見えるもの

 手元の時計を確認する。

6月30日、午前11時50分。

天気は雨。

傘をさして歩く。

空という名のキャンバスは、

白と黒を1対1。

絵の具を混ぜたような空模様。 

そういえば彼女は美術部だった。

雨粒がビニールを叩き、無機質な音を響かせる。

彼女はきっと、、

いや確実に遅れてくる。

どこかに遊びに行くときはいつもそうだった。

今日も、そうであってほしい。

切実に願う。

雨音が耳に痛い。

それなのに、はやく会いたいと、

はやる気持ちは倍速で。

雨のビートが胸を打つ。

ちょっとした気分転換になればいい。

そんなふうに思っていた。


☆ ☆ ☆


 ドアを開けると同時にベルの鳴る音が聞こえる。

アンティーク雑貨に古時計。

時刻は12時過ぎ。

明度、彩度のともに低い、

フィルターのかかった店内で。

意外にも彼女、桐谷はすでにいつものソファに腰掛けていた。

『遅刻だね、珍しい』

声音に落ち着きがある。

凪いだ水面のようなゆらぎのある声。

やけに大人びで見えた。

雨のせいか、それとも気まぐれか。

「雨降ってたから、思ったより時間かかっちゃって」

嘘ではない、実際いつもより時間がかかったのだ。

「そう、なら許す」

いつにもなく上から目線だ。

彼女は手のひらを向かい側の椅子に伸ばし、

早く座れとばかりに睨んでくる。

「あ、はい、失礼します」

恐る恐るその椅子に腰掛けた。

なんだかこれから叱られるみたいだ。

『お金はすぐ返すから。で、たまごサンドでいい?』

「いいけど。奢ってくれるの?」

『そんなわけないじゃん』

まあ、そうだよな。あの桐谷だもんな。

いつも通りの彼女だ。

「で、桐谷は何頼むのよ?」

『ブラックコーヒー』

真面目な顔でそう告げる。

古時計の針と雨の音が同期する。

「本当に?」

『何、飲めないとでも思ってるんだー

 まだまだおこちゃま扱いですか、、』

手をひらひらさせながら、

やれやれ、といった表情だ。

「そういうわけじゃ、、、ないけど」

『少し迷ったよね?』

目をガッと見開いて、

こちら側に、机を跨いで前のめりになる。

表情がコロコロ変わって面白い。

しばらく目が合っていた。

なんとなく窓の外へ視線を逸らす。

水滴で霞み、外が良く見えない。

本当に外の世界と隔絶されたようだ。

『ご注文はお決まりですか?』

今日は通常スタイルだ。

エプロンが梅雨色カラーになっている。

あら、いつの間に。

「あっ、はい。

 たまごサンドをお願いします」

『あと、あんみつで』

『たまごサンドとあんみつですね、

 少々お待ちください』

ささっとカウンターへ戻って行ってしまう。

『学校はどう?』

やっぱり聞かれるよな、、

「まあまあだよ」

言葉が濁る。

それでも、嘘はついていない。 

『そっかー、それにしては

 浮かない顔してるけど』

彼女はやけに感が鋭い。

これは1年間、彼女と同じハコで過ごして感じたこと。

こちらを一直線に見つめる琥珀色の瞳には、

何が見えているのだろう。

「雨だからじゃないかな、、」

『さっきもそんなこと言ってたよね。

 雨アレルギーなの?』

「そんなものないでしょ」

『あるかもしれないじゃん』

実際どうなんだろうか、

僕は世界をまだ良く知らない。

「七瀬はどうなの?」

話題を逸らす。

『まあまあだけど』

「ならよかった」

『え〜それだけ?

 もっと何か聞いてよ』

「毎日を満足に過ごせてるならそれで十分」

『君は満足できていないような言い方だね』

鋭かった。

まるでかみなりに打たれたかのようだった。

話せば話すほど漏れ出してしまう。

この雨漏りを直したい。

いっそのこと、すべて流してしまおうか。

もういいや、なるようになれ。

彼女の前で、

かっこつけて、取り繕っても意味がない。

「そうだよ」

もう隠しようもない。

僕はぶっきらぼうに答えた。


『その言葉を待っていた。』

彼女は微笑む。

分厚く、暗い雲の切れ目から注いぐ、眩い日差しのように。

『今はどんな感じなの?』

「まずだ、まともな友達ができていない」

『というと?』

「普段から話す人はいるにはいる。でもそれだけ」

『完全に一人、というわけではないのね。何がご不満?』

「他の人はいつものメンバー的なのがいる。

 でも、自分にはいない」

『そういうのが欲しいの?』

「そういうわけではない」

そういうわけではない?

自分でもなぜ、この言葉が出たのかよくわからない。

『私に絡まれ過ぎて

 感覚麻痺っちゃってるんじゃないの?』

自分で言うなよ。

でも、それもあるかも。

中学のとき、

学校にいる間はだいたい桐谷がいたし。

でもそれはなんだか違う。

「それはあるかも。でも、」

『でも?』

彼女が首を傾げる。

「うん、何だろう、、」

雨脚が一層強まってきている。

屋根越しに、音が聴こえるほどに。

『自分を客観的に見てみたらどう?

 今までそんなの気にしたことあった?』

全てをわかったかのようなすまし顔で。

大袈裟かもしれないが、彼女の瞳は太陽だった。

『君は今、私と、喫茶店でおしゃべりしている。

 これを客観的にみるとどうかな?』

「借金の返済現場」

『まだそれ引きずるか、、

 それは主観だ』

真っ向から否定された。

真面目に答えたのに。

彼女は立ち上がる。

人差し指をこちらに向け。

彼女は満を持して言う。

『そう、これはデートでしかない』

名探偵のように、迷いなく。

「いや、それはない」

『いや、ありえるね』


そんなふうにあしらったが、

微かに、何かが掴めたような気がした。

この状況を客観的に見れば、

楽しそうに話す高校生2人に見える。

そこまでは認めよう。

僕だったらきっと、

羨ましい、楽しそうだなぁ、

と思っているだろう。

そうだとしたらこの時間はきっと、

僕が欲しかったもの。

そんな場面がこれまでもたくさんあったのだろう。

目の前のことに精一杯で、

取りこぼしていただけで。

『お待たせしました』

店員さんがやってくる。

先日、彼と話していた時間も、

実は楽しかったのではないだろうか。

「『ありがとうございます』」

彼女はコーヒー、僕はたまごサンドを手に取る。

「1つあげようか?」

これはほんの、感謝の気持ち。

『えー!いいのー?

 じゃあわたしのコーヒーも』

「それは結構です」

『ちぇーっ』

たまごサンドを口いっぱいに頬張る。

やっぱりこれがいちばんだな。

『前川くん、リスみたいになってるよー!』

彼女の笑顔が花開く。

「ちょ、と、ばかにしてるでしょ」

窓の外へ視線を向ける。

水滴が陽に照らされて、宝石のように光っていた。

雨が止んでいる。 

バケツをひっくり返し、水に塗れた世界に、

きらきらと日光が注ぐ。

空は一面青一色。迷いなく塗りつぶされていた。

『あっ、そうだ!連絡先交換しようよー

 まだできてなかったし』

「おっけ、いいよ」

『あの2人とはもう繋いであるから、

 今度また、修学旅行のメンバーでどっか行こうよー』

彼女が興奮気味に捲し立てる。

コーヒーを溢してしまわないか心配だ。

ふわりさらりと髪が揺れる。

上機嫌だな。

「とりあえず、ほら、登録だけしよう。ね!」

ひとまず落ち着かせる。

『え!?わかった』

すーはー深呼吸をしている。

この時間が楽しい。


感覚が麻痺ってるにしろ、麻痺ってないにしろ、

僕は、こうやって話している時間が、

どの時間よりも好きだ。



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