第1章・第8話 契士国から護士国へ
日が昇り始め、まだ空気は冷たい。支部の前に二台の車が並んでいた。ルーク、ペイル、セスカ、ロアナ、それに職員たち。萬筆録番の交流会に向かう参加者の名簿が点検され、荷が手早く積まれていく。車内に乗り込み、各自の血筒を接続口へ差し込む。走行に要る力を乗員で補助し、走行距離を伸ばす仕組みだ。一台に十名ほどが乗り、車は静かに路面を捉えた。
街道は幅が一定に保たれ、運送車と何台もすれ違う。走り始めは口数も多くにぎやかだった車内も、単調な景色が眠気を誘い、やがて静かになった。
昼は用意の弁当を車内で済ませた。お手洗いも備わっている。
うとうとして目を開けると、農業地域の町を走っていた。ここから首都に農作物が運ばれていると習った。
「観光街にも今度遊びに行きたいね」
セスカが笑みを浮かべる。
「そうですね。ルークくんは運転できましたよね」
ロアナが確認という名のお願いを投げてくる。
「うん。今度時間を作って遊びに行きましょうか」
ルークは頷き、窓の外へ視線を流す。
日ざしが傾くまでに、畑の帯が何度も入れ替わる。乾いた耕地のうねが、遠くで弓なりに重なる。
耕地が途切れてしばらくして宿営地に着く。舗装の広場に小屋があり、道を管理する商会の職員が要件を聞きに来た。宿泊する旨を伝えると、停車位置を指示された。
車体を展開して天幕を張り始める。
「天幕の向きは、これで合ってる?」
ロアナが布の端を押さえる。
「大丈夫だよ。ちゃんとできてる」
ルークは慣れた手つきで確認を終えていく。
天幕の横に机と椅子を出し、調理場を整えて夕食を始める。湯で体を洗う施設も整っており、一日の疲れは十分にとれた。天幕内では座席が寝台に変わり、布で間仕切られている。就寝前に血筒を補修しておく。
外では酒を楽しむ声もあるが、街とは違う、虫と風の音が混じる静かな騒がしさが聞こえてくる。
二日目の朝は霧が濃い。朝食を済ませ、昼の弁当も包み終える。天幕をたたみ、車は街道へ戻った。
「活信の受け取りは全員終わりましたか。血力がもったいないので止めますね」
セスカが手の上に端末を持ちながら、車内に聞こえるように声をかける。
「なんで、あの機械で受信できるの? 外では受け取れないよね」
ロアナが首をかしげ、前列のルークに問う。
「あれで受信してるんじゃないよ。宿泊施設にあった魔活樹経由で受け取ってあるんだ」
「でも、自分の端末しか住所に接続できないって聞いてるよ」
「入職の時に登録してるはずだよ。活信の住所を入力しなかった? 萬屋を経由して受け渡してくれるのが、あの端末」
「そっか、いつでも受信できるわけじゃないんだね」
ロアナは目を伏せ、少し声が落ちた。
車内は会話よりも、遊びで時間を過ごす。ときどき「常世の門は開いてないな」「自由人に変化はないか」などの会話が漏れる。
午後も路は変わらない。同じ色の土、同じ高さの草。太陽が傾き、影が車体の横へ移る。二つ目の宿営地に入る。先日と変わらない環境、移動販売車が食欲をそそる香りを漂わせる。
食事の後に身体を動かし、疲れを洗い落とす。明日の夜遅くには護士国に到着する。何事もなく一日が過ぎ、就寝した。
三日目の朝は薄暗く、夜の小雨で路面が濡れ、天幕を片付けるのに手間がかかった。出発してしばらく、車はいつもどおりの速さで走る。昼食を済ませた後、段差でもないのに小さな揺らぎが続いた。
「足まわり、見たほうがいいかも」
前列の職員が不安そうに声をかける。
「近くに小さな村があります」
セスカが地図を押さえ、距離を測る。
街道から外れ、土の道をゆっくり下る。畑の先に、板塀と低い家並みが寄り添っている。広場の縁に車を止めると、荷置き場から二、三人こちらへ歩いてきた。先頭の男は肩が張り、日焼けした腕に筋が走っている。
「故障か。道具は揃ってるか」
男が短く問う。
「車に積んであります。少し場所をお借りできますか」
セスカが頭を下げる。
「道じゃなければどこでも使っていいぞ。手は足りてるか」
「大丈夫です。助かります」
点検を終えて修理は完了したが、思いのほか時間を食ってしまった。到着は明日に延ばすことにして、村で泊まる相談を決めると、先ほどの男性が様子を見に来た。
「この村は狩人が臨時拠点として過ごす場所で、今は空いている施設が多いから自由に使え」
「ありがとうございます。食材を売っている施設はどこにありますか」
「門が開いたばかりだからな、まだ人が集まってないんだ。ウチの野菜と肉で良いなら売れるぞ」
「では、お言葉に甘えて買わせていただけますか」
セスカと男の話は滞りなく進み、宿泊には問題がなさそうだ。職員の一部から「門が開いたのなら少し散策してくるか」と声が上がっている。男は言葉が聞こえたのか、ルークの方を一瞥する。
「萬筆録番の
「いえ、僕はただの店員です。剣は護士国の演習で学んでから、趣味みたいなもんです」
「その装備なら大丈夫だ。戦えるなら常世に行くか」
男も狩人として生計を立てているようで、常世に入る前の確認に来てくれていた。斥候職員と一緒に、ルークは常世へ連れていかれた。
夕食時間を過ぎた頃に帰還。職員は帰還後も話し合いが続いていたが、ルークはいつもの輪に戻る。疲労困憊で戻ると、皆は暖かく迎えてくれる。
「おかえりなさい。ほこりっぽいですね、お風呂に行った方がいいですよ」
ペイルはいつもどおりだ。
「ご飯は残してあるので、ゆっくりしてきてください」
ロアナも同じ意見らしい。
ルークは輪を離れて風呂場に向かう。心の疲れは洗い落とせず、食卓に戻ると、セスカから明日の段取りを伝えられる。
振り回され続けたルークは、思いきり身体を動かせたことで、眠りもいつもよりすんなり訪れた。
四日目の朝、本来は到着しているはずが、見知らぬ屋根の下で目を覚ます。
朝食後に外に出ると、少し賑やかになっていた。門が開いたことで狩人が集まっている。早々に車に乗り、街道に戻る。舗装路で走行しても昨日のような揺れを感じない。
「ルーク、昨日の人の剣術はすごかったな」
「はい、クロッド殿下の剣術しか知りませんが、また護士の型を見られて良かったです」
「護士国には様々な剣術があるが、あれが護士の主流だな。盾の使い方にはクセがあったが――それより、ルークは十二分に戦えるな」
「あぁ、真剣に斥候部門への移動を提案するか」
他の職員も乗ってきて、ルークは戸惑う。
ロアナが斥候部門に関してセスカに聞いている。
「斥候部門はね、萬筆録番に流れてきた情報の真偽と危険性を確認する人員ね」
「怪我をする可能性が高いって事ですか?」
「そうね。勤務の多くは常世での鍛錬を兼ねた素材採取だから。狩人と同じぐらいは危険かな」
セスカは軽く答えると、ロアナは心配そうな顔を見せる。
「怪我をしないように日々鍛錬を積んでいるんだ。安心しな」
職員たちは自信ありげに答えた。しかし、セスカは冷たい目で告げる。
「あなたたちの心配じゃなくて、ルークの心配をしてるのよ」
職員は笑いながら、話を続ける。ルークが昨日のことを思い出して口を開く。
「あの人、七十になると言ってました」
「有名な人でな。慣習どおり五十歳で首都を出て、ずっと狩人をしてるんだ」
「『生涯狩人』という方だったんですね。あ、元護士でしたね」
「そうだな。現役の頃は詳しく知らないが、今は狩人連中を統率して楽しんでいるのは知られている」
護士国の近郊の街に到着した。予定が一日ずれ、寄り道案も出たが、後でコープス支部長に知られるのを考え、眺めるだけにした。
夕方の色が濃くなるころ、護士国の萬筆録番の前で止まる。
「交流隊の第一組です。遅れましたが無事に到着しました」
セスカが護士国支部長に報告をした。
「お疲れさま。今日はこのまま宿に行って大丈夫。ルークも宿で泊まってね」
ルークは返事をし、各々の確認を終えると、車から荷を降ろし始めた。
「ロアナちゃん、孤児院におもちゃを渡しに行くから手伝って」
ロアナは快く応じ、ルークの肩がわずかに揺れた。
「ルークくんはどうする? 二人とも働いてるけど、子どもたちに会いに行く?」
「いえ、休日に孤児院で会う予定になってますので大丈夫です。荷物が多いなら手伝います」
セスカがこのまま車で運ぶから大丈夫と答え、出発した。
ペイルは変わらず、ルークの隣にいる。
「護士国に到着しましたね。自然もいいですが、人の生活がやはり楽しい」
「じゃあ、市場に寄ろうか」
ルークとペイルは賑やかな方に歩みを進める。
「孤児院ということは、教会の近くですね。教会は苦手です」
「なんで? 崇拝されてるんでしょ」
「だからです。名前で呼んでくれません」
去年までの生活との変化が多く、新鮮さと物足りなさが同居する。休日の楽しみを思い描くと、あの頃の記憶が込み上がる。
「教えてもらった鍛冶屋にも寄っておこうか」
独り言のように呟き、二人は、看板の灯りが華やかな大通りへと消えていった。
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