺りは雑記の『AIとロボット工学が進化しきった世界』でも書きましたが、およそ人間でできることのほとんどがAIでできるようになる未来はほぼ確実に訪れるでしょう。

 絶対にできないのは、生命体としての活動(成長や子をなすこと)くらいでしょうか(それすら可能にするほど生体工学までが発達する未来はとりあえず無視します)。

 となると、当該雑記にも書いたように、人間は労働という行為からすら解放されます。生きていくための生産活動の全てをAIがやってくれるようになる。

 労働自体が『趣味』になる世界ですね。


 以前の雑記にも書いた通り、人間でなければできないもので、おそらくそのような未来でも残るのは、人間ならではの不確実性を楽しむことができる分野。

 芸術やスポーツです。

 特にスポーツは、さすがにほぼ百パーセント意図して結果を作れるAIより、人間が実際に競技するほうが面白いでしょうから、ここだけは現代とそう変わらず残る部分だと思います。

 なので、ゲームなどのいわゆる『eスポーツ』の分野も残ると思います。

 いずれも人間の不確実性を楽しむためのものとして、ですが。


【価値観の変化】

 ただ、こうなると人間がどういう価値観を持っているのかは、私にも想像はできません。

 私個人の体験の話でもありますが、昔の価値観は比較的単純でした。

 自分の身の回りの狭いコミュニティの中で、自分を確立する。可能ならその中で秀でたものを何か持つことで、自己を満足させることができていたと思います。


 それが、インターネットといういきなり世界中につながる仕組みが登場し、さらにそこで自己実現が可能になった。

 その結果、それまで身の回りの人たちに認められれば満足できたのが、その対象が『不特定多数の人々に認められること』の満足を、ほとんどの人が知ってしまいました。従来は、それこそ芸能人やスポーツ選手など、ごく一部の選ばれた人にしかなかった感覚を、ほとんどの人が知ってしまったわけです。

 いわゆる『自己顕示欲』ですね。


 極端な話、SNSなどであまりに愚かな行為をして、それでも注目を集めようとする行為(いわゆる『バズる』ための愚行)も、結局人々の、それも不特定多数の耳目を集めたいだけの行為でしょう。その結果が下手をすると人生を棒に振りかねないと理解してるかしてないかはともかく、その瞬間注目を浴びる快感を優先しているのでしょう。


 ですが、AIが人間の活動のほとんどを代替できるようになると、おそらく自己顕示欲を満たせる場はなくなります。

 何しろ、たいていのことはAIの方が上手くできます。

 無論、人間がやった方が面白いこともあるわけですが、その方向性はどちらかというと道化的、つまり『不確実性を楽しむ』ということになります。

 おそらく今ほどSNS等は盛り上がらなくなる気がします。

 誰がやってもAIには勝てない。

 そうなると、『人間の存在意義』が問われるようになる可能性もあるでしょう。

 このあたり、FGOでも『人間がAI化する』未来を描いていました。実際、処理と情緒という人間の脳の役割のうち、処理はAI任せにする未来はないとは言えないでしょう。

 もはや『人間とは何か』という本質的な問題が出てくるかもしれません。


 そこまでになった社会で生まれた人間の感覚や精神の在り様は、もはや想像すら難しいのでここまでにします。


【著作権の在り方】

 ここまで社会の在り方が変化し、AIが生活や労働を完全に代替するようになると、『創作』や『表現』は数少ない人間の活動領域として残ることになります。

 おそらく『著作権』という考え方は残っていると思いますが、その在り方は今と同じであるとは限りません。


 これまで書いた通り、おそらく創造性ですら人間はAIに及ばなくなります。

 ただ、これに関しては『人間ならではの不確実性』を楽しむ要素は、スポーツ同様残ると思います。

 この分野に限って言えば、AIも不確実に見えるものを製造可能でしょうが、人間『らしさ』があるという判断はあり得ると思われるので、人間の芸術家は残っている気がします。

 ただ、今よりは減るでしょうが。

 そしてそれらには当然著作権が適用されるでしょう。

 あとは、過去の作品の著作権に関する考え方が変わっているかもしれません。

 著作物が過去の人類の『財産』として考えられ、いわば遺物の様な扱いを受ける可能性もあります。

 この時代の芸術家、あるいは作家は、いわば『後世に残す新しい遺物を作る』というような見方をされているかもしれません。

 ただ、文字通り選ばれたごく一部の人だけの職業になっていると思います。


 あるいはまったくその逆で、どうせAIが全部再現できてしまうんだから、著作権なんてものは価値がない、という社会になっている可能性もあります。

 こうなっている場合は、著作権という概念すらなくなっているかもしれません。


【総括】

 AIの進歩はおそらく(核戦争等で世界が滅びない限り)止まることはなく、また、そのうちAI自身がAIを進化させるフェーズに入れば、その進化の速度はハードウェアの制限次第ではありますが、加速度的になる可能性もあります。

 その能力が完全に人間を超え、集団知性としての社会の能力すら上回るようになっていくと、最終的に人間の役割がその社会においてどのように定義されているかは、正直想像も難しいです。

 近現代になって定義された『人間の基本的人権』ですら揺らぐ未来がないとは言えません。これが揺らぐほどの社会がどういうものか、想像はしてみますが、正直非常に難しい。


 実際、未来を描いた小説などは多数ありますが、AIの進化とその人間の在り様に踏み込んだものは、そう多くはありません。というか、たいていの場合は最後の切り札ともいえる『ロボット三原則』をAIにも適用することで、AI(あるいはロボット)が人間に従属する者、としています。

 ただそれでも、『人間が活動しなくても維持される社会』において人間がどういう考えになっているかは、やはり想像が難しい。


 しかもこれはおそらく急速に変わるのではなく、じわじわと、そして気付いたら変化しているのではないかと思えます。

 そしてこれは現実にもすでに起きていることでもあります。

 洗濯など、かつて手作業だったものが機械で行うのがすでに当たり前になっているものは多数あります。

 こういう置き換えが次々に進み、気付いたら人間がやることがなくなっている――そういう時代は、すでにありえない空想でも夢物語でもなくなっていると思います。

 そして同時に、その恩恵を受けられない地域も出てくるでしょう。

 そうした『地域格差』といった社会問題、あるいは人間の在り方そのものが違うという問題も出てくるかもしれません。


 本気でそういうのを考えて小説にしたら、それはそれで思考実験としては面白いとは思いますが――他人が読みたいと思うかはまた別の話ですね。


 結論からいえば、AIが発達し過ぎた世界においての著作権、さらに言えば文化、芸術の在り様がどうなっているかは、もはや『分からない』というしかないかもしれません。

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