何とも〝感動作〟大賞の作り方

クソプライベート

感動作

「何とも〝感動作〟と言っておこう。軽快な文体で、楽しませていただきました(でも、どこまで冗談で、どこまで本気なのか?)」

​ 夏帆は、スマホの画面に映るその一文を、もう二時間も見つめ続けていた。デビュー作のレビューサイト。賛否両論渦巻くコメントの中で、このひとつだけが、奇妙な羅針盤のように心の中心でぐるぐると回り続けている。

 悪意はない。むしろ好意的だ。だが、自分の創作のすべてを見透かされた気がした。軽快な文体で、深刻なテーマを冗談めかして書く。それは夏帆のスタイルであり、同時に、本心を晒すことから逃げるための鎧でもあった。

 このままで、いいのだろうか。筆が止まったのは、批判されたからではなく、核心を突かれたからだった。

​ 翌日、考えあぐねて入ったカフェの隅で、夏帆はぼんやりとアイスコーヒーの氷をかき混ぜていた。そのとき、向かいの席に、すっと影が差した。

 「夏帆さん、ですね」

 見上げると、細身のスーツを着た三十代くらいの男が、人好きのする笑みを浮かべて立っていた。怪訝な顔をする夏帆に、男は構わず続けた。

 「おめでとうございます。あなたの作品『走る人、茹でる人』が、栄えある第一回『何とも〝感動作〟大賞』を受賞されました」

 「……はあ」

 「驚かないのですね」

 「すみません、そういう賞は聞いたことがなくて」

 「当然です」と男――皆川と名乗った――は、一枚の名刺を差し出した。「たった今、私が創設しましたので。あなたの作品の『本気と冗談の境界線』という最高の魅力を、世に知らしめるために」

​ それからの日々は、嵐のようだった。

 皆川は本気だった。彼はまず、洗練されたデザインの公式サイトを一日で立ち上げた。選考委員には、AIで生成した架空の外国人書評家の名前が並び、「このアンビバレントな感覚こそが現代文学の到達点である」など、もっともらしい選評まで掲載されている。

 「最高の〝感動作〟には、最高の舞台が必要でしょう?」

 皆川は常に飄々とし、冗談とも本気ともつかないセリフを吐く。彼は次に、SNSで「いま最も注目すべき文学賞」と銘打って、様々な文化人に巧妙な形で言及させ、話題を拡散し始めた。

.

 ネットの反応は、困惑と興味が半々だった。

 『何だこれ、面白い試みだな』

 『手の込んだアートプロジェクトか?』

 夏帆は、混乱しながらも彼のペースに巻き込まれていった。ただの悪ふざけだと突き放せないだけの、的確な批評眼と情熱が皆川の行動にはあった。

​ 流れが決定的に変わったのは、ある有名書評インフルエンサーが「何とも〝感動作〟大賞の功罪」という動画を投稿してからだ。

 動画は、皆川の計画を「個人の道楽に過ぎない」「既存の文学賞への冒涜だ」と批判しつつも、「しかし、作品の価値を問い直すという点では無視できない」と締めくくった。この動画によって、議論はさらに白熱した。

 「あなたのやり方は、作品をダシにしたお祭り騒ぎじゃないですか!」

 夏帆は、皆川に詰め寄った。「私の小説は、そんなに軽いものじゃありません」

 「軽い、ですか」

 皆川は初めて、寂しそうな顔をした。

 「……本気で書いたものを、『冗談みたいだ』と笑われるより、ずっといいと思いませんか。私は、あなたの作品を冗談で終わらせたくなかった」

​ 授賞式当日。会場に指定された公民館の小ホールは、予想外の熱気に包まれていた。野次馬、ネットニュースの記者、そして噂を聞きつけた本物の編集者まで紛れ込んでいる。壇上に立った皆川は、マイクを握り、静かに語り始めた。

 「私は昔、小説家になりたかった」

 彼は胸ポケットから、少し古びた万年筆を取り出した。

 「本気で書いたものを、たった一言、『冗談みたいだ』と笑われ、筆を折りました。その日から、私は本気を冗談という鎧で隠すようになった。……夏帆さんの作品を読んだとき、私にはなかった、鎧を着たまま戦う強さを見ました。だから、どうしても伝えたかった。あなたの戦い方は、間違っていない、と」

 彼は客席にいる夏帆に向かって、深く頭を下げた。

 「これは、私からの、たったひとりの読者からの、本気のファンレターです」

​ 夏帆は、いつの間にか壇上へ歩み出ていた。マイクを握る手に、もう迷いはない。

 彼女は、この騒動の中で書き上げた、新しい物語の冒頭を読み始めた。それは、本気と冗談の狭間で揺れ動く、不器用で、まっすぐな愛の話だった。

 拍手は、熱を帯びて長く続いた。

​ 後日。授賞式の様子はネットで大きな話題となり、夏帆の元には、複数の出版社から執筆依頼が舞い込んだ。カフェで再会した皆川に、担当編集者が決まったことを報告する。

 「それで、編集者からは何と?」

 「『あなたの、あの絶妙なバランス感覚で、読者を思いっきり振り回してください』ですって」

 夏帆は悪戯っぽく笑った。

 「任せてください、って答えました」

 皆川は心底嬉しそうに頷き、そしていつもの調子で言った。

 「何とも〝感動作〟になりそうですね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

何とも〝感動作〟大賞の作り方 クソプライベート @1232INMN

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る