【短編】元一人っ子は妹と報告を待つ!

美女前bI

昭和61年3月3日、日曜日。

 

 父が付き添い、母は出産を控えて入院中。


 集合住宅のこの狭い部屋には、俺たち兄妹と母の姉である敏子叔母さんの三人だけ。


 俺たちは連日、狂ったように仏壇に向かって祈り続けていた。安産祈願の供物は乾燥ワカメ。貧乏な俺たちの精一杯の捧げ物だ。


 祈るたびにひたすら供物へ水をかける俺と妹。叔母さんには何度も止められた。それでも俺たちはやめなかった。まぶたが限界を迎え、その場で寝落ちしちゃうまで……


 昭和61年3月3日、日曜日。


 カーテンの隙間から、差し込む光が瞼をすり抜けた。と思ったら、目を開けたまま寝てたみたい。


 俺が起き出したのは、愛妹の美春ちゃんと同じタイミングだった。いつものように挨拶をかわし、軽く口説く。首を傾げられ、スベって落ち込んだ。べ、別にいつものことだし……もっとダメじゃん。


 違う意味で目のやり場に困った俺は、それを見て「うわあ……」と、つい声が漏れた。


 視線の先にあるのは、引くほど増えたキモいワカメ。


「だから言ったじゃないの。本当にバカな子ねえ」


 俺の髪を撫でながらする叔母さんの優しい叱責。


 朝ごはんのメニューが決まった瞬間でもあった。


 ざるそばでも啜ってるかのような音は、当然ワカメ。食っても食ってもまったく減ってる気がしない。


 もう、ワカメなんて見たくない……


 お腹を擦りながら寝そべっていると、電話の鳴る音で俺の動きがピタッと止まる。


 狭い六畳間に緊張が張り詰めた。


 皆の視線が俺に突き刺さる。美女と美幼女の視線が熱い。これがモテ期か!あ、ボケてる余裕なかった。まったく緊張が解けてないし。


 心臓が激しく脈を打ち続ける中、震える右手で受話器を持ち上げる。


「も、申す申す……」


「あ、ケンジ! いつまで待たせんのよ!」


 イラッとしてつい舌打ちが出る。間違い電話という理由だけではない。女を待たせるなんて、ケンジという奴はけしからん野郎だな。


「けんじ〜、また女の子よ〜。さっきより若い子。あ、切れた……」


 ケンジ君、今の俺には余裕がないんだ。女を待たせたお前が悪い。だから俺は悪くない。


 その日はお昼まで、まともな電話が来ることはなかった。


 園児の美春ちゃんと歌を歌いながら、ひたすら吉報を待ち続ける。


 兄妹で一緒に作った赤ちゃんの歌。バラード調、ロック調、演歌調、ヒップホップ調、ぶりぶりアイドルメルヘン調。何曲も愛妹と歌い続ける。


 やっぱり演歌は心に響くなあ。俺は自分の奏でるギターソロに一人で酔いしれる。ああ、日本酒が飲みたい……


 そんな時、耳に届いたのは来客を告げる玄関のチャイム。


 親父はチャイムを鳴らさない。俺の待ってる連絡とは関係なさそうだ。やる気のない声を出して、ドアを開けると――


「西條喜美様でよろしいでしょうか。電報でございます」


「あ、はい」


「恐れ入りますが、こちらにご署名をお願いいたします」


 適当なやりとりの後、そのデンポーとやらを受け取った。減俸みたいで縁起の悪い響きだ……


 しかし、その見開きの表紙には『寿』の文字がある。おめでたい報せだろうか。寿といえば寿退社。それは俺にとって、別嬪さんの喪失という意味合いが強い。嫌になっちゃうね、自分の性格が。


 いや、誰かの結婚式にお呼ばれされちゃった可能性もあるか。前世で結婚できなかった俺にケンカを売りたいのかな?後悔するほどめっちゃ余興してやる!


 いつの間にか顰めていた顔を戻して、デンポーの台紙を開いた。


 なぜか、そこには五文字の漢字。中国語でしょうか。


 生母子元気――


 な、ナマハハコモトキ?


 『生卵もどき』のような発音だ。


 でも今の俺たちには、縁起が良さそうな漢字の並び。そうだ、美春ちゃんと仏壇で唱えよう。


「「せーのっ、ナマハハコモトキっ!!」」


「何でよっ! 生まれました。母と子、共に元気ですって意味でしょ」


「「え?」」


「おめでとう。喜美お兄ちゃん、美春お姉ちゃん」


 一瞬、頭が真っ白になった。


 脳がまだ、理解できていない。


 俺は美春ちゃんと顔を合わせる。


 彼女の顔もキョトンとしたままだ。


「「あ……」」


 ようやく意味がわかった!


「やった! 赤ちゃんだ!」

「お、おおおおお兄たん……よかった。本当によかったね、お兄たん!」


 俺たちは互いを慰めるように抱きしめ合った。叔母さんも俺たちを後ろから包んでくれているのがわかった。


 胸元では鼻を啜る音。叔母さんの幸せな嗚咽も混じっている。滲む視界の隅で、季節外れの蝶々がたくさん飛んでいった。


 前世で俺は一人っ子。美春ちゃんと同様に、その赤ちゃんもまた生まれてこられなかった子だ。


 この数カ月。美春ちゃんと一緒に、母のお腹の外から赤ちゃんを励ました。


 絶対に会おうね、元気に生まれてね、元気が無理ならせめて無事に生まれるんだよ。


 母に「しつこい!」と頭をぶっ叩かれても、俺はそのお腹にほっぺたを引っ付けて毎日言い続けた。


 それでも俺たちは、赤ちゃんの誕生を待ちきれなかった。


 宗教嫌いの俺も今回ばかりは神仏に縋るくらい必死に祈った。


 赤ちゃんを抱きたい。


 ただそれだけを願って……


 「やっちまった〜!」


 そんな俺達の感動を遮るような、叫び声。


 窓の外には、くす玉を手に町内会長の走る姿。


 『おめでとう』の垂れ幕がジジイを追い越し、空高く舞い上がる。


 今度は蝶々がくす玉から飛んでいく。あ、違った。あれは紙吹雪か……


 

 後日、母から聞いた話だ。


 末っ子が生まれた当日。バカな親父は大変興奮していたようだ。


 震える指で何度も間違い電話を繰り返したあげく、小銭がなくなり公衆電話を使えなくなったという。その足で電話局へ急いで出向き、わざわざ電報を頼んできたらしい。


 五年ぶり三回目の電報とのことだった。


 毎回、同じ失敗してんじゃねえか!




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【連載中】過去に戻った一人っ子は妹を溺愛する!

https://kakuyomu.jp/works/16818792439521009213/episodes/16818792439523185877

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