5-1
「……」
こっちは、やめておくか。
翌日の学校帰り、いつも通りの通学路を通ろうとした古和玖は、僅かに顔をしかめて足を止めた。
昨日、奇と遭遇してしまった道だ。
昨日の今日で、あの男にだけは絶対に会いたくない。
今日は学校で任された仕事があって居残っていたから昨日とは帰りの時間帯が違うが、それでも用心するに越したことはないだろう。
(それに、初対面で思いっきり怒鳴っちゃったし……)
「あのこと」を思いだしたせいもあって、思わず感情的になってしまった。
冷静に考えれば、高校生にもなって初対面の大人の男相手になりふり構わず怒鳴りつけるなんて、次に会うのがあまりにも気まずい。
くるりと足の向きを変え、少し遠回りにはなるが、いつもと違う道を通る。
空はまるで燃えるような橙色。ぞっとするほど不気味なその景色が、空の端から深い藍に呑まれていく。
(どうしようかな……この時間帯なら、今から誰か一人見つけて、それから、妖言で)
迷うのも躊躇うのも、この数年間で、そして昨日の夜で、何百回、何千回とやってきた。
古和玖の指先が眼鏡に伸びて、そっと縁をなぞる。
もう、覚悟は決めていて、諦めはついていて、未練なんてない、はずだ。
でも。
(――いや、やっぱり)
心の隅で、誰かに袖を引かれて。
眼鏡からそっと手を離そうとした瞬間、どんっと後ろから強く誰かにぶつかられた。
「う、わっ」
体がよろける、と同時に、眼鏡のつるがぐらりと揺れて、からんと落ちた。
「――あ」
「――うふふふっ」
ぶつかってきたのは、一人の少女、のようだった。
顔は見えない。ただ後ろから走ってきた影がかすめるように古和玖の前に落ちた眼鏡を拾い上げ、そのまま道の向こう側へと走り出す。
肩まで伸びた揺れる髪。身長から考えて幼稚園児、あるいは小学校低学年だろうか。
「あはははははっ!」
高らかな笑い声をあげながら、少女と、奪い取られた眼鏡が遠ざかっていく。
「っ、待って!」
まずい。
あれがないと、あの眼鏡をかけていないと、この赤い瞳は。
異様に足が速い。そのうえこの狂ったような笑い声、尋常じゃない。
きっとあれは怪談――それも、かなり危険な怪異だ。
でも、考えるより先に足が動く。
赤い瞳の力を抑え、周りからは黒い瞳に誤魔化し、そして、妖から隠れるための眼鏡。
あれがないと僕は、
――人間でいられない。
脳裏を過ったその感情に、古和玖は自分で、赤い瞳を見開いた。
怪談蒐集家 音夢音夢 @onpurin
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