ゆめまぼろしの魔法使い

色葉充音

第一夜 死の口づけ

 ——最恐で最愛のお兄様、どうして私を殺すのですか?




 目の前でさらりと黒髪が揺れる。熱をはらんだ金色の瞳が私を映している。こんなにもどろどろとしたものを表に出したお兄様なんて、今まで見たことがなかった。


 押し倒される形でソファーに転がされて、黒いリボンで纏められた両手は頭の上で押さえ付けられている。その力強さに身じろぎをしたら、にこりと冷たい笑顔が降ってきた。


「どうしたの、ヴィティ? 僕が怖い?」


 いつものように優しく私の名前を呼んだお兄様は、いつものようには笑っていない。この状況も、そんなお兄様も、どうしても「怖くない」とは思えない。


「……ああ、こんなにも震えてしまって」


 するりと頬を撫でられる。それに対して大げさなくらい体が跳ねる。くすりと笑う気配がする。


 ふと、お兄様の顔が近づいてきた。ぎゅっと目を瞑ると、唇に柔らかいものが触れる。数回角度を変えて触れると、気配が離れていった。

 ぺろりと自身の唇を舐めたお兄様は「甘いね」と呟く。


 キスをされたと認識できたのは、それから数秒経った後のことだった。ぶわりと顔に、耳に、首に熱が集まる。顔を隠そうにも、両手はしっかりと押さえられたまま。せめてもの抵抗をと機嫌良さげなお兄様から視線を逸らす。


「ふふ、雪が色づいた」


 するとお兄様は、私の銀色の髪を掬ってそこにキスを落とした。まるで愛する人にするような行動をまじまじと見てしまう。ドキドキと暴れる心臓がうるさくて、また熱が集まってきた。


「……誰のせい、ですか」

「うん、僕のせいだね」


 またキスをされた。目を瞑って、息を止めて……。なかなか離れてくれないお兄様のせいで、だんだんと酸素が足りなくなってくる。もはやどちらの理由で心臓が早鐘を打っているのか分からなくなった頃、ようやくお兄様は離れてくれた。

 久しぶりに許された新鮮な空気を取り込もうと口をぱくぱくと動かす。


「キスの時はね、鼻で呼吸をするんだよ」


 ぼんやりとした視界の中、お兄様がまた近づいてくる。酸素を中途半端にしか吸えていなかったから、すぐに限界はきた。

 苦しくて思わず口を開くと、待っていましたと言わんばかりに、熱いものと何かの液体が入ってきた。


「ぅ、……んぅ……」


 息苦しさと、熱さと、シロップみたいな作られた甘さ。ぐるぐるごちゃごちゃと混ざり合って、とうとう飲み込んでしまう。


 瞬間、ぐるりと天地が分からなくなる。あんなに激しく主張していた心臓の音が離れていく。体中の熱も、苦しさも、変な甘さも、その全てが消えていく。

 何が起こったのか。どうなっているのか。……もしかして、ついさっき飲まされた甘い液体のせい?


 そう考えている間にも、どんどんと感覚は消えていく。


 この先に待つのは、——死。そう理解してしまった。


 ……どうして? どうして私を殺すのですか? ……私のことが嫌いになりましたか?


 最期に、喜色を浮かべたお兄様が見えた。




 お兄様と私に血のつながりというものはない。


 私のこの銀髪と灰色の瞳がよくないことを呼ぶからという予言によって、生まれた家から追い出されたのが8歳の時。ティーカップより重いものは持たせてもらえない貴族の娘として育った私に、外の世界で生きていけるほどの力はなかった。


 そんな風にして死にかけていた私を拾い、この木々に閉ざされた山奥の家で今日まで生かしてくれたのがお兄様だ。


 およそ8年間、毎日顔を合わせるうちに、いつしかお兄様のことを「お兄様」ではなく一人の男性として想うようになっていた。


 私を助けてくれるのはお兄様だけ。

 私を守ってくれるのはお兄様だけ。

 私の世界にはお兄様だけ。


 お兄様の名前も知らないし、お兄様が年を取らない理由も分からないけど、それでも私はお兄様だけが大好き。


 ある時、雪に触れてみたくてお兄様に内緒で家の外へ出ようとしたことがある。そうしたらいつもの柔らかい笑顔を消したお兄様から地下にある牢へと入れられて、四六時中監視される生活が始まった。しばらくの間その生活は続いたけど、「絶対にお兄様から離れたりしません」と約束をしたら普段通りの生活に戻った。


 この時ひっそりと誓ったのだ。お兄様を絶対に怒らせてはいけない、お兄様から離れてはいけない、と。内心、本当に怖かった。大好きなお兄様から嫌われたら私は生きていけないから。


 そうして迎えた16歳の誕生日、お兄様から「最高のプレゼント」があると告げられたのがついさっきのこと。あれよあれよと手首にリボンを巻かれて、ソファーに押し倒されて……。……それで、その後はどうなったのだったか。




 ——暗闇に光が差し込む。それを掴み、世界は色を取り戻す。大好きな黒色と金色が見える。


「おはよう、ヴィティ。気分はどうかな?」

「……お、にいさ、ま」


 キスができるほどの距離で金色の瞳と視線が絡む。ぼんやりとした頭で呟くと、お兄様はにこりと笑みを深めた。


「『お兄様』ではないよ」

「……ぇ?」

「僕の名はユオ。誕生日おめでとう、ヴィティ。これで君は僕のものだ」

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ゆめまぼろしの魔法使い 色葉充音 @mitohano

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