蒼と向日葵

立樹

第1話

 その日は、朝から霧のような細かい雨が降っていた。


 朝起きて、居間のテレビをつけると、気象予報士の男性が週末の天気について解説している。どうやら梅雨入りしたみたいだ。それをぼんやりと聞きつつ、頭では違うことを考えていた。


 梅雨が明ければ、夏が来ることを。


 日課になっている朝の天気予報を観終え、掃き出し窓の外へ目をやった。


 花壇というには大きく、畑というには小さい庭に向日葵が植わっている。


 毎年春の終わりに種をまき、梅雨になるころには僕の肩までの高さになる。夏には、僕の背丈なんて追い越して、黄色い大輪の花を咲かせた。


 その向日葵を見るたびに、彼のことを思い出す。

 高校三年生の夏。彼とこの庭で過ごした日々を。

 それは、胸が息苦しくなるほどで。

 羨望と後悔が入り混じる。


 諦めようと思っても、諦められない恋心を捨てきれずに、向日葵を植えることでなぐさめていた。そんな僕を情けないと思うけれど、大きな向日葵の花を見ていると、その情けない気持ちをも吹き飛ばしてくれる。


 また、向日葵は祖父母との思い出の花でもある。だから、毎年、毎年植え続けていた。


 庭に植えた向日葵は、見るたびに大きくなっていて、六月の下旬の今、肩の高さまでになった。


「あとで、じいちゃんに写メ撮って送るか」


 聞いてもらう相手もいない家の中。独り言ちて円卓の上のスマホを手にとった。



 僕の住む家は、祖父が子どものころに建ったという築云十年の平屋建ての日本家屋だ。

 最近では雨漏りがあったり、戸の立て付けが悪く、業者に頼んで直してもらっている。すき間風もひどく、冬は石油ストーブとこたつがないとしもやけになってしまうほど寒い。


 僕がこの家に来たのは中学に入学する前だった。


 両親と弟とも折り合いが悪くて、学校にも行かず引きこもっていた僕を母方の祖夫母が、一緒に暮らすことを提案してくれた。

 最初は家族から逃げるならどこでもよかった。

 けど、思いのほか祖父母との暮らしは居心地よかった。


 祖父母は、農業で生計を立てている。最初こそ手伝いはしなかったけれど、祖父に気分転換にと連れ出されるうちに、いつのまにか手伝っていた。


 農業が自分の性に合っていたのだろう。体を使い野菜を育てているうちに、鬱々とした気持ちが晴れていき、学校に行けるまでになった。だから、祖父母には感謝している。


 なのにその祖父母は、今はこの家にはいない。


 二年前、祖母が体調を崩したとき、地元の町医者から紹介してもらった都心の病院に通うことになった。ただ、その病院に通うことが老いて弱った祖母には困難だということが判明し、祖父母は利便性のいいところへと引越しを決めた。

 そして、祖父母が担っていた農業を僕が引き継いだというわけだ。

 祖父母がいなくなったこの家は、がらんとしていて寂しい。

 その反面、隣接する家もなく、自由はある。


 ハウスだから雨でも関係ない。農業に休みはない。

 日一日と育っていく農作物にまったはなしだ。

 卵かけご飯をかきこみ、祖母直伝の漬物をバリバリとつまんだあと、作業着に着替えて農作業場へ向かった。


 朝の収穫を終え、出荷の準備をして契約している店に配達をしていると、一日が飛ぶように過ぎていく。


 仕事を終えて帰ってくるのは、いつも日が落ちてからだ。


 今日は、一日中雨が降っていて、汗と雨で全身が水の膜で覆われているように感じる。

 まずはシャワーを浴びて……と、考えながらトラックを小屋に置き、玄関に向かう。

「鍵、鍵……」

 ポケットから鍵を取りだしたとき、玄関の前に人の姿があることに気づいた。しかも引き戸にもたれかかるように座っている。寝ているのか頭が下がっている。


「え、誰。 ってか、大丈夫ですか?」


 慌てて駆け寄った。

 しゃがみ込んだとたん、酒の匂いがした。


 酔っ払い? 


 僕の知り合い?


 見たところスーツ姿で、靴は革靴。顔は暗いうえに、下を向いていてわからない。


「あのー、聞こえてますか?」


 肩をゆすっても、「うぅ~」という寝息なのかうなり声しかしない。

 軒下といっても、雨は吹き込んできていた。投げ出されている足はぬれていた。


 このままじゃマズいよな。


「ちょっとごめんなさい」


 声をかけ、脇に手をかけて引き戸から移動させる。そして、鍵を開けて玄関の電気をつけた。


 明かりが男性を照らした。


 もう一度「大丈夫ですか」と肩をたたこうとした手が止まった。


「え、まさか、……蒼?」


 下からのぞき込み、確認する。


 間違いない、横川蒼よこかわあおいだ。


 高校時代の友人でもあり、僕の好きな人。


「なんで?」


 クエッションマークであふれそうになりながら、寝入った蒼を抱きかかえて中に入った。


 軽い。


 見た目よりも、ずっと軽かった。


 僕が農作業で力仕事が多いから、筋力や体力には自信があるつもりだ。けれど、それでもこんなに軽いもんだろうか。


 抱きかかえた蒼の顔を見た。


 お酒のせいで顔は赤い。頬は記憶よりもこけている気がする。


 会いたかった人。


 でも、会うには心構えがいる人。


 疲れたように眠る蒼を抱く手に無意識に力が入った。

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