第2話 バイト

「あれ?こんなところにメイド喫茶なんてあったのか」


 1人の男が初めて来た街を散策していると、通りがかりに一つのメイド喫茶があるのを見つけた。可愛らしく装飾された外観で、店の前でチラシの束を持ったメイドが1人、「メイド喫茶いかがですかー」と呼び込みをしながらチラシを配っている。


 せっかく初めて来た町だし、いつもはあまり行かないようなところにも行ってみようか。男はそう思ってチラシを配るメイドを横目に見ながら自動ドアを潜り抜けてそのメイド喫茶の中へと入っていった。


「お帰りなさいませ、ご主人様!」


 王道のセリフとともに出迎えてくれたツインテールのメイドの女の子は、男の心を奪うのに十分な可愛さを持っていた。


(かわいい‥‥‥)


「こちらへどうぞ!」


 可愛らしい笑顔で席へ案内してくれるその女の子を見て、男はもうすでにこのメイド喫茶へ導いてくれた自分の気まぐれに感謝していた。


 今日のメイド喫茶はミニスカデーというやつらしく、見渡せば店のメイドはみんな短めのスカートを穿いていた。


 そして男を案内していた先ほどのメイドは、まだその短いスカートに慣れていないのか、時々恥ずかしそうにしてスカートを押さえたり、かがんだりする時にスカートのことをやたらと気にしていた。


(うう、はっずー‥‥‥)


 そのメイド喫茶の少女、山本ユキは全く慣れることのないミニスカートを押さえ、恥ずかしさを堪えながら、ミニスカデーなどというものを作った店長を恨んだ。


 そう、このメイド少女はこの物語の主人公にして元一般男子高校生のユキなのである。なぜこんなメイド喫茶などで働いているのか。別に、ユキがついに男子の心を手放して完全に女子になってしまったというわけではない。現に、まだユキは佳織のことが好きだし、こんな姿を佳織に見られたら死ねる。


 メイド喫茶で働いているのは他でもない。単純にお金のためだ。


 ユキはまだまだ子供。色々と欲しい物を買うお金などは親からもらうお小遣いに頼らねばならない。


 しかし、もらえるお小遣いにはもちろん限りがある。お母さんだってそう多くはくれないし、自分の息子が娘になったことでかなり甘々になった父親(息子であった時も甘かったが、娘になってからはそれはもう、歯が溶けそうなくらいにダダ甘になった)にねだればもう少しお小遣いを引き出せるのだが、しかしそれとても無限に引き出せるというわけではないし、何よりそういうのはなんとなくユキの気が咎める。


 ならばどうするか。答えは一つ、バイトをするしかない。


 このメイド喫茶はユキの伯母が店長をしている店だ。伯母は人手が欲しかったらしく、女子になったユキにここで働いてほしいと頼み込んできたのだ。


 ユキもお金が欲しかったわけだし、なかなかにいい時給を提示してくれたので、悩みに悩んだ末仕方なく承諾したのだ。


 ユキはそういうわけでメイド喫茶でバイトをしていた。メイド喫茶に来る、色々な男性客、または女性客を接客する。


 そんなふうに接客をしていると、やはり客はユキのことをじろじろと見てくる。ユキはその度に前に友達だった同級生からも感じたことがあるような、ぞわっとした嫌な感覚を感じることが多かった。できればそういう視線を向けられる場に居たくはなかったが、仕事だということで我慢していた。仕事だと割り切れば、ある程度は耐えられる。


 今日も今日とてそんな視線に耐えつつもメイドとしての業務に勤しむ。今は金髪の、外国人らしき女性を相手にしていた。おそらく観光で来たのだろう。


「チュウモン、いいですか?」


「はい、なんでしょう。お嬢様?」


「ここに書いてあるやつを、お願いしたいんですケド」


「わ、わかりました。その、えっと‥‥‥」


 ユキはもじもじしながら、顔を赤らめて言った。


「何を召し上がりたいですか? その‥‥‥お、お姉様」


 女性客の顔がぺかーっと一気に輝いた。


 お姉様オプション。女性客限定で呼び方をお姉様に変えられるというものである。男性客限定でお兄様オプションというやつもある。ユキは男の時もそうだが、女子になってからもけっこう背が低めで可愛らしい感じなので、これをよく頼まれるのだ。それに、恥ずかしそうにお姉様、お兄様と呼ぶその様子も、大変良いとされ大変人気であった。


(うう、はずいな‥‥‥)


 ユキは恥ずかしさに顔を真っ赤にしながらも、自らの職務に忠実に徹したのだった。


 ◇


 そんなわけでユキはバイト喫茶でバイトをしていたわけである。幸いにも、ここにはまだクラスメイトなどは来たことがなく、このメイド服姿を見られたことはない。もちろん、白河佳織にも見られたことはない。


 どうにかしてこのまま、せめて白河さんにだけでも見られないようにしないと‥‥‥。


 ユキはそう思っていたが、やはり人生はそう上手くはいかないものである。


「はい、今日はみんなに新しく入ることになった子を紹介します!」


 その日の業務が終わった後で、ユキたちメイドは休憩室兼更衣室に集められて、ユキの伯母、店長からそう告げられた。


「えー何? 新しい子?」


「へー! 新しい子が来るんだ! どんな子だろー!」


 などと今いる他のメイドたちはキャッキャッとその新入りメイドとやらについて、どんな子だろうかと色々憶測を交わしあったりしていた。ユキもその話に混じり、「話しやすい人だといいですね」とか言っていた。


「入ってきていーよー!」


 伯母店長がそう声をかけると、その部屋の扉がきいっと開いて新人のメイドが中へ入ってきた。


「白河佳織です! よろしくお願いします!」


 そう言って頭を下げる、非常に見覚えのある少女。ユキは、それを見て絶句したのだった。


 ‥‥‥


「まさか山本くんも働いているとは思わなかったよー!」


 帰り道。流れで一緒に帰ることになったユキは、大層嬉しそうな笑顔で、佳織から言われた。


「そ、そうだね。俺も白河さんと一緒に働くことになるなんて思わなかったよ・・・・・・」


 白河佳織と一緒に働く。それがメイド喫茶でなかったらどんなに良かっただろうか。ユキは可愛らしい佳織の笑顔を眺めて、心の底からそう思った。


「山本くんのメイド服姿可愛かったよー! 最高だった!」


「あ、ありがとう‥‥‥」


 かわいいというところはちょっと微妙だが、好きな人に褒められるのは素直に嬉しい。ユキは思わずニヨニヨしそうになる顔を抑えた。


「ツインテールもやっぱり似合ってたし‥‥‥そういえば、山本くん最近よくツインテールにしてるね」


「あ、ああ、うん‥‥‥その、せっかく姉さんに習ったから‥‥‥」


 まさか佳織に褒められたから、なんて言えるわけもなく、ユキはそう言って誤魔化した。


「そ、そういえば白河さんがメイド喫茶で働くなんて意外だったな。メイド、興味あったの?」


「うん、まあメイド服に興味があったのもそうだけど‥‥‥それだけじゃなくて、それ以外の理由もあるんだ」


「そうなの?それ以外の理由って‥‥‥」


「うん。それ以外の理由、というかそれが一番の理由なんだけど実は私、小説を書いてるんだ」


「‥‥‥え、そうなの!?」


「うん、私文芸部に入ってて」


 知らなかった。いや、ユキは佳織が文芸部に入っていることは知っていた。しかし、ユキは佳織が文芸部に入ったのは主に本を読むためだと勝手に思っていた。ユキの学校の文芸部は必ずしも小説を書く必要はないらしく、部員は書きたい物を評論、随筆、小説の中から選べるらしいので、てっきり佳織は評論を選んだと思っていたのだ。休み時間とかに、よく本を読んでいたから。


 しかし、口ぶりから察するにどうやら佳織はそのうちの小説を選んだようである。


「それで、これは部長も言ってたことなんだけど、やっぱり小説において一番大切なのは体験だと思うんだよね。だから、私もいろいろな体験をしてみたいと思ってメイド喫茶で働くことにしたんだー」


 やや得意げに語る佳織を、ユキは少し意外に思いながら見ていた。


「‥‥‥何か、今白河さんが考えてる小説のアイデアとかあるの?」


「んー、そうだなあ、今考えてるのは‥‥‥今女子高生と鶏つくねの恋愛モノを書こうかなって考えてるんだけど、なかなかうまくいかないんだよねー」


「おお‥‥‥」


 そりゃうまくいかなかろうよ。ユキはそう思ったが口には出さなかった。佳織の小説センスはかなり独特なようである。


「山本くん、何かアイデアとかあるかな?出来れば恋愛モノがいいんだけど‥‥‥」


「え!?は、ええっと‥‥‥」


 ユキは、ここは少しせめてみることにした。


「え、えと‥‥‥その、朝起きたら急に自分の性別が変わってた高校生と、そのクラスメイトとの恋愛モノとか‥‥‥」


「おー!なかなかいいアイデアだね!」


「あれ?」


 不発だった。


 しまった、白河さんは鈍感系だったか‥‥‥いや、ただ単に上手くかわされただけか!?も、もうちょっとわかりやすく言えばよかったか? いや、しかし‥‥‥。


 帰り道、ユキは悶々と自己反省を繰り返しながら歩みを運んでいく。


 ◇


 さてユキは家に帰ってからスマホで検索をかけてみた。佳織はどうやら小説を投稿できるサイトに自身の小説を投稿しているらしく、教えてもらったタイトルを検索すると、それはすぐに出てきた。ちなみにペンネームはタコやき丸だった。


 ユキは早速それを読んでみた。それは剣と魔法のある世界での冒険譚、いわゆるファンタジーで、けっこう独特なところがあるものの、かなり面白く仕上がっていた。読者からの反応を見る限り、ユキだけではなく赤の他人が客観的に見ても素直に面白いものであるらしかった。


 ‥‥‥ユキは、女子になってしまったことで、以前までは佳織のことを完全に諦めていた。いやまあ、それでなくてもただでさえ高嶺の花なわけだが、女子になってしまったことでもう完全に可能性はゼロになったと思って諦めてしまっていたのだ。


 しかしあの放課後以来、ユキには勇気が生まれていた。可能性を信じる勇気だ。確かに、あの放課後に何か進展があったわけではない。少しだけ仲が深まって、少しだけ話す量が増えた程度だ。


 しかし、進展はなくとも、あの時間は言葉には出来ない特別で溢れていた。少なくともユキはそう思った。だから、何の確証もないけど、可能性を信じてアタックしてみることにしたのだ。佳織に対して。


 しかし、アタックをするためには、今よりもさらに仲を深めるためには、佳織のことを知らなければならない。今のユキはまだまだ佳織のことを知らなすぎる。今日、それを痛感した。今のままではだめだ。


「文芸部‥‥‥入ってみようかな。俺も」


 こうして、ユキはやや不純な理由で文芸部へ入部することを決意するのであった。

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