夢見屋
山田ねむり
夢見屋
昔から、上手く言葉を紡げなかった。
喋ろうとするといつも喉に文字が引っかかってしまって、周りの人みたいに滑らかに話せない。焦りで強張る顔が余計に周囲を怖がらせ〝他人に興味のない無愛想な子〟という貼られたレッテルが、そのまま私になった。
噂が膨らみ、嘘が形成した人格に塗り固められていく気持ち悪さに吐き気を
心底、嫌になる。
なにも出来ない私が一番、私を嫌っているんだ。
母は人と同じに出来ない私を「貴方は皆より少し喉が狭いだけの優しい子よ」と笑って励ましてくれたけど、思春期の心はそれだけでは埋まらない。私の身体の中心にはいつもぽっかりと穴が空いていた。
友人と呼べる人間がいない登下校。二両編成の電車の中、手元にある携帯の小さな画面に想いを吐露する。日記と言うには余りにも鬱屈で、物語と言うには退屈過ぎる。そんなどうしようもない駄文を、今日も俯きながら書き止めていた。
周りの会話はまるで歌のよう。
朗々と、弾むように。
想い想いのリズムに乗って口ずさむ。
音色を奏でられない私は居心地が悪くて仕方がない。それでも耳を塞げないのは、憧れているから。私もあんな風に、会話を楽しめたならって。
……これはない物ねだりだ、分かってる。
ふと、視線を車窓に映せば、からりと晴れた青空があった。春に芽吹いた生命が躍動する夏を超え、いずれ来たる別れの冬を待つ今日この頃。次の命へ繋ぐ準備をする季節。人々はそれを実りの秋だと言う。
私の秋はやって来ない。
踏み潰される落ち葉すら羨ましいと思う。
君はちゃんと染まれたんだね、と。
なんの成果も出せない私より、よっぽど生きているではないか。こんな風に思ってしまう自分がますます嫌になった。ため息を吐いてまた携帯に視線を落とそうとしたその時、電車の扉が開いた。
学校まであと二駅。この駅から乗ってくる人はあまりいない。だから今日も変わらないだろう。そう思っていると、ピョンっと白い毛玉が乗り込んで来た。
見間違いかと思い瞳を擦ってみたけど、やっぱりいる。電車に乗り込んで来たのは一匹の白いウサギだ。
騒然とする車内もどこ吹く風。当の白ウサギはピョンピョン跳ねて私の隣の座席に座った。まるで飼われているウサギの様に、ピッタリと身体を寄せて。周りの視線も気にしない。
多分、この車両で私が一番驚いている。
どうしたものかと思案している間にも電車の扉は閉まり、走り出してしまう。こんな時に友達がいたら考えを巡らせて、良い知恵が思い付いたかも知れない。なんて現実逃避するぐらいには一人静かにパニックになっていた。
「お客さん、困るよ。ウサギはゲージに入れて貰わないと。早く降りて。」
次の駅に着くと慌てて車掌が駆けてきた。誰かが騒ぎを嗅ぎつけて呼んだのだろうが、ちゃんと説明はして欲しかった。
「いや……、違う……」
私にこの状況を上手く説明出来る訳ないのだから。案の定、言われるがまま白ウサギを胸に抱え電車を降りる羽目になってしまった。
ため息を吐く私とフンスと何故か満足そうな白ウサギ。……さて、どうしたものか。
「君、何処から来たの?」
喋りかけても返答がないのは分かっている。けれど君のせいで私は今、遅刻の危機に晒されている訳で。出来れば野生に戻るか、飼い主がいるのかぐらい教えて欲しいのだけど……って、無理か。
更に大きなため息を一つ吐く私を見ていた白ウサギは、なにかを察したようにピョンっと跳ねて腕から地面へ綺麗に着地した。そして礼儀正しく改札口から駅を出て行く。
呆気に取られて見ていると白ウサギはピタリと止まって私の方を振り向いた。まるで茜色の瞳がこちらに来いと言っているよう。
どうせ次の電車が来るのは十分後。
ここで待っているより、あと一駅分歩いて学校に向かった方が早い。白ウサギの行く方向が学校と同じ事を願って私も改札を抜けた。
「君、本当に、その道を行くの……?」
白ウサギの後を追って歩き始めてから数分、幸いにも学校へ向かう方向へ歩いていた。前を行く白ウサギはピョンピョンと跳ねて振り向いて。私が着いてきているかを確認しているようだった。そんな白ウサギが急に脇道に逸れ、獣道を行こうとしている。
砂利と坂と木々が生い茂る竹林の間の細い道。
この道を行くのは些か勇気がいる。
今歩いて来た道をそのまま行けば、あと数分で学校が見えてくるのだけど。白ウサギは獣道の先でこちらを見ている。さっさと来い、と。
鼻先をピクピクさせて。
前脚で地団駄まで踏む始末。
「分かった。行くからっ!」
これで遅刻は確定だ。
でも白ウサギに案内されるなんてメルヘンな誘惑には勝てなかった。
しばらく坂を登り続けると、空を覆う葉っぱ達のせいで辺りが薄暗くなり始めた。それでも白ウサギは一定の距離を保ちつつ進む。ここまで来て引き返すという選択肢はなくて、とにかく白ウサギを見失わない様に歩きにくい坂道を登って行く。
道中で地下まで落ちる深穴や、小人しか入れない扉とビスケットが出てきたらどうしようなんて考えていると、鬱蒼としていた森がパッと開けた。
さっきまでの薄暗さが嘘のように晴れ渡った空が広がり、大地にはコスモスが咲き誇る。あちらこちらに落ち葉の赤い絨毯まで出来ているではないか。目の前の光景は思わず感嘆の声が上がるほど美しい。
学校の近くにこんな場所があったなんて、知らなかった。ここに連れて来てくれた白ウサギに感謝しないと。そう思って辺りを見渡すと、白ウサギは少し先にある小さなログハウスへ向かっていた。
飼い主がいるのだろうか?
後を追ってみるとログハウスの扉の前に「夢見屋」と書かれた看板が立っていた。更に営業中をなっている。ただ、何の店なのか全く分からない閉鎖的な造りだ。
入るのを躊躇っている私を他所に、白ウサギは扉に前脚をかけても早く開けろと催促する。何処までもマイペースな白ウサギ。仕方がないから夢見屋の扉に手をかけた。
「いらっしゃい。こんな朝から珍しい。」
チリンとベルが鳴った。
扉を開けるとふわっと香るハーブの匂いが鼻をくすぐる。こじんまりとした店内は、自然とインテリアが融合した不思議な空間だ。
そんな店内に女性が一人。
メガネの奥に優しそうな笑みを浮かべて歓迎してくれた。
「今日はなにをお探しに?」
腰掛けていた椅子から立ち上がった女性は笑みはそのままに、ゆっくりとこちらへやって来る。
お探しの物なんてないのだけど、そんなストレートにものが言える訳もない。咄嗟にここまで連れて来た元凶の白ウサギを探すも、ピョンピョンと跳ねて女店主の足元に擦り寄っていった。
「おやおや、ミトちゃんのお客人かい。それは大事にしないとね。」
ミトちゃんと呼ばれた白ウサギは女店主の胸に抱かれて幸せそうに目を閉じた。
「ここは夢見屋。素敵な夢を売っている店さ。基本は夜にしか来客はないのだけど、ミトちゃんが連れて来た客ならご贔屓にして貰いたいもんだね。」
夢を売ってるなんて、ファンタジー溢れる売り文句だ。でも不思議とこに、女店主が嘘を言っているようには見えない。
店内を見渡すと色とりどりの粉が入った小瓶が並んでいる。女店主はこの全てが夢だと言う。
「さて、お嬢さんはどんな夢をご所望かい?」
未だ話についていけていないのに、どんな夢が欲しいかなんて聞かれてすぐに答える事なんて出来ない。焦る私の目に飛び込んで来たのはあの白ウサギ。
「じゃあ、ウサギが月でお餅をついてる夢がいいです!」
勢いとは怖いもので、言った側から後悔した。自分でも意味の分からない事を口走った自覚がある分、みるみる顔が赤く染まっていくのを感じる。そんな私を見て女店主は、「とても良い夢だね」と静かに笑った。
そうして近くにあった棚の中から黄色の粉が入った小瓶を手に取ると、私に受け取るように差し出した。
「これは星屑を砕いて願いを掛けた星砂さ。寝る前に小瓶の蓋を開けてお眠り。そうすれば良い夢が見られる筈だから。」
不思議な縁で出会った人だからだろうか、あり得ないこんな話も本当かも知れないと思えてくる。真剣に耳を傾ける自分にびっくりしたほどだ。
「あの、お代をお支払いします。」
「ミトちゃんのお客人からお金なんて取りはしないよ。気に入ったらまた来ておくれ。」
女店主が綺麗にウィンクなんてするから、こくんと頷いて手のひらに置かれた小瓶を貰い受けてしまった。
「ささ、学校があるだろう。お行き。ミトちゃんが学校まで送ってくれる筈だから。」
言葉通り、女店主の胸から華麗に飛び降りたミトちゃんは店の扉の前で早くしろと言いたげにこちらを見つめていた。そんな姿に思わず女店主と顔を合わせて笑い合う。
「あの子はね、美しい兎とかいてミトちゃんだ。名前を大層気に入ってるから呼んでおやり。そうすれば歩くスピードがゆっくりになる筈だから。」
耳元でこっそり教えてくれた話すら、まるで物語の中に居るようで私はとにかくずっとふわふわしていた。手には小瓶を握りしめて、これが夢じゃない事を祈りながら学校へと急いだ。
その日の晩、言われた通りに小瓶の蓋を開けて眠りにつく。半信半疑ではあったけど、少しワクワクもしていて。今日の嘘みたいな出来事を反芻しながら深い夢の世界へ落ちていった。
そうして月が登り星が煌めく夜が明けた頃、私は満面の笑みで目が覚めた。
「ミトちゃんがお餅作ってた。全自動餅つき機で。」
こんな笑える素敵な夢もない。
またミトちゃんと女店主に会いに行こう。
素敵な夢を売っている「夢見屋」さんへ。
私がふふふと笑っている頃、その店の扉を誰かが開けた。店内にはチリンと愛らしいベルの音が響き、白いウサギと女店主が笑顔で出迎えてくれる。
「いらっしゃい。ようこそ夢見屋へ。」
今宵も素敵な夢を沢山揃えて、貴方の来店を待っています。
夢見屋 山田ねむり @nemuri-yamada
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