第4話「放課後デートと、現われ始めた悪」

「今日は……帰りに寄り道しない?」

 真白が小さな声で問いかけてきた。


 さっき、神崎玲央とすれ違ったばかり。

 その直後だからか、真白の横顔はわずかに強張っていた。

 唇を噛んで、不安を押し隠そうとしているようにも見える。


(……やっぱり、あの男の存在が怖いんだろうな)


 原作ゲームで、真白は何度も追い詰められた。

 きっと彼女自身も本能的に察している――神崎玲央は近づけば危険だ、と。


 けれど、そんな不安の奥にある瞳は、俺を真っ直ぐに見ていた。

 そこにはただ怯えだけじゃなく、確かに“甘え”と“期待”が宿っている。

 ――「隣にいてくれるよね?」と、無言で訴えているように。


 俺は迷わず答えた。

「もちろん。どこ行く?」


 真白の表情がほんの少しだけ和らぐ。

「……駅前のクレープ屋さん」

「いいね。奢るよ」

「えっ、ほ、本当に? じゃあ……一番高いやつにしちゃおうかな」


 冗談めかして笑った真白の顔から、硬さが溶けていく。

 その笑顔を見た瞬間、胸の奥に強い決意が芽生えた。


(不安を抱かせるくらいなら、俺が全部払拭する。

 甘えたいときは、どんなときでも受け止める。

 期待してくれるなら、その期待に必ず応えてみせる)


 俺は心の中で、静かにそう誓った。


 なんでだろうか。俺はこんなに勇気のある男だったのだろうか。


 真白を守るって心に誓う度に、後から後から勇ましい気持ちが溢れてくるようだ。





 駅前の並木道。

 放課後の学生たちで賑わう中、俺と真白は並んでクレープを頬張る。


「ん……やっぱりチョコとバナナは最強だね」

「俺はイチゴと生クリーム派」

「わ、甘党だ」


 笑い合うそのひとときが、胸の奥をじんわりと満たしていく。


(……これだ。俺がずっと欲しかったものは)


 画面の向こうで眺めるしかなかった青春。

 テキストウィンドウの中でしか笑わなかったヒロイン。

 そこに手を伸ばしても届かず、ただ切なくコントローラーを握りしめるしかなかった俺。


 けれど今は違う。

 真白は、確かに俺の隣にいて、同じクレープを頬張りながら笑っている。

 その笑顔はCGでも立ち絵でもない。温度と息づかいを持った、本物の笑顔だ。


(ゲームの中で何度も求めてやまなかった現実が――今ここにある)


 胸が熱くなり、視界がにじむ。

 これ以上に幸せな時間があるだろうか。


「ねえ」

 ふと真白が声を潜める。

「こうして歩いてると……ほんとに恋人同士なんだなって思う」


「……俺も。毎日が夢みたいだ」


 まだ数日なのに、そう思えて仕方ない。


 その言葉に、真白の耳まで赤く染まった。

 恥ずかしそうに俯きながらも、そっと俺の手を探してくる。

 握り返した瞬間――彼女の微笑みが、柔らかく俺を包み込んだ。


(……守りたい。絶対に、この日常を)


 胸の奥に、強い想いが込み上げる。

 彼女が笑ってくれるなら、俺はなんだってできる。

 前世で逃げてばかりだった俺とはもう違う。


 だが――頭の片隅に、どうしても消えない影があった。


(神崎玲央……)


 ゲームの中で幾度となく味わった、あの強制イベント。

 無理やり腕を掴まれ、泣きながら抗う真白。

 それでもシナリオは進行し、選択肢もなく、ただ「NTRイベント」が淡々と流れていく。


 ――俺は画面越しに見ていることしかできなかった。

 どれだけコントローラーを握りしめても、テキストを飛ばすことしかできない。

「やめろ」と叫んでも届かない。

 あのときの胸を抉られるような悔しさと無力感は、今でも生々しく残っている。


 本当はこうして、手を伸ばしたかった。

 涙を拭いてやりたかった。

「俺が守る」と叫んで、彼女を抱きしめたかった。


 それが敵わない現実に打ちのめされ、ただ画面の前で悔しさに唇を噛むしかなかった。


 ――だからこそ、今度は違う。


 今はもう、俺の手は届く。

 真白は隣にいて、俺の手を強く握り返してくれる。

 なら、もう二度と後悔なんてさせはしない。


「……真白」

「ん?」

「これからも、ずっと一緒に帰ろうな」

「……うん」


 真白は少し驚いたように瞬きをしてから、笑顔を浮かべて頷いた。

 その笑顔を守ると誓いながら、俺は彼女の手を強く握った。


 昼休み。

 教室のざわめきは、どこか昨日までとは違っていた。


「ねぇねぇ、結城ってやっぱ彼氏持ちだったんだ~!」

「ショックだわ……高嶺の花だと思ってたのに!」

「いやむしろお似合いだろ。二人とも美男美女だしな」


 真白が席を立ち、弁当箱を手に俺の机の隣に座ると――

 女子たちの黄色い歓声が一気に高まった。


「ちょっ、真白ちゃん! 堂々と隣でお昼!?」

「なにそれ公開ラブラブじゃん!」

「キャーーーー!」


 男子の方からは呻き声が上がる。


「ぐぅ……俺のアイドルが……」

「くそ、目の前でいちゃつかれるの辛すぎる……」


 俺は居心地の悪さに身を縮めたが、真白は自然体で弁当を広げ、

「はい、これ。卵焼き作りすぎちゃったから」

 と俺の箸にそっと一切れを乗せてくる。


「お、おい真白……!」

「だって彼氏でしょ? これくらい普通だよ」


 にこりと微笑む。

 芸術品のように整ったその笑顔に、教室中の空気が一瞬止まり、次の瞬間爆発した。


「ぎゃーーーー! 今の見た!?」

「尊い! 眼福!!」

「うらやま死する!!」


(……やばい。ここ、もはや昼ドラの撮影現場か?)


 そんなドタバタに巻き込まれていると――


「おーおー、相変わらず賑やかだな」


 背後から軽い声が響いた。

 振り返ると、廊下から神崎玲央が入ってくる。

 制服を着崩し、余裕の笑顔を浮かべながら手を振る仕草。


「神崎先輩!」

「今日もかっけぇ~!」

 女子たちが一斉に声を上げる。

 男子ですら「まぁ確かにイケメンだよな……」と小声で呟くほど。


 玲央は人気者らしく、自然に人垣をかき分けて教室に入ってきた。

 そして――俺と真白を見つけると、にやりと笑う。


「やぁ、真白ちゃん。お昼一緒に食べよっかと思ったけど……もう“相手”がいたか」


 軽口に混じる、妙な圧。

 クラスメイトたちはただ「おちゃらけた先輩」と受け取って笑っているが、

 俺だけは違う。

 その視線の奥に潜む黒さを、ゲームで嫌というほど思い知らされていた。


(また来やがったな……神崎玲央)


 真白が一瞬、手を止めて視線を伏せる。

 俺はその手をそっと握り返し、毅然とした声で答えた。


「すみません、先輩。真白は、俺と一緒にいるんで」


 一瞬、玲央の目が細められる。

 けれどすぐに爽やかな笑みに戻り、肩をすくめて見せた。


「へぇ……いいじゃんいいじゃん。青春ってやつだな」


 軽やかな声色。

 だが俺の背筋には、冷たい汗が伝っていた。


「でさー、真白ちゃん」

 神崎玲央は、当然のように俺たちの隣に椅子を引き寄せた。

 制服を着崩し、余裕の笑みを浮かべる仕草は“人気者の先輩”そのもの。

 クラスの女子たちは「きゃー、神崎先輩!」と目を輝かせ、男子ですら羨望混じりに彼を見ていた。


「真白ちゃんってさ、後輩の中でも評判いいんだよ。可愛いし、気配りできるし」

「……そ、そうなんですか?」

 真白は困ったように笑って、視線を逸らす。


 玲央はその一瞬の隙を見逃さない。

 軽い調子を保ちながらも、じわりと距離を詰める。

 外から見ればただの世間話。

 けれど――俺にはわかる。


(……こいつは狙ってる。真白だけじゃない、“俺を試す”つもりだ)


「今度さ、ちょっと一緒に――」

「ダメです」

 俺は食い気味に遮った。


「……お?」

 玲央の口角がわずかに上がる。

 クラスの空気は一瞬止まり、すぐにざわめきで満ちた。


「うわー、主人公やるな!」

「彼氏の宣言きたぞ!」

「惚気爆弾落ちたー!」


 黄色い歓声と男子の呻きが飛び交う中、俺ははっきりと続ける。

「真白は、俺の彼女です。放課後も、休日も、全部一緒に過ごす予定で埋まってますから」


「……っ!」

 真白の頬が一気に赤く染まり、俯いたまま袖をぎゅっと握る。

「……うん。私、彼女だから」


 教室中が一層騒がしくなった。

 だが俺の視線は、ただ一人の男に向いていた。


 玲央。


 彼は笑っていた。

 爽やかで、人懐っこく、誰もが惹かれる“人気者の顔”で。

 だがその視線だけは違った。

 俺にだけ向けられる――蛇が獲物を値踏みするような、冷たく湿った光。


(うわ……気持ち悪ぃ……)


 皮膚を這うような悪寒。

 あの視線を受け止められるのは、きっと俺だけだ。

 クラスの誰も、彼の裏の顔になど気づきはしない。


「そっか。まぁ、そういうことなら――お幸せに?」


 玲央は肩をすくめ、軽口を投げて席を立った。

 その背中を見送るクラスメイトたちは「やっぱいい人だなぁ」なんて笑っている。


 ……だが俺にはわかる。

 さっき俺に向けられた視線は、「これで終わりじゃない」と言っていた。


(やっぱり、こいつは敵だ。絶対に油断できない)


 真白の手を握る力を強めながら、俺は心の中で改めて誓った。

 ――絶対に、この日常を守り抜く。


――――――――――――――――――

※後書き※

※サポーター限定公開で第1章区切りの15話まで先行公開※

https://kakuyomu.jp/users/kakurou/news/822139836757828544

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