うちの邪神様、弱すぎて草

藤原霧亜

聖なる鉄を主に捧げよ

 これは、世界を救う物語ではない。

 むしろ、世界を滅ぼそうとして失敗し続ける、残念な奴らの記録である。



◇◆◇


グルグル「あの日からアジトのサーバーの調子が悪い」


 ​リーダーであるグールの男『グルグル』は、テーブルの上でぐるぐる回り続ける読み込み中のアイコンを睨みつけ、昨日から燃え続けている祈祷用のろうそくを、ため息混じりに吹き消した。


 六畳一間のアジトは、家賃三万円、風呂なし、築八十年。壁にはびっしりと冒涜的なルーン文字が刻まれ、床には古びた魔法陣。そして部屋の隅には、現代的なサーバーラックと大量のLANケーブルが、とぐろを巻く大蛇のように鎮座していた。


 ​サーバーラックとWi-Fiルーターの不機嫌そうな点滅に、我らが邪神、偉大なるクトゥルフ様の『クー様』も、心なしかイラついているように見えた。


 恐るべき宇宙的恐怖の化身は、安物の座椅子にその巨体を預け、人間には知覚できない物質でできたスマートフォン(のようなもの)を眺めている。画面には「通信環境が不安定です」の文字。お気に入りの動画配信者のアーカイブが見られないらしい。


ミミゴゴ​「リーダー。プライマリサーバからの応答、ありません」


 ​背後から、無機質な合成音声が響いた。振り返ると、技術担当であるミ=ゴの『ミミゴゴ』が、昆虫のような複雑な頭部を小さく傾けていた。


ミミゴゴ「昨日の召喚儀式で発生した、原因不明の電磁パルスが原因かと。復旧には、最低でも近所の公園から拝借してきた鉄棒3本分の『未知の金属』が必要です」


グルグル「……それはもう未知じゃなくてただの鉄だろ」


 ​リーダーがこめかみを押さえていると、部屋の隅で黙々と錆びた三叉槍を磨いていた戦闘担当のディープ・ワンの『びちゃ』が、純粋な瞳を輝かせて言った。


びちゃ「リーダー!俺が海から、すっごい魚、獲ってきましょうか!?」


グルグル「それでサーバーが直るか!」


 リーダーのツッコミが、薄暗いアジトに虚しく響く。


 理不尽なのは、ゲームの中だけではない。むしろ、確率の暴力で全てが台無しになるだけ、ゲームの方がまだマシかもしれない。


 ​リーダーはテーブルの上の家計簿――『今月の祭壇維持費:赤字』――に目を落とし、もう一度、深いため息をついた。


 グルグルが深いため息をついた時だった。

 部屋の空気が、びりびりと震えた。声ではない。脳内に直接響く、荘厳で、しかしひどく不機嫌な思念だった。


クー様『グルグルよ……我の楽しみが……ぐるぐるしておる……』


 ​見れば、クー様が座椅子の上で身じろぎし、スマートフォン(のようなもの)の画面で回り続ける読み込み中のアイコンを、心なしか恨めしげに見つめている。


グルグル「はっ、はい!ただいま原因を究明しておりますれば!」

 ​グルグルは慌てて立ち上がり、クー様に向かって深々と頭を下げる。彼は部下たちに向き直った。


​グルグル「…というわけだ。ミミゴゴ、びちゃ。我々はこれより、クー様が安らかなエンタメライフをお過ごしになられるため、儀式の生贄…いや、サーバーの復旧素材を調達する!」


ミミゴゴ「了解しました。作戦目標は近所の公園に設置された鉄棒3本。して、どのように窃取しますか?」


グルグル「うむ…。夜になれば人目も減る。問題は、どうやって鉄棒を『拝借』してくるかだが…」


 ミミゴゴがおもむろに指先の鋭い鉤爪を一本、くいっと持ち上げた。


ミミゴゴ「それなら、私が。この高周波ブレードで切断面を分子レベルで平滑化すれば、痕跡は残りません。ただし、フルパワーだと半径500メートルの全てのガラスが粉砕されますが―」


グルグル「却下だ!もっと穏便な方法はないのか!」


 ​すると、今まで黙っていたびちゃが、自信満々に胸を叩いた。


びちゃ「リーダー!俺が夜中に公園に行って、引っこ抜いてきます!」


グルグル「腕力だけでどうにかなるか!それに引っこ抜いた後、どうやって運ぶんだ!お前その姿で鉄棒3本担いで街中歩いてみろ、10分で通報されるぞ!」


びちゃ「う……」

 ​びちゃがしょんぼりと俯く。グルグルは再びこめかみを押さえた。予算はない。人手(?)は足りない。そして常識は、このアジトにはない。



グルグル「……決めた。びちゃ、お前が夜中に鉄棒を『緩めて』おけ。俺とミミゴゴでリヤカーを借りて…いや金がない…台車をどこかから調達して、運ぶ。いいな!」


​びちゃ「はい!」


ミミゴゴ「了解。最も成功確率の低いプランですが、現状では最適解です」

 ​

 こうして、その夜の作戦『聖なる鉄を主に捧げよ』が決まった。

 三人が決意を固めていると、背後から再びクー様の思念が飛んでくる。


クー様『うむ……ついでに、ポテトチップスのコンソメ味を頼む…』


 ​グルグルは、今夜何度目か分からない、深いため息をついた。

(……そもそも、なんでこんなことになったんだ…)

 脳裏に浮かぶのは、昨日の光景。あれは、完璧なはずの儀式だった。


​◇◆◇

​――昨日の夕刻、嵐が吹き荒れる断崖絶壁。


 ​天と海が混じり合い、星辰は狂い始めていた。グルグル、ミミゴゴ、びちゃの三人は、詠唱の最終段階に入っていた。アジトのサーバーと直結したミミゴゴ特製の「混沌増幅器」が、不気味な唸りをあげている。


​グルグル「(いける…!今度こそ、クー様の完全顕現が成る!)」


​ 海面が緑色に泡立ち、巨大な影が水底から浮上しかけていた。その、まさにクライマックスの瞬間だった。

​水無瀬「どうも、水無瀬ヒカルです。…ちょっと緊急で動画回してます。これが例の儀式か。まあ、正直言って…撮れ高としてはえぐいっすね」


​ 崖の上から、落ち着き払った声が響き渡る。見れば、例の探索者チームが全員揃っていた。


​グルグル「ちっ、嗅ぎつけおったか!だがもう遅い!」

 ​焦るグルグルをよそに、探索者側も混乱していた。


​黒川「まずい!儀式が最終段階に!何か、何か手は…!」


​藤堂「邪魔をするな!俺がやる!」

 ​飛び出そうとするのを、記者の白石が制止する。そんな彼らの様子を見て、水無瀬はつまらなそうに言った。


​水無瀬「お、仲間割れ?まあ、面白い展開やん。…なあ黒川くん、正直このままじゃグダるっしょ。そこの石、投げてみようや。絶対なんか起きるって。俺の勘は当たる」


​黒川「ええっ!?む、無茶苦茶だ!」

​ 水無瀬にそそのかされ、近くにあった人間の頭大の岩を、力の限り祭壇めがけて放り投げた。岩は放物線を描いて飛んでいく。


​びちゃ「させません!」

​ 迎撃しようと飛び出すが、岩はびちゃの巨体をかすめ、軌道を変えてミミゴゴの「混沌増幅器」へと向かう。


​ミミゴゴ「!」

​ 咄嗟に防御フィールドを展開し岩を反射する。


​水無瀬「俺のWi-Fiも投げるわ!…なんか起きるやろ。」

 ​ポケットWi-Fiは岩に激突。その衝撃で、岩は砕け散り、Wi-Fiは高く舞い上がった。

そして、三つ目の奇跡が起きる。


 召喚ゲートから溢れ出た魔術的な雷が、天から迸ったのだ。雷は、なぜか上空でくるくる回っていたポケットWi-Fiに吸い寄せられた。


​ミミゴゴ「――まずい!」

​ 雷撃を受けたルーターは強烈な電磁パルスを発生させ、ミミゴゴの混沌増幅器と、その先に繋がっていたアジトのサーバーを直撃した。


 顕現しかけていたクー様の姿は『何が起きてんだ―』という断末魔の思念だけを残して掻き消え、嵐は嘘のように静まり返った。


 ​後に残されたのは、あっけにとられる探索者たちと。


​グルグル「――なんでこうなるんだーーーっ!!」

​ 断崖絶壁に響き渡る、リーダーの悲痛な叫びだった。


​◇◆◇


​「……はぁ」

​回想を終えたグルグルは、再び現実世界でため息をついた。


 手には、びちゃに渡すための軍手と、ミミゴゴが「あると便利だから」と開発した『絶対にくっつかないガムテープ』、そしてクー様に頼まれたポテトチップスの代金百円が握られていた。


​グルグル「…行くぞ、お前たち。今夜こそ、我々の手で勝利を掴むんだ」

​ 彼の顔には、安物のポテトチップスを買いに行くにしては、あまりにも悲壮な決意が浮かんでいた。


(終わり)



『次回予告』


世界の運命を左右するはずの、聖なる夜の儀式。

​その第一歩を踏み出すはずだった彼らは、しかし、気づいてしまった。

​――アジトが、絶望的に汚いという現実に。

彼らは生活の混沌に立ち向かう。

​次回、『アジト大掃除大作戦』。世界征服は、まず足元から。

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