第1章・第15話 切り開く

 ルークは怒りを忘れていた。現れた三種混合の幻体は、生物としてあまりに不格好な有様だった。ザリガニの下半身に肢がなく、前後移動しかできていない。

 狩人たちに抑えられて湖へ戻れず、あらゆる攻撃を受けては暴れるばかり。一方的な攻勢が続くものの、優勢というより拮抗にとどまっている。


「攻撃が続いていますが、傷がありませんね」

「硬くて通らない――じゃなくて、回復している感じだね」

 ルークは手を休め、ニムは矢を放ちながら打開策を探る。

「毒も効果なしですか」

「毒が効かないのか、巡らないのか。あの部位は知らないから、何か間違ってるのかも」

「――この毒を試してみてもらえますか」

 腰の荷袋から手帳を取り出し、水棲動物の絵と分子構造が記された頁を指し示す。

「ほぉー、毒の勉強もしていたのかな」

「はい。実践はまだだけど、簡単なものはまとめてあります」

 毒の扱いは難しい。致死の毒は再現できない。死ぬのだから理解が及ばず、知らない性質は想像できないのだ。だが、人が再現できる範囲の毒は動物には効きにくい。ましてや幻体となれば、致命に届く毒でなければ効果が出ない。

 人には無毒で、日常でも摂取している物質。致死ではなく身体感覚の阻害を狙う。それが毒の魔技で用いる毒だ。

 ニムは静かに構え、狙いを定める。今までの矢が刺さった箇所は多い。混合幻体、構造は解らない。全身に毒を行き渡らせるなら、狙いは一点。口内へ向けて矢を放つ。

 跳ね回っていた幻体はぴたりと止まった。前足が震え、毒の効果が出ているのが見て取れるが、前足以外は平然として藻掻もがき叫ぶ。その叫びに呼応するように水面が揺れ、黒い影が飛び出した。

「下がって!」ニムに飛びかかる幻体を、ルークは武器で弾く。

 各所に現れた二種混合が襲いかかって場を乱したが、対処に時間こそかかったものの危なげなく処理された。

 三種混合も有効な毒が判明してからは回復が追いつかず、動作が鈍り、やがて消滅。


「倒せましたね。特に空気は変わりませんが、まだヌシがいるのでしょうか」

「可能性はありますね。周りを調べたいので協力してもらえますか」

 モルティアの願いを受け、狩人たちは調査を始める。三種混合がいた湖は怪しく光っていた。


 * * *


 様々な行事で使われる大広間は円形に構成されていた。外に直結する面はなく、外光を取り入れるには二階の幕を動かす必要がある。

 広間中央には巨体が鎮座している。眠っているのだろう。横たわる影は緩やかに上下し、静かな呼吸音が広間に滲む。

 照明を点けるのも、幕を動かすのも扉付近の装置で行える。それを操作することが戦いの合図になるだろうと、様子を見計らう。

 通路を進み、場が広がる手前で静かに探る。ヌシ以外の幻体がいないか入念に確認するが、二階に潜んでいる可能性は拭えない。


「火が宙を漂っていませんか」

 広間の影を照らす光源は、不自然に灯る照明だと考えていた。実際は、不可思議に空中を漂う火そのものが存在していたのだ。

 幻体の作用か、異常事態の根源によるものか。未知の危惧を振り払い、照明の点灯を指示する。

 場は明るくなり、少し目が眩む。横たわっていた幻体も身体を起こし、全貌を現した。


 狼の頭部と獅子ししの前足、猿の後ろ足に蜥蜴とかげの尾。四種の混合幻体が確認された。


「ファス導師!」

 一人の護士の声が全員を強張らせる。

「階段の先で、導師服の方が二階に身を潜めました」

「……救出を優先するか、討伐を終えるか。先ずは戦ってみてから判断だ」

 フォルドは正面から斬りかかる。幻体も反応し、弾くように前足を伸ばす。金属の鈍い音が響き、フォルドは後ろへ弾き飛ばされた。

「――ッ、久々に手が痺れたな。傷跡もナシか」

 フォルドが弾き飛ばされ、攻撃も通らない。初めての光景に、護士たちはわずかに腰が引ける。

「救出を優先する。階段に向かえ」

 フォルドの指示に、護士たちは顔を見合わせて頷く。一人でも階段へ抜けられるよう波状陣形を組み、合図を待つ。

 フォルドの斬りかかりに合わせ、波が動く。フォルドに反応した前足が重心を固定し、波を防ぐ手段を失わせる。全員が階段を抜けられると判断した時、視界の隅で尾のなぎ払いを捉えた。

 咄嗟に盾を構えて直撃は避けるが、後方まで吹き飛ばされる。弾かれたフォルドよりさらに後方。防いだ前足と同等の威力を、尾が有していることを示していた。


「クロッドとクラヴァーが二階を目指せ。左右に分かれて隙を突け」

 指示を受け、迷いなく隊列を組み直す。二階を目指す二人を端に配置し、他の者は盾を構える。

 フォルドも息を整えて動き出す。先ほどより軽い助走から強く踏み込み、高く跳ぶ。幻体の顔よりも高く上り、掲げた大剣が光り輝いて目を眩ます。

 幻体は顔を背けたが、すでに定められていたフォルドの一撃は通らず、またも弾かれた。飛ばされた先には、クロッドとクラヴァーの姿もある。

「すいません。抜けられませんでした」

「次はどうするか」

 ふたりに落ち度はないと判断し、次の手を模索する。


 アリオスは自分の無力さを嘆いていた。一人では二種混合に攻撃すらできず、ルークに助けられた。モルティアに託されたこの場でも、熟練に付いていくのが精一杯だ。

 視界が狭くなる。音が小さくなる。

「(階段を抜けないといけない)」視界には階段しか映らない。

「あの尾だけが邪魔なので、今度は攻撃を仕掛けて切断してはどうでしょう」誰かが提案する。

「(邪魔……攻撃……切断……)」アリオスの脳に指示が刻まれる。

「解った。道を切り開く方法は任せる。色々試してみてくれ」

「(道を切り開く……)」

 動き出す護士たち。アリオスも指示をこなすため、階段を目指して走り出す。

「危ない! アリオス!」クロッドが叫ぶ。

 盾も構えず階段へ走るアリオスは無防備だった。叫びが届く時には、すでに尾が階段を塞ぎ、アリオスを薙ぎ払う――はずだった。

「……邪魔だ」

 アリオスの声は誰にも届かない。響いたのは、肉を断つ音と、それに続く大きな落下音。

 尾は身体から離れ、地面に転がっている。階段への障害は取り払われ、絶好の機会が訪れた。

 クロッドはアリオスの無事を横目で確かめ、階段へ駆ける。クラヴァーも続き、二人は振り返らず二階へ向かった。


 アリオスの活信機が震える。緊急時の振動に、活信機を軽く叩いて応じる。

「フォルド団長に共有。貯水湖にて原因となる結晶体を破壊。周囲の幻体消失を確認」

 モルティアの声が聞こえる。骨伝導の声に、別の声がかぶさった。

「アリオス、逃げろ!」

 咄嗟に盾を構えて身構えると、大きく叩き飛ばされる。守りが間に合い、軽症で済んだアリオスはフォルドのもとへ移る。

「アリオス、よくやった。本部からの通信で、異常事態の原因が結晶体にあると判明した。二階にあるだろうからあいつらに任せて、こっちは幻体の相手を軽くいなす」

 方針を共有したフォルドが幻体に向き直ると、そいつは二足で立ち上がっていた。

「アリオス。怒らせたみたいだぞ。謝ってこい」

 フォルドに冗談を投げられ、アリオスは目を見開いて絶句する。


 * * *


 二階には広間を見渡すための部屋が複数並んでいる。二手に分かれるか相談していると、クロッドに連絡が入った。

「結晶体を壊せば幻体は消失することが確認されたみたい。ここは二手に分かれて行動しよう」

「……何かおかしくないか」クラヴァーは腑に落ちない表情を見せる。

「大広間の照明は誰が点けた。あの照明は火を維持する魔導具で、最初に点火が必要だ」

 クロッドの眉間に皺が寄る。

「結晶体がある場所に、なぜファス導師だけがいる」

「落ち着いて、兄さん。導師が点けた後に幻体が現れて閉じ込められただけだよ。それにファス導師と決まったわけじゃない」

「あぁ。人がこんな状況を起こせるとは思えないが、もしファス導師でなければ――警戒して接触しろ」

 ふたりはいつものように盾を軽く合わせ、別れて行動を始めた。

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星託の災/厄/ 白筆織雪 @shira_fude

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