第5話

 脱水症状で祖母が入院して、当初は三日ほどで退院できるはずだった。ところが祖母は、必要な水分を取れず、排尿もできなくなっていた。しびれの症状も重なり、容態は悪化し、入院は伸びることになったのだ。

 今、自宅に戻っても再び脱水症状を繰り返し、さらにひどい状態に陥る危険があるという。少なくとも一週間ほどは様子をみましょうと告げられた。


 私に、受験生としての一週間が与えられた瞬間だった。祖母が入院している間は、病院が祖母の世話をしてくれる。その間だけは、自分の試験勉強のために使うことができる。入院は喜ばしいことではない。でも、一週間後に祖母が退院したら、自分の入試のために使う時間を確保することは難しいだろう。これまでの学習の復習と、二学期の予習をして少しでも入試に備えようと決意した。


 面会時間に少し顔を出す以外は、自室にこもり勉強をした。分からない所は、夕方図書館に行ってまとめて佑に質問した。佑は私に過去問をくれた。数学に関しては未習の所も自学をして、数学の入試問題に挑戦をしてみた。採点と解説を佑が引き受けてくれた。私は、少しずつ手応えを感じ始めていた。残りの教科は介護が始まっても、細切れな時間を使えばなんとかなりそうだ。祖母が退院するまでに、あと二日あったので理科の化学分野と物理分野を中心に勉強した。苦手な「水溶液とイオン」のところや、「物質の運動」の単元などは佑に教えてもらった。

 

 退院前日の面会で、祖母は私を見るなり声を掛けてきた。

「みち子、今日は学校から帰るの早かったのね」

 みち子とは、母の名前である。私は、それが何を意味するのか察知した。とうとうこんな日がきてしまったのだ。そう思うと気持ちが沈んだ。

「おばあちゃん、明日十時に退院するからね。荷物を一緒に……」 

 私が言い終わらないうちに、祖母の鋭い声が響いた。

「みち子、お母さんとお呼びよ」

 大きな声で言い放ち、眉をひそめた。


 私の知っている祖母ではなかった。明日からの介護は一体どうなってしまうのだろう? 不安で仕方がなかった。家に帰って佑にLINEを送った。

《おばあちゃんがね、いよいよ私のことが分からなくなったみたい。今日、私を母の名前で呼んできたから》

《大丈夫? それは心配だね。何か僕でできることがあったら言って》

 佑は優しかった。ただ、話を聞いてくれることが嬉しかった。


 その日の夕食は、珍しく母も仕事から帰っていて一緒に食べた。稑と母に今日の面会での出来事を伝えた。

「ばあちゃんは、僕のことわかるかな?」

「もう手に負えないわね。うのちゃん、お小遣いアップするから頑張って。お母さんは、おばあちゃんと口を利くのも嫌なのよ」

 母の言葉は哀しくて、冷たくて、利己的だった。私の気持ちは深く沈み、パレットにはもう黒と茶系の色しか残っていない。この家では稑だけが頼りだ。

「稑、お姉ちゃんのことを助けてね」

「うん。お母ちゃんもたまには、仕事、仕事って言ってないで、ばあちゃんの面倒見てよ。明日、退院なんだから一緒に迎えに行ってよ」


 稑は母に愛されている。母親からしたら、異性の子供は恋人のようなものなのらしい。母は自分の手帳を手繰り、明日の予定を確認し始めた。私が母に言ってもきっと何も変わらなかったことが、稑が言えば事態は変わっていくのだ。心にもやもやを抱きながらも、稑を上手に使って母に頼む方が得策だと気付いてしまった。


「お母さん、一緒に明日病院に行って欲しいの」 

 私も自分の言葉で思い切って伝えてみた。声が震えてしまう。

「分かったわ。うのちゃん、明日はみんなで行きましょう」

「よかった」

 稑がほっとしたようにつぶやいて、私に視線を送った。一人で退院に立ち会い、タクシーで帰って来るつもりだったから、張り詰めていた緊張の糸がゆるんで涙が出そうだった。でも、母の前で涙を見せたくなくて、必死でこらえていた。


「姉ちゃん、頼みにくいことは僕に言ってよ」

 母が席を立った隙に稑が小声で言った。稑はいいやつだなと素直に思った。自分勝手で母性の欠如した母親に育てられてこんなふうに優しく育っているのは、これまで祖母が愛情を注いでくれたからだと理解している。けれども、祖母が育てた母がこんな具合なのはどういう訳なのだろう? いつも不思議なのだ。


 私は、その夜も佑にLINEを返信してから眠った。佑は毎日、どのくらい勉強したかLINEで聞いてくれるのだ。その進捗状況を答えるという口実があるから、安心してLINEを送信できる。毎日、LINEを送ることについての是非を考えずに済む。


 女子トークで、「仲の良い男子にどのくらいの頻度でLINEを送るべきか」盛り上がったことがあった。その時、眞由子は「毎日はないよね」と言っていた。他の子も同じような意見だった。その時は、私もそう思っていた。でも今は違う。崩れ落ちそうになる自分を、佑とのLINEが救ってくれている。


 翌朝、母は珍しく朝食を作って私たちが起きるのを待っていた。仕事を休んで、祖母が退院するのを迎えに行くのだ。私は、母が用意した朝食を食べながら、「毎朝、朝食を準備してくれたら嬉しいのに」と思う自分がいた。

 普段は、自分が昨日作った余りものや、トーストなどを慌てて用意する。祖母が家に居る場合には、さらに同時進行で祖母の食事の介助も行う。だから、トーストのように片手で食べることができるものの方が、便利なのだ。明日からまた、介護の日々が始まる。 


 朝食を食べると、私は今日の分のノルマの勉強を進めた。夜になると、進捗状況を佑に報告することになっているおかげで、介護があっても寸暇を惜しんで勉強する習慣が定着してきた。本当に僅かしか時間がない時でも、英単語を一ページ分、眺めて意味とスペルを確認することくらいならできる。今はもう少し時間がある。理科の問題集を進めることにしよう。


 そして九時半頃、母の運転する車に乗り込んで病院へ向かった。私と稑は祖母の認知症ができるだけ進んでいないことを願っていた。私の名前を覚えていてくれるだろうか? 

 

 病室の前に立つと、大きな声が響いていた。騒然とした様子がドアの外まで伝わってきた。

「ねえ看護師さん、今日は退院だとういうのに、約束の時間になっても誰も迎えに来てくれないんだよ。病院に置き去りにする気だよ! 冷たい子供達だ」


 私達は病室の入口で立ち止まった。会話の内容に驚いた。今、約束の午前十時少し前なのだ。三人で顔を見合わせた。認知症が進んでいるようだと覚悟することになった。

「おばあちゃん、お迎えに来たよ」

 私が話し掛けると祖母は

「みち子、遅かったねえ。病院に置き去りにする気だったのかい?」

 私を娘と間違えているようだ。語気も強めに話し掛けてきた。母のことは、誰だか分からないといったふうである。 


 祖母が私を娘と思い込む時、その声は威圧的で、どこか攻撃的な響きがあった。認知症になる前から、もしかしたらずっと、そうだったのかもしれない。だから母は祖母と折り合いが悪いのだろう。認知症が始まってしまった今、私は、祖母の中で母とすり替わってしまうことがある。

 

 ずっとあの調子で話し掛けてくるのだと思うと気が重くなった。今回の入院前までは、そこまで認知症が進んでいなかった。だから、私のことは孫だと認識をしていて、優しく話し掛けてくれていた。


 主治医の先生から告げられたのは、祖母が入院前のような自発的な排泄は難しくなっているという現実だった。トイレのタイミングが合わず、ずっとおむつをしていたのだという。

「認知症のステージが進んでいるようですから、介護サービスを適切に受けるため、要介護認定の区分変更申請をすぐにした方が良さそうですよ」

 担当の看護師さんが、祖母の様子を見かねて教えてくれた。


 状態が悪化した場合に利用できる制度なのだという。母が会計を済ませている間に、病室の荷物をまとめておきナースステーションに挨拶をして病院を後にした。

 車に乗る時にも、祖母はシートベルトを拒んだ。座席に固定されることに恐怖を感じている様子だった。これまでスムーズに出来ていた色々なことに抵抗を感じるようになっている。様々な心配が杞憂でないことは自宅に戻ってその日のうちに分かった。


 祖母は、おむつ外しをしてしまい、床を汚してしまうのだ。

「私はね、まだおむつなんかの世話にはならないよ!」 

 怒りながら外してしまう。外せば排尿や排便が床に散らかる。片付けに本当に手間取ってしまうのだ。昼頃に自宅に戻って来てから夕方までに大きな尿汚染が二回あった。その時、母は祖母を大声で罵って、手が出てしまうのではないかと心配するほどだった。


 私は明後日には二学期の始業式がある。一学期の時のように介護の件で学校を休みたくはなかったのだけど……。休まずに登校できるか自信がなくなった。要介護認定を受けるためにその日のうちに、母に市の窓口に申請の問い合わせをしてもらった。できるだけ早めに介護支援専門員の家庭訪問を希望した。


 祖母は時々、私のことを娘のみち子だと思って強い口調で様々な要求をしてきた。私が言い返したりしなければそれ以上にはならなかったが、言い返すと暴言が返ってきた。母と祖母との暴言の言い合いもひどくて、私の祖母に対するイメージは音を立てて崩れていってしまった。


 翌日、祖母は午前中、疲れた様子でよく眠っていた。昼食の頃に目を覚ましてリビングまでゆっくりと手すりを使って歩いて来た。その時、強烈な便の臭いがした。確認するとおむつから便がはみ出ていたので、すぐにシャワーをするように勧めた。浴室には座ったままシャワーを浴びることができるようにお風呂椅子を置いてある。


 祖母は、はみ出した便が肌に付いたことが不快だったようでその提案には応じてくれた。お風呂まで一緒に付き添い、脱衣の介助をした。その後は、祖母は自分でやると言い張った。だから少し離れた所から見守ることにした。 


 今回の入院前と比べ、介護は一気に重さを増していた。私は、介護と学業を両立できるのか、不安が胸を締め付けた。それでも、必ず明日の始業式には参加したい。夏休みに私を支えてくれた佑に報いるためでもあった。


 夜のLINEで、佑にこれからの介護の不安について伝えた。

「朝食の介助大変そうだけど、それだけ終わらせたら必ず登校してね」

励ましの言葉が送られてきた。私のことを心配している佑の気持ちが伝わってきた。その優しさがあたたかいのと、介護の状況が厳しいのとで心のタンクがいっぱいになり、眠ろうとした布団の中で涙が後から後から溢れて止まらなかった。


 翌日は始業式ということで早めに起床をして朝食の準備をし、祖母も起こして食事の介助をした。祖母は、食べたくないと我がままを言っていたが、優しく言葉掛けをすることでなんとか食べることができた。稑もさっと支度をして登校した。母は、私が食事の介助をしている横で、自分だけ素早く朝食を食べて出勤して行った。でも、いつもと少し違って優しい言葉をかけてくれた。


「うのちゃん、本当にありがとう。お母さんにはできないことをやってくれて本当に助かっているの」

 その言葉の中には以前よりも、感謝とねぎらいの気持ちが入っているように感じられた。私は、片付けがまだ途中ではあったものの学校に間に合うように家を出た。  

 自転車を漕ぐ足は登り坂であっても緩めることはできない。遅刻をしたくない。佑の励ましを無駄にしたくない。私の人生を、まだあきらめたくない。ペダルを踏みながら、言葉が浮かんでは消えていった。

 

 自転車置き場に着くと、誰もいなかった。駆け足で教室まで走った。自分の座席に着席すると同時に始業を知らせるチャイムが鳴った。なんとか登校時刻に間に合ったのだ。隣の席の男子が野球の審判のように両手を広げて「セーフ」と言った。

 この日は、始業式と学活だけで、教科の授業はまだ始まらなかった。学活では三年生だけ体育館に集合して、体育大会の応援団団長を決める演説が行われる。佑は応援団長に立候補すると言っていた。私は佑の演説を見たかった。どんなことをみんなに語るのかこの目で見てみたかった。 


 始業式に参加する体育館への整然とした行列に呑み込まれて、私は存在を消した。学校というところは、大抵そのようなところで、個人の状況よりも全体が重んじられる場所だ。そのおかげで、私は今、自分の家のことを考えなくて済む。

 校長先生の始業の言葉が、まるで私のために話されているように感じてしまう。

「自分の命を大切にすること」「困った時には大人を頼ること」「心から自分が楽しめるものをもつこと」三つの大切なものについて話があった。



 休み時間になると私は、担任の村松先生に呼ばれた。

「うのさん、おばあちゃんの様子はどう?」

 私は脱水症状で入院をした後に認知症が進んでしまって大変な状況にあることを打ち明けた。要介護認定の申請をしていてこれから判定があることも伝えた。村松先生は、私の話を聞いているうちに深刻な表情へと変わっていった。

「始業式に参加できて本当に良かった。中学生らしい生活が送れるようにサポートできればと思っています」

 

 あたたかい言葉を掛けてくれた。私はその言葉がとても嬉しかった。私にだって「中学生らしい生活を送る権利」があるのだとお墨付きを頂いたような心持ちとなった。


 次の時間、体育館に応援団ごとに整列して集合した。私は佑と同じクラスで青組だ。応援団長に立候補する人は、前に出てその抱負について語る。候補者は、女子二人と男子三人だった。演説を聞いた後、団員の投票で団長を決めることになっていた。   


 最初は女子の候補者からだった。一人は女子バスケ部の元部長、もう一人は女子バレーボール部元部長だ。二人とも、活発な印象のリーダー格的存在である。二人とも共通して訴えていたことは「様々な分野における男女平等」ということだった。これまでは「男性がやるべきもの」だと無意識に思っていた分野にこそ、女性が活躍する場所があるという主張で説得力があった。

 言われてみると、無意識のうちに「応援団長はこうあるべき」という概念が無意識のうちに植え付けられているようにも思えた。


 男子の二人の候補者も、自分がなぜ団長に立候補をしたのか具体的な理由を堂々と自信をもって伝えていた。一人は、男子テニス部の元副部長、もう一人は元生徒会長だった。二人とも、自分がリーダーをした時の経験を基に堂々と演説を進めていた。


 佑の番になった。佑はみんなの前に出るといきなり一人で応援を始めた。エールだ。

「フレー フレー 青団! フレッ フレッ 青団! フレッ フレッ 青団!」

 その声は体育館中に力強く響き渡り、キレのある動作は指の先までピンとした緊張感が行き届いていた。佑のエールの迫力たるや、最強だった。声はのびやかで、堂々としていたし、人を魅了する何かがあった。


「僕たちは、これから、一人一人が受験というラスボスに立ち向かう。だから、これから先の僕たちを奮い立たせるような応援にしたい。青団でいたことが誇りになるような、そして、仲間として力を合わせたことがこれから先を照らし、励ましてくれるような感動をつくりたい。だから、僕に一票を投じてください。お願いします」


 佑の演説は、短いながらもその中に、全ての熱量が注ぎ込まれているかのようだった。野球部元部長であることには全く触れていなかったが、存在そのものにリーダーの貫禄が漂っていた。そして、佑のエールをずっと見ていたいと思わせるような吸引力を纏っていた。


 全員の候補者が演説したところで投票に移った。開票の結果発表は明日だった。佑が一番良かったと思う。団長気質で、たくさんの人の気持ちを束ねていけるリーダー性があった。明日の開票結果が待ち遠しい。佑には、手応えがきっとあったのではないかと思う。この日は三時間授業だったため、投票後、すぐに下校となった。


 佑と自転車置き場で顔を合わせると、自然と二人で自転車を押して帰るのが、いつの間にか習慣になっていた。

「今日の、演説とっても良かったよ」

「そう?ちょっとみんながやらない方法でやってみたんだけど」

 佑は頭をかきながら、照れくさそうな笑顔を浮かべた。

「応援団長になった時のイメージが湧くからきっとプラスになったと思う」

「明日の開票結果が楽しみだな」

「うん」

 自信に満ちた表情から、きっと佑が団長になると確信した。

 「それでどう?おばあちゃん退院したんだよね?」

 佑は、歩く速度を自然に合わせてくれる。

「それが、認知症がとっても進んでいてね」 


 私は入院の前とどんなふうに祖母が変わってしまったのか佑に話した。私のことを、自分の娘と間違えて高圧的な態度になることや、排泄がうまくいかないので介護が大変になることなどを伝えた。佑に話を聞いてもらうだけでとても気持ちが楽になる。状況が変わるわけではないけど、心に晴れ間ができるのだ。


 私は、突然立ち止まって、鞄の中から大切なものを取り出した。

「ねえ佑君、これお揃いで買ったの。どうぞ」

 私は深海水族館でこっそりと購入したヒトデのキーホルダーを佑に渡した。佑の頬は赤くなっていた。目が優しく笑っている。

「うのちゃん、いつの間に?」

「深海水族館に誘ってくれたお礼よ。受験のお守りみたいになればと思って」

 アクアブルーのヒトデのキーホルダーを、佑は早速、鞄に付けてくれた。大切に扱っている佑の様子を見て、私は思わず笑顔になった。

「ありがとう! 大切にするよ」

 お揃いなことも気に入ってくれたようでうれしかった。途中で振り向いて私に手を何度も振りながら、名残惜しそうに佑は帰って行った。

 


「ただいま」

 私が玄関のドアを開けると、稑がリビングからすぐに駆け寄って来た。

「姉ちゃん、僕が学校から帰って来たら、鍵が開いたままで、ばあちゃんがいなくなってた!」

「え! うそ?」 

 私の心は激しく動揺した。その場に座り込んでしまいそうだった。



「ばあちゃんの靴は残ってるのに、家の中にはどこにもいない」 

 私は頭の中が真っ白になった。













  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る