ツクリモノ

チンアナゴ(かたゆで)

ツクリモノ

 鋼鉄のように鋭く、明確な思念が湧きおこる。殺人についての思念が。愛もなく、世界もなく、生もない。あるのは、ただ死のみ。死、これは王冠である。死、これは棘の冠である。

 

                         ロープシン『蒼ざめた馬』

 

 1

 

 私は落ちるような感覚に驚き、目を覚ました。

 体の節々が痛む。硬い床の感触と冷たさを制服とスカート越しに感じた。

 私は上体を起こして、霞む目で周囲を見渡す。

「……教室?」

 薄暗く、くぐもった雨音が室内に響いている。窓ガラスに雨粒がへばりつき、灰色の空が見える。

 私は痛む体を労わりながら立ち上がると、紺のセーラー服とプリーツスカートを軽くはたいた。あまり綺麗ではない床だ。

 何も書かれていない黒板を眺めながら、私は乱れたショートカットの髪を手櫛で整える。せっかく編み込みを入れているのに台無しだ。

 意識がはっきりしないまま、ふと足元を見ると、一振りの軍刀が転がっている。澄んだ白刃が私の顔を映す。

 自分で言うのはナルシシストみたいだが、目鼻立ちははっきりして、可愛い方だと思う。

 ……だけど、私は自分の瞳だけは嫌いだ。どこか気弱で陰気な感じがある。

 ……そんなことより。

「なんで、ここに私の刀が」

 私は自分の愛刀の柄を握り、刀身に異常が無いか確かめる。

 後藤兼廣という、陸軍受命刀匠が鍛えた関の軍刀だ。刃紋は直湾れで、軍刀としては標準の長さの二尺一寸の刀身、重ねは厚く、身幅は尋常だ。

 昔から習っている居合で使っている刀で、父から譲ってもらったものだった。足元に鞘が落ちているのを見つけ、妖しく光る刀身を収める。

 このまま持ち歩くと流石に銃刀法違反だ。外に出る時は刀袋に入れる。

「それより……なんでここにいるんだ、私」

 思い出そうとするが、記憶に霧がかかったようではっきりしない。

 何かがあったような……。

「とにかく家に帰ろう……」

 私は自分の持ち物が他に無かったか、改めて教室を見渡す。記憶は判然としないが、意識ははっきりしてきたように感じた。

 ふと、教室の窓の近くや教卓の近くが黒ずんでいるのが見えた。

「何これ……」

 私は机を避けながら近づくと、息を呑む。

 所々、黒ずんでいるように見えたものは、赤黒く変色した大きな血痕だった。元は血溜まりだったのが、時間経過で固まったのだろう。

 私は事態の異常さを理解した。早く家に帰らなければ……いや、その前に先生を呼ぶ? いや、警察に電話……?

 私は制服のスカートのポケットに入れていた携帯を取り出した。

 電源ボタンを押したが、充電切れのようだった。私は通報を諦めて、早めに家に帰ることにした。先生か生徒の誰かに会えば、状況を説明すればいい。

 私は足早に教室の出口に向かい、引き戸を開けた。

 

 2

 

「え……夜?」

 引き戸を開けた私は思わず上擦った声を上げる。たぶん誰かが聞いていたら間抜けで、馬鹿みたいな声だ。

 廊下は切れかけの蛍光灯が点滅し、窓の外は暗闇だった。教室にいた時は外で雨が降り薄暗かったが、まだ日は出ていたはずだ。急に夜になる訳がない。

 私は後ろを振り返る。

 変わらず窓の外は雨が降り、薄暗い教室の光景が広がっている。

「どうなってるのこれ……」

 私は異常な状態に混乱しながらも廊下を進んだ。

 真っ暗な窓の外を見る。黒いペンキをぶちまけたような暗さだ。蛍光灯の音がジジジと音をたて、ところどころ明滅しているのが不気味さを引き立てている。

 私は軍刀を左手に提げながら、足早に駆けると、階段の踊り場に辿りついた。

 すると、重苦しい足音のような音が聞こえた。ゆっくりと何者かが登ってくる。

 私は直感的に人ではないと思った。何故かは分からないが、この異常な空間に人間は私一人だと感じていたのだ。

 素早く視線を巡らせ、隠れる場所を探す。焦燥感に押しつぶされそうだった。

 壁際に置いてある、縦に長い掃除道具入れが目についた。私の小柄な体なら入るだろう。「よっと」 

 扉をさっと開け、体を滑りこませる。幸い中身は空だった。

 閉所恐怖症じゃなくてよかった……と思いながら私は暗がりの中で息を潜める。軍刀の兼廣の柄をギュッと握った。いざとなったら、この子だけが頼りだ。

 隙間から踊り場が見える。動く影が伸びているのが見えた。

 「それ」が姿を現した。

「ひっ……」

 私は慌てて悲鳴を押し殺す。私の細い喉が縮むのを感じた。

 「それ」はまさしく異形だった。背丈は天井に届きそうなほど高く、胴体は長い槍のような爪が手足となった蜘蛛、頭部に当たるところに人の裸の上半身が生えている。

 人の上半身の顔に当たる部分は能面だった。無機的な顔と、化物の胴体のギャップがグロテスクさを引き立てている。

 あんな化物が徘徊してるなんて……ここは現実の世界じゃない……。

 私は悪夢であってほしいと願った。

 

 3

 

 化物は長い手足をいやらしく動かしながら、階段を登りきると、私の通ってきた廊下を進み始めた。

 私はチャンスだと思い、そっとロッカーの扉を開け、階段を音を立てないように下り始めた。

「とにかく、ここから逃げなきゃ……」

 私は自分自身に語りかけるように呟く。異常な状況の時こそ、冷静にならなければならない。

「冷静か……」

 そう言って、私は苦笑する。もう気が狂っていて、幻覚を見ているのではないだろうか。

 薄汚れた階段を降りると、夕陽が差し込んでいるようで明るい。

「さっきは夜だったのに……」

 私は警戒しながら、1階を目指し、階段を慎重に降りる。目覚めた教室は私の在籍しているクラスで、3階だった。もう1階降りれば出口まで行けるはずだ。

 無事に一階まで辿り着くと、私は昇降口を目指した。廊下は昼間の日差しが差し込んでいる。

 無人で教室の引き戸は全て閉じられている。窓は曇って中を見ることができない。

 明るい日差しは入っていたが、どこか違和感がある。他の階でも、目を覚ました時から同様のものを感じた。

 廊下を抜け、昇降口の締め切られた重いドアに手をかけたが、びくともしない。

「やっぱり、そううまくはいかないか……」

 私は溜息とともに落胆でヘナヘナと座り込んでしまった。薄いストッキングに埃が付くのも気にならなかった。

 閉じ込められている……私は重い足に力を入れて、気だるげに立ち上がった。

 他の出口を探そうと廊下に戻った時、再び足音が聞こえた。

 私は慌てて目の前の教室の引き戸に手をかけて、中に飛び込んだ。

 

 4

 

 目の前に、席に座った制服姿のマネキンが並んでいた。私は思わず悲鳴をあげそうになったが、動かないのを見て冷静さを取り戻す。

「びっくりした……心臓に悪すぎ」

 愚痴りながら額に張り付いた前髪を掻き上げて、深呼吸する。

 雨粒が窓を叩き、薄暗い教室にはマネキンが並ぶ。

 異常な状態ではあるが、私は虚なマネキンたちを見て、ずっと感じていたが言葉に言い表せれなかった違和感が何か分かってきた。

 「作り物」なのだ。

 この異常な空間の全てが精巧だが、どこか作りものような印象を受ける。

「世界は皆からくり人形なり、か」

 私は席に座っている顔のないマネキンの間を歩きながら、山本常朝の『葉隠』の一節を呟く。

 この作り物の悪夢のような世界になぜ自分はいるのか、自分に何があったのか。

 私は無音の教室を見回しながら思い出そうとした。

 その時、声が聞こえた。

 それぞれマネキンたちから、悪意に満ちた声が漏れている。

 震える足をなんとか動かしながら、もがくように出口に向かう。

 教室から出ようと引き戸に手をかけたが固定されているように動かない。

 突然、声が止んだ。

 私は振り向く。

 マネキンが一斉に首だけをこちらに回していた。目はないが、見つめられていると思った。

 そして、ぎこちない動きをして一斉にマネキンたちが立ち上がった。

 私は軍刀の兼廣を慌てて黒鞘から抜く。冷たい白刃が薄暗い教室で光る。

 マネキンが一斉にぎこちない動きで向かってきた。ギイギイと関節が不気味に鳴る。

 私は狼狽と恐怖を打ち消すように、軍刀を上段に構え、目の前のマネキンを右袈裟に叩き斬った。

 固い感覚が来ると思ったが、青竹を斬るような柔らかさで刃が通る。

 目の前のマネキンは首から肩にかけてが花びらが開くように割れ、瞬間的に離断していた。制服は破け、中身は空洞だった。

 私は半ば半狂乱になりながら、群がるマネキンたちに吶喊する。軍刀を振り下ろし、突きを入れる。白い破片と布片がスローモーションのように飛び散り、机は甲高い音とともに倒れた。

 首が吹っ飛び、そのまま倒れ込むマネキンや、突きと共に倒れ込むマネキンもいた。

「ぐっ……」

 不意に、後ろから羽交締めにされ、息が止まりかける。

 私はそのまま軍刀を逆手に持って、脇腹の横から切先をマネキンの腹に突き立てた。

 固く冷たい手が緩んだ隙に、後敵のマネキンに振り向きざまに小袈裟を入れる。

「はあああっ!」

 目の前に突っ込んできたマネキンを気合とともに渾身の力で真っ向から切り下ろし、胴体から股にかけて真っ二つにする。

 私は倒れたマネキンたちを見ながら、刀身が青白く光る兼廣をだらりと提げて、荒い息をする。疲労で体が重く、アドレナリンの分泌で喉が渇いて、燃えるようにヒリついた。

 高揚から引き摺り下ろされるように、意識が急速に遠くなっていくのを感じた。

「ダメだ……」

 私は掠れた声でそう言って、膝をつきそのままうつ伏せに倒れ込んだ。頭が回る。

 制服姿のマネキンたち……どこかで見覚えがある。

 そうだ。こいつらはクラスの奴らと同じだ。罪のない「あの子」を陰でバカにして、貶めた。

「ごめんね。美波……」

 目の前が暗くなっっていく。

 

 5

 

 夕暮れで私の部屋が淡い赤黄色に染まっていた。あまり片付けは得意ではないので、散らかっているが、これでも慌てて片付けた方だ。

 ウェーブのかかったロングヘアーに童顔で可愛らしい友人––美波はベッドに腰掛けて、窓の外の夕陽を見ながら黄昏ている。彼女の大きな瞳が夕陽を映して、翡翠のように光った。

「伊織、私付き合ってる人いるんだ」

 美波はそう言って目を輝かせながら、私に微笑む。

「本田君でしょ?」

「なんだぁ、知ってたんだ!」

「……この前、一緒に帰ってるの見たし」

「見られちゃったかぁ。みんなにバレないようにしてるんだけどね」

 美波はそう言って、私に本田のことを嬉しそうに話した。

 私は親友に恋人が出来て嬉しいというように相槌を打ちながら、ドス黒い感情が満ちていくのを感じた。

 ずっと、私は美波が好きだった。隣に居れるだけでよかった。

 なのに美波は……。

 

 私は身を強張らせて目を覚ました。教室の床にまたしても倒れていた。

 気怠く重い体を起こす。汗で下着が張り付き不快だった。

「頭おかしくなりそう」

 私は思わず弱音を吐いた。言ってから、自分の情けなさに気分が沈む。

 この異常な状況下で化物と戦ったりしたのだ、無理もない、とも思う。

 私は襲ってきたマネキンを思い出して今更ながら慌てて周囲を見渡した。

 マネキンたちと戦っている時に、机や椅子を倒したりしていたが、何事もなかったように整然と並んでいる。

 これは悪夢で、いつか目を覚ますのだろうか。

「……とにかく、廊下に出よう」

 私は鞘を拾い、兼廣の刀身を検める。刃こぼれは無いようだ。しかし、乱戦の中で刃筋が狂ったのか、物打ちに曲がりを見つけた。

 曲がるのは強靭な刀の証拠だ。私は膝に曲がった箇所を載せ、スカートの端を巻き手を斬らないようにしてから、両手で曲がりを応急的に直した。ストッキングの下に履いたショーツが丸見えかもしれないが、どうせ誰も見ていないので気にしない。

 重い足取りで出口へむかう。

 引き戸に手をかけ、開ける。先程は開かなかったがすんなり開き、廊下に出た。

 昼間の日差しが差す無人の廊下を歩きながら、外の景色を見ようとする。

 白い光に包まれて、景色は見えなかった。もっと近づいて見ようととするが、眩しさで目を開くことができない。

 ガラスを割ってみようかと思ったが、恐らく割れないのだろうと諦める。もし割ったとしても大きな音が出て、廊下を徘徊している蜘蛛のような化物が寄ってくるかもしれない。

 私は教室の引き戸を手当たり次第開けてみた。固く開かないところもあったが、ほとんどが開いた。

 普通の教室もあれば、誰かの部屋のような内装や、錆びたよくわからない工作機械が置かれた工場のような部屋もあった。前衛的なアートのような謎のオブジェが並んでいる部屋もある。

 どこか不安と怖さを感じさせるような、混沌とした、作り物の空間。この世界は自分の夢や誰かの夢が入り混じったものなのかもしれない。

 二階の真っ赤な夕陽で染められた廊下を歩く。外は山の稜線と死んだように無機質な街の景色が見える。

「喉、渇いた……」

 掠れた声が出た。廊下の端に置いてあったウォータークーラーを見つけると、貪るように飲む。

「はぁ……」

 冷たくて、おいしい。私は一息ついて、制服の袖で口元を拭った。

 一瞬、「ヨモツヘグイ」という単語が頭に浮かんだが、ホラー映画やゲームじゃあるまいし、と思ってその考えを打ち消した。

 黄泉の国、常世、地獄……自分は死んでいるのだろうか。

「美波……」

 私は親友の名前を口に出した。胸が痛んで、悲しい気持ちが込み上げてくる。

 大切な親友……いや、それ以上の感情を私は持っていた。

 美波は本田と付き合っていたのだが、他に複数の男子と関係を持っている、売春をしていると噂が流れ、クラスで孤立、蔑みの目で見られたのだ。

 私は煮えたぎるような怒りと不快感が込み上げてくるのを感じた。気を失っている時に美波の夢を見たが、この世界と関係があるのだろうか?

「とにかく、ここから出る手がかりを見つけないと……」

 私は自分を励ますように呟き、兼廣の柄を握る。

 振り向いて、教室の引き戸を開けた。

 

 6

 

 引き戸を開けると、コンクリート剥き出しの倉庫のような内装が目に飛び込んできた。部屋の中央には、何台ものテレビが不規則に積まれている。

 ブラウン管の古いテレビで、画面は砂嵐が映っていた。ザアザアと不気味で不快な音が流れている。

「気持ち悪い部屋……」

 埃っぽい匂いが満ち、テレビから漏れる砂嵐の灰色の光と窓から漏れる薄い光が部屋を染めている。

 生暖かい風が私を通り抜けていった。ショートカットの髪が乱れ、私は思わず前髪を直した。

 風の方向に目を向けると、部屋の隅に赤黒く染まった死体があった。背を壁に預けて座り込んでいるように見える。

 ごうごうと、無機質な風の音が聞こえる。

 私はなんの感情も抱かずに、死体に惹かれるように近づいた。自分でもよく分からなかった。

 死体は服装から男のようだった。ようだった、というのは顔が弾け飛び、顔の判別が出来なかったからだ。革ジャケットにジーパンを身につけているが、乾いた血がこびりつき黒く染まっている。

「ひどい……」

 私は眼前の惨状に対して呟いたが、感情はなく、どこか形だけだった。もうすでに神経が参っているおかもしれない。

 ふと、私は男のそばに転がっている長い棒状のようなものに気づいた。

「これは……」

 いいものがあった、と私は口元を歪めた。

 鋼鉄の黒々とした銃身が二つ左右に並んだ水平二連散弾銃だ。そばには十二番の散弾の箱が置かれている。使い方は銃猟を趣味にしている親戚の叔父さんから教えてもらったことがあった。こっそり山で撃ったこともある。勿論、免許は無いので違法だ。

 私は駆け寄って、手に取ろうとした。瞬間、背後のテレビから音声が流れ始めた。

 はっと驚いて振り向く。積まれた複数のテレビが一斉にニュース映像を流し始めていた。

 ザリザリとひび割れた音声とともに、殺人事件の内容を画面のアナウンサーは読み上げている。

 内容としては、猟銃を用いた一家惨殺事件があり、父親の行方が分からなくなっているというものだった。私は男の死体と散弾銃を交互に見た。

 突然、画面のアナウンサーの顔が捻れるように歪み、テレビの画面が消える。

「なんなの……?」

 外を吹く、くぐもった風の音が、室内で漣のように反響する。

 私は軍刀の兼廣の柄に右手をかけて、周囲に目を配る。息が荒くなり、手が緊張で強張る。

 小さな窓からの光が、室内を辛うじて照らしている。

 薄い光によって、出口の引き戸の前に、真っ赤な何かがいた。

 私は息を止めて、凝視する。

 それは、真っ赤なワンピース姿の女だった。ボサボサの髪は腰よりも長く、猫背で俯き気味の顔は髪に隠れて見えない。

 腕を水平に横に伸ばし、十字架のような格好をしている。不気味だ。

 さらに不気味だったのは、その背の高さだ。猫背の状態でも二メートル近くある。

 私は静かに鞘から軍刀を抜き放つ。どう見ても生身の人間には見えない。

 女は足を一歩前に踏み出した。コツンと、木で床を叩く音がした。

 ワンピースの下から覗いたのは、木の棒だった。

「案山子か……」

 腕を広げる格好と、木でできた足から想像したのだ。マネキンといい、紛い物の化物に襲われている。

 ギクシャクとした動きだが、一歩目以降は素早かった。

 みるみるうちに距離を詰めてきた。

 このままだと、恐怖に支配される。

 私は左手の鞘を落とし、兼廣を上段に構えると、首を目がけて一気に右袈裟に斬り込んだ。

 白刃が弧を描き、髪の奥にある首を斬り落とすと思った瞬間、目の前で青白い火花が散った。

「くっ……」

 私は歯を食いしばる。赤いワンピースの女は大鎌のような腕で刀身を防いでいた。茶色に錆びついた刃が禍々しい。

 女が俯いた顔を上げる。

 白い能面だった。蜘蛛の化け物と同じだ。

 黒い穴がぽっかり空いた虚な瞳が、私の精神を掻き乱す。恐怖とパニックに犯されそうになる。

 私は堪らず、渾身の力で女を引き剥がすように右足で蹴った。

 柔らかい感触とともに、女はよろけた。私は受け身を取って下がる。

 息が荒くなるのを感じながら、私は振り向きざまに水平二連散弾銃を視線に捉えた。

 私は縋るような思いで、軍刀を置き水平二連を引っ掴む。トップレバーを滑らして、銃身を下に折り、撃ち殻薬莢を取り出して捨てる。

 女は木の足をカタカタと鳴らし、大鎌の右腕を振りかざしながら向かってくる。薄暗い中で、女の巨体が影のように揺れる。

 私は焦りと恐怖で冷たい汗をかきながら、箱から十二番の散弾を二発取り出して銃身後部の薬室に込め、右腕のスナップを効かせて銃身を戻す。

 早く撃たなければ、やられる……!

 視線を戻すと目の前に白い能面があった。 ぽっかりと空いた瞳の部分から、蜘蛛の足や触手のようなものが這い出ているのが見えた。

「うぐっ……」

 私は胃液が喉元まで上るのを感じながら、後ろに倒れ込む。同時に銃口を赤い女の胸の辺りに指向する。

 引鉄を絞ると、轟音とともに跳ね上げるような強い反動を右手に感じた。

 女は大鎌の右腕を振り下ろす寸前の格好のまま吹き飛ばされる。不快な金切声とともに倒れ込んだ。

 私は機を逃さずに、散弾銃を床に落として、素早く立ち上がる。兼廣の軍刀を拾い上げると、そのまま走って距離を詰め、勢いで女の大鎌を右足で踏みつける。

「はぁあああ!」

 私は気合とともに、柄頭を上にして逆手に握り替えた軍刀の切先を突き立てた。

 

 7

 

「こうやって二人で帰るの、久しぶりだね」

 少し先に歩いていた美波はそう言って、私に振り返った。ウェーブのかかった長 髪が揺れる。

 私は無言で頷き、じっと美波を見た。

 堤防沿いの学校から帰り道は、人気もなく、生暖かい風が通りすぎている。風は私のショートの髪を揺らして、乱していく。

 夕陽が家々と川の水面を染めて、寂しさを感じさせる。

「最近ずっと本田くんと帰ってたから……」

「ねえ、美波」

 私は美波の言葉を遮って呼びかける。私が立ち止まると、彼女も立ち止まって首を不思議そうに傾げた。

「あの噂本当なの?」

 私は美波の大きな瞳を瞬きもせずに見つめる。

「どんな?」

「本田君以外の男子と付き合っているとか、体を売ってるとかいう噂」

「本当だよ」

 堤防沿いを吹く風音が一瞬聞こえなくなった。

「……どういうことなの?」

「そのままの意味。その噂は事実だよ」

 私は無言で目を逸らした。美波は、無表情のまま私を見つめている。互いに近い距離で立ち止まっているのに、その距離が果てしなく遠く感じた。

「どうして、そんなことしてるの……」

「本田君のためなんだ」

「美波は、それでいいの? そんな酷いことされて……」

 私は彼女を問い詰めようと思った。

「黙ってよ」

 美波は童顔に影を落として低く言う。怒りで震えていた。

「黙って、って何? 本田、美波のこと利用してる最低な男だよ」

「私、知ってるよ」

 美波は私の瞳の奥の心を見透かすような、冷たい微笑を童顔に浮かべた。

「伊織、私のこと好きでしょ」

「当たり前でしょ! 友達として……」

「違うよね。恋愛対象として見てる」

「な、何言ってるの……」

 私の声は滑稽なほどに、動揺からうわずっていた。彼女は大きな瞳に侮蔑の色を浮かべて、私を見つめている。

「私が戯れて身体に触れてた時の表情とか、プールの着替えてる時の私への視線とかバレてないと思った?」

 私は思わず顔を伏せる。顔が熱くなるのを感じた。

「真面目な友達面して、裏ではそう言う目で見ているレズとか、気持ち悪いんだけど」

「……そんな」

「もう話しかけないでね」

 私はそれっきり言葉を失った。立ち尽くす私を無視するように、美波は先にそのまま歩いていく。

 夕陽で私の影が長く伸び、湿気を帯びた生暖かい風が再び吹き始めた。

 私は、彼女の小さくなる後ろ姿を見つめることしかできなかった。

 

 私は保健室のベッドの上で目を覚ました。電気はついてないが、カーテン越しの日差しが部屋を明るくしている。

 上体を起こし、ボサボサに乱れた髪を手櫛でとかす。頭がはっきりしてくると、用心のために抱いて寝た兼廣の軍刀と水平二連散弾銃を膝に置いて見つめた。寝ている時の体温で暖かくなっていた。

 あの赤いワンピースの女を殺してから、記憶が曖昧だ。散弾を近くにあった斜めがけの雑嚢に入れ込んだのを始め、部屋を物色した後、フラフラになりながら部屋を出て保健室に転がり込んだのは朧げだが覚えている。

「もうヘトヘト……」

 私は静かに呟くと、再びベッドに仰向けになった。制服に皺がつく、と一瞬思ったが既に皺がついていたし、紺色の生地も既に埃で薄汚れている。

「美波、きついこと言うじゃん……。ほんとのことだし、悪いの私だけどさ」

 私は起きる前に見た夢を思い出しながら、両腕を顔の前で組んで、両目を覆った。しばらく無言で唇を噛む。

 

 あの後、何があったんだっけ。

 

 突然、充電切れのはずの携帯の通知音が鳴った。緊張の連続だったため、体が自然と跳ね上がる。

「びっくりした……」

 私は思わず呟くと、画面を見る。メールだった。

 

 まだ、思い出せないの? 

 屋上で待ってる。 美波

 

 私が携帯の文面を読み終わるのと同時に、電源も消えた。電源ボタンを押してみたが、電源はつかなかった。

 もし、このメールが美波のものだとして、今の私の異常な状況を彼女は知っている。この世界のことも何か知っているかもしれない。

 私は手が震えているのに気づいた。散弾銃と軍刀を強く握って震えを抑える。

「……美波に会わなきゃ」

 私は自分を奮い立たせるように言うと、ベッドを降りた。

 

 8

 

 屋上に行き着くまでに、あの蜘蛛の化け物をやり過ごすか、殺すかをしなければならない。

 私は腰に散弾を差した弾帯を巻き、腰とベルトの間に兼廣を差しながら、屋上に辿りつく方法を考える。

 やり過ごすのではなく、あの化け物は殺さねばならない、と私は思った。何故か暗示がかかったように、化物を倒すことに執着のようなものを覚えている。

 最悪、銃がある。そして、今までの化物は軍刀で倒せている。

「倒せる、よね……?」

 私はぽつりと呟く。倒さねばならないと言う思いとは別に、もし倒せなかったらという不安が頭の中を駆け巡る。蜘蛛の怪物の巨体を思い浮かべながら、黒々とした水平二連を手に取り、中折れの状態にすると薬室に散弾を込め、元に戻す。後で気づいたが、この散弾銃はミロク製だった。

「土蜘蛛……か」

 私は化物の容姿から、地域に伝わる民話を思い出す。朝廷に反抗する勢力や妖怪として日本書紀などに記されているが、地域の民話は、人喰いの化物である「土蜘蛛」が武士と村人に退治されるという話だ。

 あの「土蜘蛛」を倒さなければ、美波には会えない。

 戦いの準備をする必要がある。私は意を決して、保健室の扉を開け廊下に出た。

 

 私は土蜘蛛を見つけ、息を潜めた。準備をしつつ、1階から2階を調べたが姿はなく、3階の廊下中央でじっと固まっていたのを見つけたのだ。

 3階は窓が塗りつぶしたような闇で蛍光灯があっても薄暗いのは、初め目を覚ました時と変わらなかった。

 土蜘蛛の人間の胴体部分は床に伏しているのか見えず、尾部が大きく見えている。八本の足も木の根のように動かない。

 私は銃床に頰付けして水平二連の冷たく光る銃身を土蜘蛛の太い尾部に指向する。

 息を止めて、冷たい引鉄を絞った。

 肩を跳ね上げるような反動とともに、発射炎で白く視界が染まる。

 命中はしたようだった。しかし、銃声に気付いたように能面顔の胴体が鎌首をもたげるように起き上がり、虚無の相貌が私に向いた。

 胴体に命中したものの、弾が跳ね返されたらしい。

「クソッ」

 悪態を吐きながら、ダブルトリガーのもう片方の引鉄を引いた。

 轟音とともに視界が閃光で白く染まる。

 今度は命中したらしく、獣のような咆哮とともに、身を苦しそうに捩った。

 私はトップレバーを滑らして、中折れの状態にすると、撃ち殻薬莢を排莢する。弾帯から散弾を抜き出し、二発込め、元に戻す。硝煙の甘い匂いが感情を昂らせる。

 土蜘蛛が胴体をくねらせながら突進してくる。私は後退しながら散弾を撃ち込む。

 いくらかの散弾が硬い体表にあたり、跳弾の青白い火花が甲高い音を立てる。外れた散弾は壁や床にめり込み、破片が砂煙のように吹き上がった。

 命中した散弾により、土蜘蛛は動きが一瞬鈍くなる。

 私はその隙に、二階に繋がる階段を駆け降りた。槍のような鋭い足を俊敏に動かして、踊り場に突っ込んでくる。

 私は二階に降りたところに準備しておいた急造の火炎瓶を踊り場に向かって投げつける。塩素酸塩と硫酸の化学反応を信管代わりにしているので、いちいち火をつける必要がない。

 パッと赤黄色の火炎が伸びる。赤い悪魔が翼を広げるように火が燃え広がる。

 さらに土蜘蛛が逃げられないように、踊り場の前後に投げ込み退路を断つ。階段は煌々とした紅蓮の火の海になった。

 水平二連の撃ち殻薬莢を捨て、散弾を再装填する。土蜘蛛は胴体に引火しバタバタと八本の足を動かしてのたうっている。

 私は左足を前に突き出し反動を抑えるようにして水平二連を構え、左右の引鉄を絞る。

 銃火が連続し、散弾が土蜘蛛の上半身の片腕を吹き飛ばし、八本足の内の二本を引きちぎった。

 

 そのまま燃えてしまえ。化け物が。

 

 私は憎悪と破壊の快楽で顔を歪ませて笑っていることに気づいた。自分でも理由が分からずに、一瞬狼狽した。

 その時、のたうっていた土蜘蛛が、バネのように跳躍し、目の前に飛び込んできた。

 私は反射的に散弾銃を落とし、兼廣の柄に手を伸ばし、そのまま抜き打ちで叩き斬ろうとする。

 白刃が青白く光り、土蜘蛛の人間の胴体部分を一閃した。首と右肩口が胴体と分離し、床に鈍い音を立てて落ちる。血は出ない。

 土蜘蛛は突っ伏すように倒れ、そのまま動かなくなった。

 落とされた土蜘蛛の首が赤々と燃える炎に照らされて、はっきりと浮かび上がる。

 首を見て、息を呑んだ。

 能面が取れ、その下に隠されていた顔が晒されている。

 それは、私の顔だった。

 

 9

 

 私は放心状態で火の勢いがなくなった階段を登った。まだ階段の隅は炎が燻り、私の足元を熱気とともに赤く染める。

「思い出した……」

 私はぽつりと呟く。

 重い足を前に出し一段一段上る。上るごとに記憶が蘇ってくる。

 あの別れの後、何があったか。

 三階の暗い階を抜け、四階に上がる。そのまま屋上に続く階段を上り切り、屋上の扉を開けた。

 風が私の脇をすり抜け、ショートカットの髪を乱す。屋上は早朝の澄んだ空気に満ちていた。朝日が眩しい。

「美波……」

 美波が目の前に立っていた。栗色の髪が風で波打っている。

 彼女は肩越しに振り向き、私を見た。翡翠のような瞳が美しく光っていた。

「伊織、思い出した?」

 美波は微笑みながら言った。私は目を逸らして、薄汚れたコンクリートの地面を見つめた。

「うん……」

 私は絞り出すように答える。

「私、美波に酷いことした。ごめん」

 迷いや後ろめたさを振り切るように、顔を上げて美波を見つめた。

 

 私は美波に絶交を言い渡された後、学校で本田が一人になったところを見計らって声をかけ、空き教室で美波の酷い扱いを問いただした。

 本田は悪びれもせず、美波に売春させていることを認めた。

 私は本田の襟元に掴みかかった。

「美波と別れて!」

「いいよ。だったら……」

 本田は下卑た笑みを浮かべながら、別れる条件を言った。

 本田と仲間に自分の身体を委ねることだった。

 私は、条件を呑んだ。

 美波のためだったが、同時に彼女に復讐をしたかったのだ。

 私は自分を捨てて、快楽と堕落を貪った。

 

「私、美波が憎かった。愛してたのに、裏切られたように思った」

 私は美波に向かって、感情をぶつけるように言った。声が震えた。

「一方的だし倒錯してるのは分かってる。けど、どうしようもなかった。そしたら、美波がビルから飛び降りたって聞いて……そんなつもりじゃなかったのに……」

 私は両手で顔を覆った。熱い涙が溢れて、手のひらを濡らす。

「分かってるよ、伊織。こっちもごめんね」

 美波は優しく宥めるように言って、私を抱きしめる。

「嬉しい。夢でも幻でも、許してもらえてよかった……」

 私は涙を拭って、美波を体から引き離す。

「ありがとう」

 美波は私の言葉に無言でうなづく。

 夢や幻ならば、覚めなければ。

 私は兼廣を鞘からゆっくり引き抜き、美波の眼前で上段に構えた。

 

 10

 

 私は目を覚ました。起き上がって、周囲を見ると、片付けが苦手で散らかっているいつもの自分の部屋だった。

 長い夢を見ていたのだろうか?

 膝に視線を移すと、ミロク製水平二連散弾銃と兼廣の軍刀があった。

 夢ではなかったと、銃と軍刀を見ながら思った。ただし、制服は汚れておらず、散弾も使っていなかった。

 私は立ち上がって準備を始める。全てを清算しなければならない。

 スマホで本田とその仲間を学校の3階の教室に呼び出す。

 

 集合時間より遅く学校に着いた私は、刀袋を靴箱の脇に投げ捨て、軍刀を左手に持ち、ゴルフバッグから銃身を短く引き切った水平二連散弾銃を取り出す。ソードオフと言って、散弾のパターンが広がり、近距離での殺傷能力が上がる。長めのスリングを取り付けられるようにしてあり、肩から斜めがけにした状態でそのまま射撃できる。

 予備の弾は6発だけスカートのポケットに入れている。全てを終わらすには十分だ。

 3階へ上り、教室の前まで向かう。廊下まで、本田はじめ下品な男子生徒の声が聞こえている。

 私は引き戸の窓から教卓近くの机に集まっていた。外は雨が漣のような音を立てて降り、教室内は薄暗い。

 5人全員いるのを確認すると、軍刀を壁に立てかけ、ソードオフにした水平二連を腰だめにして、引き戸を開けた。

「遅かったな! 何し……」

 本田が声を上げた瞬間、私は水平二連の左右の引鉄を連続して引いた。

 本田の脇にいた二人が胴体に散弾を撃ち込まれて、机や椅子を巻き込みながら吹っ飛ぶ。跳弾した散弾が窓ガラスを叩き割り、破片が床を跳ね回った。

 私は水平二連から撃ち殻薬莢を排出させて、素早く散弾を再装填して安全子かける。その後、背中に回し、壁に立てかけた軍刀の兼廣を引っ掴むと、腰を抜かしている本田ともう一人の男子の前に立った。

 怯えて失禁している男二人の前で、兼廣を引き抜いた。

 悲鳴をあげながら犬のように四つん這いになって逃げようとした男子生徒に、すかさず捻り突きを入れる。

 切先が確かな手応えとともに、背中を貫き、捻った時に内臓を掻き回す感触がした。

 男子生徒はヒュウヒュウという掠れた息とともに力尽き、その場で突っ伏す。どす黒い血が床を染めていく。

 私は男子生徒から腹に左足をかけて引き抜くと、どす黒く血濡れた切先を放心状態の本田に向けた。

「待ってくれ! 殺さないでくれ!」

 本田は命乞いをしながら絶叫し、男子生徒と同じような四つん這いになりながら、教室の窓際に移動していく。

 私は市ヶ谷駐屯地で割腹自決した有名な作家がある対談の中で、日本刀を持ち出せば、相手も死ぬ時で、自分も死ぬ時だ、というようなことを言っていたと漠然と思いながら、本田をゆっくりと追っていった。

「殺さないでくれ!」

 本田は右手を前に伸ばしながら叫ぶ。私は兼廣を机に置いて水平二連に持ち替えると、銃口を彼の右手に合わせて引鉄を引いた。

 薄暗い室内に閃光が奔り、本田の右手が跡形もなく吹っ飛んだ。鮮血が霧のように広がり、本田の醜悪な顔を赤く染める。

 本田は血が吹き出す右手を抱え込みながら、、言葉にならない悲鳴をあげている。

 私は水平二連をその場に落とす。重苦しい金属音がした。そして、兼廣の柄を握り、上段に構える。

 復讐を果たすというのに何も感じなかった。

 ただ、一瞬だけ全てがおかしく思えて、乾いた笑いが出た。

 ひとしきり笑った後、私は本田の首目掛けて、白刃を一閃した。

 

 11

 

 私は灰色の教室の中で机に腰掛けて、止む気配のない灰色の雨眺めた。

 もうこの世界に美波はいない。復讐をしても、その現実は当然変わらない。

 ただ、モノクロームの世界が私の目の前に広がっている。

 思えば、あの化け物たちに襲われた夢なのか幻覚なのかわからないツクリモノのような異界は、私の葛藤や贖罪が反映されたものだったのかもしれない。

 本田たちは死んだ。あと、死ぬべきなのは……。

 どうすればいいかは分かっていた。

 外では、パトカーのサイレン音が鳴り響いている。

 そろそろ警官が殺到してくるだろうか。

 私はただ、血を拭った兼廣の、暗く光を放つ刀身を眺めていた。

 

            

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