呪いと勇者

道端ノ雀

第1話

女の子は誰だって勇者を求め、憧れる。


魔王を倒さなくたっていい。ドラゴンを倒さなくたっていい。世界を救わなくてもいい。


自分だけの、たった一人の勇者を渇望する。


でも私は知っている。

現実はそんなに都合よくはいかない。


私を救ってくれる勇者なんて――存在しない。


だって私は魔女なのだから。


勇者に倒されることはあっても、救われることは絶対にない、、、。


ーーーーー


夜道を歩く一人の青年がいた。


深くかぶった黒のローブが、風に合わせてかすかに揺れる。顔は影に覆われて見えないが、わずかに覗く黒髪が、銀色の光を受けて艶やかにきらめいていた。それは夜の中に咲いた黒い炎のようで、人ならざる静謐さを感じさせる。


コツコツと、彼の足音だけが静かな夜道に響く。


この世界には「呪い」というものが存在する。


人の持つ怒りや悲しみなど、負の感情が集まり、具現化したものだ。


その被害はさまざまで、ただ腹痛を引き起こす程度の軽度なものから、身体を動物に変えられたり、死に至らしめられるものもある。


コツ、、、コツ。


青年が通りを曲がると、一人の女が立っていた。

彼女のスカートが怪しげに揺れる。

深く俯いているため、その表情は見えない。


呪いは特定の想いから生まれる。

最も身近なものは、男女間の痴情のもつれだろう。


そう、、、この女もきっと、、、。


「ウフフ。ウフフフ。」


女は不気味に笑った。

何かのスイッチでも入ったのだろうか、一気に距離を詰め、飛びかかってくる。


青年にあと一歩で届く距離、その瞬間――。


「蒼白き焔は月の涙、その光は鎖、その揺らめきは牢。逃げ惑う影を縛り、夜の輪にて永遠に閉じよ。――〈アウルス・ルナリエ〉」


青い炎の柱が彼女の周りに現れ、動きを封じる。


「ごめんなさい。私、魔女なの。」


青年の姿が闇に溶け、一人の女性が姿を現す。


艶やかな黒髪は背に流れ、夜そのものを纏ったかのように揺らめく。瞳は深い影を宿し、視線を合わせた者の魂を凍り付かせる。彼女の纏う気配は甘美でありながら、近づけば命を吸われるような危うさを孕んでいた。


「男ばかり狙って殺していたようね。おおかた男性への恨みから産まれたのでしょう。だから、あなたを誘き寄せるために魔法で変装させてもらったわ。」


魔女はその女に話しかける。


会話など返ってくるはずはないが、なんとなくだ。


「オトコ、、ハ、イツモ、オンナ、カラ、ウバウ

、、、オトコ、、コロス、、、セイトウナオコナイ」


意外にも女から返答があった。


「驚いた。まさか会話できるとは、、、。

まあ、言ってることは理解できないけど。」


呪いは本来、会話をすることができない。


しかし、強い想いから生まれた強力な呪いは、稀に人の言葉を話す。

会話ができる呪いは、必然的に強力な呪いということになる。


「ジャマ、、、スルナラ、、オマエモ、、コロス」


女が襲いかかる。

しかし、炎の柱がそれを阻む。

その炎は女の身体を焼くためではなく、内側に留めるための結界だ。


「ムダ……ダ」


女は唸るように言った。


そう、無駄だ。


呪いには物理攻撃も、魔法攻撃も効かない。

この魔法でも女を閉じ込めることしかできない。

魔力はいずれ尽き、女は解放されることになる。


唯一、呪いを祓う手段として「浄化魔法」がある。

しかし、浄化魔法を使える者は限られている。王族につかえる神官くらいだ。


当然、身分差別が生まれる。

王都近くの権力を持つ貴族のもとに神官は優先的に派遣され、辺境の平民には手が届かない。

ならば平民たちはどうするのか。


答えは簡単。運が悪かったと諦めるしかない。


何の力も持たない平民は、ただ祈り続ける。

いるかどうかわからない神に、呪いに出会わないように、もし出会ってしまったら、どこかの勇者が自分たちを救ってくれますように、、、と。


そんなことはありえないと知りながらーーー。


だが、彼女は違った。


コツコツ、、、。

ゆっくりと女性に近づく魔女。


「闇は我が血潮より溢れ、その鎖は呪いを絡め取る。滅びの声よ、我が身に刻まれよ。我は受け入れ、我は縛り、かくして封は果たされる。――〈ノクス・コンテヌス〉」


詠唱が始まると同時に、魔女の身体から黒い闇が溢れ出る。


その闇は真っ直ぐ女を捉え、拘束する。

どんなにもがいても、闇から逃れることはできない。

ズズ、ズズ……と徐々に闇に飲み込まれ、やがて全身が見えなくなる。

役目を終えた闇は魔女の元へと戻っていった。


魔女の名は「アン・ラ・コル」


辺境の地に住む魔女だ。


彼女は浄化魔法を使えない。

だが特殊な力を持っていた。

呪いをその身に封印することができるのだ。


村人たちは彼女の力を知ると、懇願した。

家族を、恋人を、守ってほしいと。


月光に照らされた彼女の表情は変わらない。

どこか神秘的で、見る者が見れば魅了されるだろう。


「終わったわね。」


魔女は今日も、一人で呪いを祓う。


ーーーーー


「う、、、っ」


全身が激痛に襲われる。

体の内側で何かが暴れている。

もちろん、その正体は先ほど取り込んだ『呪い』だ。


呪いを取り込むのだ、無事で済むはずがない。


ゴク、ゴク――。


無理やり流し込むようにして、聖水を飲む。

全身を襲っていた痛みが、わずかに和らいだ。


聖水とはその名の通り「聖なる水」。

微量ながら呪いを浄化する力を持つ。


ならば聖水をかけることで、呪いを祓えるのでは?

そう思う者もいるだろう。


だが、それは不可能だ。


正確にいえば祓うことは可能かもしれない。

一本では微弱な力しか持たない聖水も、塵も積もれば、、、というやつだ。

大量にかければ祓うこともできるだろう。

もっとも、聖水で呪いに“滝行”させるくらいの量が必要だが――。


だが、もっと簡単な方法がある。

先ほどの魔法だ。


あの魔法は、私の体を呪い専用の檻へと変えるもの。呪いを封じ込め、弱体化させる。


聖水を一本飲んだ程度では痛みを和らげることしかできない。だが数日かけ、何本も飲み続ければ、呪いを完全に消し去ることができる。


「ぐっ、、、」


今日の呪いはやたらと強い。


聖水を飲んでも、なかなか痛みが和らがない。


ゴク、ゴク――。


二本目の聖水を飲み干す。

私はベッドに倒れ込み、目を閉じた。

半ば気絶するように、意識が途切れていく。


ーーーーー


眠りに落ちると、そこには――


『あなたは世界を救いたいですか?』


頭の中に、妙な声が響く。


変な夢、、、救いたい? 、、、そうね。

確かに、呪いのない世界にしたいとは思う。

そしたら、私にだって勇者が、、、。


「ようこそ、勇者レンタルサービスへ。」


再び響く、得体の知れない声。

無機質な女性の声だった。


「、、、だれ?」


「あなたの世界を救うにふさわしい勇者をご紹介するため、こちらにお呼びした次第でございます。」


「どういうこと、、、?」


そんなもの望んでいない。

鬱陶しい夢だと思い、目を閉じる。


「お待ちください。試しに一度会うだけでも構いません。」


無機質だが押しの強い声。


どうやらこの夢は、私を離してくれないらしい。


「、、、わかったわ。」


「こちらが、アン様にご紹介する勇者です。」


頭の中に、妙な数値が流れ込んでくる――。


ーーーーー


アルペン・エーデルワイズ


年齢  17歳   性別 男


称号  浄化の勇者


体力  1000  魔力  1500

攻撃力 100   防御力 100

知力  100   器用さ 100

素早さ 100   幸運  100


武器  片手剣


ーーーーー


こんなものを見せられても、わからない、、、。

一体この数値は何を表しているのだろう、、、。

ただ、一つ気になる項目がある。


「、、、浄化。」


「はい、アン様は呪いに悩まされているとのことでしたので。」


夢だからなのか。

初対面にも関わらず、どうしてそんなことを知っているのだろう、、、。


「なら、早くこの勇者を紹介して。」


言い返しても無駄だろう。

早くこの夢を終わらせてしまうことにした。

全く、、、なんで夢にまで悩まされなきゃいけないのよ。


「かしこまりました。」


彼女の声が消えた。

変な夢だった。

今日はもう疲れたのだ。

寝ている時くらい、ゆっくり休ませてほしい、、、。

そう思い、意識を手放そうとした時だった。


「お待たせいたしました。」


、、、待っていない。


「はぁ、、、。」


うんざりして、思わずため息をついてしまう。


「初めまして。浄化の勇者、アルペン・エーデルワイズです。これからよろしくお願いします。」


謎の女性に続いて現れたのは、これまた謎の男性。

勇者を紹介すると言っていたし、この男性が勇者なのだろう。


元気いっぱいの声で挨拶をした彼は、私に手を差し出してきた。


、、、握手か。


握手は苦手なのよね。

手が冷たい、死人みたいって言われるから、、、。

まあ、でもこれは夢。


差し出された腕を、仕方なく握り返す。

ほんのり彼の体温が伝わってくる。

ずいぶんリアルな夢ね、、、。


「よろしく。」


こうして、漆黒の魔女と浄化の勇者。

実に対照的な二人の冒険が、今、始まった。


ーーーーー


眩しい朝の日差しを受けて、目を覚ます。


昨日の呪いの影響だろうか。

体は重くだるく、全身に刺すような痛みがある。


「喉が渇いた、、、。」


鉛のような体に鞭を打ち、無理やりベッドから這い上がる。

ガチャリと寝室を出て、キッチンへ向かう。


そこで、ある違和感に気づいた。


、、、いい匂いがする。


私は一人暮らしだ。

なのになぜ、食べ物のいい匂いがするのだろう。

警戒心を強め、いつでも魔法を放てるよう準備し、恐る恐るダイニングの扉を開く。


「おはよう!」


朝から元気な青年。


「だれ、、、?」


「え? あれ? 覚えてない?」


寝ぼけていてまだぼんやりとしていたが、徐々に記憶が鮮明になっていく。


そうだ、、、昨日の夢。


「夢じゃなかったの?」


これは半端な願望だった。

勇者レンタルサービス? 訳がわからない。

夢だから、夢の中でそんなことを言われても意味はない。

受け入れたのに、現実だったとは、、、聞いていない。


「現実だよ?」


あっさり告げられる。

正直、厄介ごとを押し付けられた気分だ。


「うそ、、、。」と呆然としていると、背中を押され、無理やり椅子に座らされる。


「さあさあ、朝ごはんできてるから、食べて食べて!」


朝ごはん、、、。


先ほどから鼻をくすぐり、胃袋を刺激していた正体はこれか、、、。


テーブルに並んでいたのは、トーストとスープ。

私はひとまずスープに口をつける。

口に含んだ途端、玉ねぎの旨みが広がる。

どうやらオニオンスープのようだ。具材は玉ねぎと燻製肉。

燻製肉の旨みと玉ねぎの甘みがよく溶け出していて、実に味わい深い。


、、、美味しい。


次にトーストにかぶりつく。

外はカリッと、中はふわっとした絶妙な焼き加減。

バターが塗られただけのシンプルなものだが、バターの塩味とパンの甘味が絶妙にマッチして、とても美味しい。

一体何をどう調理したのやら。

私がやっても、ここまでの味は出せないだろう。


認めたくないけれど、かなり美味しい、、、。


それに、なぜか体が軽くなった気がする。

皮肉にも、私はこの朝食を堪能してしまったのだ。


ーーーーー


私は朝食を食べ終えると、ある疑問をぶつけた。


「勇者レンタルサービスって、一体なんなの?」


彼はんーとしばらく考え込んだあと、答えた。


「望まれた世界に、望まれた勇者を貸し出すシステムだよ。えーと、確か、以前は勇者が適当に異世界から召喚されてたんだって。でもそれだとトラブルが起きて、なんとかしなきゃって、このシステムができた、、、みたい。」


誰かから聞いただけなのか、若干曖昧な返しだ。


「トラブル?」


「うん、戦ったことがない人間もいるからね。そんな奴がいきなり魔王を倒せ!って無理でしょ?」


まあ、そうよね。


物語の勇者なんかは最初から強い力を持って生まれることもあるが、実際には難しい。

力はあっても経験がなければ弱い。

どんなに強くても、宝の持ち腐れだ。


「一理あるわね。なら、あなたは勇者になるための訓練を受けたってこと?」


一体どんな訓練をするのだろうか。純粋に興味がある。

だが、意外な答えが返ってきた。


「んー、してないと思う?」


「なぜ疑問系?」


「何も覚えてないんだ。ここに来る前のことを。」


「それなら、以前と変わらないんじゃないの?」


「そう言われれば確かに、、、。適正みたいなのは見られてるけど、経験値は低いままだよね?」


質問を質問で返されてしまった、、、。


どうやら彼の方も曖昧らしい。

夢だと思って鵜呑みにせず、あの時もっと詰め寄るべきだったな、、、。


「記憶がないなら、今あなたの持っている知識はどこで得たの?」


「えーと、目覚めた時に頭の中に知識として入ってた感じかな。」


ちなみに、魔法も使えるらしい。


うーん、、、謎は深まるばかりだ。

そして私はもう一つ、気になる質問をした。


「そもそもレンタルって、なんなの?」


聞き馴染みのない言葉だ。


「借りるって意味だよ」


借りる、、、それはつまり。


「あくまで勇者を借りてるだけなら、返す必要があるってこと?」


「うん、返さなければいけないことになってるよ」


「なら、今すぐ帰って」


「、、、え?」


少ししょんぼりした、悲しげなトーンで返すアルペン。


「帰れないんだ」


一体どういうことだというの。

返却しなければいけないのに帰れない、、、。

何かを救ったり、役目を果たさないと帰れないのだろうか。


「、、、帰れないことはないけど、やりたくないんだよね」


私には聞こえない声量で、ポツリと呟く勇者。


ーーーーー


「魔女様!! 隣村で呪いが!」


彼が来てから、初めての依頼だ。


二人で向かうのかと思いきや、私は一人で隣村へ向かった。


ちなみに彼は置いてきた。

ちょうど食材の買い出しで、留守にしていたのだ。


「このうちには食材が少なすぎる!」


と文句を言いながら、村へ買い出しに出掛けていった。

それもそのはず、私は料理をしない。

というか、あまり食事に興味がない。

普段はパンと干し肉で済ませることが多く、食材などあるわけがない。


まあ、とりあえず好都合。

私は一人で向かった。


ーーーーー


呪いが現れたという村。


住民は逃げてしまったのか、全く人の気配がない。

呪い相手では村人は何もできない。逃げるのが正しい選択だ。


村の中央にある広場に着いた時だった。


「うがぁぁ!」


男が襲いかかってきた。


ただの人間ではない。漂う負の魔力。

呪いにかかって、生ける屍――ゾンビとなってしまったのだろう。

多少心は痛むが、何もしないわけにはいかない。

この人はもう助からないのだ。


「紅の珠よ、舞え、巡れ。虚空を翔け、敵を射抜け。――〈フラーマ・オルビタ〉」


男に向けて火球を放つ。


「うがぁぁぁ!」


悲鳴をあげ、倒れるゾンビ。


呪い本体には魔法も物理攻撃も効かない。

だが、男のように呪いをかけられた者には有効なのだ。


私はゾンビを倒すことができた。

これで問題は解決――とはいかなかった。


次から次へとゾンビがやってくる。

呪い本体を倒さなければ意味がない。

だが、探そうにもゾンビたちが邪魔で、うまくいかない。


「紅の珠よ、舞え、巡れ。虚空を翔け、敵を射抜け。――〈フラーマ・オルビタ〉」


一体何体のゾンビを倒したのか。

ゾンビの数から、おそらくこの村以外にも被害が出ていたのだろう。


「、、、うっ」


魔力の欠乏により、頭痛がする。


まずい、、、魔力が、もう、、、。

魔力が切れれば、私はなすすべなくやられるしかない。

その前になんとかしない、、、。


半ば諦めかけていたその時だった。


「白き光の波よ、闇を裂き、汝らの呪縛を解け。微睡む影を照らし、罪を清めよ。我が意志とともに、光よ舞い、全てを祓え。――〈アルボル・ルクス〉」


暖かい光が辺りを包み込み、ゾンビの群れが消えた。一体何が起こったのか。


「ここにいた。」


この声の主は、今朝からの同居人だ。

だが、彼は置いてきたはず――。


「助かったわ、、、でも、どうしてここに?」


「夕食の時間になっても返ってこなかったから」


「は?」


予想外の一言だった。


夕食、、、。確かに食べていない。

確かに彼は夕食の買い出しに行った、、、。


でもここは――死地なのだ。


下手をすると死ぬ可能性だってある。

呪われる可能性だってある。

そんな危険な場所にいた理由が夕食?


「はぁ、ご飯って大事なんだよ?

君、不健康そうだし、そうやっていつも蔑ろにしてるんじゃない?

ご飯はちゃんと食べないと!」


「、、、。」


唖然とする。

怒られていることは理解できたが、内容は全然頭に入ってこない。


「さ、返ってご飯食べよう!」


ほら行くよ、と呆然としている私の手を引き、帰ろうとする彼を慌てて引き止める。


「待って、まだここの呪いを払えてない」


彼からは、仕方ないな~という声が返ってくる。


「あなた、仮にも勇者よね?」


思わず聞いてしまった。


そう、彼は勇者なのだ。

勇者なはず? 紹介された時も勇者って言ってたし、、、。


「え? そうだけど?」


あっけらかんと返ってきた。


「世界を救いたいとか、使命とかは、、、。」


「ん~特にないかな」


この男は、本当に勇者なのだろうか、、、。


「さ! さっさと呪いを祓って、ご飯にするぞ!」


おー! と一人で意気込む彼を見て、私は内心突っ込まずにはいられなかった。


そんな“ついで”で済む話ではないと――。


ーーーーー


私たちはしばらく街の中を進んだ。


度々ゾンビに出くわしたが、この浄化の勇者(仮)の力により、あっさりと倒されていく。


実力はちゃんと勇者なのね、、、。


呆れつつも進み続ける。

私たちは、とある家の前にたどり着いた。

ぱっと見はなんの変哲もない民家。

しかし、どこか違う。漂う空気が重苦しい。


「ここかな?」


その気配は彼も感じていたようで、先ほどまでのあっけらかんとした態度とは打って変わり、言葉には緊張が滲む。


「そう見たいね、、、。」


私たちは意を決して中に入った。

家に入ると待ってましたと言わんばかりに呪いが待ち受けていた。


「ウガァァ!」


呪いが雄叫びを上げる。その声を聞くなりすかさずアルペンは浄化魔法を打ち込む。


「白き光の波よ、闇を裂き、汝らの呪縛を解け。微睡む影を照らし、罪を清めよ。我が意志とともに、光よ舞い、全てを祓え。――〈アルボル・ルクス〉」


当然のように避けられる。


「ちっ」


「簡単に当たるわけないでしょ。私が時間を稼ぐ、その隙にお願い」


浄化は優秀だが、命中率は低い。


呪いにかけられた人たちを倒すくらいなら広範囲化でカバーできるが、呪い本体を倒すには威力不足。

まずは、呪いの動きを止める必要がある。


「紅の矢よ、舞え、裂け。影を穿ち、血潮を焦がし、我が意に従い、敵を貫け。――〈イグニス・フェルス〉」


私は様子見の火の矢を放つ。

もちろん防がれるのは織り込み済み。


「白き光よ、闇を裂き、飛翔せよ、我が意に従い、敵を貫け。――〈ルミナ・アーク〉」


すかさず彼が光の矢を放った。

こちらも効かないか、、、。


「うわっ!」


呪いが彼に襲いかかる。

彼はすかさず魔法で剣を作り、受け止める。


キィィン! キィィン!


器用に剣で呪いの攻撃を防ぐ。


あの勇者剣も使えたのね、、、、。


その攻防を見て、場違いにも感心してしまった。


「ちょっと!時間稼ぐんじゃなかったの?」


余計なことを考えていたのがバレたのか、不満気だ。だが私だってただ観戦していたわけではない。


「蒼白き焔は月の涙、その光は鎖、その揺らめきは牢。逃げ惑う影を縛り、夜の輪にて永遠に閉じよ。――〈アウルス・ルナリエ〉」


青白い炎の柱が呪いを囲むように展開する。


「今よ!」


私の言葉を合図に、勇者も詠唱を開始する。


「白き光の波よ、闇を裂き、汝らの呪縛を解け。

微睡む影を照らし、罪を清めよ。我が意志とともに、光よ舞い、全てを祓え。――〈アルボル・ルクス〉」


「ウガ、、、ウググ、、、。」


呪いが浄化されていく。


あれだけ被害が出ていたのに、こうもあっさり浄化されるなんて、、、。さすがは勇者の力。


「、、、終わったな。はい!」


そう言って、彼は私の前に手を差し出してくる。

きょとんとしていると、急かすように言った。


「ハイタッチだけど、もしかして知らない? ほら、手を出して!」


ハイタッチくらい知っている。

ただ、やったことがなかっただけ、、、。


ぱちん。


手と手を重ね合わせただけ。それだけなのに、心の奥がジンと熱くなる。

妙な気分に照れくさくなった私は、意識を別の方向に逸らす。


「剣なんて使えたのね」


「もちろん、僕、浄化の勇者だから」


「理由になってないわよ、、、。」


呆れたが、なんとなく彼らしい回答だ。

ようやく終わったと、帰り道へ一歩踏み出した瞬間。


ズキン。


強烈な頭痛に襲われ、平衡感覚を失った私は力なく倒れ込む。


「アン!」


咄嗟に支えられ、地面に倒れるのは回避された。

「怪我したのか? それとも呪いか!?」


焦りながらも、しっかり私を抱き上げる彼。


「、、、平気、魔力が切れただけみたい。少し休めば回復するわ」


「そうか、、ならご飯食べよう! 魔力だってすぐに回復するさ!」


またご飯、、、そうだった。

この勇者はご飯のことしか考えていない、、、。


呆れつつも、どこかその態度に安心感を覚えた。

長い戦いに疲れが溜まっていたのだろう。

彼の腕の中で、私は眠ってしまった。


ーーーーー


目を覚ますと、自分のベッドに寝かされていた。


彼が運んでくれたのだろう。迷惑をかけてしまったな、、、。

彼はどこにいるのだろう。


部屋を探すと、気配はない。

だが、なんとなく確信が持てた。


そう、この匂い。


目が覚めた時から感じていた、食欲をそそる匂い。

まだ本調子ではないが、眠っていたことで魔力は少し回復したらしい。

重い体を引きずり、ダイニングへ向かう。


そこにはやはり彼がいた。


「あ、目が覚めた? ちょうど準備できたし、起こそうと思ってたんだよね」


いつも通りの態度で迎えられる。


「、、、今回は迷惑かけてごめんなさい。それと、家まで送ってくれてありがとう」


慣れない言葉に若干もじもじする私をよそに、彼は平常運転。


「ん? そんなこと気にしなくていいよ。さ! 覚めないうちに食べちゃって!」


テーブルにはパンとサラダ、そしてシチューが並んでいる。


私はまずシチューを頬張った。

口に入れた瞬間、濃厚でクリーミーなスープが広がる。

具材は玉ねぎ、ジャガイモ、ニンジン、鶏肉。

どれもホロホロになるまで煮込まれていて、口の中でとろける。


パンはふわふわで甘味の強いバターロール。シチューによく合う。


サラダはレタス、キュウリ、トマト。

一見普通だが、かかっているソースが一味違う。

少し酸味の効いたソースが野菜のおいしさを引き立てる。


シチューの合間に食べると、口の中をさっぱりさせてくれる。


シチュー、パン、サラダを交互に食べ進める。


うん、これなら無限に食べられそうだ。


ちゃっかりおかわりしてしまったのはここだけの話。


ーーーーー


「今度はどんな呪いなんだ?」


私たちは夕焼けの中、森を進んでいた。


前回の呪いとの戦いから一週間。

再び私の元に依頼が届いたのだ。


今回も一人で向かおうと思ったが、彼がガンとしてそれを許さなかった。


「全貌はわからないわ。ただ、この森で何人もの村人が行方不明になってるそうよ」


数日前から、この森で行方不明事件が続いているという。


もちろん獣や迷子の可能性もなくはない。

しかし捜索に向かった村人たちも帰ってこないとなると、素人ではどうにもできないと考えたのだろう。


一体この森で何が起きているのだろうか。


「ふーん、あ、俺、夕食にお弁当持ってきたんだ。食べやすいようにサンドイッチにしたから食べて!」


この勇者は、、、。

人が行方不明になった森で、よく食事なんて、、、。


文句でも言ってやりたいところだが、手渡されたサンドイッチを食べてしまっている以上、私も同罪だ。


仕方ない、美味しいのだから。

サンドイッチに罪はない。


シャキシャキのレタス、ハーブで味付けされた鶏肉、酸味の効いたニンジンのマリネ。さっぱりとしていて、実に美味しい。


あっという間に平らげてしまった。


「はい、どうぞ」


「ありがと」


私が食べ終わるのを見越して、次のサンドイッチを手渡してくる。


もう文句を言う気にもならない。


二個目のサンドイッチは、甘辛く味付けされた鶏肉と卵が挟まれていた。まるで「一緒に食べるために生まれてきた」とでも言いたげな、この絶妙な組み合わせ。


うん、何個でもいけそうだ。美味しい。


「すっかり顔色も良くなったよね」


きょとんとしていると、彼が続ける。


「気づいてない? 出会ったときは死ぬんじゃないかってぐらい真っ青な顔してたけど、最近はだいぶ血色が良くなってるの。僕のご飯のおかげだな!」


たしかに最近、体が軽い。


でも「自分のおかげ」と言われると癪に障るので、無視しておく。


ーーーーー


お腹も満たされたので、捜索に力を入れる。


日が沈んだ頃、待ち望んでいたその時は突然やってきた。


鼻を突く血の匂い。


「げ、、、」


隣を歩く彼が、妙な声を上げる。


そこにいたのは呪い、、、ではない、人間だった。

だが、呪いにかかっている。


それだけならまだよかった。


問題は、その行動だ。

ぐちゃぐちゃと音を立て、鉄のような匂いが辺りに充満している。


「人間を、、食べているのか、、、。」


彼の言葉に恐怖と嫌悪感が混ざる。

そう、人間を食べているのだ―――。


先にご飯を済ませていたことに、心底安堵する。

しばらく固形物、特に肉は食べられそうにない、、、。

ーーーーー


「帰りたい、、、。」


珍しく、彼が弱音を吐いた。


無理もない。私も正直、早くこの森を抜けたい。


最初の一体を皮切りに、目の前で人を食べる呪われた人間を何体も見て倒してきた。

予想以上の被害だ。


地面にはあちこち、人の骨と見られる物体が散らばっている。


おそらく人の骨だ。


彼も気づいている。でも、口には出さず、お互い触れないことにしている。


「「、、、はぁ」」


無意識に、二人のため息が重なる。


森をさらに進むと、血の匂いが一層濃くなる。

気を抜けば、先ほどのサンドイッチが全部出てきそうだ。


何かが山のように積み上げられている。

その上に、男が立っていた。


「人の、、、死体の、、、山。」


恐怖に震える彼の声。

無理もない。あれが全て人間の死体ならば、相当な数だ。


「ヨウコソ、ショクザイタチヨ、オレ、オマエラ、クウ」


話している内容については考えたくもない、、、。


今、この瞬間、私たち二人の考えていることがぴったり重なる。


「白き光よ、鋼よりも鋭く、炎よりも清く、我が手に集え。闇を切り裂く刃となれ。――〈ルミナ・ブレード〉」


先制攻撃は彼。


光の剣を生み出し、呪いの爪に切りかかる。

剣と爪がぶつかり合い、激しい攻防が始まった。

私も詠唱に取り掛かる。


「紅の矢よ、舞え、裂け。影を穿ち、血潮を焦がし、我が意に従い、敵を貫け。――〈イグニス・フェルス〉」


炎の矢が呪いに向かって飛ぶ。

しかし、呪いは闇の力でそれを防いだ。


「、、、コザカシイ」


死体の山から数体がむくりと起き上がる。


「うがぁぁぁ」


死体たちは雄叫びをあげ、私めがけて一直線に襲いかかる。


「アン!」


悲鳴にも似た叫びが響く。

彼は呪いと斬り合い、手が離せない。

けれど、大丈夫。


「蒼き凍てつく刃よ、地より顕れ、我が意に従い、その冷気で敵を穿て。――〈グラキア・インカリス〉」


地面から氷の刃が現れ、死体たちを串刺しにする。


忘れてもらって困る、私だって戦えるのだ。

大丈夫な、はずだった。


――ぐさり。


強烈な衝撃と共に、腹部に激痛が走る。

いつの間にか、呪いが私の前まで来ていたのだ。


「くっ、、、。」


すぐに後方へ退避し距離を取るが、痛みに耐えきれず思わず膝をつく。


その隙を逃さず、呪いの攻撃が再び私を襲う。


キィィン!


彼が剣で受け止める。

そのまま斬り合いが始まるが、動きが少し鈍いことに気づく。


「蒼き凍てつく刃よ、地より顕れ、我が意に従い、その冷気で敵を穿て。――〈グラキア・インカリス〉」


私は氷の刃を再び放つ。

呪いは後方に吹き飛ばされた。


「無事か?」


彼がすぐに声をかける。


「平気。そっちこそ怪我してるでしょ」


「、、、あ、ああ、かすり傷だよ」


数秒の沈黙。

嘘だと分かる動きだが、お互い様だろう。


「数秒、時間を稼いで」


私は提案した。


「了解」


彼は力強く駆けだす。

そのタイミングで、私も最大級の魔法を詠唱する。


「破滅を抱き、災いをもたらせ。我が力の名のもとに、全てを焼き尽くせ。――〈フラーマ・カタクリズマ〉」


天から灼熱の炎の柱が降り注ぐ。

これなら―――。


「キカヌ」


無情にも呪いは立っていた。

その殺気が、私へ向けられる。


でも、それが私たちの作戦だ。


「白き光の波よ、闇を裂き、汝らの呪縛を解け。

微睡む影を照らし、罪を清めよ。

我が意志とともに、光よ舞い、全てを祓え。――〈アルボル・ルクス〉」


彼の剣が呪いに突き刺さった。

次の瞬間、呪いの体は砕け散った。


なんとか、勝利を掴み取った。


ーーーーー


「白き救いよ、痛みを洗い流せ、我が祈りに応え、彼の者の傷を癒せ。――〈ルミナ・アクア〉」


暖かく、身体中の痛みが消えていく。まさか、回復魔法まで使えたのか、、、この勇者。


「ありがと。」


「どういたしまして。」


「流石に今回はやばかったわね」


「ああ」


沈黙が流れる。

先ほどから、なんとなく彼らしくない。

いつもなら、戦いが終われば「飯にするぞ」なのに、、、。


「、、、なぁ」


彼は意を決したように口を開いた。


「、、目、見えてないだろ」


思わぬ一言に、心臓がどくんどくんと高鳴る。

どうして、、、?


「なぜそう思うの?」


「前々から怪しいとは思ってた。ただ、確信を持てたのはさっき。俺に怪我してるのかって確認しただろ?あの時、俺はあいつの爪で腹に穴が空いていたし、血も結構出てた、、、それなのに、アンは怪我しているのかって聞いただろ?見えているなら、一目で分かるはずだ」


確かに、、、失念していた。


私は今まで誰にも話していなかった秘密を口にした。

なぜだろう、彼なら受け入れてくれる気がした。


「小さい頃に、、、呪いを受けて、、、、」


自然と声が震える。


私は幼少期に呪いを受け、それ以来目が見えない。 

光を感じる程度は分かるが、それ以上は何も見えない。

普段は魔力探知の魔法で周囲を把握している。ただ、それも完全ではなく、物のシルエット程度しか分からない。怪我の有無も判別できない。


魔力が切れると、歩くことさえままならなくなる。


ちなみに私の能力も、この呪いに起因する。

私は呪いによって視力を奪われた。その部分は魂や魔力レベルで「すっぽり開いた状態」になっている。だからそこに呪いを取り込むことができる。

しかも、私にかけられた呪いが強力だったため、他の呪いはかからなかった。


だが、まさか気づかれるとは思わなかった。


今まで多くの人と関わってきたが、誰も私の秘密に気づかなかったのに、、、。


ーーーーー


「それで?呪いはどこで受けたんだ?」


私の秘密がバレてから、もう1か月が経った。

前回の戦いで受けた傷も、ふたりともすっかり癒えている。


「、、、。」


無視して、私は用意された朝食を頬張った。


今日の朝食はフレンチトーストだ。


卵と牛乳で作った甘い液をたっぷり吸ったパンは、口に入れるとじゅわっと甘さが広がる。はちみつをさらにかけて口いっぱいに頬張る――これぞ、至福。


「聞いてるのか?」


うるさいな、、、。


あれから彼は毎日この質問を繰り返している。

でも、私の答えはいつも黙秘。


今日は、どうやらそれも許されないらしい。


「ちょっと!」


るんるん気分で次の一口を食べようとした瞬間、すっとお皿を引かれる。


「、、、返して」


もちろん目では見えていない。でも、抗議の視線はしっかり向けた。


「傷ももう治った。そろそろ話してもらう。白状するまでこれは渡しません」


いつもより少し強めの口調。


その意思の固さに、私はため息をつくしかなかった。


「、、、」


数秒の沈黙。

観念した私は、ついに口を開いた。


ーーーーー


辺境の地。


そこには昔から、その土地には不釣り合いなくらい、やたらと美しい館があった。 


持ち主は不明。

貴族の館であるにもかかわらず、使用人の姿ひとつ見られなかった。


いつしかその館は「幽霊の館」と呼ばれるようになり、周辺の村々では「絶対に近づいてはいけない場所」として周知徹底されていた。


そう、私はその日、その掟を破った。


私の住む村の近くにその館はある。

小さな子どもでも歩いていける距離だ。

誰も住んでいないのに、苔ひとつない綺麗な館は、私の好奇心を刺激した。


そして、逆らえぬ衝動に従い、館の門を押し開けてしまった。


その後の記憶はない。


数日後、館の近くの森で迷子になっていた私を村人が見つけたらしい。

当時の私は、数日間の記憶を失っており、なぜ森で彷徨っていたのかも分からなかった。


そして、その時、私は視力を失った――。


――そして今日、再びこの館に足を踏み入れる。 


「本当に行くつもり?」


正直、そこまでする必要はない。

これまでだって不自由なく生活していたのに。


「もちろん」


彼は力強く頷いた。意思は固い。

そして、私の手を取り、館の中へと一歩を踏み出す。


妙だった。


呪いが住む館なら、もっと重苦しい雰囲気があってもおかしくない。

血の匂いもしなければ、埃っぽさもない。

外観と同じく、中も清潔で整っていた。


まるで今でも誰かが住んでいるかのようだ。


私たちは奥へ奥へと進む。

彼も油断はしていないし、私も魔力探知を怠っていなかった。


それでも、気づけなかった。


「やあ、いらっしゃい」


背後から、いきなり聞こえた少し低めの男性の声。

その声は優しく、歓迎しているようにも感じられた。


普段なら何も思わなかっただろう。


だが今は違う。全身に悪寒が走り、鳥肌が立つ。

ここは呪いの館。誰も住んでいないはず。


恐る恐る振り返る。


やはり男はそこに立っていた。


今まで私たちが通ってきた道。そこには何もなかったはずなのに。


「すみません、勝手に入ってしまって、、、。

とても綺麗な屋敷でつい見惚れてしまって、、、。あなたの館ですか?」


彼が少し嘘を混ぜて問いかける。情報を探るためだろう。


「ええ、ここは私の館ですよ」


意外にも、いきなり襲ってくることもなく、会話が成立する。


この人物は呪いなのか、それとも本当に人間なのか。


「僕たちは近くの村に住んでいるのですが、この屋敷には誰も住んでいないと言われていたので、入ってしまったのです。持ち主がいらしたのですね。勝手に入ってすみません。もしよろしければ、何時ごろからここに住んでいらしたのですか?」


「そうだね、、、。ずっと昔からさ」


妙に含みのある返答だ。


「そうなんですか。あ、僕の名前はアルペン・エーデルワイズです。あなたは?」


「ああ、名前かい?私はチャールズ・アルブライトさ」


聞いたことのない名前だ。


辺境に住むため、すべての貴族を知っているわけではないが、私の知る限り、そのような人物は知らなかった。


「アルブライトさんは、ここにお一人で住んでいるのですか?」


「いいや、同居人がいるんだ。せっかくだから紹介しよう。ついてきて」


そう言い、謎の男は振り返り歩き始めた。

ついて行っていいのだろうか、、、。


迷っている私たちに、男は催促する。


私たちは唾を飲み込み、意を決して後に続いた。

彼が向かったのは地下室。


手には灯籠、石造りの階段が地下へと続いている。

一段また一段と降りるたび、温度が下がるのを感じた。


だが、緊張によるものなのか、それとも本物なのかは分からない。


もしこの男が呪いだとしたら、確実に罠である。


しかし、正直、確信が持てなかった。


その所作があまりに自然だからだ。

呪いにも会話できるものはいる。力の強いものなら知性もある。


だが、これほど流暢に会話し、貴族のように端正な振る舞いをする呪いは、私は見たことがなかった。


「さあ、ついたよ」


ーーーーー


しばらく階段を下りたあと、ようやくお目当ての場所に辿り着いたようだった。


目の前には、重厚な一枚扉。

謎の男が音もなく扉を開ける。


そこは小さな小部屋だった。


壁一面には無数の小瓶が、まるで宝石のように整然と並べられている。

実験室だろうか――。


同居人を紹介すると言っていたが、生き物の気配も呪いの気配も感じられない。


「瓶詰めされた、、、めだま、、、?」


隣の彼が小さく震える声でつぶやいた。

深い恐怖がその声に滲む。

――今、なんて言った?


瓶詰めされた目玉?


じゃあ、この壁一面を覆う瓶の中身は全部、、、?

想像しただけで吐き気が込み上げる。

今ほど“見えない”ことを幸運に思ったことはなかった。


「そうさ。これが僕の同居人たちだよ。美しいだろう?」


謎の男の声が、不気味なほど優しく響く。


「おまえ、、、呪いなのか?」


彼が、ずっと胸に渦巻いていた疑問をようやく口にする。


「ああ、そうさ。隠すつもりはなかったし、知られたところで問題もない。それに――君たちも、これから僕の“同居人”になるんだからね。知っておくべきだろう?」


肯定の言葉。

だが、その穏やかな口調が、かえって恐怖を掻き立てた。

全身に鳥肌が立ち、心臓が速く脈打つのに、手足は氷のように冷たい。


「、、大人しく同居人になるつもりはない」


彼はそう言い放ち、光の剣を生み出して男に構えた。


私も魔力探知を研ぎ澄ませ、警戒態勢に入る。

――だが、次の瞬間。


頬に、冷たい悪寒が走った。

氷のような手が私に触れる。

いつの間に、、、?

私と謎の男の間にいた彼の姿が、どこにもない。


「美しい瞳だね。でも、よく見たら、、、君はもう、僕の同居人だったんだね」


ドクン、ドクンと心臓が普段の倍速で脈打つ。

動かなければ、この手を振り払わなければ、と分かっているのに、身体がまったく言うことを聞かない。


「アン!」


後方に吹き飛ばされていた彼が、謎の男に斬りかかった。


その声に、私はハッとし、ようやく体が自由になる。

すぐに距離を取り、詠唱を開始した。


「全く、無粋な子だな」


男の声は、相変わらず優しい。怒りや恐怖といった負の感情は一切感じられない。


「蒼白き焔は月の涙、その光は鎖、その揺らめきは牢。逃げ惑う影を縛り、夜の輪にて永遠に閉じよ――〈アウルス・ルナリエ〉!」


青白い炎の檻が男を取り囲む。


「ふうん、、、綺麗な魔法だね。でも、残念」


男がぱちんと指を鳴らすと、炎は一瞬で掻き消えた。 


強すぎる、、、。


彼も剣で懸命に攻撃しているが、男の態度は崩れない。


――――


別の魔法を試すが、どれも通じない。

いや、膠着させられている。


こいつは本気を出せば、きっと私たちを殺せる。


その気がないだけだ。


「ふぅ、、、。」


私は深く息を吐き、決意を固める。

一歩、また一歩と男との距離を詰める。


「アン!?危険だ!」


彼の制止を無視して、さらに進む。


「おや、どうしたんだい。降参かな?」


男は意外にも私の行動を許している。

きっと、いつでも殺せる自信があるのだろう。

――でも、これなら。


男に触れるほど近くまでたどり着いた私は、先ほどから中断していた詠唱の続きを唱える。


「〈ノクス・コンテヌス〉!」


そう、呪いを私の体内へと封印する魔法。


「!?」


男が初めて、焦りの色を浮かべた。だがもう遅い。

彼は闇に呑まれ、私の中へと封印された。

同時に、全身を焼くような激痛が走り、その場に崩れ落ちる。


「、、、うっ」


「全く、こんなことをするとはね。でも無駄だよ。私を取り込むなんて無茶をする」


ぞわぞわと体の内側を弄られる感覚。

気持ちが悪い、、、。

私を操ろうとしていることを本能で感じ、必死に抵抗する。


「アン!!」


心配そうに駆け寄ってきた彼が、私を抱き上げる。

私はそんな彼に告げた。


「早く、、、浄化を、、、。」


「白き光の波よ、闇を裂き、汝らの呪縛を解け。微睡む影を照らし、罪を清めよ。我が意志とともに、光よ舞い、全てを祓え――〈アルボル・ルクス〉!」


返事の代わりに彼は浄化魔法を放った。


「くっ、、、。」


これほど強い呪いだ。いつものように上手くはいかない。


これは我慢比べ。


私がこの男に負け、操られるか、

それとも浄化が先か――。


「白き波動よ、天空を貫き、世界を覆え。影と闇の痕を拭い去り、汝らの呪縛を永遠に断つ!」


彼がより高位の呪文の詠唱を開始する。


男も私たちの狙いに気づいたのか、抵抗を一層強める。


「うっ、、、あっ、、、あぁ!」


全身を走る激痛に、思わず悲鳴が漏れる。

限界を迎え、意識が遠のいたその瞬間――

勝利の女神はこちらに傾いた。


「我が意志と光とが一つとなり、全てを清める力となれ――〈アルボル・ルクス・マグナ〉!!」


暖かい光が全身を駆け巡る。


「まさか、、これほどの力を、、、。」


男は苦痛の声を上げ、そのまま完全に消滅した。

――勝ったのだ。


私はそのまま、意識を失った。


ーーーー


目を覚ます。


心配そうに覗き込む瞳と目が合った。

私とは対照的なくりっと丸い黄金の瞳。

天然のカールがかった白髪の青年がそこにいた。

彼は私を見つめ、息を詰めるように眉をひそめている。


―――見える。


「アン! なんて無茶をするんだ! あんまりだ! もっと自分の体を大事にするべきだ!!」


私の感動などお構いなしに、始まる怒涛のお説教タイム。

その彼らしい行動に、思わずクスリと笑みがこぼれた。


「、、、聞いてる? ん、、、あれ? もしかして、、、見えてる!?」


「ええ、そうみたい。」


弾けるように、パァッと彼の顔に笑顔が咲いた。

――ああ、この人はこんな表情で笑うのか。


「よし! お祝いしよう!」


「え?」と返す間もなく、

「腕によりをかけて作るぞ!」と彼はキッチンへ駆け出していった。


私は窓の外に目を向ける。


地平線の向こうから、ちょうど太陽が昇っている。

光が反射してあちこちがきらきらと輝く。

朝焼けなんて、いったい何年ぶりだろう。


私は、今目にしている“世界”に、そっと想いを馳せた。


ーーーーー


「じゃーん! 腕によりをかけました!」


テーブルには、彼の言葉通りのごちそうが並んでいた。


チキンステーキ、ビーフシチュー、ハーブで焼いた魚料理、

サラダにチーズ、燻製肉、そしてバリエーション豊かなパン。

二人では到底食べきれないほどの量だ。


「いただきます。」


ステーキを頬張る。

様々なハーブの香りが鼻をくすぐり、噛むたびに肉汁があふれ出す。


「美味しい、、、!」


「うんうん、そうだろ?」


頑張った甲斐があった、と誇らしげに頷く彼に、

私は胸にしまっていた疑問を口にした。


「、、、帰らなくていいの?」


「へ? なんで?」


本気でわからないといった顔だ。


「勇者レンタルサービスって、いずれ帰らなきゃいけないって、、、言ってたじゃない。」


借りたものは返すもの。

私の呪いは解けた。

今がその時なのではないか――胸の奥がちくりと痛む。


「ああ、俺の意思じゃ帰れないって言ったろ?

あれは使命を果たしたらって意味じゃなくて、

“勇者は死んだら返却される”ってことなんだよ。

で、記憶をリセットされて、また派遣される。」


、、、なるほど。


どこか安堵している自分がいる。


「ま、そういうわけだから――これからもよろしくな。」


にこっと、あの人懐っこい笑顔。


「、、、そう。」


照れくさくて、そっけなく返す。

ただ、胸の奥で、そっとこう告げた。


――これからも、よろしく。私の勇者さま、と。

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呪いと勇者 道端ノ雀 @michibatanosuzume

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