第6話
気の弱い人物ならばなおさらですが、でしょうが? 最たるものは「信仰」かと思うが、「心の支え」が必要になる。
「依存症」は、まえは「中毒」という呼称でしたが、「嗜癖」にニュアンスが似ていて、もっと意味的に強い…だからだいたいどこかココロの弱い、いびつなところに依存症につけいられる隙が生じる。 そういうところで、「宗教は民衆の阿片」とか言う箴言もあった。
アル依存症のほかにも、種々様々な依存の対象があり、過食症もあるし、〇ックス依存というのもある。ニンフォマニアと似た感じかも。
「今夜、すべてのバーで」(中島らも)というのは、アル依存で作者が苦しんだハナシで、自分もその頃にビール中毒だったので、興味深く読んだが、「人間は何かに依存せざるを得ない存在」という言葉がクライマックスで出てくる。
著者はかなりにジャンキーで、咳止め薬のイッキ飲みとか、抗うつ薬、いろんなクスリだけの紹介の本もあった。
文章校正の仕事をしていた時に、「一心にその校正をし続けていると、エンドルフィンが出るのか気持ちよくなる」というようなことも書いていたっけ。
よく「知情意」と言って、知と情はともかく「意」が分かり難い…「草枕」の冒頭の有名な文章に、「知に働けば角が立つ、情に掉させば流される。 意地を通せば窮屈だ」とあるので、「意」はつまり「自我」のパラフレーズかな? 依存して防衛するような、そういう精神の統合機能、管制塔? それを「意」というのか? とかこの頃思いますが、そこが分かり難いのはつまり「自我」が未形成、惰弱だからなんだろうかとも思う。
他人とか人間関係があって、「自我」が要求されて、形成されるという、だからそこに「社会」「他者」の介在があることゆえに、オレには分かり難い…そういえば故・坂本龍一氏は、「僕は自分しかなかった、他人というものがいなかった」と、ラジオで話していた。
坂本龍一氏も、読書家とか知的なイメージで、中島らも氏も博覧強記な印象もあるが、「知に働きすぎるので」?逆に社会と葛藤齟齬を生じて? で、悩んでもいたのだと思う。
<社会との軋轢齟齬⇔依存症、ネトゲ廃人> そういうことは普遍的で、現代的な、現代的すぎるような問題で…?
オレの人生も、そこの蹉跌で破綻破滅をきたしたという、一例。
中島らももサカモトも、まあ見るからに偏頗偏奇な人物で、一癖ありげ…日本の仲良し社会では嫌われ者にならざるを得ず、まあ、そういう個性の強い人物はたくさんいるでしょうが。
そういういろいろな人が、社会と戦って、あるいはミシマになったり、ダザイになったり、大江健三郎やら星新一という作家になったり?
そういう「悪足掻き」が人類社会の生々しい面白さとも思う。
令和7年10月3~6日の日記 夢美瑠瑠 @joeyasushi
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