第3話 文芸部
「‥‥‥よし」
ユキはある教室の前に立ち、やや緊張した面持ちで呟く。ユキは教室の上にあるプレートを見上げた。そこには『文芸部』と書かれていた。
そう、ユキは昨日した決断の通り、佳織のことをもっと理解するべく、文芸部に入るために部室へとやってきたのだ。今日のユキはツインテールにしておらず、髪はストレートに下ろしている。ずっとツインテールにしていると頭皮が痛くなると、姉に言われたからだ。
とにかく、ユキは部室の前に立っていた。文芸部には知り合いなどおらず、部員とは全員初対面となる。少し緊張する。ユキは緊張を静めるために一旦深呼吸して、そして部室の扉をカラカラカラ、とドキドキしながら開けた。
「こんにちはー‥‥‥」
挨拶をしながらおずおずとユキはその文芸部部室の中を覗き込んだ。そして、そこにいた人物と目が合った。
「‥‥‥」
「‥‥‥」
そこにいた人物。それは着物を着てうさぎのお面をつけた、かなり奇妙な格好をした人間だった。そんな人物が部室の中で机に向かい、パソコンを開いて何事かしていた。
「‥‥‥え?」
一体この人物は何なのか。怪しい。怪しすぎる人物だ。ユキは困惑して、部室を覗き込んだ格好のまま固まってしまった。
相手もユキの方を見たまま動かない。2人はそのまま見つめ合ってしまった。お面をつけているから表情がわからない。
そしてしばらくして、その謎の人物からユキへこう声をかけた。
「えっと‥‥‥君は一体何者かな?」
「それはこっちのセリフですけど」
ユキは瞬速でツッコんだ。
‥‥‥
「いやー、すまないすまない! 今の私の格好のことを忘れていたよ!」
ははは、とその人物は笑いながらそう言った。
「はあ‥‥‥」
今は顔が見えている。と、言ってもお面を外したわけではない。横にずらしただけだ。
改めて、ユキはその人物のことを観察した。どうやらその人は女性らしい。お面の下の顔はなかなか整っていて、佳織ほどではないがけっこうな美人と言えるだろう。綺麗な暗緑色の長髪を垂らし、髪と同じ色の目をしている。
「私は緑鏡花。一応この文芸部の部長をやらせてもらっている者だ」
彼女はそう名乗った。どうやらこの謎の人物は不審者などではなく、文芸部の部長だったらしい。
部長に自己紹介されたので、ユキも慌てて自己紹介を返す。
「あ、えーっと‥‥‥初めまして。俺は山本ユキと申します。えと、この文芸部にちょっと興味があって‥‥‥入部しようと思ってきたんです」
「なるほどね。入部希望者だったのか」
「そうです‥‥‥」
と、自己紹介をしたところで、ユキは耐えきれなくなって一番気になっていたことを聞いた。
「ところで、部長はなんでそんな格好をしているんですか?」
気になっていたこと。部長の奇妙な格好である。
「ああ、これかい? これはまあキャラ付けのためにしているという理由もあるが‥‥‥」
「キャラ付け‥‥‥」
「まあ一番の理由としては人から奇異の目で見られるという経験がしたいからだな」
「ええ‥‥‥?」
「おっと、言っておくが別に変な趣味があるというわけではないぞ?私はな、小説家にとって必要なのは『体験』だと思っているんだ。豊富な経験、それこそが小説家に必要なものだとね。だから、奇妙な格好をして人から奇異な目で見られるという経験もしておきたいと思ったというわけさ」
「な、なるほど‥‥‥?」
そういえば、佳織も同じようなことを言っていた。『これは部長も言ってたことなんだけど、やっぱり小説において一番大切なのは体験だと思うんだよね』と。
言ってることはわからなくもないけど、ここまでするだろうか普通‥‥‥。どうやら、部長は少し変な人らしい。
と、お互いの自己紹介も終えたところで、ユキは改めてこの部室の中を見回してみた。部室の中は簡素で、机と、本棚があるだけだ。そして人も部長とユキ以外には誰もいなかった。だから、廊下を歩く生徒の話し声が聞こえるくらい静かだった。窓からは、まだ暮れかけの、夕日に染まりかけた空が見えた。
「他の部員の方々はいないんですか?その、白河さんとか‥‥‥」
「残念ながら、我が文芸部の部員には幽霊が多くてね。部室に来ないような部員がほとんどなのさ。まあ佳織君だけは違うがね。彼女はいつも来る。ただ、今日は委員会の仕事とやらをしなければならなくなったらしくてね。来られなくなってしまったんだ」
「なるほど‥‥‥」
納得した様子のユキを見て、鏡花は言った。
「ふむ。どうやら君は佳織君のことが好きみたいだね。この文芸部に入部しようと思ったのも、佳織君目当てか」
「へっ!?い、いや別にそんなんじゃ‥‥‥」
「隠さなくともいい。私は別に言いふらしたりしないからね。遠慮せずになんでも話してくれ給え。もしかしたら相談にのれるかもしれない」
ユキは上手く言い逃れて、何とか隠し通そうとした────が、思い直した。
よく考えてみればこの人は文芸部部長だ。ちょっと変人だが、話を聞く限りは部活動には真摯に向き合っているようなのである。
それなのに、ユキのやや不純な動機をこの部長に隠したまま入部しようというのは失礼なのではないだろうかと思ったのだ。
だから、ユキはこの部長を信用して素直に話すことにした。
「‥‥‥そうです。俺はこの部に白河さん目当てで入部しました。この部に入れば、白河さんのことがもっと理解出来るんじゃないかと思って‥‥‥」
ユキはこわごわと鏡花の方を見て言った。
「やっぱり、こんな理由で入部しようとするのは、ダメ‥‥‥ですかね?」
「いや、私は別に駄目ではないと思うよ。君は佳織君を理解しようとしてくれたんだからね」
鏡花は、ユキに言った。
「あの子みたいは人間離れした美貌を持っている。だからあの子のことを好きだという者のほとんどは、あの子のことを崇拝すべき対象、完璧な女神として見るばかりで、理解しようなんてことを考える人間なんて、私が見る限りでは存在しなかった」
「はあ‥‥‥」
「そんなことで恋人になれるわけがない。もし恋人になれたとしても、それは歪な関係だ。一方があの子を信仰対象として崇拝し、佳織君、あの子がそれに応えようとして無理をするような関係。そこに待っているのは破滅だけだろう。しかし、君は佳織君のことを理解しようとしている。それは崇拝すべき対象としてではなく、1人の人間として佳織君のことを見ようとしているということだ。だから、私は歓迎するよ」
「別に、俺はそんな高尚なことを考えたわけではないんですけど‥‥‥」
「そうかい? まあそれでもいいんだ。あの子のことを理解しようと思ったのは、事実なんだからね」
そう言って、鏡花は机の中を漁って、一枚の紙を差し出した。
「ほら、これが入部届だ」
「あ、ありがとうございます!」
「文芸部へようこそ、ユキ君。存分にあの子のことを理解してやってくれたまえ。私は応援するよ」
◇
さて、ユキは鏡花から渡された入部届に記入して部長へと手渡した。部長はそれを見て不備が無いかを確認した。
「‥‥‥うむ、よし。大丈夫だな。これは後で私から顧問の先生に渡しておこう」
「ありがとうございます‥‥‥」
「なに、これくらいは造作もない。さて‥‥‥」
鏡花はユキのことを正面から見た。
「これで君は無事この文芸部に入部出来たわけだが‥‥‥一つ君に頼みたいことがある」
「はい、なんでしょうか」
「山本ユキ君‥‥‥君はあの性別が変わる奇病にかかったとかいう元男子の生徒だね?」
「そ、そうですけど‥‥‥なんでわかったんですか!?」
「そりゃあわかるさ。君は有名だからね。さて、そんな突然性別が変わるという現象を実際に体験した君に頼みたいことがあるんだ」
鏡花はやや真面目な顔でユキに言った。
「えと、なんでしょう?」
ユキは何を頼まれんだろうと少し不安に思いながら聞き返した。
「うむ。頼みたい事というのは他でもない。実は、そんな貴重な経験をした君に色々と取材をしたいと思ってね‥‥‥。なかなかに貴重な話だ。小説のネタになるかもしれないと思ったんだ。ただ、もちろん君が嫌なら断ってもらっても構わない。別に断られても、私は意地悪したりしないからね」
鏡花は真剣な表情でユキにこう言った。ユキは、この鏡花の頼みを引き受けることにした。
「いいですよ」
「いいのかい?」
「ええ。あんな理由で入部することを許してもらえたわけですし、揶揄うためとかそういう変な目的じゃないわけですから、別に構いませんよ」
「ありがとう、恩に着るよ」
鏡花は机の中からメモ帳とペンを取り出して、早速取材を開始した。
「それじゃあ‥‥‥まずは性別が変わったことによるメリットとデメリットを聞こうかな」
「メリットにデメリット。そうですね‥‥‥」
ユキは少し考えこむような素振りを見せてから、こう言った。
「まずメリットとしては、体育の長距離マラソンで走る距離が短くなったことですかね」
「ほお‥‥‥」
「あと、うちの近くのお肉屋さんが色々とおまけしてくれるようになりました。男だった時は別に何もなかったんですけどね‥‥‥女子になってからは、『お嬢ちゃん、美人だからおまけしとくよ!』って‥‥‥」
「なるほどなるほど‥‥‥」
鏡花は今聞いたこれらの話をメモ帳にメモしてから、ややぶっ飛んだ感じの笑みを浮かべて言った。
「いいね。面白いよ。こういう日常的で小さなエピソードが物語の深みを増してくれるんだ。これはなかなかいい話が聞けそうだ‥‥‥デメリットは?」
「そうですね、それはえっと、その‥‥‥男だった時より、走りにくくなったことですかね‥‥‥あの、胸が大きくなったので、それがけっこう邪魔で‥‥‥」
「なるほどぉ‥‥‥」
こんな感じで、ユキはその日けっこう遅くまで鏡花の取材を受けていたのだった。
◇
「すっかり遅くなっちゃったなー‥‥‥」
ユキは学校の玄関口を出て、空を見上げて呟いた。空はもうすっかり暗くなっていて、端っこの方に金色が夕焼けが少しだけ残っていた。
早く帰ろうと、ユキが一歩踏み出そうとすると、
「あれ? 山本くん?」
声をかけられた。振り向くと、そこには佳織がいた。
「しっ‥‥‥白河さん。白河さんも、今帰るとこなの?」
「うん。山本くんもなんだ? 奇遇だね」
「えっと、実は‥‥‥」
ユキは、自分も文芸部に入部したことを佳織に話した。
「山本くん、文芸部に入ったの!? え、嬉しい!」
佳織はわーっと笑顔で喜び、腕を掴んでぶんぶんと振った。
「わ、え、えと‥‥‥」
「よし! 今日はお祝いだね! 祝、文芸部入部の日!」
「う、うん‥‥‥」
「よーし、お祝いとなれば‥‥‥山本くん! この後用事とかあるかな!?」
「え、えと、ないけど‥‥‥」
「なら良かった! 今からちょっと付き合って! そんなに時間は取らせないから!!」
「え、ええ!?」
こうして、ユキは佳織に引っ張られてどこかへと連れていかれた。
‥‥‥
「こ、ここは‥‥‥?」
佳織が連れてきてくれたところ。それは学校近くのスーパーだった。
佳織はその駐車場の一角、キッチンカーのある場所へとユキを連れてきた。
「ここここ! ここのあれが絶品なんだよね!」
ユキが止める間もなく、佳織はそのキッチンカーから料理を購入してしまった。
「はい! 入部祝い!」
「あ、ありがとう‥‥‥あの、お金は後で払うから‥‥‥」
「そんなのいいよ! これは入部祝いなんだから、私の奢りでいいって! そこまで高いわけでもないしさ!」
ユキは申し訳なく思ったものの、素直に好意に甘えることにした。そして、佳織が差し出してきたものを見た。それは、たこ焼きであった。
「ここのたこ焼きが絶品なんだよねー!」
にこにこ笑顔で自分の分のたこ焼きをホフホフしながら食べる、佳織の大変可愛らしい姿を見て、ユキはふと思い出したことがあった。
そういえば、白河さんのペンネームって、タコやき丸だったな‥‥‥。
「あの、白河さん」
「なに?」
「白河さんって、ひょっとしてたこ焼き好きだったりする?」
「うん、するよー。私、すっごくたこ焼き好きなんだよね! 今度たこ焼きを題材にして一本小説を書こうと思ってるくらい!」
あっけらかんとそう言う佳織を見て、ユキの中から徐々に笑いがこみ上げてきた。
「ふふっ」
「?どうかした? あ、ひょっとして私、顔に何かついちゃってる?」
「いや、なんでもないよ。ただ、このたこ焼き、美味しいなと思って」
「でしょー? 雑誌にも載ってないし、穴場なんだよここ!」
ユキは嬉しかったのだ。また一歩、佳織のことを理解できたことが。
そして、これからたこ焼きを食べたら佳織のことを思い出すことができる。たこ焼きは佳織の好物であること。この日こうして放課後に、佳織とたこ焼きを食べたことを思い出すことが出来る‥‥‥それが、とても嬉しかったのだ。
こうやって、少しずつ佳織のことを理解していけたらいい。そして、何を見ても佳織のことを思い出せるくらい、佳織のことを知れたら、佳織と思い出を作っていけたら‥‥‥そしたらすごく幸せだろう。
とりあえず、ユキは帰ったら姉に美味しいたこ焼きの作り方を教えてもらおうと決意するのであった。
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