第4話 猫の日
「は、恥ずい‥‥‥これは流石に恥ずかしすぎる‥‥‥!」
ユキは恥ずかしさに顔を赤くしながら、頭の上につけたそれを摘んだ。
今日はバイトの日である。ユキは当然メイド服を着て接客をしていた。しかし、今さらメイド服を着るということが恥ずかしくなったわけではない。もっとも、いまだにそこそこの恥じらいは残っていて、そこがメイド喫茶を訪れるご主人様やお嬢様に人気だったりするわけなのだが、問題なのはそこではない。
「お帰りなさいませにゃん!」
取ってつけたような無理矢理気味のにゃんの語尾が店内に響き渡る。それを発したユキの同僚のメイドは、ぴょこんとした可愛らしい猫耳に猫しっぽをつけていて、気合いの入ったことには猫っぽいポーズもとっていた。
そう、見ての通り、今日は通常の営業日ではない。今日はなんと、猫メイドデーなのだ。別に二月二十二日とかそういうわけではないが、とりあえず店長の思いつきで猫メイドデーになってしまったのである。
つまりは────
「うう‥‥‥まさかこの俺が猫メイドになる日が来るなんて‥‥‥恨むぞ、店長────!」
ユキも猫メイドになっていた。元男子高校生として、猫メイドになるなんてことはかなりの屈辱である。男である時にはまさか猫メイドになる日が来ようとは予想もしていなかった。屈辱だ。これも全て店長のせいだ、恨むぞ‥‥‥! とユキは思っていた。
「しかしなんでみんなは平気なんだ‥‥‥?」
ユキは店内を見渡す。他の同僚のメイドさんたちはけっこうノリノリで、先ほどのメイドさんもそうだが、恥じらいというものが全く見られなかった。
「女子ってみんなそうなのか‥‥‥?」
無論、そんなことはない。ここのメイドさんたちが割と特殊なだけである。そして、そんな中で唯一恥じらいを持つユキはご主人様お嬢様からけっこう人気だった。そして猫っぽいポーズをさせられるという屈辱を味わっていた。
「でもまあ、今日は白河さん休みだし、そこだけが唯一の救いだな‥‥‥」
今日、白河佳織は非番だった。元男子として、いや、元男子でなくとも、猫メイドなんて格好を好きな人に見せるわけにはいかない。そんなことになったら軽く死ねる。それを見せなくていいのはせめてもの救いだった。メイド服姿は見られてしまったわけだし、この上猫メイドまで見られるわけにはいかない。それだけはなんとか死守せねばならない。
というか、ユキも実は今日非番だったのだ。しかし、「お前は人気が高いんだから、こんな日にはいてもらわなくちゃ困る。何がなんでも出てこい」と、店長に言われて出ることになったのだ。
あとでがっぽりボーナスをふんだくってやらないと‥‥‥と、そう思っていた時である。
カランコロン、という音が店内に鳴り響いた。新しいご主人様、もしくはお嬢様がお帰りになった合図である。
「あ、お帰りなさいませー‥‥‥」
ユキがそれに対応しようと急いで入り口まで向かって行くと、そこに立っていたのは、あの白河佳織であった。
「あ、山本くん! 似合ってるね、かわいいよ!」
ニコニコの佳織に向かって、ユキは軽く死にそうなくらい激しく動揺しながら佳織に言った。
「な、なんで‥‥‥? 白河さん、今日休みなんじゃ‥‥‥?」
「うん、そうなんだけど、猫メイドデーが気になって、来ちゃったんだ! つまり、今日の私はお嬢様だね!」
ニコニコの佳織はもの凄くかわいいが、しかしこの猫メイド姿を佳織に見られてしまったという事実。それがユキの気持ちを複雑にしていく。
「え、えっと‥‥‥」
ユキが混乱していると、やや小悪魔めいた表情を浮かべた佳織がユキに向かって言った。
「あれー? そんな態度でいいのかな?」
「え?」
「今の私はお嬢様だよ! 何かやらなきゃいけないことがあるんじゃないの?」
「う‥‥‥」
やはりやらなきゃいけないのか。
仕方ない。確かに今はバイト中。同僚のメイドも見てるわけだし、非番の同僚メイドだからといって手を抜くわけにはいかない。
ユキは恥ずかしさに顔を真っ赤にしながら
「えと、お嬢様‥‥‥」
猫っぽいポーズをとる。そして顔真っ赤、ぐるぐる目になりながら言った。
「お帰りなさいませ────にゃん」
その瞬間、佳織の顔からぺかーっと超絶にこにこ笑顔光線が照射されたのであった。
この笑顔が自分の猫メイド経由の笑顔でなかったらどんなに良かっただろう‥‥‥そう思ったユキであった。
‥‥‥さて、ユキはとりあえず佳織を席まで案内した。
「えと、何をご注文されますか────にゃん」
「じゃあこの、猫の日限定おやつオプションをお願いします」
「え!?」
猫の日限定おやつオプション。それはご主人様、お嬢様が自分の手で猫メイドにクッキーを食べさせることが出来るというオプションである。
今の佳織はお嬢様。頼まれたら断ることなど出来ない。
「じゃあ、山本くん、いくよー?」
「う、うん」
ユキは佳織の手に出来るだけ触れないようにしながら、髪を耳にかけて、佳織の手からクッキーを食べる。
「ふふっ、なんか‥‥‥いけないことしてる気分になるね」
「へっ!?」
そう言って悪戯っぽく笑う佳織に、ユキは激しく動揺する。
(‥‥‥というか、ひょっとしてこれが初めての『はい、あーん』体験ということになるのか‥‥‥?)
ユキの頭にふとそんな疑問が浮かんだが、流石に猫メイドでクッキーを食べさせてもらうのが初めての『あーん』体験だとは思いたくないので、そこは深く考えないことにした。
とりあえず、ユキは全てを忘れて佳織のにこにこ笑顔を堪能することにしたのだった。
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