北野異人館街
小川四郎
第1話 Antiques Heizou
悟は重い足取りで試験結果の掲示板の前に立った。
目を皿のようにして番号を追ってみても、自分の番号はどこにも見つからない。
「……また、不合格か」
ため息をついた瞬間、背後から軽い声が飛んできた。
「おいおい、平倉じゃないか。お前、まだ受験してんのか?」
振り返ると、そこには高校時代の同級生・沢村が立っていた。
「なんで、お前がここにいるの?」
「ここの学生だからだよ。」
悟は思わず眉をひそめた。高校時代、沢村は勉強なんてまともにやらず、授業中も居眠りばかりしていて、成績も悟よりも、劣っていたはず。その沢村が、ここの学生だと!?
「お前、カンニングしただろ!絶対、そうだ。そうでも思わなければ納得できねー!」
悟はヤケ気味に唸った。
「俺、今は2回で、ゼミではアイドル扱いだぜ?」
沢村は飄々と答えた。
アイドル扱いなのか、ただのいじられ役なのか、悟にはどうでもよかった。
が、沢村は現役で合格したということか。
沢村の横に立つ派手な服装の女が二人のやり取りに割り込んできた。
「この人、誰?」
「俺の同級生なんだ。合格発表を見に来たんだけど…」
「同級生ということは二浪?」
女は小馬鹿にしたように悟を嘲り笑った。
「何か、今のお前を見ていると哀れだわ。人生は長い。慌てないで、じっくり…」
悟は沢村が話し終える前に、その場を去った。
そもそも悟自身、大学に進みたいと強く思ったことはなかった。
ただ、親が「今の時代は大学くらい出ておかないと」と言うから、従っていただけだ。
だが、現実を目の前にして、胸の奥に巣食っていた澱のようなものが吹き飛んでいった。
「……ああ、もういいや」
二浪までして、志望大学にすら届かなかった。そんな自分を見て、悟はふと可笑しくなった。
そして、悟は勝手に納得してしまった。
どうせなら、笑われるくらい、もっと派手に生きてやろうじゃないか。
そう、あの女に負けないくらに派手に。
不合格だったことを伝えた父の反応を悟は妥当だと思った。
残念な表情を浮かべながらも、仕方ないっといった感じで父は言った。
「もう、受験はしなくていいから、社会に出て働け」
最初から、そういう風に言ってくれたら、こんな事にはなってなかったのに。なんだか、やり切れない思いになった。
「親父、あぁ、お前にとっては、爺ちゃんだったな。」
「がな、店の手伝いを必要としているみたいなんで、とりあえず、そこで社会人としての修行をしてみるといい。」
今まで自分の進路について真剣に考えてこないで、行き当たりばったりな行動をしてきた自分にも責任はある。
父の意向とはいえ、曖昧な息子に2年も浪人生活をさせてくれた父親だ。
「わかったよ。そうしてみます。」
今は、黙って従うしかないと思った。
祖父の平蔵が営む骨董屋は神戸の観光地である異人館街に在る。
平日でも、観光客や恋人たち、色々な人で賑わい、人通りも多い華やか街だ。
父から渡された名刺の住所を頼りに探して店を見つけた。
看板には「Antiques Heizou」とある。
お洒落な通りには似合わない古びた看板は、悟には何ともいえない哀愁すら漂わせているように思えた。
店の扉を開けて店内に入ると、扉に取り付けられていた、来客を知らせる鐘が「カラン」と鳴った。
店の奥で座って新聞を読んでいた平蔵は一度、悟に目をやると、黙って再び新聞に目を落とした。
この店に入るのは小学生の時以来だった。あの時は広い博物館のように思えていた場所が、今は小さな古道具の倉庫ように感じる。それだけ自分の身体が大きくなったということだろう。中身が大人として成長していないことは、別として。
店内に並ぶ品を観ながら、「観光地で人通りは多いとはいえ、こんな物を土産として買っていく人なんているのだろうか?」と不思議に思った。まぁ、骨董品を鑑定できる知識も目もない自分が考えても仕方ないことなんだが。
平蔵に歩み寄ると、「また、アカンかったようやな。」と、平蔵は新聞から目を上げ、老眼鏡を外しながら言った。
そして、無言の悟に、「大学は勉強ができる人が行く処で、お前みたいなのが行く処やないということやな。まぁ、学業だけが大切なわけでもない、他にも大切な事は沢山ある。」
悟は慰められているのか、呆れられているのか分からなくて、黙って苦笑いすることしかできなかった。
「親父に店の手伝いをしてこいって言われたんだけど?」
「うん。ワシも店にばかり籠もっていては、益々、老いていく気がしてな。散歩やら、何かにつけて外出しようかと考えた。その間、店番をしてくれたらええ。」
「商品の知識とか無いから、お客さんに質問されても答えられないんだけど?」
「その時はワシの携帯に電話してきたらええんや。文明の力というやつやな。」
「たっ、確かに!」
説得力のある平蔵の返事を聞き、妙に納得した悟は店の手伝いをすることを決心したのだった。
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