第4話 イントロダクション
教室は、僕が想像していたものとはまったく違っていた。
壁はひび割れ、窓は古く曇っていて、机は何世代も使い回されたように見える。
――そうだ。ここはクラスF。エーテル学園の「落ちこぼれの吹き溜まり」。
足を引きずるように中へ入り、周囲のひそひそ声を無視する。
そのとき、気づいた。――自称「クラスメイト」たちの存在に。
乱れた茶髪の少年が椅子にのけぞり、足を机に投げ出していた。
「また不幸な奴が来たな」
にやりと笑う。あれがフジ。もう僕を値踏みしている目だった。
窓際には、まるで光そのものから逃げるように、影に半分隠れた少女が座っていた。
彼女の名はスキ。一度だけこちらを見て、すぐに窓の外へ視線を戻す。表情は読めない。
その隣には、彼女と同じ顔をした少年――双子のユキ。
彼はにやりと笑い、鉛筆を空中に投げながら言った。
「新入り、あいつの無口を気にすんなよ。ずっとああなんだ」
気楽そうな声。でもどこか、トラブルを待ち構えているような鋭さがあった。
教室の奥では、異国風のアクセントを持つ二人が小声で囁き合っていた。タリアとジャクソン、転入生らしい。
彼らは場違いに見えたが、その目は妙な鋭さで周囲を観察している。
近くには、小柄な少女が机にうずくまり、不安げにペンをいじっていた。ミカサ。間違いなく引っ込み思案のタイプだ。目が合うと、びくりと肩を震わせた。
そして――ミキオ。
背が高く、静かに目を閉じ、まるで眠っているかのように動かない。言葉ひとつ発しない。
だが彼の周囲の空気だけが、異質だった。
これがクラスF。
最底辺。
そして、どうやら僕の新しい居場所らしい。
教室はすでに騒がしく、 chatter が飛び交っていた。僕が後ろの席に座ろうとしたその時――
「ヒラくん!!」
声が耳を突き、僕は固まった。まさか。
反応する前に、誰かが勢いよく飛びついてきて、まるで何十年ぶりの親友再会かのように腕にしがみつく。
振り返ると――彼女がいた。サクラ。
ピンク色の髪が彼女の快活な顔を縁取り、小学生の頃から変わらぬ輝く瞳。太陽のような笑顔を浮かべていた。
「やっぱりヒラくんだ!」
「……サクラ?」
「そうだよ! 久しぶりだね!」彼女は場違いな大声で続ける。「わぁ、本当にすごい! まさかまた同じクラスになるなんて!」
僕はため息をつく。よりによって彼女か。
変わっていない。押しが強くて、勝手に「親友」扱いして、やめろと言ったあのあだ名を平然と使ってくる。
しかも当然のように、僕の隣の席に腰を下ろす。
「これって運命でしょ?」
「違う。不運だ」
――だが、本当は覚えていた。
小学生の頃。僕の「家名」のせいで、皆が僕を避けたとき。唯一、僕のそばにいてくれたのは彼女だった。人気者で、友達に囲まれていたのに、必ず僕を引っ張っていった。
そして今も、彼女はここにいる。
相変わらず子供っぽく、相変わらず押しが強く、相変わらず……サクラだった。
彼女の笑顔を見て、ずっと奥に押し込めていた記憶がよみがえる。
――小学校の校庭。暑い午後。僕は壁際に立ち、囲まれていた。
「おい、カゲ」少年が僕の襟をつかみ、嘲った。「お前んとこの一族って無能なんだろ? 皆そう言ってるぜ。もう学校来んなよ」
僕は何も言わない。言葉なんて意味がないと早くに悟っていた。
拳が振り上げられ――その時。
「やめなさい!」
鈴のような声が響いた。
皆が振り返る。
そこにいたのはサクラ。小さな体で、顔を真っ赤にして怒りに震えていた。
ためらいもなく僕の前に立ちふさがる。相手は自分の倍の大きさなのに。
「ケンカしたいなら他を当たりなさい! でも、ヒラくんに手を出すなら、まず私を倒してからにしなさい!」
少年たちはたじろぐ。誰も僕をかばったことなんてなかったから、どうすればいいか分からなかったのだ。
「頭おかしいんじゃねーの」
「やめとけ」
そう言って散っていった。
サクラは両手を腰に当て、まるで世界を救ったかのような笑顔でこちらを振り返る。
「ね? 私がいれば大丈夫でしょ、ヒラくん!」
「……頼んでない」
「ふふん、でも“どういたしまして”でしょ」
――あれがサクラだった。いつも突っ走って、いつも笑顔で、いつも僕を「ヒラくん」と呼んで。
そして今、何も変わっていない。
僕は顔を覆ってため息をついた。
どうしてよりによって、彼女が僕の隣なんだ……。
東棟の大きな窓から朝日が差し込む。世界屈指の名門と言われる学園のはずなのに、僕が入った教室はお世辞にも立派とは言えなかった。歪んだ列の木製机、何十年も使い古された黒板、閉まりきらない窓。
――クラスF。
僕は割り当てられた席に腰を下ろす。窓際、二列目。
カラリ、と扉が開く音がした。
女性が入ってきた。
温かい笑顔、緩く編んだ栗色の髪。明るさに満ちた雰囲気を持ち、ベージュのジャケットに黒のワンピースを合わせた姿は教師というより若いOLのようだ。
「おはようございます、みんな!」彼女は手を打ち鳴らし、明るく言った。「私はクラリッサ・アオリ。あなたたちの担任です。でも堅苦しいのは抜きにしましょう。“クラリッサ先生”でいいですよ」
ざわめきが走る。教師を名前で呼ぶなんて聞いたことがない。
彼女は机に腰をかけ、目をきらめかせる。「せっかくだから最初の日はシンプルにいきましょう。自己紹介です。名前、好きなもの、嫌いなもの。簡単でしょ?」
生徒たちの間から不満の声が上がる。僕はため息をつく。自己紹介なんて無意味だ。
クラリッサ先生は前列を指さした。「フジ、最初はあなたね」
鋭い目をした黒髪の少年が立ち上がる。
「フジ・カネ。好きなのは剣術。嫌いなのは怠け者」
短く、切り捨てるような声。
「クールね、フジ」先生は笑う。「次!」
だらしなく椅子に座る長髪の少年が片手を上げた。
「ユキ・ミカヅキ。嫌いなルールは守らない。笑えって言うな」
双子の姉が睨むように立ち上がる。
「スキ・ミカヅキ。好きなのは静かな場所。嫌いなのは弟の態度」
教室に笑いが起き、ユキはにやりと笑った。
次に、赤髪で顔の半分を金属のマスクで覆った少年が立つ。
「……ミキオ・タイヨウ」
炎でその名を空に描き、すぐに座った。
「ミステリアスね!」クラリッサ先生は動じない。
青髪の小柄な少女が立ち上がり、スカートを握りしめる。
「み、ミカサ・アオリ……す、好きなのは……絵を描くこと……に、苦手なのは……人混み……」
同じ苗字に、教室がざわつく。頬を赤らめた彼女はすぐに座った。
次は二人の転入生。
「ジャクソン・チー。スポーツが好き、特にバスケ。じっとしてるのは嫌い」
「タリア・ホシノです。読書が好き。私を見下す人が嫌い」
「国際色豊かね!」クラリッサ先生は嬉しそうに言った。
最後に、ピンクの髪の少女が勢いよく立ち上がる。
「サクラ・キツネ! サクラちゃんって呼んでね! 好きなのはお祭りと甘いものと友達づくり! 嫌いなのは暗い顔!」
ちらりと僕を見る。僕は視線をそらす。
「元気いっぱいね、サクラ!」クラリッサ先生は拍手した。「じゃあ最後、ヒカル?」
仕方なく立つ。
「カゲ・ヒカル。好きなものはない。嫌いなものもない」
間。
サクラが笑った。
「うそつき! ヒラくん!」
僕は顔を引きつらせ、黙って座った。
クラリッサ先生はまた手を叩く。
「よし、全員自己紹介も終わったし、これで“クラスF”としての一年が始まるわよ! 他のクラスに見下されても、あなたたちは一緒に強くなる。これは私の担任としての約束です!」
教室がざわつく。希望、無関心、色々な反応。
僕? ――どうでもいい。
「じゃあもっと面白いことをしましょうか」クラリッサ先生は笑みを深めた。「もう知ってると思うけど、エクソシストは一匹狼じゃなくチームで戦うの。だから――あなたたちは今日から『エクソシスト小隊』に入ることになります!」
「小隊?」ユキが呟く。「牢屋の仲間分けかよ」
「違うわ」先生は首を振る。「仲間は命綱。盾。第二の家族。ひとりが倒れたら、他の仲間が支える。それがエクソシストの掟よ」
僕は窓の外を見つめる。家族。仲間。――意味のない言葉だ。
クラリッサ先生はチョークを黒板に打ち付けた。カチリ。
「小隊は――初日に決めます!」
「は? 初日から?」僕は小さく呟いた。
先生はにやりと笑う。「そうよ、ヒカル。暗い顔しないの。噛みつきはしないわ」
面倒なことになった。
クラリッサ先生が手を上げると、教室の床に魔法陣が広がる。机は一瞬で消え、僕たちは空っぽの訓練場に立っていた。
驚きの声が響く――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます