トノサマバッタの行方
@gagi
トノサマバッタの行方
俺がまだガキの時分、祖母の家の前はただっ広い空き地だった。
背の高い建築物も無いから、青い空がのびのびと広がって、その下に緑の雑草たちが思い思いに繁茂する。
今もだが、毎年お盆の頃になると俺の親は祖母の家に帰省する。
ガキの俺も当然、連れ立って祖母の家に来ることとなる。
祖母の家にいる間はもっぱら、その草むらの空き地で遊んでいた。
よくやったのが虫取りだ。
俺と同じように祖母の家に来ていた、いとこのユウキと共に虫網を担いで草むらに飛び込んだ。
チョウチョやイナゴ、カマキリなどを捕まえた。
特に俺たちが夢中になったのがトノサマバッタだ。
普通のバッタの一回りも二回りも大きくて、ガキだった俺たちの手のひらよりもデカい奴だっていたかもしれない。
デカい分その脚力は尋常ではなく、たった一跳びで俺たちの歩幅幾つ分の距離を悠々と移動する。
そんな規格外の機動性能だから、せっかく見つけても次の瞬間には草むらの遥か奥へ消えてしまう。
他の虫とは一線を画する希少な存在。トノサマバッタ。
強靭な後脚に魅入られちまった俺たちは、トノサマバッタを一目見るとその一匹を必死に追いかけた。
照りつける日射の下を汗でどろどろになりながら駆けまわって。青臭い草むらの中に飛び込んでは小さな切り傷を体中につけた。
トノサマバッタとの死闘の末に、奴の身柄を確保する。
それを虫かごに入れて祖母の家へ戻ると、ばあちゃんが庭で採れたキュウリを切ってくれる。
キュウリの一切れをトノサマバッタの籠に入れて、残りはばあちゃんの家で作った味噌をつけて俺とユウキが食った。
それが、俺がガキだったころのお盆の恒例行事だ。
俺が高校生となった現在、祖母の家の正面には一棟の賃貸アパートと2件の分譲住宅が建っている。
草むらが茂っていた空き地は悉く開発されて、草の代わりにアスファルトが敷かれている。
バッタ一匹跳ねる気配がない。
いとこのユウキも昔は野郎のような風体をしていたが、今では髪を伸ばしてスカートを履いて一丁前に化粧までして。
完全に今時の女子高生の振る舞いだ。
ばあちゃんも最近はすっかり弱って元気がない。
庭の家庭菜園は俺が中一の時にやめてしまった。
自家製の味噌づくりはその翌年が最後だった。
「なんだか、変わっちまったよなぁ」
思わず独り言が漏れてしまった。
ソファの隣に座るユウキの耳にはイヤホンが詰まっているから、聞かれてはいないと思う。
高校生の俺にとって祖母の家に滞在する期間はマジで退屈で仕方がない。
小学校の頃なら家の近所を走り回ってるだけでも楽しかったから、いろいろと興味を持てる遊びがあったが。
現在は本当にやることがない。スマホで動画見たり漫画見たりはできるが、自宅でできることをわざわざ出かけた先でやっていると変なむなしさを感じて嫌だ。
「なぁ、暇だしアリの巣水攻めしに行かね?」
ソファの隣に座る、いとこのユウキに俺は提案した。
「は? 行くわけないけど。バカじゃない?」
俺はその言葉と共に己の糞を喰らう兎を見るような眼で見られてしまった。
おかしい。甚だ不満だぞ。
ガキの頃のユウキはいつも口を開けば『バッタ捕りに行かね?』か『アリの巣水攻めしに行かね?』しか喋らなかったというのに。
……。なるほど、バッタの気分だったのか。
「じゃあバッタ捕りに行くか」
「行くわけねーだろ。ガキじゃねんだから」
おかしい。非常に不服である。
そもそもバッタいないでしょ。家建ったんだから。
ユウキはそう言葉をつけ足して、スマホに視線を戻した。
まあ、そうだよなぁ。
祖母の家の冷凍庫にアイスが一つもなかった。
だからユウキと買いに出かけた。
炎天の下、首筋に汗を伝わせながら近所のスーパーを目指す。
マップを開かず記憶を頼りにたどり着いた先にはスーパーが無くて、代わりとして異様に駐車場の広いコンビニが一軒あった。
なんで田舎のコンビニって駐車場が広いんだろうな。
コンビニで買い物をすると高くつく。
俺は少し歩いた先にあるドラッグストアまで足を延ばしたかったが、ユウキが疲れたと駄々をこねるからここで妥協することにした。
ところで、俺にはこの世で嫌いなタイプの人間が2種類いる。
一つはいじめっ子。
もう一つは値札を見ずにhーゲンダッツをレジに持ってく高校生だ。
なんで高校生がhーゲンダッツなんて高級品を値段気にせず買えるんだよ。富豪の子供なのか?
しかもユウキのやつ、あろうことか3っつもh-ゲンダッツ買いやがった。
俺なんてsーパーカッブ一個買うだけでも決済アプリの残高と相談しなければならなかったのに。
俺は内心で、カロリー過多でぶくぶく太る呪いをユウキにかけた。
コンビニからの帰り道。
ばあちゃんちと賃貸アパートが見えたあたりで、視界の端に動くものがあった。
「おぉ、バッタいるわ」
車道を挟んで対岸の歩道を緑の物体がぴょんぴょんと跳ねている。
まぁ、一匹くらいはいるか。ここら一帯の草むらがなくなったからって全滅に追いやられはしないだろう。
「まって、あれってトノサマバッタじゃない?」
ユウキがそういうので目を凝らしてよく見てみれば、びょんびょん跳ねるバッタの緑の足にはイカした黒い模様がある。
そうかもしれねぇなぁ。と俺が同意すると、ユウキは左右を確認してから車道へ飛び出した。
「ねえ、追うよ! 何ぼさっとしてんの!」
それだけ言ってユウキはトノサマバッタ目がけて走り出した。スカートを気にする様子は微塵もない。
てめぇ、疲れてたんじゃねえのかよ。
一拍遅れて俺も車道を渡る。
走る元気があるならドラッグストアまで行けたじゃねえか。
最初はそんなことを考えたが、走っているうちになんだか楽しい気分になってきた。
久々にトノサマバッタを見たからだろうか。
トノサマバッタを追いかけるユウキを見たからだろうか。
たぶん、その両方が理由な気がする。
バッタを追いかけて、息が上がってきたあたりで辿り着いたのは噴水のある公園だった。
ガキの頃にユウキと水遊びをした記憶がある。
現在、目の前の公園は噴水の水が枯れて、雑草は伸び放題になっていた。
その伸び放題の雑草の中に一歩足を踏み入れると、小さなバッタたちがぴょんぴょんと跳ねた。
「トノサマバッタは、ここに引っ越したのかもしれないね」
そうかもな、と俺は答えた。
祖母の家の前の草むらを追われた虫たちにとって、ここの立地は新たな城として適格だっただろう。
その後一時間くらい粘ってトノサマバッタを一匹捕まえた。
俺の手のひらの半分ほどもある大きなトノサマバッタだ。
虫かごは無いからコンビニ袋に小さな穴をいくつか開けて、その中へ入れた。
祖母の家に戻って物置を漁るとガキの頃の虫かごが出てきた。
虫かごを洗って、トノサマバッタはその中へ移した。
買ってきたアイスは完全に溶けていた。
俺たちが虫取りに興じている間、ずっと炎天下に置いていたのだから当然だ。
冷凍庫に入れてはみたが、固まるには時間がかかる。
口元が寂しいなと思っていると、ばあちゃんが冷蔵庫にあったキュウリを切ってくれた。
力の弱った腕で切ったからか、断面ががたがたしている。
腹の中に入ってしまえば同じだと思った。
キュウリは一切れをトノサマバッタの虫かごに入れた。
残りは市販の味噌をつけて俺とユウキで食った。
「なんだか、変わらねぇな」
思わず独り言が漏れてしまった。
ソファの隣に座るユウキが、味噌を舐めながらこちらへ振り向く。
ああ、聞かれちまったみたいだ。
トノサマバッタの行方 @gagi
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