第2話 火を盗む者

黒風の谷は、氷と溶岩が交わる地獄だった。

裂け目からは硫黄を孕んだ蒸気が噴き出し、岩肌は赤黒く脈打つように熱を帯びていた。人の骨が雪に埋もれ、風が吹くたび、呻き声が混じって聞こえる。


谷の中央には巨大な炉があった。

それは地底から溢れる火の心臓であり、神々が奪われぬよう巨人たちを番人として置いた。巨人の目は灼けた石炭のように赤く、吐息は炎を含んでいた。


狐は影のように忍び込み、炉の縁に近づいた。

轟々と燃える火は、彼の毛皮を焦がし、尾に炎を移した。

その瞬間、巨人が咆哮を上げた。

「誰だ! 火を盗む愚か者は!」


谷全体が震え、氷壁が砕けて落ちた。

狐は咥えた火の欠片を離さぬまま走り出す。

尾は燃え広がり、青白い炎が夜空を裂いた。


吹雪の中、狐の毛皮は剥がれ、肉は焦げ落ちた。

それでも走るたび、火の粉が雪原に散り、奇怪な光となって揺らめいた。人々は後にそれを「狐火」と呼んだ。


幾夜も駆け抜け、ついに狐は村へと戻った。

彼の姿は骨ばかりとなっていたが、口から零れた火の欠片は雪上で爆ぜ、轟々と燃え上がった。


初めての焔。

人々はその火で肉を炙り、冷たい血を温め、闇を退けた。

村は歓喜に包まれた――狐が全身を焼き尽くされ、黒い影となって倒れ伏していることに、誰も気づかぬほどに。

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