第30話 偽りのロマンスと、偽らざる思い

 そのしらせは、突然やってきた。


「…合同訓練スクリム参加のご案内…?」


 俺のPCが、一通のメールを知らせる通知音を鳴らした。


 差出人は、シャイニー・プロダクションが主催する『V王』の運営事務局。

 件名には「【重要】合同訓練の開催につきまして」とある。


 俺はそのメールを出勤してきたばかりの黒木とらくなの二人にも見えるように、メインモニターに表示した。


「――スクリム!?」


 最初に声を上げたのは、黒木だった。

 その顔には驚きと、隠しきれない興奮が浮かんでいる。


「そっか…そうだよね! 『V王』クラスの大会なら本番前にスクリムがあってもおかしくないけど…うわぁ! 私こういうの初めてだよーっ!」


 まるで配信者界隈の一ファンのように喜ぶ黒木。

 先輩のただならぬ雰囲気に、らくなはこてんと首を傾げた。


「……あの、…すくりむ…って、なんですか…?」


 純粋な問いに、俺と黒木は顔を見合わせた。

 確かに、一般的にはあまり馴染みのない言葉かもしれない。


「…スクリムとは、本番さながらの環境で行われるチーム同士の練習試合のことです。順位や賞金などは出ませんが、他チームの実力や戦術をこの目で直接探ることができる…いわば、本番前の『情報戦』と言った所、でしょうか…」

「おー! さっすがマネちゃん! 分析狂の血が騒ぐねー!」


 黒木は腕を組みながら、俺の気分を煽るような言葉を吐く。

 全くこの人は。オタクが喜ぶ言葉を熟知しているじゃないか。


「強豪チームと――何より、シャイニーの子たちと同じ配信画面に映れたら、ウチらの知名度もあがるかもっ!? これは最高のチャンスだよ!」


 プロ配信者としての彼女の頭には、既に「参加」の二文字しかないようだ。

 だが、俺は仮とはいえチームの司令塔として、その裏にあるリスクを提示しなければならない。


「…ですが、一つだけ懸念点もあります。我々の手の内…特に、らくなさんという、まだ誰にも知られていないであろう『切り札ジョーカー』の存在を、全チームに晒すことにもなります」


 つまりは、諸刃の剣だ。

 俺の言葉に、らくなの肩が一瞬びくりと震えた。


「…あたしの、せいで、チームが…不利に…?」


 だが、それはすぐに獰猛な気配によって掻き消える。


「…ううん…関係ない…、バレても、平気…」


 か細い声の中に潜む、絶対的な自信。

 そこから紡がれたのは接敵した者全員を奈落に突き落とすという、漆黒の宣言。


「本番が、始まったら…全員倒せば、いい…それだけ…」

「ら、らくなちゃん…っ!?」


 その迫力に、逆に黒木が飲まれてしまい、情けない声をあげた。

 二人の様子がおかしくて、俺の口元は自然と緩む。

 

「…決まりですね」


 皆の総意を代表して、俺が告げる。

 個性もスキルもバラバラの三人だが、向かうべき先は同じ。


「――Starlight-VERSE。スクリムに、参加します」


 返信フォームに承諾の旨を入れ、送信ボタンを押した。


 挑戦状は、受け取った。

 後は意気込みに恥じない結果を見せるだけだ。


「よっしゃー! やるからには全勝するぞー!」

「…んっ」


 拳を突き上げる黒木と、その隣で固い決意の表情で頷くらくな。

 チームの士気は今、最高潮に達していた。


 しかし、ここで俺はその熱気に水を差さなければならなかった。


「…と、言いたいところですが、黒木さん。ご存知の通り、本日午後からは例の…社長案件が入っています」

「――あ」


 突き上げた拳が、所在なげにそろりと下ろされる。


「にゃはは…、そうだった…。今日のチーム練、中止かぁ…」


 一瞬だけ、本気で残念そうな顔をする。

 だが彼女はすぐに、パンッ!と頬を叩いて表情を切り替えた。


 その瞳には、もう迷いはない。

 Vtuber『黒木カナタ』としての、力強い光が宿っていた。


「――ううん、違うね! これはこれで社長が取ってきてくれた、大事な初案件だもん! 全力で楽しまないと損だよっ!」


 目の前にある全ての仕事に120%の力で向き合う、本物のプロフェッショナル。


 バッグを肩にかけながら、彼女は俺に向き直る。

 そして、ごく自然にその名前を口にした。


「じゃ、行ってくるね、ナオシさん」


 ――ナオシさん。

 あの昼休み以来、彼女は時折俺のことをそう呼ぶようになっていた。


(…苗字なら最悪配信上で間違って呼んでもリスク回避になる…だから、元の呼び方に戻して欲しいって俺から言うべきだ…、頭では分かっているんだが…)


 結局、俺は今回も訂正を訴えることは出来ず、流されるまま返事を返す。


「…はい。よろしくお願いします」


 俺の戸惑いを察してか、彼女は悪戯っぽく笑うと、希望に満ちた声で言った。


「留守番よろしくね~! 絶対良い報告、持ってくるからっ!」


 そう言って、彼女は外で待ち合わせている社長とともに、外部スタジオへと颯爽と向かっていった。


 ◇


 黒木を見送った後。

 事務所には、俺とらくなの二人だけが残された。


 いつもより静かで、少しだけ気まずい空気。

 その沈黙を破るように、俺はらくなに向き直る。


「らくなさん。少し、いいですか?」

「……は、はい……」


 前髪をヘアバンドで留めようとしてたらくなの顔が、びくっと跳ねた。

 配信中は割と対等気味に話せるようになったが、こうして一対一になると相変わらず小動物と対峙している気分になる。


「黒木さんはいませんが、スクリムの前に見ておきたいものがあります」


 そう言って俺は、会議室の大型モニターにとある二人組のVtuberの配信アーカイブを映し出した。


 画面に映し出されるのは、シャイニー・プロダクション所属の男女ユニット『Heliotropeヘリオトロープ』。天輝テンマと月詠ルナによるエーペックスのランクマッチだ。

 ただし、配信内容は殺伐とした雰囲気はまるでなく、雑談を交えながらの始終和やかなムードで進行している。チャット欄に流れるコメントを読みつつ、軽快な喋りで戦場を駆けていく様は、さすが大手Vtuber事務所の人気配信者だ。


 何より、単純にその立ち回りが巧すぎる。


(…ポジショニングに一切の無駄がない。テンマのアグレッシブな攻めを、ルナの完璧な射線管理が常にカバーしている。それも最小限の言葉を交わすだけで…)


 まさに芸術の域に達した連携コンビネーションに、俺が息を呑んでいるその時。

 隣から、感嘆と溜息の混じったような声が聞こえた。


「…………すごい……」


 映し出された映像を食い入るように見つめるらくな。

 上位勢だからこそ分かる彼らの戦術的な動きに、感動しているようだ。


(…やはり、らくなも認めるほどの実力者か。前回の大会でもこの二人は優勝チームに入っていた。これは最大の難敵になりそうだな…)


 俺が思考を巡らせていると、不意にくいっと袖口を引っ張られる。


「……あの、…今の…」

「え? ああ、今のカバーリングですか。あれは――」

「…『お姫様』って…」

「…………え?」


 予想外の単語に振り向き、そして理解した。

 彼女の瞳が釘付けになっているのは、ゲーム画面のスコアやキルログではなかった。


『――今の最後のカバー、マジで助かったよ。お姫様』

『…別に。当然のことをしただけ。…でも、まあ…』

『ん?』

『……テンマが、ちゃんと見ててくれたなら、…嬉しい、かも』


【キターーー!!!】

【うっわあっま】

【口から砂糖出た】

【配信外でやれよ、ったく…】


 そこに映っているのは、マッチング待ちの間に交わされる二人の甘い会話。一部では露骨すぎるとも噂されるカップル営業だが、こうして直に見ると確かに胸がざわつく感触も分かる。


(…まぁさすがに本物の恋人とは思わないけど…ここまで距離感近いと見ていてドキドキするな…。…俺には絶対無理だ…)


 すると、画面に映る二人の関係性を見ていたらくなが、ぽつりと俺に問いかけた。


「……あの、ナオシさん」

「はい」

「……Vtuber同士で、…恋愛って…あり、なんですか…?」


 ――稲妻が走った。


 それはこのVtuber業界においてタブーとされている問題だ。

 決して安易な考えを述べるわけにはいかない。


 俺はマネージャーとして、当たり障りのない教科書通りの一般論を口にする。


「…そうですね。表向きは、多くのVtuber事務所が禁止しています。何故ならファンの方々を、悲しませてしまう可能性があるので…。ビジネスとして、非常に大きなリスクを伴いますし…」


 それが正論。大人の答え。

 彼女もそれで納得するだろう。俺はそう思っていた。


 だがらくなは、モニターの光を宿した真剣な瞳で、俺をまっすぐに見つめ返した。


「……でも、…好きな人ができたら、…隠さないと、いけないんですか…?」


 その問いはビジネスの損得勘定など微塵も含まれていない、彼女の純な疑問だった。


「…好きなのに、…好きじゃないフリをするのは、…あたしは、…嫌です」


 思わず、息を呑んだ。

 俺が言った答えがビジネスとしての正論ならば、彼女の答えは恋の正論だ。決して混ざり合うことはない、水と油のような主張。


 圧倒されている俺にさらなる追い打ちをかけるように、彼女は最も答えに窮する質問を、静かに投げかけた。


「…………ナオさんなら、…どう、しますか?」

「え…?」

「…もし、…ナオさんに、好きな人ができたら、…隠しますか…?」


 それはもはや一般論、ではなく。

 須藤ナオシという、一人の人間に対する問いだった。


(…そんな、事、急に言われても…、俺にはまだ恋愛の経験すら無いってのに…)


 齢15、6の少女が、非モテのアラサー男に好きな人の話をする。

 普通なら悪い冗談のようなシチュエーション。ドッキリだとしか思えない。


「……教えて…、ください……」


 だが、正面で見つめる彼女の瞳はこの上なく真っ直ぐで。

 曖昧な逃げ回答など許してくれる雰囲気に無い。

  

 何か…何かを答えなければ。

 彼女のこの真っ直ぐな瞳から、逃げてはいけない。


「……、俺……は……」


 覚悟を決めて、口を開こうとした、まさにその瞬間だった。


 プルルルルルッ、プルルルルルッ!

 事務所の静寂を、どこか気の抜けた電子音が、無慈悲に切り裂いた。


「「…………っ!?」」


 俺とらくなの肩が、同時にびくりと跳ねる。

 張り詰めていたムードは急な着信によって、木っ端微塵に粉砕された。


 俺は、慌てて受話器を取る。


「は、はい! Starlight-VERSEです!」

『おぉ、須藤くんか! 私だ!』


 そのやけに陽気で、能天気な声の主は、やはりこの人しかいなかった。


「しゃ、社長…。今、少し、取り込んでまして…」

『そうか! なら手短にな! 今、ちょうど出先の店の前に居るんだが、君たちへのお土産は何がいい!? ここの名物は饅頭まんじゅうらしいんだが、あんこは好きか!?』


 俺は、こめかみを押さえた。

 この人は、どうしていつもこう、タイミングが悪いのか。


「……ふふ……っ、…あたし、こしあんが…好き…」


 離れていても社長との会話は聞こえたのか、らくなは微笑みながら答える。

 どうやらVtuberの恋愛議論は一旦お預けにしてくれるらしい。


 俺は、電話の向こうの空気が読めない上司に少しだけ感謝しながら、言った。


「…饅頭、お願いします。こしあんで」


 二人きりの事務所に流れていた、甘酸っぱい空気はもうどこにもない。

 そこには饅頭の到着を待つ、いつも通りの少し間抜けな日常が、戻ってきていた。

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