第3話 『李歐』
とても、とても好きな小説がある。髙村薫さんの『李歐』である。高校生の頃に一度読んで、そこからずっと心に残っていて、大人になってから自分で買って読んでさらに好きになった。
なにがこんなに好きなんだろうと考えれば、この小説の醍醐味である一彰と李歐の関係性はもちろんのこと、あの作品全体を通して描かれる風景そのものが私の心に刺さりまくりだということに気づく。
『李歐』の中で繰り返し扱われるモチーフとしては、工場、桜、中国語、銃などが挙げられる。舞台は大阪。桜はともかく、他はどれも長野県出身の私にとってはあまり馴染みのないものばかり。にも関わらず、髙村さんが描く風景描写を読むと、なぜかすごく懐かしい気持ちになる。
本屋を眺めている時、髙村さんの『我らが少女A』の文庫版を見かけた。なんとなく手に取って、上巻の書き出しを眺めて「やっぱり好き」となった。早春の、だだっ広く広がる畑かなにかの風景の描写なのだが(うろ覚え)、無条件で心を掴まれてしまった。
「なにをどう見るか」というのは、その人の感性を如実に反映すると常日頃から感じている。だから風景(情景)描写が合う作家とは、感じ方や考え方が合うのだろうと勝手に思っている。私はどちらかというと「この作品が好き」タイプで、あまり作者を意識することはないのだけれど、髙村薫さんと太宰治(「さん」付けだと違和感すごいので呼び捨てだ)には、作品がどうのよりも先に作家への親しみを感じてしまう。
二〇二四年の四月、私は実家の長野県を離れて、東京郊外に引っ越した。アパートの周りには図らずも倉庫や工場が建ち並び、少し歩けば、桜が綺麗な川沿いに出る。四、五月の昼下がりなど、散歩しているととても幸せな気持ちになる。そして必ず『李歐』のことを思い出す。
桜も工場も『李歐』を読むまではあまり心惹かれなかった。それが今や、こんなにも胸を締めつけられる風景となったのだから、読書体験とは不思議なものである。
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