どうぞお気になさらず

宇治金時

どうぞお気になさらず


 昼下がりの教室、俺の目の前で二段重を広げて中身を豪快に食べるぽっちゃり系男子、鵜場うば 真一郎しんいちろうを眺めながら言った。


「モテたい」


 そんな俺の魂の呟きは弁当を貪り食う鵜場の耳にも届いたらしい。


田澤たざわ、食えんなら、食ってやるぞ」


 届いて居なかった。手つかずの俺の弁当を獲物を狙う鷹のような目で見つめ、箸を構えている鵜場から遠ざけるように弁当をこちらに引き寄せる。


「やらねぇよ!大人しく自分の飯食ってろよ」


「もう食った」


 そう言う彼の前には、中身が綺麗に食べ尽くされた重箱が2つ。教室の時計で時間を確認すると昼休み始まってもう5分経っていた。鵜場だったら食い終わるだろうな。


「俺、購買行ってくるけどついでになんか買ってくるか?」


 椅子を引いて立ち上がりながら言う鵜場に首を横に振ると、奴はそのまま教室を後にした。




 一人教室に残された俺は自分の弁当にようやっと箸を付けた。高校に入学してから1月が経とうとしている今日此の頃、鵜場と言う友人を得た俺はそれなりに充実した高校生活を謳歌している。


 今のままでも悪くはない、そんな風に思える日常は、多分得難いものなのだろう。だが、人間とは欲深い。一つ満たされればさらに何かを欲する生き物なのだ。


 周りに悟られないように教室内でいちゃつくバカップルの様子を伺う。




「はい、あーん♡」


 雛鳥のように口を開ける男子生徒の口に卵焼きを運ぶ女子生徒。


「どう、美味しい♪?」


「うん、美味しい♪」




 ……糖尿病になったらあいつらのせいだ。


 二人だけの領域を展開するその空間にあえて入り込もうとは思わない。多分、無理に近付いたら馬に蹴られるに違いない。


 流石にあーんはきついが、周りが目に入らなく成るくらい夢中になる存在が居るというのは正直言ってとてつもなく羨ましい。俺だって屋上で女の子とこっそりご飯食べたり、一緒学校に行ったり。放課後に喫茶店で一緒にコーヒー飲んだり。大勢で行った遊園地で2人だけ抜け出して観覧車乗ってイチャイチャしたりしたい。彼女が欲しい。俺も青春したい。




「田澤くん」


 益体も無いことを考えつつ弁当をもさもさ食べていると、落ち着きあるソプラノボイスで声を掛けられた


「沢田さん?」


 沢田さわだ 敦子あつこ。クラスで一番背の低く、長めの黒髪を一つ結びにし、眠たげなタレ目と小さめのお口が可愛らしい女の子だ。




 とても可愛い。付き合いたい。




 そんな彼女が今俺の名を呼び、こちらを見つめていた。ていうか見すぎじゃね?なんか、ドキドキしてきた。まさか、これが恋か……?


「あの……お、俺に何か用でしゅか?」


 ……消えたい。


「うん、ちょっと聞きたい事があって……今時間大丈夫かな」


 周囲を気にしながら問いかけてくる沢田さん。


「まぁ、俺に答えられる事なら」


 さあ、いつでも来るがいい。俺の心はOPEN24Hだ。


 期待に胸と鼻の穴を膨らませ。沢田さんの次の言葉を待つ俺。


 なんだ?メアド交換?彼女いるのかとか?まさか告白。いやちょっとそれは気が早いよ沢田さん。








「鵜場君って彼女居るの?」


 この時の俺の気持、ち筆舌に尽くしがたい。






「……ぇ゙?鵜場?」


「うん、鵜場君?分からない?」


「いや、えっと、鵜場に彼女は居なかったと思うよ。もしかして沢田さんってそう言う事?鵜場がそういう人?」


「嫌だあ。ちょっと恥ずかしいからやめてよ」




 肩をパシリと叩かれる。俺の恋は3秒で終わった。


 沢田さんのお手々は小さく柔らかく、温かい。叩かれた肩は痛くない。痛くもないのに泣きそう。溶けかけの雪だるまみたいな顔をしてるはずだ。


 鵜場だ。よりによって鵜場である。昼休み開始5分で弁当を平らげ、食後の軽食を買いに行く男である。絶対俺のが健康だ。BMI値は21だ。将来性は俺のがある。


「……うん、鵜場ね。鵜ー場ーイートね。あれだ、多分居ないよ。大丈夫。押せば倒れるから……あいつバランス悪いし」


 俺は一体何を言ってるんだろうか。

 押せば倒れるのは俺である。

 崩れかけのジェンガのような危ういバランスで立っているんだ。


「ええ……鵜場君凄くモテそうだけど、本当?」


 畜生!可愛い!後、何いってんだこの女。




「……沢田さん疲れてない?」


「……え?」


 あ、ヤベ。心の声が口に出てた。


「あ、ごめん気にしないで。鵜場は大丈夫。絶対」




 首を捻りながら俺から離れる沢田さんを見送ると机に突っ伏した。


 異世界転生ってあるのかな?




 突っ伏してふて寝してると重量感のある足音とともに鵜場が帰還した。カップラーメンの臭いがする。


「田澤何死んでるの?」


 うるせぇ。


 突っ伏してた顔をヌルリと上げる。真正面にカップラーメンを啜る鵜場が見える。


「……鵜場、お前彼女いるの?」


「居ないけど」


「だよな。良かった。居たらお前の事ぶん殴ってたかも」


「効かないと思うけど」


 特性あついしぼうだもんな。


「鵜場、喜べ。近々お前に彼女ができる」


 羨ましすぎる。


「なんだいきなり。占いでも始めたか?」


「うるせぇ。俺の予言は絶対だ……俺の弁当やるよ。食欲ない」


「田澤、お前良い奴だな」


 お前の良い奴基準はおかしい。


 最後の力を振り絞って沢田さんに向け、鵜場はフリーだと言う意味合いのオッケーマークを作る。


 意図が伝わってるかは知らん。後は自分で何とかしてくれ。




































 鵜場に彼女が出来た。相手は当然沢田さんだ。沢田さんに餌付けされた鵜場は彼女とご飯を食べる様になった。


 なぁ、付き合った決め手が、ご飯が美味いってなんだよ。ご飯が美味けりゃ誰でもいいんか。実に鵜場らしい。安心した。


 俺はというとマミーお手製の弁当をモソモソ一人で食っていた。別にいいだろ?一人でも。さみしくなんて無いんだから!


 鵜場の方をチラリと見る。沢田さんのお弁当を美味しそうに頬張る鵜場をニコニコと見つめる沢田さん。実に健全なカップルじゃないか。




 眩しい。目が焼かれる。羨ましい。俺も愛情タップリのお手製弁当が食べたい。


 いやそうじゃない。俺の弁当だってマミーの愛情がこもってるんだ。


 そう捨てたもんじゃない。母に心の中で謝罪し、ハンバーグを頬張るとーーほんのり冷凍庫の香りがした。……母の愛は偉大である。




 ハンカチが合ったら噛みちぎりたい。ハンカチなんて持ってないので仕方なく、お弁当のハンバーグをかみくだいた。










 放課後、帰り支度をしていると鵜場に話掛けられた。


「田澤、俺これから敦子と買い物行くんだけど一緒にどうだ?」




 俺に八卦炉に飛び込めと?骨も残らんぞ。


「鵜場……お前が優しい奴なのは知ってる。2人で行ってくれ……頼む」


「お、おう、なんか悪いな。最近敦子とばかり」


 鵜場が食べ物意外を気に掛けるだと?


「……お前、何か悪いものでも食ったか」


「昼休みに敦子の弁当なら食った」


「全然変なもんじゃないな、悪かった」


 恋が鵜場を一回り大きくしたのだ。そう言う事にしておこう。


 その日、俺は意味もなく自転車を激漕ぎして帰った。涙が出るのは風が目に染みるからだそうに違いない。
















 学校から家までのサイクリングを楽しんだ俺は家に帰る。屋根があって壁がある。普通の家である。実に普通だホッとする。


 扉を開けると、慣れ親しんだ家の香りが傷ついた俺の心を癒すーーはずもない。俺を出迎えたのは、リビンクのソファーで妹が惰眠を貪っている姿だった。風景の一部なので特に気にすることでもない。


 制服のまま冷蔵庫を開いて牛乳を取り出す。残りも少ないのでそのまま口を付けると、風景の一部が急に話しかけてきた。


「お兄ちゃん、コップ位は出してよ!」


 妹の封印が解かれたらしい。実に間が悪い。


「見ろ、空だ」


 ニヤリと笑い空になったはずのパックを逆さにすると、底に残った牛乳が少し溢れた。


 牛乳のささやかな反乱である。




「……雑巾、洗面所」


 それだけ言うと妹はリビングから出て行った。


 別に中が悪いわけではない。兄妹なんてこんな物だ。


 実に健全な距離感だ。妹萌?あるわけない。妹は妹という生き物なのだ。萌えてどうする。社会的に燃やされるぞ。


 洗面所から雑巾を持ってきて、牛乳を拭き取る。制服のまま妹の寝ていたソファにゴロンする。至福のときだ。制服なのに至福。面白くもない。




「お兄ちゃーん」


 邪魔が入った。ノロノロと起き上がると、声のする方に歩いて行った。


 妹の自室に入ると、当然だが妹がいた。


「なんだ?」


 言うが早いか妹は目の前でくるりと回ってみせた。履いていたスカートがフワリとする。


 これでワンとか言われたら兄としてこいつに何を言えば良いのだろうか。


「この服どうかな?」


 良かった。取越苦労だった。そして心底どうでも良いことだった。


「似合う」


 似合わなくはない。嘘は言っていない。


「本当?」


「本当」


 意見なんてしようもんなら面倒だ。適当に褒めるに限る。


「明日、友達と遠出するからしっかり選ばないと」


「そうか、頑張れよ」


「なんか適当に返事してない?」


 感の良い妹だ。


「遠出ってどこ行くんだ?」


 話題を逸らそう。


「千葉のテーマパーク」


「お前が?出不精のお前が?」


 こいつ、さっきも遊びにも行かず、惰眠を貪ってたんだぞ。


「私だって付き合いくらいあるんだけど、まぁ、家でのんびりしてたいのが本音だけどさ。お兄ちゃん変わってよ」


「変われるもんなら変わってやりたいよ。無理だけどな」


 妹の友達とテーマパーク。


 どんな地獄だ。


「ああ、友達って疲れる」


「お前、一人でも人生満喫出来るもんな」


「普通でしょ」


 お前は大分変わってるよ。言うと怒るから言わないけどな。


「お兄ちゃんこそ、最近帰りが早いよね。前よく来てた……何さんだっけ?あの太った人」


「鵜場だよ」


「そうそう、鵜場さん。あの人どうしたの?」


「今、デートしてる」


 妹の変化は劇的だった。


「ウッソ!マジで?誰!?知ってる人?」


 ぴょんぴょんするんじゃありません。


「床が抜けるから跳ねるな」


 蹴られた。前蹴りだ。苦しい。

 うん、今のはオレが悪かった。思ってる事と言ってる事が逆だったね。


「それで?鵜場さんの彼女ってどんな人?写真持ってないの?」


「なんで俺が鵜場の彼女の写真持たなきゃならんの」


「でも、鵜場さんだよ」


 お前に鵜場の何がわかる。前すら忘れてるお前に。


 しかしまぁ、妹とこんなやり取りをしてると、荒んだ心が少し和らぐ気がしないでもない。




「ところで真由、母さんどこ行ったんだ?」


 ふと気になったので聞いてみた。



「お母さんなら、スーパーの特売があるって気合入れて出てったけど、多分お母さんの得意料理でも買いに行ったんじゃないかな」


 得意料理を買いに行く。これは別に妹の国語力が残念なのではない。

 俺にはピンときた。




「ハンバーグか」


「そうそう、マルヤの冷凍ハンバーグ」









 明日の弁当もハンバーグか……


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